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有明のジェミリオン  作者: 豊平ののか
第二部

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04 晩冬の儀

 ジナビアの王室の馬車はふかふかで、乗っていても疲れない。


(カナンの駱駝車より快適だわ!)


 アリィはすっかり旅を楽しんでいた。


 王室の馬車やその護衛騎士たちだから、国境はほぼ検問なしで通される。


「まだ出国申請のところ、並んでますね……」


「なんだか申し訳ないわね」


「まぁ、アリィは命がかかってますから。大目に見てもらいましょう」


 アリィとララネは隣に腰かけ、窓の外を見ながら微笑み合う。


 向かい側に座る男三人は窮屈そうだ。


 ユオとエレンは何かとすぐにじゃれ合いを始めるので、間に緩衝剤としてシノが押し込まれている。



 門を抜ければ、山を背景に草が生い茂る平原が広がっていた。


 近くに川が流れ、澄んだ空を鏡のように映している。


 いくつも馬車が行き交うこの場所は、交易のルートでもあるのだろう。


「なぁ、あそこ……じいさんが一人で歩いてる」


 窓際にいるエレンが、遠くの方を見て言った。


 確かに米粒のようなシルエットは見えるような気もするが、他の四人にそれを判別できる視力はない。


「エレンディルさんは目がいいんですね。私も視力は悪くない方ですが、よく見えませんよ」


 同じく窓を覗いたララネがエレンを振り返る。


「お年寄りがこんなところに一人だなんて、魔物に襲われてしまうわ」


「そうだな、アリィの言うとおりだ。若者は老人を敬い、助けなければならない。エレン、馭者に近付くよう頼んでくれるか」


 アリィがそんな心配をすると、すかさずシノが真顔で掛け合った。


「やっぱ、出鶴の人間はお人好しなんだな。すまん、あの木のあたりに向かってくれ」


 エレンは半ば他人事のように言いながらも、しっかり馭者に連携する。


 この馬車は窓を開けない限り、馭者にも会話が漏れないようだ。


「ジナビアは福祉大国って話ですもんね。出鶴の人たちとは親和性が高いのでは?」


「それが、そうでもないんですよね……歴史を辿るとわりと過酷な文化なんで」


「そうなんですか?」


「はい、かなーり残酷ですよ」


 ララネの疑問に、エレンは丁寧に答えながらも、詳細を語るのを避けるように目をそらした。


「晩冬の儀式のことか。その昔、ジナビアは人間の一生を十八年ごとに春夏秋冬の季節に分けていた。晩冬と呼ばれる七十二歳になったら、自ら命を終わらせていたと聞く」


 空気を読まないシノは、歴史上の話をただ淡々と語る。


 今や福祉大国となったジナビアからは、考えられない思想だった。


「それは酷いですね。誰だって老いてしまいますのに」


 正義感の強いララネは眉を寄せる。


「まぁ、そう思うのは仕方ないね。ただ、国にはそれぞれ文化や土地柄があって、それに基づいた価値観があるのさ」


 珍しくユオは真面目な口調で、ララネを諭すように言った。


 怒っているわけでもなく、穏やかな口調だ。


 それでも従兄として、何かを教えるように。


「人を切り捨てることが、ですか?」


 ただ、ララネは純粋に首をひねる。


 そのこと自体に、一切の善を彼女は感じなかったからだ。


「今の話は……人として生きる権利と、それを享受するために、果たせる義務のバランスなのかしら」


 横でアリィも少し考えた。


 怖い思想だが、皆が悪人だったとは考えにくい。


 では、どうしてその思想が生まれたのか、と。


「私もご老人を殺せなんて言えないわ。でも、寒い地域は特に食べ物に困るから、義務を果たせない人が減らされる。それはもしかすると、種の保存を優先した結果なのかしらね……」


 最近はアリィも王女としての自覚を持ち、色々と考えることが増えていた。


 特に、ユオが言う反蒼星主義という思想について。


 道徳や価値観を世界で統一することは、果たしていいことなのか、と。


 ただ、ララネの価値観にも寄り添いたいから、濁したような言い方になってしまっていた。


 馬の蹄が鳴る足音が、馬車の中に響く。


(姫様ってふわふわしてるようで、やっぱシノの妹だよな。頭はいいけど、真っ直ぐで優しい人だ……)


 エレンは目を見開き、アリィを見る。


 ララネへの嫌味にならないよう、気を遣う様子を――。


(やっぱ、この人に仕えろってことだな!)


