12 二千年の恋
いよいよ、ユオとの約束の時間。
部屋で待つように言われたので、アリィは上着を羽織る。
侍女たちにお願いし、少しだけ化粧を施してもらった。
髪もアレンジしてもらい、編み込みを入れることで愛らしく整え、もらった髪飾りで彩る。
アリィは素の美しさが際立つから、淡い色を差すだけで十分だった。
(こんなに気合を入れて、変に見られないかしら)
皆の手前というのもあって、会話は少しぎこちなかったのを思い返す。
(どんな話をしよう。お兄様やララァと一緒に勉強したこととか……?)
初めての恋に浮かれ、話題ひとつ取っても考えるのが楽しい。
鏡の前で何度も自分の顔を見ては、変ではないことを確認しながら。
待っていると、ドアではなく窓の方から音がした。
三階の部屋なので、誰かが来ることはないはずなのに。
恐る恐る、カーテンの隙間を覗く。
バルコニーの外で、宙に浮かんだユオが手を振っていた。
小石を投げて、窓に当てていた様子だ。
アリィは窓を開け、バルコニーに出る。
「わぁ! いつも可愛いけど……今夜もすごく可愛い!」
何気ない会話は、ユオの方から始まった。
まるで何もなかったかのように、いつもどおりの話し方だ。
アリィの変化にすぐ気付き、褒める言葉まで欠かさなかった。
「うん、ありがとう……それ、絨毯に乗ってるの?」
彼はただ浮かんでいるわけではなく、空を飛ぶ絨毯の上に立っている。
空を飛ぶ魔法はコストが高いはず。
大きな魔力石を使わないと、維持できないとか。
「うん。試作品だけど、安全性はあると断言するよ」
「ちょっと怖いわ」
「僕と一緒でも?」
ユオは手を差し出す。
普段は無理強いしないが、今回はアリィが嫌ではなさそうだと見抜いてのことだ。
実際、好奇心半分、恐怖半分で迷っていたところだった。
「それなら、怖くないわね」
少し前のアリィなら、手が触れ合うことすら禁忌としていた。
今はむしろ、触れることに喜びを感じる。
恥じらいよりも好きな気持ちが勝ち、そっと手を重ねた。
改めて手を触れ、(やっぱり、大きいのね……)としみじみ思う。
彼の男らしさに対する恐怖は、最初からなかったようだ。
「じゃあ、行こうか」
手を繋ぎ、ユオはそのままアリィを少しだけ抱え上げて絨毯に乗せた。
絨毯の上は揺れることもなく、平らな地面の上に立っているかのような感触だ。
それに、足場もふかふかで心地よい。
「すごいわね。砂漠の旅でも、これがあればよかったのに」
「あはは、あの時は安全確認が微妙だったんだ。大切な人を、危険なものには乗せられないからね」
「そ、そうなのね……嬉しいわ」
お互いの気持ちが分かっているからか、以前よりも距離がずっと近い。
片方は手を握ったまま、もう片方の手は腰に回して、ユオはアリィを固定していた。
心地よくなって、身を寄せる。
「アリィは覚えてないよね。二千年前……いや、正確には、それよりも少し前だった」
ユオは嬉しそうに笑顔を浮かべ、不思議なことを話し始める。
草原の村での、話の続きだった。
「その時のことを知りたいわ。どうやって私たちは恋人になったの?」
アリィは彼を見つめて、静かに聞いた。
「恋人っていうのは盛り過ぎかな。僕が君を好きになって、魔族を裏切っただけさ。それから会う度に求婚したけど、ずっと断られてたからね」
少し寂しげな顔をして、ユオはアリィの髪を優しくすくい上げる。
ようやく触れられると言わんばかりに、ことあるごとに手を伸ばすのだ。
「じゃあ、女神が闇天将様と、その……身も心も結ばれたっていうのは、嘘なの?」
アリィは言葉を濁し、視線を逸らした。
結ばれた、という言葉のニュアンスは、精神的なものだけではない。
体も含まれていることが、大人になって分かったからだ。
「二千年前は、〈ジェミリオン〉の片割れを失ってた。勝ち目は薄くて、消耗戦だったんだ。君は頻繁に魔力不足を起こして……それを補うのが、僕だったってだけさ」
「えっ? 補うって、そういう……!?」
顔が真っ赤になるアリィ。
ユオは苦笑いし、その唇に指をつけて制止した。
「でもね、最期は受け入れてくれたんだよ。その時はもう……一緒にはいられなかったけど」
すくっていた髪が、さらさらとこぼれ落ちる。
それを視線で追い、ユオは独りで過去の記憶を辿っていた。
