05 アナスタシア伝説
それはロケットペンダントのようなものだった。
落ちた衝撃で中が開いており、近くにいたララネがそれを拾い上げる。
「『ロイ・ルイコフの思い出』と書いてありますが……この紳士様のお名前でしょうか。写真じゃなくて、絵ですね」
小さな手の上にそれを乗せ、皆に見えるように中心に伸ばした。
中に入っているのは男女が並んだ肖像画で、セピアに染まっている。
女は明るい髪をした綺麗な人だと分かり、男の方は黒っぽい髪をオールバックにして整えた美丈夫だ。
その男の眉や目元には、老人の面影が僅かに残っていた。
「それ、アナスタシア初代女帝……もとい、水天将の肖像画ですね。模写か……?」
エレンはそれをひと目見て、すぐに女性の方に目星を付ける。
「よく分かりましたね。十二天将の肖像なんて、自国でもあまり出回っていませんのに」
ララネは首を傾げた。
「教団が焚書してるものね。私も初代国王の絵巻は見たことがないわ」
それに続くように、アリィもまじまじと肖像画を見つめた。
「ほ、ほら、ジナビアはさっき言った変な風習もあって、星慧教団が勝手に親和性を感じてるみたいで……世界政府が優良国認定してるんですよ。だから監視もゆるくて、神話関係の書物も残ってて……」
エレンは慌てるように目を泳がせ、何とか話題を変えようとするが、何も浮かばずに焦り始める。
「そうそう、十二歳の頃かなぁ。エレンは図書館で神話の本を見て、その肖像のページを破ってベッドの下に隠して、陛下にめちゃくちゃ怒られてたね」
「バカお前、何で今そんなこと言うんだよ!」
ユオがそのからくりを笑顔で暴き、シノを挟んで喧嘩になってしまった。
ララネは意味が分かり、顔を真っ赤にしてリボンで二人を殴りつける。
「女性の前で何てことを言うんですか!」
確かにアナスタシアの初代女帝は美しく、アリィ以上に豊満な胸をしている。
すらりと頭身も高く、またタイプの違う美女だ。
男が好きなのは分からなくもないが、ララネはまた下品な表現に怒りの鉄槌を下した。
「ユオが変なこと言っただけですよぉ!」
「あはは、ごめんごめん」
エレンは完全に巻き添えだったが、ユオは悪びれることもなく笑う。
「何でベッドの下に隠していたんだ? 崇拝していたのか?」
そこで話が終わればよかったのに、シノが悪気なく蒸し返してしまう。
「分かったわ。エレンディルは、この女性の絵を模写していたのね。確かに女性の絵ばかりを模写するなんて、少しはしたない気がするわ……だからララァも怒ったのよ。だって、まじまじと眺めてたってことでしょう?」
「そういうことか。確かに、あまり褒められたものではないかも知れない。しかし、エレンが絵を描けるとは初耳だ」
「また見せてもらいましょうね」
アリィも明後日の方向に解釈して、朗らかな雰囲気でシノと話を進めてしまう。
渦中のエレンは、俗世を知らなさすぎる兄妹に唖然とした。
(シノはともかく、姫まで重症じゃん……)
しかも、勝手に絵描きに認定されてしまっている。
エレンはアリィに変な情報が行き渡らず、少し安堵した。
「はぁ、アリィが純粋でよかったです。東雲丸さんは……二十歳でそれは心配になりますが、まぁいいでしょう」
ララネも冷静になり、再び老人のペンダントに視線を落とす。
「と、とにかくだ。このじいさん、アナスタシア伝説を信じてるみたいだし……皇族の末裔と出会ったって妄想してただろ。若い頃の自分の肖像を隣に描かせたんじゃないのか」
このまま変なイメージを付けられないよう、エレンは話を元に戻した。
「想像の世界でも、紳士様にとって大切なものなのよね。修理してあげられないかしら」
アリィは老人の寝顔を見て、いたたまれない気持ちになってくる。
