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七、連関図法

 邑田壮次が亡くなったのは、九月三日の未明だった。

 彼は銃で撃たれていた。弾は急所を逸れて貫通し、犯人は去った。犯行場所は仙台市中心部よりやや北の高踏公園。午前一時頃のことで公園にいた人は少数。その中で銃声を聞いた者が警察に電話した。警官が駆け付けた時には犯人も被害者もいなかった。

 地下鉄もバスも動いていない時間に、被害者は高踏公園からタクシーに乗っていた。窓を閉めて客待ちをしていた運転手は、銃声を聞いていなかった。

「古川まで行きたいんだが、一万五千円でどこまで行ける?」

 男はそう聞いたという。

「一万五千円だと郷之上までですよ」

「それでいい。郷之上の、どこかベンチのありそうな公園で降ろしてくれ。そこで少し休んで、それから歩く」

 それだけ言って、邑田はタクシーに乗り込んだ。彼は後部座席シートで眠っているようだった、という。変わった男がいたものだ、とタクシーの運転手は思った。だが残暑の夜でもあり、運転手は公園で降ろすことをそれほど不審には感じなかった。朝に古川で、何か外せない仕事でもあるのだろうと思った。長距離の客は普段なら嬉しい。しかし、軽い風邪をひいていたので面倒だな、とも思った。

 四十分ほどして、タクシーは郷之上中央公園に着いた。

「お客さん、着きましたよ」

 タクシー料金は深夜料金込みで一万四千二百十円。釣りを受け取ると男は公園のベンチまでゆっくりと歩いていった。

 仙台に戻ってから、運転手は後部座席のシートに客の血が多量に残っているのを発見した。風邪で鼻が詰まっていた運転手は、それまで血の臭いに気づかなかった。運転手が警察に電話し、郷之上中央公園のベンチで男が亡くなっているのが発見された。それが九月三日の午前四時半。

 解剖の結果、死因は失血死とされた。

 死んだ男の横、ベンチの上には男のフェルトハットが置かれていたという。


「その男の生まれが古川なんですよ」

 郷之上のスーパーマーケットのベンチに腰掛けて、枠谷は並田に愚痴をこぼした。喫煙所のベンチだが、他に座っている人はいなかった。並田は妻とスーパーマーケットに来ていて、妻の買い物が終わるのを待っていたのだが、そこで枠谷につかまったのだ。枠谷は愚痴を続けた。

「だったら何で古川まで行かないんですか。いや、タクシーなんて乗らないで仙台で救急車を呼べばいいじゃないですか。撃たれた弾は貫通して内臓も動脈も通らなかった。急いで病院に運んでもらえば助かったんです。それがわざわざ郷之上の公園まで行って死なれたもんだから、郷之上の事件になった。こっちは大迷惑ですよ」

 おかげで枠谷が多忙になってしまった。そこに並田が質問した。

「タクシーで古川までだといくらなんですか」

「一万七千円あれば、ってところらしいです。深夜料金込みで」

「あと二千円ですか。それで、古川の実家には被害者の御両親がいらっしゃると」

「いないんですよ。二人とも亡くなっています。お兄さんがいたんですが、仙台で暮らしています。実家は残っています。処分したくても容易ではなかったらしい」

「それを被害者さんはご存じで」

「知らなかったでしょう。高校中退以来、家出してずっと行方不明だったというんだから。こういう行方がわからない親族がいる時に遺産の処分は難しいんです。本来、遺産の処分には相続人全員の同意がいるんだから」


弟の邑田壮次が亡くなった、ということで確認のために兄が郷之上に呼ばれて遺体を確認した。

その兄の話。

「確かに弟です。私がいま五十五歳だから五歳下なんで五十歳ですね。壮次が家からいなくなったのは十六の時かな。壮次の高校二年の夏休みが明けようかという頃でした。こいつは仙台にいたんですか。私は就職してからずっと仙台ですから、どこかですれ違っていたかもしれません。でも、仙台も広いってことですか。全く出会わなかったですね。