アリィは変な想像をすっかり飛ばして、切なさに身を委ねる。
彼のたまに見せる脆いところには、過去の自身の死が関係しているのだと。
(神話では、女神は天界に帰ったことになっているけど……本当は、彼を残して死んだのね。だから、私が今ここにいる)
何者にも恐れをなさないユオが、一度だけ恐怖に震えた時があった。
アリィが死にたがっていた時のことを、思い出した時だ。
そんな彼の前で死にたいだなんて言ってしまったことに、ひどく後悔する。
「ごめんね、死にたいだなんて言って……でも、これだけは言えるわ。私は好きでもない人と触れることなんて、出来ないの」
城の上空、風に二人の髪が揺らぐ。
アリィは当時の自分の気持ちを想像するしかなかったが、潔癖なところは変わらないはずだ。
だからきっと、その時も同じ気持ちだったのだと――神話は脚色されたものだとしても、確信していた。
「僕は君が生きててくれたらいいんだ。それで……触れるって、どんな風に?」
真面目な話をしているのに、ユオはにやりと笑って耳元で囁く。
「も、もう、分かってるでしょ!」
せっかく落ち着いていたのに、アリィはまた顔を真っ赤にした。
離れるようにぐっと胸板を押し返すが、力が強くてユオは離れることはない。
「シノのことを助けてって、僕にお願いしてくれたよね。何でもするからって」
そのままユオはアリィの華奢な肩に、そっと顎を乗せた。
負担にならないよう、ほんの少しだけ身を委ねるような形で。
背が高い彼は、小柄なアリィの肩に沈むだけで、かなり体を屈めている。
あまりに不格好で――いつも強そうな人なのに、どこか弱々しく映った。
「変なことは……しないわよ」
何を求められるのかと――良からぬ想像をしたアリィは、一人で動揺してしまう。
「え? 何のこと? 僕は何も言ってないのに」
ユオはアリィから少し離れて、その赤くなった顔を見て笑った。
あえてそう考えるように仕向けておきながら、いざその話が出たら知らぬふりをしてからかう。
「も、もう……変なことは考えてないわ!」
そんな意地悪さに、術中に嵌ったアリィはまた恥ずかしくなっていた。
「本当に欲しいのは、君の心だけ。それさえくれれば、僕は何だってやるよ。ずっと、君を愛してるから」
またふざけたことを言うのかと思いきや――今度は真面目な顔をする。
一言一言を噛みしめるように、ユオは重たい気持ちを吐露した。
そっと腰に回される手に、アリィは身を委ねる。
自信の細い腕を彼の背中に回したが、あまりに広くて両手が重ならない。
「私も、大好きよ。心はとっくに貴方のものだからね」
改めて言葉にすると照れくさい。
でも、それで本当の恋人になれる気がする。
正式に恋人になったからなのか、アリィは触れ合うことに抵抗がなくなっていた。
ぎゅっと抱きしめ合った後、少しだけ力を緩めて、ユオはアリィを見下ろした。
いつもより余裕はなく、少し瞳が揺れている。
すると、彼はそっと腰を落とし、アリィを見上げるようにして膝をついた。
空飛ぶ絨毯の上、涼しい風に撫でられる。
夢の中にいるかのような心地の中で、心臓が跳ねた。
そっと取られる手の温度が、静かに溶け合っていく。
「改めて……僕と結婚してください。生まれ変わっても、また君を探していいのなら」
ユオの感情は壮大で――宇宙が終わったとしても、アリィのことを想い続ける勢いだ。
それが可能かどうかなんて、今はどうでもよかった。
アリィはもう片方の手を重ね、涙目になって頷く。
「お願いします。もしどこかで泣いている私がいたら、また見つけてください。貴方に会えたら、きっとまた笑えるようになるから」
記憶がなくても、きっとまたユオのことを好きになる――アリィは当たり前のように受け入れて、微笑み返した。
そんな彼女を見つめて、ユオは目を輝かせる。
「ありがとう。実はね、この計画が決まった時にオーダーしてたんだ。いつか渡そうと思ってて」
浮足立つかのように、彼は細身の指輪を取り出した。
「綺麗……」
白金がベースの指輪。
ユオの瞳のような孔雀色の宝石が、上品に散りばめられている。
どう見ても高価なもので、どこで付けていても恥ずかしくないだろう。
「これは男が誓いを守る限り、外しても君のもとに帰ってくる魔法がかけられてるんだ……もしよければ、僕に誓わせて?」