たとえ妄想の世界であっても、大切な思い出なのは変わりない。
「素材があれば作り直せそうだ。エレン、福祉施設に寄る前に市場に寄ってくれ」
「はいはい、分かったよ」
と、シノとエレンがそんな話をしているうちに、北国であるジナビア王国に入っていく。
☾
馬車は壮大な山を背景にした、大きな門を潜った。
煉瓦で造られた街には、多くの馬車が行き交う。
鮮やかな青空と緑が芽吹いており、花々が初夏のそよ風に揺られていた。
北の国と言えば寒い印象だが、春や夏は雄大な自然の賛美に溢れている。
アリィやララネにとって、いい意味でイメージと違う景色だ。
王子の乗る馬車が帰ってくるや否や、国民たちは歓迎ムードで出迎える。
パレードでもしているかのように、彼らは馬車を近くの領主の城まで送るのだった。
(この国の民と王族の関係……理想だわ)
アリィは羨ましくなってくる。
幼い頃、家族とよく公務に出ていた。
教団関係者から石や罵声を投げられることはあっても、一般民衆は王族に関心がない。
こういう歓迎はあまり経験しなかったからだ。
「首都までは数日かかるから、いつもこの街で泊まらせてもらってから帰るんだ。城に入ったら、じいさん連れて抜け出そう」
しばらく馬車が進むと、街の中でも大きな城に辿り着く。
警備は万全で、王子の馬車が敷地に入った途端に黒格子の門が閉じられた。
城主であるノーブル伯爵には素顔で挨拶をした後、護衛たちに事情を話し、裏から出て街に行くこととなった。
老人は起きたが、シノが杖を預かったまま、エレンが背負う。
エレンの護衛たちは、離れたところから一行を尾行した。
「ジナビアも移民を受け入れてるみたいですね。野放図に受け入れるものですから、ところどころで暴れてます……あぁいうのって、どうして玄民族の割合が高いんでしょうか」
ララネは街の様子を見て、ため息をついて隣にいるシノをつついた。
裏路地では異民族たちが騒いでいて、現地の人々は眉を顰めている。
一方で、真面目にしている人たちまで疎まれていて、見ているのが気の毒なくらいだ。
「世界政府の目的が静かに国を壊すことなら、問題ある個人を優先して投入させていると考えられる」
「彼らの中に問題のある人が多いのでは?」
「そうだとしたら、教育の賜物だろうな。人種で括るべきではない」
「東雲丸さんは、憎くないんですか? 玄域は出鶴に助けられたのに、戦後に掌を返しましたよね?」
「それは政治の力学で、民に罪はない。玄域としても、それが自分の場所を守る振る舞い方だったんだろう」
シノはララネと対話する中で、また正論ばかりをぶつけてしまったことを思い返す。
鈍くとも、彼女が自分たちのためを想ってくれているのは伝わるのだ。
「だが、個人としては……ネシアの方が好きだ」
またララネを悲しませるのは嫌だったから、シノなりに寄り添うような言葉を選んだ。
(そのイケメン顔で優しい言葉は……それはそれで反則ですけど……)
ララネは真顔でそう言われ、少し顔を赤らめて目をそらす。
冷たくされたら怒るのに、優しくされたらされたで、反応に困っていた。
「ここだけの話、陛下が戦略で入れてるんだよ。現に民衆の不満は爆発しかけてるし、ジナビアでは反蒼星主義の世論が高まってるんだ」
二人の会話が途切れて気まずくなりそうなのを見て、ユオが割り込んだ。
現に玄民族が暴れる傍ら、ジナビア人たちが移民反対の活動を行っている。
街は混沌としていた。
「ジナビアの国王陛下はそこまで……賢王と呼ばれるだけあるわね」
兄とララネの関係が良くなったことに微笑みつつ、街を眺めて憂う。
「姫様、本当に何でもご存知なんですね!」