 いや、弟がどこに行ったかわからなかったです。私ら家族にとっては、三十四年間、ずっと行方不明。

 弟がどんな人だったか、ですか。不真面目な奴だと思っていました。努力というものをしなくて、勉強はしない。部活動もなし。弟は地元の工業高校に入ったんです。でも、例えばですね、勉強はそんなに得意じゃないけど、車がすごく好きで、エンジンの仕組みなんかにとても詳しい、将来は絶対自動車整備士になる、実際になった、というのが工業高校とかにはいるんですよ、私の知り合いなんかでも。そういうのは、好きなことに真面目で熱心な奴だな、って思うんです。でも、弟はそういう真面目なところが全くなかったです。女の尻を追いかけることだけに熱心でした。ええ、高校生で。

 話はうまい奴だし、気さくで誰とでも話すし、それに女の人って話を聞いてもらいたがるじゃないですか。あいつはそういうところだけはマメなんです。でも真面目じゃない。恋愛って責任を伴うものでしょう。でもあいつはそんなことはない。壮次は二十人の女に声をかけて、三人が引っかかったら、その三人とも口説いて寝ようとする奴です。高校二年の頃の夏、ちょうど三人の女と同時進行で付き合っていて、それが女たちにばれた。もちろん女は怒るし、一人の女の兄貴が格闘技をやっているとか、不良の喧嘩っ早い男が自分の女を取られたと思い込んだとかで、一度シメてやろうって話になっていたんだそうです。あいつはそれに感づいて古川を逃げ出した。二度と戻ってきませんでした。

 父も母も心配はしたんですが、捜索願も失踪届も出しませんでした。親はそのうち帰ってくるだろうとか、騒ぐとみっともないとか言っていました。私もですが、壮次についてはうちの両親も呆れて見限っているようなところがあったんです。行方をくらました時には家の金を何万円か持ち出していました。親は最初、金が無くなったら戻ってくるだろうと言っていたんですが、それっきりでした。

 二年前と半年前に父と母が亡くなって、相続のことがあるので、私の方から弟の失踪届を出したところです。

 それにしても郷之上の公園ですか。古川に帰ろうとしたにしても、その手前の中途半端な場所で亡くなりましたね。性格が半端な奴でしたから、それもあいつらしいといえばあいつらしいですね。

 私が九月二日の夜から三日の朝までどこにいたか、ですか。念のため? ああ、私のアリバイですね。家で寝ていましたよ。家族が証人です」


 仙台の栄子の話。

「壮次ですか。確かに九月二日に会いましたよ」

 栄子は煙草をくゆらせながら話し始めた。

「彼とは十年くらい前からの腐れ縁です。フェルトの帽子を被って、俺は何でも屋だ、何か困っていることはないか、って言いながら店に入ってきて、人手が足んないから皿洗いしてくれって言ったら、それでもいいよと言うので皿洗いをしてもらってバイト代を払ったのが最初です。人の懐に入って来るのがうまくってね、今晩だけ泊めてくれよと言われているうちに、いつの間にか同棲していました。あいつ甲斐性無しだから別れるんだけど、私が独りでいるとまたやってきてうっかり泊めてしまう。そんな繰り返し。

 九月二日も泊めてくれと言ってきたんだけど、生憎その日は私の、旦那と言うかパトロンと言うかオーナーと言うか、その人と会う約束があったんで駄目だと言ったんですよ。どこかホテルにでも泊まってくれと。そうしたら五千円しか持ってない、無理だ、と言うから一万円あげたんですね。ありがとう、必ず返すよ、と言っていたけど、今まで貸した金を返したことなんて一度もなかった。返さなくていいからもう来ないで、って言いました。壮次、高踏公園で撃たれたんですって。まだ暑いから、ホテルとか行かないで野宿するつもりだったのかな。私があげた一万円は使わないでケチったんですね。

 九月二日から三日にかけては、そんなわけで私はその旦那さんと一晩一緒にいました。でも旦那さんにしてみたら私とのことは浮気になるわけだし、証言してくれるかどうかわかんないけど。