宝石だけでも希少で高いのに、魔法道具ともなると法外的なものだろう。
少なくとも平民はおろか、貴族ですら簡単に手に入らないものだと――アリィは確信する。
「私のことをずっと好きでいてくれるなら、何でもいいわ」
「そんなことでいいのかい? 君が願えば、馬車馬のように働くよ? すごく贅沢な生活だってさせてあげられるのに」
「不自由でもいいの。私が欲しいのも、ユオの気持ちだけなのよ。だから……その指輪、くださるかしら」
おねだりするようで恥ずかしかったが、アリィはそっと指を差し出した。
「うん……それじゃ、遠慮なく」
ユオは満足げに微笑み、その指輪をアリィの薬指に通す。
少し大きかったのだが、それ自体が魔法道具の性質を持っていた。
指に嵌めた途端、ぴったりとしたサイズに縮小される。
「とっても、嬉しいわ……!」
アリィもまた膝をつき、ユオと視線を合わせて、互いの手と指を絡ませる。
膝をついた感触は、床に足をつけているのと変わらない。
絨毯の上だけ、風すら制御されている。
指輪が月の光を浴びて、煌めいた。
ただひとつ分かるのは、ユオの愛はとてつもなく深くて重いこと。
アリィが望めば、彼は何だってやってしまう。
危ういが、それが尊かった。
ユオにとっての当たり前の誓いは、指輪に込められていて。
それが続く限り、アリィの指から離れない。
絡み合った手の間から、互いの顔を見つめ合った。
少し前までなら、目を逸らしていたかも知れない。
今のアリィは、真っ直ぐに彼を見ることができる。
もちろん、照れくささはあるのだが――それ以上に、見つめていたかったのだ。
孔雀色の瞳に映る自分と、にらめっこをしているような感覚だった。
アリィは髪を耳にかけて、そのまま彼の頬に唇を落とした。
「お礼よ。ありがとう」
今度はユオの視線が揺らいだ。
絡めていた片方の手を離し、アリィの腰を抱き寄せたのだった。
「唇も、もらっていい?」
軽口のようで、いつもと違う。
低くて甘い声。
アリィは酔わされそうになった。
渇望するような色なのに、怖くはない。
自分から頬にキスをしたのに――唇を合わせると考えただけで、アリィは卒倒してしまいそうだった。
「そ、それはまだ……恥ずかしいわ」
もじもじとしたアリィは、ユオを傷付けないかが心配だった。
前世のことを聞いてしまったら、なおのこと――少しずつ進んで行きたくて。
「いいよ。アリィができるようになるまで待つからね」
ユオはアリィの意向に、傷つくことも嫌がることもなかった。
「ぎゅっとするだけじゃ、ダメかしら」
優しいユオへの気持ちが高ぶっていく。
首に手を回して、甘えるように見上げた。
「そんなわけ! アリィと一緒にいられるのが嬉しいよ!」
ユオは慌てるように返し、壊さないように、けれども強く抱きしめる。
あまりに可愛くて、理性を保つのに必死そうだ。
「大好きよ」
「僕も」
細い両手で、アリィはユオの輪郭に触れる。
彼が我慢してくれる。
尊重してくれるのが、また嬉しかった。
すると、何もしていないのに――内側から魔力が溢れてくる。
月の光が最大限に、アリィを手伝ってくれるかのように。
内側からも、外側からも、彼女の周りに清廉な光たちが集まって――たちまち、アリィの髪を青白く染め上げた。
「魔力は安定してきてたし、もう大丈夫そうだね」
ユオはアリィとの触れ合いに夢中になりながらも、理性的に微笑んだ。
女神のことは、何でも知っている。
彼女を幸せにすることこそが、覚醒の条件だと分かっていたのだ。
「怒りや憎しみでは、力が湧いてこないけれど……愛情があると、自然に強くなるのね」
そこからはもう、理論よりも感覚だった。
「幸せを分けてあげる?」
「魔法を使ってもいいの?」
「この城の範囲くらいなら」
「そうしてみるわ」
アリィは光に満ちてペンダントに触れ、運命の夢杖を手に取った。
体の中から満ち溢れた月の魔力を杖に集め、城の上に光を降らせたのだ。
大きな幸せを、皆に分け与えるかのように。
その夜、王城にだけ雪が降った。
積もらず、冷たくもない、痛みだけを溶かす雪が。
兵士たちは、怪我を治した。
使用人たちは、疲れた体を癒やした。
ほんの少しの恩恵だったが――不思議な現象として、後世にも語り継がれるのだった。




