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九、フィッシュボーンチャート

「おや、並田さん。こんなところでどうしました」

 並田と枠谷が再会したのは木枯らしが吹き始めた十一月の平日の午前。郷之上市役所だった。

「所得証明関連の書類を取りに来ました。いま終わったところです。枠谷さんは勤務中ですか」

「ええ。お役所で野暮用ですが、終わりました。ちょうど並田さんと話をしたかった所です。今日の午後は非番なんでどうですか」

「一日、有給を取っていますから午後は空いています。それでは午後二時に例のところで」

 午後二時、二人は例のコーヒーチェーン店で話し始めた。

「お話というのは」

「警察署の同僚の結婚式に一度出たことはあるんですが、他は経験がなくて。この頃の一般的な結婚式事情というのを知っておきたかったんですよ。並田さんの場合はどうだったんですか」

「ああ、そんなことですか。結婚したのは、二十六の時だから今から十年前になるかな。この頃かどうかわかりませんが。まず結婚を決めたところで、お互いの家族を呼んで郷之上ホテルのレストランで会食しましたよ」

 郷之上ホテルは郷之上市の高速インターチェンジ近くにあるビジネスホテルである。そこのレストランでは、通常はビジネス客向けの簡素な食事を出す。しかし、予約して頼めば会食用のコース料理を仕出し屋から運んで出してくれる。

「結納はしなかったんですね」

「ええ。会食が結納代わりみたいなものです。それで結婚式を神前式でやりました。近しい親兄弟親戚十五人くらい」

「小規模ですね。披露宴は」

「なしです。でも妻が披露宴はやらなくてもいいけど、ウェディングドレスは着てみたいというものだから貸衣装で写真を取りました。その時、私はタキシードを着ましたよ。それから新婚旅行でハワイに行きました。四泊五日です。あの当時は今ほど円安ではなかったですね」

「ほほう」

「帰国してから、会社の製造部と生産技術部の若手でパーティーをしました」

「それはちょっと高級な飲み会とか二次会みたいな感じですか」

「そうですね。まあ、こうしたものはだいたい私と同世代の結婚だと、そんなに特殊ではないかなと思います。もっと質素にやる人もいたし、百人以上集めた披露宴をした人もいましたけど」

「なるほど。そういった他所の話というのを聞いておきたかったんですよ。警察署内だけの話を聞いていると世間が狭くてね」

「そうですか。それで枠谷さんはどんな風にやるんですか」

「結婚式はコンサバティブにやります。美咲の実家、塔和家が栗原市の奥のほうにあるんですが、おじいさんとおばあさんがまだ健在なんです。その田舎のじいさんばあさんが結納とか結婚式とかはしっかりやれと言う。それでうちの署長に仲人をしてくれるように頼みました。式は三月に仙台のホテルでします。私の親類は仙台市内が多いので三々五々に集まりますが、栗原市からは貸し切りバスを出すらしいです。双方足して百人くらいになりますか」

「それは結構大掛かりですね。それに三月というのは早いですね」

「四月が異動時期なんでその直前にやってしまおうと。以前に夫婦は同じ警察署には勤めないという話をしたじゃないですか。私の方が郷之上署に来てから長いんで、恐らく私のほうが異動することになる。新婚旅行から帰ったあたりで異動の内定があって、いったんは私の狭いアパートで暮らしながら、大慌てで住む所を探すという感じになるのかな」

「なるほど。まだ新居は決まりませんか」

「私の異動希望は仙台市内です。それがもし通るのなら二人が住むのは、富谷あたりになるのかなと思いますね」

「中間地点で」

「そうです」

「新婚旅行はどちらに」

「ヨーロッパです。ジュネーブ・パリ・ロンドンを十日間くらいで」

「忙しいですね。それに円安だというのに、結婚式もだけれど、結構お金がかかるでしょう」

「二人とも働いているし、お互いたいして金のかかる趣味もないし、郷之上は遊ぶところもないし、ここで使おうという話です。それにね、美咲はヨーロッパのあっちこっちの警官を見たいって言うんですよ。どんな制服を着て、どんな雰囲気なのか。強面なのか優しいのか。特に女性の警官を見たいらしい。何と言って話しかけようか、などと言って各国語を調べている。フランス語で、写真を撮ってもよろしいですか、って何て言うんだろう、とか」