 誰に殺されたのか心当たりですか。いや、壮次はヤクザには近づかなかったし、高利貸しも避けていた。でも付き合った女は私の他に何人もいたと思いますよ。根無し草で女から女です。女に恨まれていたっていうならありそうですね。

 壮次はずっと独り者だったのかって? 前に昔話をしたことがあるんですよ。家を出た直後は東京にいた。三十何年前から二十何年前まで、十年くらいって。それで東京に俺の子供が三人くらいいる筈だって。それじゃあ、育てるのが大変じゃないの、って聞くと、そうだろうなあ、でも俺は何もしてないって。本当なら最低の父親ですよ。

 東京にいた時に付き合っていた女の人の名前も、何度も言うから覚えちゃいました。えっと、場所は新橋と新宿と池袋で、……」


 新橋にいた椎子の話。

「邑田壮次、その名前を聞くのはずいぶん久しぶりですね」

 椎子は思い出したくないことを聞かされた、といった風で話し出した。

「もう三十何年前になりますか。私は二十歳過ぎたばかりで、新橋のスナックで働いていました。え、その頃の壮次、十代だったんですか。いつもおじさんが被るようなフェルトの帽子を頭に乗せていて、二十何歳って話していました。見た目をごまかして、サバ読んでいたんですね。

 人当たりは良くてね。俺は何でも屋だ、建付けの悪い所はないか、掃除しにくい所を掃除してやる、何もないなら用足しでも皿洗いでもする、って言うんです。にこにこと笑いながら言うから、つい警戒を緩めてしまう。戸がスムーズに開かない、なんて注文をすると嬉しそうに金物屋に飛んで行って道具と資材を持って帰ってきて直してしまう。お礼は、はした金で十分だって言う。

 それに浮浪者同然の貧しい暮らしをしていると言っているのに、小綺麗にしているんですよね。シャツに垢染みとかはないし顔に無精ひげもない。お金がなくても銭湯代、洗濯代と床屋代は、けちっていなかったんじゃないかな。

 それで顔を繋いでお互い気安くなってくると、今度は金はいらないから今晩泊めてくれって言う。うっかり私が泊めてしまったのが運の尽きだった。それがね、何もしないから、って言って泊まって、本当に最初は何もしない。でも何晩かして、こっちが気を許すのを見計らって布団に潜り込んで来る。うまいこと騙された。

 壮次は女の気持ちを掴むのがうまくてね。女が化粧をしていると、普通の男は退屈するものじゃないですか。それがあの人は熱心に見ている。お前が綺麗になっていくのを見るのが嬉しいんだって言う。マニキュアを塗っているところなんかも熱心に見つめていました。

 そうこうしているうちに子供が出来てしまった。そうしたら、俺は定職を探す。仕事に就いたらすぐに迎えに来るから少しだけ待っていてくれ、って。信じたのが間違いだった。新橋界隈からすっかり消えてしまって、帰って来やしない。こっちは待っているうちにお腹が大きくなって、もう堕ろせなくなってしまった。娘が生まれてシングルマザーです。

 私はいまこのバーの雇われママをしていますけどね。娘を育てながらここまで来るのは並大抵の苦労じゃなかった。大変でした。娘ですか。違う店で、私と同じ水商売をしていますよ。私の苦労を見ているから、水商売なのに男だけは御免だって言って、三十過ぎても独身です。

 仙台で撃たれて死んだんですか。女絡みで恨みを買ったんでしょうね。壮次のことは、もうほとんど忘れていました。写真を撮られるのを嫌がっていたから、何も残っていないんですよ。私も娘も、いまさら供養に行くことはないですね。