エレンは眠っている老人を背負い、アリィが父を褒めたことに、嬉しくなってニコニコ笑った。
一行は平民のふりをして、市場で老人のペンダントを修理するための素材を購入する。
シノがその辺りの銀細工が得意なようなので、任せることにしていた。
噴水の広場で鎖を繋ぎ、今度は切れにくいように加工した。
「これで新しくなった。しばらくは大丈夫だろう」
鎖だけを修理してやり、ロケットと色合いが馴染むようにシノは加工した。
「シノ、それ貸してくれ。ほら、じいさん。もう落とすんじゃないぞ」
シノが修理したペンダントに、エレンが魔法で鍵をかける。
大地の力がペンダントを守るように、他の人が盗んだり、取ったりできないようにしておいたのだ。
エレンは人懐っこそうに笑い、それを首にかけてやった。
「おぉ、なくしたかと思っとった。皇女殿下との思い出の絵じゃ」
老人は微かに震える手でロケットを開き、懐かしげにその絵を見つめて、目に涙をためていた。
それから一行は、この街の外れにある福祉施設に老人を預けに行った。
清潔な建物で、そこで働く人たちも優しい人ばかりだ。
エレンは身分を明かさずに手続きを取り、そのまま老人とは別れることになった。
「若人たちよ……また会えるかの」
少なからず、別れを悟っているのか――老人は職員に支えられ、五人の若者たちに寂しそうな目で言った。
「そうですね、いつかまた会いましょう」
「その時はまた、面白いお話を聞かせてくださいな」
アリィとララネは老人の手を握り、別れを告げる。
老人は得意げに「うむ!」と頷いた。
男性陣は少し離れたところから、その様子を見て微笑む。
「お前さん……ワシの孫娘を頼んだぞ!」
誰に言っているのか、老人は最後に大声で叫んだ。
恐らくは、三人の青年の中の誰かに向けて言ったのだろう。
直後――そんなことも忘れ、老人は職員たちに支えられながら、足元の花に気を取られる。
刹那を過ごした若者たちのことも、花を摘むと同時に、記憶から消し去ってしまったのだ。
「孫娘って、また新しい登場人物か……じいさん、誰に言ったんだろうな」
不思議な体験をしたかのようで、背伸びをしながらエレンは呟いた。
「とても……興味深いおじいさんだったね」
ユオはどうにもその老人のことが気になり、振り返る。
気配はただの年寄りで、魔力すらあるのかどうかも分からない。
ただ、たまに出てくる核心を突くような言葉は――死が近いゆえなのか、何かを悟っているかのように思えていた。
「街を少し歩いて帰りません? タルトが食べてみたいんです!」
ララネはアリィと共に、少し前を歩きながら提案した。
「高級店ならゆっくりできると思いますよ」
玄民族か暴れ、活動家たちが叫ぶのを尻目に、エレンが提案する。
高級店なら騒ぐ客もいないので、寄るのにちょうどいいだろうと。
「アリィ、楽しみですね!」
「うん! どんなお菓子なのかしら」
ララネとアリィは顔を見合わせて喜び、市井での行動を満喫するのだった。
☽
日が沈んで夜になると、街の外れにある福祉施設の明かりも消える。
職員の数も少なくなり、施錠された個室で老人たちは眠っていた。
『ロイ・ルイコフ』と書かれた部屋の中、ベッドが軋む音と共に――若い男が起き上がる。
「……何処だ?」
窓から差し込む月明かりに照らされる髪は、海藻のようなきついウェーブがかかった深緑色で――とても老人の質感ではない、長く艶のあるものだ。
湖のような瞳をした、睫毛の長い美丈夫。
細い眉を顰め、辺りを見回した。
殺風景なベッドに、丁寧に掛けられた服。
病院のような場所にいることを瞬時に理解した彼は、舌打ちをして服を着替えた。