「ほほう。それは熱心な」

「美咲は警官を見ているのが好きなんですね。仕事は熱心にやっていますが、それは責任感からみたいです。警官の仕事が好きというのとは少し違う。警官をしている自分が好き、みたいなところがある」

「そうですか。なんか面白いですね」

「ああ、並田さんも結婚式に来てください」

「え?」

「出席者が親類と警察関係者ばかりというのもなんですから。交友の広さというのを見せたいので」

「はあ。断るものではないんでしょうね、それ」

「並田さんの席の隣は警察関係者でしょうけど、会話をしやすそうな人にしますよ。あ、披露宴の食事はメインが牛肉です。伊勢海老とどちらにしますかとホテルに言われましたが、親類に甲殻類アレルギーの人がいるので牛肉にしました。並田さん、ヴィーガンじゃないですよね」

「違いますよ。最近は式場もその辺に気を使っているんですか」

「うちが頼んだ式場はアレルギーもヴィーガンも対応するらしいですよ。出席者に海外のかたはいますか。ハラルの対応も可能です、と言っていました」

「へえ。実際に、海外のかたが式に来られるんですか」

「いや、来ません。まあ、こんな感じで仕事の合間を縫ってバタバタと結婚の準備を進めています」

「お疲れ様です。お仕事はどうですか」

「郷之上でそうそう人が死ぬ事件など起きませんよ。最近は交通事故で子供に重傷者が出たくらいで」

「ああ、テレビで見ました。お年寄りの運転する車が集団登校の列に突っ込んだとか」

「ええ。子供が一人、車に接触してから転んで腕の骨を折りました。私が直接対応したわけではないんですが、運転者は七十四歳の男性ということで、少し呆けてきた感じだそうです。ゴールド免許だと五年ごとの更新だから、更新の時に正常でも五年の間に呆けられると対応できない」

「呆け、ですか。認知の問題? 運転者は何て言っているんですか」

「はっ、と気がついたらハンドルが曲がっていて歩道に向かっていたとか。慌ててブレーキを踏んだが間に合わなかったと」

「ふむ。そうした話だと、認知の問題とも言い切れないですね。枠谷さん、フィッシュボーンチャートで調べてみましょうか」

「フィッシュボーン……、魚の骨?」

「ええ。形が魚の骨に似ているから英語でそう言います。ひとつの結果に対して原因が複数考えられる時に、その結果と原因を図にまとめたものです。例えば工場で何かしらの不具合、問題のある製品が出てしまったとします」

「工場で不具合、と」

「以前、4Mの話をしたじゃないですか」

「ああ、ありましたね。マンとマシーンと何でしたっけ」

「マン、マシーン、マテリアル、メソッド。人、機械、材料、方法です。さてそれでは魚の骨を作ります。右側に、不具合発生、と結果を書きます。これが魚の頭に当たります。そして横に長く背骨を引いて、大骨を斜めに入れます」

「なるほど、魚の骨ですね」

「今回、四本斜めの骨を入れましたが、それぞれが、人(Man)、機械(Machine)、材料(Material)、方法(Method)となります。人、の所には、新人の教育不足、逆に仕事慣れしたためのチェック不足、体調不良による注意力低下、などと人間が原因となっている問題を記していきます。これが小骨になります」

「なるほど」

「機械、には老朽化、整備不良。材料、には組成比のばらつき、不純物。方法、にはマニュアルの不備、過度の効率化によるチェック不足、などが入ります。こうして起こり得た問題を網羅していきます」


挿絵(By みてみん)


「いつぞやのFTAでしたっけ、故障の木なんたら、と似たところがありますね」

「FTAは故障の木解析ですね。ええ、どちらも原因分析で使います。FTAで因果関係を明らかにして、フィッシュボーンチャートで漏れをなくす、といった具合に両方をやってみることもあるんです」

「ほほう」

「さて、今回の交通事故に関しても、フィッシュボーンチャートを作ってみましょう。運転者の認知だけを問題にして、頭が偏っていないでしょうか。交通事故では、運転者の他にも事故に遭った児童、乗用車、周囲の環境といったことを大骨として考えなければなりません」