 それは恋慕でも何でもなく、一方的な忠誠心がめらめらと燃えるのだった。


「まぁほら、ジナビアって地天将の場所なんで……あんま悲惨な感じじゃなくて、たくさん生きたからもういいぜ! ってノリだったみたいですよ」


 重い空気にならないよう、エレンは笑って付け加える。


「地天将は豪快な男だったと言う。その豪快さゆえに浮気をし、水天将との痴話喧嘩の果てに命尽きたと。そういう土地柄なのかも知れない。興味深い説だ」


 シノは無表情で歴史交渉を楽しんでいた。


 いつの間にか地天将の話になってしまっている。


「なんか、我が先祖ながら間抜けだよな……水天将って言えば、アナスタシアだろ。今もジナビアとは不仲だしなぁ」


 エレンも神話についての話に乗っかりつつ、頬杖をついて窓の外を見た。


 アリィは地天将の話が出たから、思わずユオの方を見た。


 これからジナビアに行くのは、地天将とその神秘の器(アルカナ)を目覚めさせるためだから――。


「浮気だって。エレンって最低だね……」


 茶化すように、ユオはエレンに擦り付けていた。


「は? 何で俺?」


「エレンは浮気をしているのか。そんなことをするのは、人間として半端者だ」


「してねぇ! ってか、彼女とかいないからな!」


 エレンは過剰に反応し、間にいるシノが真に受ける。


(もしかして、そういうこと……なの?)


 アリィはユオが言いたかったことの意図に気付いて、視線を送る。


 すると、彼は小さく頷いた。


 エレンがアリィに跪く理由――軽く受け流していたが、前世が由来するとなると、話は変わってくる。


「まぁ、それぞれの国の色があるからね。外から見たら信じられなくても、意外と内側から見ると合理的だったりしてね」


 ユオは話題を戻して、先程の件をまとめた。


 ララネの感覚が決して正しくないわけではないが、仲間として思想を共有するために。


 そして、アリィはそんな彼の姿勢に頬を溶かしていた。


「その国はその国の人々が作っていくべき……どんな考えであれど、確かにそうです。私の国も嫌ほど内政干渉されてきたのに、危うく自分がそうしてしまうところでしたね。ごめんなさいね、エレンディルさん」


 話を聞いていて理解したララネは、ばつの悪そうな顔をする。


「昔のことだし、別に俺は構わないですけど……逆に言えば、受け入れられないものを忌避するのも自由だしなぁ」


 特に意識するまでもなく、エレンは爽やかに笑った。


(ララネ姫は柔軟で聡明だな。淑やかなだけじゃないのがいい。こういう人が王太子妃に相応しいのかも知れない)


 黙って聞いていたシノは、無表情で彼女を見る。


 一緒に過ごしていて、ララネがいい子だということはひしひしと感じるのだ。


 妃に、とまで考えながら、それを恋心だと自覚することはなかった。


(なんか見られてるんですけど……)