(また眠っていたか……この体に移植されてから、あまりいいことがない。良質な〈マギカロム〉さえあれば、定着も安定しそうだが……)
焦るように考えながら、男は長い髪を翻すようにして窓を割る。
すると――ちょうど夜間の見回りに来た看護師がそっと部屋に入ってきた。
「ルイコフさん……? えっ……?」
看護師からすれば、元いたはずの老人はいなくなり、同じ服を纏った若い男が窓際にいるのだ。
不可解な状況に困惑した彼女は、立ち止まって燭台を落とした。
蝋燭が床に落ちて、火が燃え移る。
ただ、海藻のような髪に青白い肌をした人ということ以外は、暗くてあまり確認できなかったのだが――。
(叫ばれでもしたら厄介だな)
男は手を翳すと、どこからかどす黒い水の塊が這い出てきた。
それが触手のような細長い形を取り、半固体になって看護師を捕らえる。
蝋燭の火は完全に消え、辺りは闇に包まれた。
「ん、んんっ……!」
濃霧が現れ、そのまま看護師が水圧で絞め殺されそうになった時――魔法を出した男の方が、急激な苦痛を感じたのだった。
(なんだ、これは……地天将の気配を感じる……忌々しい!)
かつて戦ったことのある敵の気配に、頭痛が走る。
脳裏に浮かぶのは、この看護師が老人を優しく介助していた記憶。
男にとって、そんなものはどうでもいい筈だ。
それでも、流れる水を堰き止められるかのように、力を放出できなくなった。
宙に浮いていた看護師は、床に投げ出される。
気を失ってはいたが、呼吸はしていた。
魔法とはまた異なるような、禍々しい力を使えなくなった男は、そのまま彼女を素手で殺すことも考えた。
だが、力がうまく制御できない。
こうなったら脱出する方が優先だ――そう判断し、割った窓から飛び出して行った。
やがて、施設内の明かりが灯っていく。
男はそれを背景にし、近くの噴水に駆け込んで息を潜めた。
「看護師によると、若い男だったみたいだ」
「老人を殺して逃げたのかも知れない」
「死体は?」
「見つかってないようだ」
「強盗かもな。川が近いので、捨てられたら捜索も難航する」
すぐに聞き付けたのか、街の警備隊が噴水の近くまでやってくる。
警備隊たちが話す声も聞こえるが、誰も男を見つけることはできなかった。
男は水と同化し、その姿は誰にも見られることもなく――排水口に流れていく。
(水のある場所でよかったか)
男は下水施設まで流れると、姿を元に戻して、嫌な匂いのする空間の中で壁に手をついた。
こんな時も、ペンダントは離れていない。
むしろ、鎖が新しいものに替えられていることに気が付いた。
初代アナスタシア女帝と、彼女と妄想で結婚した哀れな男の姿が描かれる肖像――今こうして生きている、その男と同じ顔だ。
(こんなもの……!)
男は嫌悪感を帯びた表情をして、それを引っ張って捨てようとした。
だが、鎖はどうやっても破れない。
それにまた、地天将の気配を感じて、激しい頭痛に襲われた。
これまでもペンダントを捨てようとする度に、力を失ったり苦しくなったりと、散々な目に遭ってきた。
だから仕方なく取っておいたものだが、どうにも鬱陶しい。
(目障りな……地天将の転生者がいるとしたら、ジナビア王家か……)
その鎖には、魔法が施してあるのを感じた。
無理に破ろうにも解除方法が複雑で、魔法をかけた本人にしか解けないような代物だ。
男は推測する。
眠れば老人の姿になり、その人格が出てきているのだ、と。
その老人を思って、誰かが余計なことをしたのだと――。
(しかし、ヨグトス様は何処に消えた……? ユオシェム皇子と有明姫を追ってからの行方が分からない。早く有明姫の〈マギカロム〉が欲しいものだが……)
男は下水道を歩きながら、地上の世界を目指した。