「なるほど、そうなりますね」

「まず児童です。友達とふざけて歩道をはみ出していなかったか」

「それはなかったと聞いています。集団登校で順序良く歩いていたと」

「道交法上の間違いは子供にはなかったと。それでも、子供はよそ見をしていなかったか。そもそも前を見ることが出来る状況だったのか、検証が必要です。集団登校は並び方によっては前が見えづらいとか、密集して歩いていると咄嗟の時に逃げにくいといった問題が起きることがあります。もちろん一人で登下校することの危険性もあります。誘拐とか。そこまでいかなくても、違う道に入り込んで迷子になることもある。ですが、集団登校は集団であることから却って問題が起こりうる。それは頭に入れておかないといけない。うちの長男は小学生で、まさに集団登校をしています。集団だと却って危ないこともあるぞと、どう気をつけて歩いたらいいか家族で話したことがあります」

「それはそうですね。集団登校の場合の注意事項について学校側と話したことはありましたよ。何年か前に」

「ここに問題があったのかもしれませんが、それは頭に置いて、次に行きましょう。車を運転しているのですから、車の問題はなかったでしょうか。整備はちゃんとしていたのか。左斜め前が死角になっていなかったか」

「整備上の問題はなかったと聞いています。タイヤのブレーキ痕はあるのですが、車自体が左に曲がってから子供の列に突っ込む直前でブレーキ痕がついている。死角どうこうの前に問題があって、真っ直ぐな道で車が左に曲がっているんですね」

「なるほど。本人の問題は後で検証しましょう。その前に環境です。天候はどうだったか。大雨で前が見えないということはなかったか。あるいは遮蔽物があって車から子供が見えないようなことがなかったか」

「それはないですね。見通しの良い道で、晴れて風もなく良好な天気でした」

「となると、やはりなぜ真っ直ぐの道で車が左に曲がったのかということになる。運転者本人の検証に入りましょう。免許取りたてということではないですよね」

「免許取得後五十年のベテランで週に何回かは運転しています。ペーパードライバーでもない」

「むしろ運転に慣れているかたですか。むしろ慣れ切っていてスマホを見ながら運転した、ということはないですか」

「ないです」

「それでは枠谷さんご指摘の認知の問題を考えましょう。標識を誤認したのか、人がいたのに気づかなかったのか、ブレーキとアクセルを踏み間違えたのか」

「標識は現場にありません。起きたことは車が左に曲がってブレーキが間に合わなかったこと。踏み間違いはない。つまり子供たちがいたことに気づいていない」

「子供を何かと間違える、いや、間違えて認識したとしてもそれで車が突っ込む理由にはならないですね。それでは体調は。寝不足とか」


挿絵(By みてみん)


「取り調べをした限りでは、寝不足とかはなかったといいます。ただ、咳をしていたそうですね」

「咳? 熱は?」

「それはなし。コロナでもインフルエンザでもなく、ただの風邪のようです」

「咳か。気になりますね。風邪薬とか咳止めとかを飲んでいなかったでしょうか。眠気を誘うような」

「咳止めの薬を飲んで家を出てきたと言っていました。でも、その薬は眠くならないやつだとか」

「それ、本当に眠くならない薬なのか、念のために確認したほうがいいですね」

「ふむ、これから運転者の家に行く者がいるので、確認するように言いましょう」


 事故を起こした運転者の家に警察の者が行くと、出迎えたのは運転者の妻だった。彼女は警官を見るなり、こう言ったという。

「うぢの人が事故ば起ごしたのは、私のせいです。私ば、逮捕して下さい」


 一週間後、例のコーヒーチェーン店で、枠谷は並田に事後報告をした。

「咳止めというのは大抵眠くなるものですが、件の咳止めはコデイン系というやつでしてね、特に眠くなるものらしいです」

「運転中に一瞬眠ってしまい、その瞬間にハンドルを左に切って、ハッと気がついた時には目の前に子供がいたわけですか」

「そうです。その咳止めを運転手の奥さんが、眠くならない薬だと言って飲ませたんです」

「まさか、ご主人に何らかの事故を起こさせようとしたんですか」

「それは違いますが、意図的に飲ませています」


 運転者である津也間二郎の妻、津也間君子の供述。

「私は普段は夫と二人暮らしなんです。うぢは娘が二人いだんだげんと、二人とも嫁こさ行ったがら、盆と正月に孫連れで帰ってくるばりで。

 夫は会社さ六十五まで定年延長で勤めでだんだげんと、そごで辞めでがら十年近ぐになっぺが。だいたいずっと家さいるんだげんと。

 この夫が家さいでも家のごど何もしねのね。

 それは夫が働いでいだ時は気持ぢよぐ働いでもらおうど思って、家のごどはなんでも私がすたんだげんと、夫が辞めでみっと、夫はただ家さいでもずっとごろごろしてるが、趣味の映画に出がげっかで、家のごどは何もしねの。炊事洗濯掃除なんでもおらの役割のまんま。前は会社さ行ぐついでにゴミ出しだげしてもらってだんだげんと、それすら無ぐなってしまって。