 その視線に気付いていたララネだが、あまりに無表情だったので無視することにした。



 少し馬車が進むと、他の面子にも老人の姿が見えてくるようになる。


 平原を横断していたかと思うと、今度は真逆の方向を行ったりと、進行方向すら定まっていない老人だ。


 エレンの護衛騎士たちが後ろから向かうが――老人が魔物に襲われそうになるのを見てしまう。


「俺が行く。その方が早い」


 護衛たちは馬車よりも後ろにいるから、シノは即断して走行中の馬車から飛び降りた。


「待てよ、俺も行く!」


 エレンも後から続いた。


 老人を襲うのは、巨大化した蛾のような魔物だ。


 エレンが剣を取り出して貫き殺し、シノは老人を抱えて馬車に向かった。


 二人の連携技は素早く行われ、他の魔物が襲ってくるよりも前に、馬車の中へと逃げ込んだ。


 遅れた護衛騎士たちは青ざめながらエレンに謝るが、「いいって、俺のワガママだし」と明るく笑う。


「あはは、ご苦労様」


 帰ってきた二人に、ユオが涼しげに声をかける。


「お前は人の心がないのか? 老人があんな状態でも、自分は出て行かないなんて。姫様、こいつとの結婚は考えた方がいいですよ!」


 エレンはララネとは少し打ち解けながらも、アリィに対してはずっと騎士のように接している。


 とはいえ、軽口の叩き方も絶妙で、親しみやすさは誰よりも強かった。


「ユオシェム様はここに残って、私とララァを守ってくれたのよ」


 アリィは微笑ましげに答えた。


 エレンがユオを揶揄するのは本気じゃないと分かっていたので、不快感がなかったからだ。


 シノはその間にも老人を丁重に扱い、アリィとララネの間に座らせていた。


 フサフサな白髪をした老人は、ユオやエレンに引けを取らないくらいの高身長だ。


 さすがに腰は曲がっているので、杖をついて歩いていた。


 ロングコートを着こなしていて、いかにも紳士的な格好をしている。


 ただ、目の焦点が合っていないのだ。


「あ、あぁ……ヴィヴィアン・ニコラ・アナスタシア皇女殿下……!」


 老人はアリィとララネを一瞬だけ見た後、虚空に視線を預けて、いきなり大声で叫んだ。


 馬車の外にも響きそうな大声に、一同は耳を塞ぐ。


 それから老人は急に黙ってしまった。


「アナスタシアの初代女帝……水天将の名前だな。でも、世界戦争で皇統は途絶えたんだけどな」


 しばらく耳が痛かったが、落ち着いてからぽつりとエレンが呟いた。


 アナスタシア連邦とジナビア王国は、百年前の世界戦争以来、ずっと仲が悪いのだ。


「おじいさん、もしかしてアナスタシアの生き残り伝説を信じてるとか? 僕もそれには興味があるんだ。皇女が生まれると、初代と同じ名前を付けるんだよね」


 ユオはニコニコ笑いながら、老人の話を引き出そうとする。


 とはいえ、まともな会話ができると思っているわけではない。


「違う、ワシの名はおじいさんではなく……えーっと、何じゃったかの……まぁいい。ワシの話を聞け、小童が!」


 老人は体だけはとても元気で、杖を振り下ろしてユオの頭を殴る。


「わぁ、力が強いねぇ!」


 殴られた本人は激昂することもなく、ただ笑っていた。


「では、紳士様とお呼びしても?」


 アリィは暴れようとする老人の手を、そっと握って諭す。


 老人は涙ぐんだ顔をした。


 伸びきった白い眉の下から、湖のように澄んだ青い瞳を潤ませる。


「いいだろう、美しい人よ。そなたは……吾児殺しの罪を持っておるな……」


「あらあら、面白い話をされるのですね」


 老人はアリィにそんなことを言うが、当然ながら心当たりはないので笑い飛ばす。


 とはいえ、言葉自体の意味合いは強いので、少し驚いたのだ。


 ユオはアリィが傷付けられると思ったのか、どこかそわそわして見守っていた。


 だからといって、老人をどうにかする気は彼にもなかったのだが。


「紳士様、未婚の女性にそんなことを言うのはいけません」


「なんじゃ、美しい火星の女よ」


「火星って何ですか? 私たちのことはいいので、紳士様のお話を聞かせてくださいな」


 ララネは老人の気を逸らすように、言い返しながらも先導した。


 話をしていれば、素性が分かるかも知れないと考えたのだ。


「いいだろう。あれは五十年ほど前の話……アナスタシアは内乱の最中で……ワシは皇族の末裔と出会った……それからは……忘れてしまったがの……彼女との約束で……うぅ……そうだ、あの子たちはどこに……」


 老人は既に認知が歪んでおり、話はとっ散らかっていて、妄想と現実の区別も付いていない。


 最後には泣き出してしまって、両脇にいる少女たちに慰められていた。


「おじいさん、八十歳くらいかな。いい服を着てるし、旅の途中で家族とはぐれたのかも」


「アナスタシア人なのは間違いなさそうだぜ。どうするかな……」


「福祉施設に預けたらいいんじゃないかな。誘拐の意図はないわけだし、そこで家族を探してもらえば大丈夫だと思うよ」


「それもそうか。国際問題とかは、大丈夫か……?」


 ユオとエレンは老人の様子を眺めながら話し合う。


 何だかんだ言いながらも、皆がお人好しだった。


 ジナビアとアナスタシアは仲の悪い国同士だ。


 そういう連携はこの百年してこなかったので、拉致だと言いがかりをつけられたらまた困る。


「現アナスタシアの首相とは話したことがあるが、噂よりも話の分かる御仁だ。変な言いがかりも付けないと思う」


 黙っていたシノは、向かい側で老人の相手をしながら口添えする。


 この中では唯一の王太子、王位継承者という立場なだけあり、ユオやエレンよりも公式的に接する相手が多い。


 ゆえにアナスタシアの首相とも、一度は会談したことがあるのだった。


「おぉ、我が息子よ、大きくなったな! 閣下と会ったとは、立派なものだ!」


 老人は向かいにいるシノを見て、今度は彼を自分の息子だと思い込んで叫ぶ。


 また杖を振り回すので、今度はエレンが殴られる羽目になっていた。


「光栄です。紳士様、その杖は壊れているようですので、俺が預かりましょう」


「うむ、そうか? ならそうしてくれ! その礼に、遺伝子に刻まれた記憶について解説してやろう」


「ありがとうございます」


 シノもまた老人の扱いがうまく、持っている危険物を上手く取り上げることに成功する。


(東雲丸さんはどこかズレてますけど、優しくて誠実ですね)


 一部始終を見ていたララネは、シノのそんなところに少し感心していた。


 顔がいいのはもちろんのこと、性格を見れば世界中の女性が憧れる理由も分かるのだ。


 老人も気分が良くなったからか、妄想を垂れ流しながら時間を過ごしていく。


 そうして、ジナビアの国境の街が近付く中――老人は疲れ果てて眠ってしまう。


 同時に、何かが音を立てるようにして、馬車の中に転がり落ちるのだった。

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