 この間の事故のあった金曜日も、車で古川さ映画見さいっがら、つって夫が出て行ごうどしたんです。ゴッド・ブレスなんとか、っていうアメリカの映画の三部作三作目の初日だどが言ってだんだげんと。アクション物だがらおめは興味ねえべ、おら一人で行ってくっから、つって。風邪引いでんのに、もういそいそど。そんで昼飯までには帰ってくっから用意しとげって。もう何でもしてもらう気してるんだがら腹立ってさ。そんで映画館で咳すっと周りの迷惑だがら何が薬ねえがど。私の前でげしょげしょ咳して私さ迷惑かげでんのには気が回んねのに、そういうどごさは気が回るんだがら。

 そんで、咳止め薬飲ませだんです。前に私がずっと咳出で眠れねがった時に医者がらもらってだ薬余ってで。そいづば、眠ぐなんね薬だって、嘘ついで渡して。そんで眠ぐなって映画館で寝でればいいんだど思って。

 まさが、子供の列に車突っ込むどは思わねがったです。

 私のせいだがら、私ば捕まえでください。

 それに刑務所さ入ったら、飯ば出してくれんだべ。自分で飯作んねぶんだげ、今よりずっと楽でねえべが。

夫はどうだが。私、捕まって、自分だげで暮らして見だら、私が何してだんだが、なんぼがはわがんでねえがな。私がいねどごで一人で苦労してみだらいいんだえ」


 並田は例のコーヒーチェーン店で、枠谷からこの妻の供述について聞いた。

「こうした場合、この奥さんは罪に問われるのですか」

「意図的に事故を起こすかもしれない方向にもっていったわけですから、罪に問われます。過失傷害ですね。でも恐らく罰金だけですよ。奥さんは誤解していましたが、刑務所に収監されることはたぶんないです。前科はつきますが」

「そうですか。でもそれだと、二人でまた暮らす時に気まずくないですかね」

「そこが気になりまして、そのご夫婦の近所に住んでいる、民生委員が知り合いですので、聞いてみたんですよ」

「何と言っていました」

「少なくとも、別れそうな気配はないとか。それから最近は、ご主人のほうがゴミを出しているそうです」

「ははは。旦那さん、奥さんがいなかったら生活できないから別れられませんね。それにうっかり薬を盛られて事故に遭うよりは、何かしらの家事をして怒らせないほうがいいということですか」

「並田さんは何か、家事をしていますか」

「はっきり決まっているのは風呂関係ぐらいですね。うちは上の子が出来た時に妻が仕事を辞めたんですよ。それで、ほとんどの家事は妻がしてくれるんですが、赤ん坊を風呂に入れるのは私の仕事になりました。私が風呂に入れている間に、妻は食事の後片付けなどをしていたわけです。今でもその延長で、風呂洗いなどは私がしています。他は自分の手が空いている時にヘルプに入る程度です。ああ、ゴミ出しはしていますよ」

「そうですか。うちは何があろうとも共稼ぎになりそうで、家事は半々に分担の予定です。誰が何をするか、話し合っている所ですよ」

「何であれ、夫婦円満が一番です」

「そうですね。今回も並田さんにはお世話になりました」

「そうかな。何かしましたか」

「例のフィッシュ何とか」

「フィッシュボーンチャートですね」

「そうそう、英語だと覚えにくい」

「あれね、日本語だと特性要因図と言うんです。もともとは日本の石川先生というかたが考案したんですよ。欧米に渡って魚の骨に形が似ていると言うので、向こうではフィッシュボーンチャートと呼ばれるようになったんです」

「元々、日本人が作ったんですか。それなら並田さん、何で英語のほうで話したんですか」

「それは、ほら、枠谷さんが、結婚式はコンサバティブにやります、なんて英語を使ったからですよ」

「ああ、あれ。そうか。最近、美咲が新婚旅行を意識して、やたら英語やフランス語を使いたがるんですよ。結婚式はコンサバティブに、と言い出したのも美咲で、それに影響されましたね」

「ははは、そんなことだろうと思っていました」




参考文献

・東宝株式会社・日本テレビ制作「太陽にほえろ」


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