 九月二日から三日にかけてですか。ああ、アリバイね。その日は遅くまで店を開いていたから証人が沢山います。仙台なんかに行くわけがありませんよ」


 新宿にいた良子の話。

「あいつはね、店を開く準備をしていた時間にふらっと入って来るんですよ。何でも屋でーす。建付け掃除何でもしますよー、って。フェルトのくたびれた帽子被って、十何年この仕事をしてきましたって顔をしていました。いやあ、女には苦労したからとか言って油断させといて、頃を見計らって今晩だけ泊めてくれって言う。すっかり騙されました。それがねえ、話はうまいし同じ部屋にいると退屈しないんですね。女相手には慣れていたんでしょう。美容師でもないのに、女の爪にマニキュアを塗ってあげる男なんて初めて見ました。

 そりゃあ、バーで稼いでいる私の方が稼ぎは多いんですけど、俺も頑張らないとなあ、って殊勝なことを繰り返して言うんですよ。後から考えてみると、彼、頑張ったこと一度もないですね。

 ついたり離れたりが何年くらいあったかな、いろんな女の人のところを渡り歩いていたんだと思いますけど、最後に半年くらい同棲していたんです。そうしたら私が妊娠してしまった。よしわかった。俺も真人間になって働く、って言って出ていって。うっかり待ってしまったら、もう二度と帰って来ない。

 もうね、子供が生まれてから、反省しました。せっかくバーで、男と話して酒を飲ませる仕事をしているんだから、男を見る目だけはつけようと思って。でもあれです、あいつみたいな男じゃない、真逆な性格だったら大体良し。調子よく話を合わせてくるような軽い男だけはもう受け付けなくなりました。

 それで今の夫に出会ったのは十年前くらいですか。卸売会社の専務だったんですけど、最初店に来た時には愛想の悪い人だと思ったんです。でも仕事で重いものを背負っている割には女相手でも威張らない。何度か来ているうちに、こんなことがあった、あんたはどう思う、と仕事の話を振ってくる。それで真面目に考えて答えていたんです。そうしたら、あんたは人を見る目もあるし、世の中の流れを読む力もある。ぜひ俺のパートナーになってくれって言われて。誰か奥さんとかいるんじゃないのと聞いたら、若い頃に結婚したけど別れて一人なんだと。

まず娘に会わせました。ちゃんとした人だし良いんじゃないの、って娘が言うから決心して結婚しました。夫は娘をすぐに養女にしてくれました。夫はその後、社長になったんですが、よく重要な会合に連れ出されましたね。相手がどれだけ信用できるか見てくれ、って言われて。だいたい私の見立てで当たっていたようですけど。

一年前に娘が結婚したんですよ。夫が娘とバージンロードを一緒に歩いてくれて、嬉しかったな。もう苦労した何もかもが報われた気がしました。

九月二日の夜から三日の朝にかけてですか。娘に子供が出来て実家に帰って来ていますからね。娘といるとつい長話になるんですよ。だからずっと家にいました。

あいつは仙台で撃たれて亡くなったんですか。たぶん女と何かあったんでしょう。詳しいことは知りませんが、自業自得じゃないですか」


 池袋にいた愛子の話。

「壮次様ですか。あのかたは神様が使わしてくれた天使だと思います。初めてお会いしたのは二十何年前になりますか。わたくしは池袋で布教活動を行っておりまして、壮次様はそれに興味をお持ちになりました。それでわたくしどもの師匠にあたる方にお会いしましょう、とお誘いしたのです。でもそれは必要ない。わたしは神様を信じる貴方を信じよう、と仰いました。それに自分が男で、女性である貴方を出会わせたのは神様の配剤というものだとも話されていました。

 ええ、わたくしが女に生まれたのは壮次様と神様の恩寵を分かち合うためだったのです。女に生まれて来た喜びというものをあれほど深く教わったことはありません。わたくしは何度も壮次様から祝福をいただきました。

 わたくしのお腹に子供が宿った時、壮次様はとても喜んでくださいました。この子はわたくしの子であると同時に自分の分身でもあると。そして、あなたに分身を残すことがわたしの役割だった。自分の役目は終わったから神様のお近くへ帰ると仰いました。壮次様と撮った写真が一枚だけあるんですよ。ご覧になりますか。

 それから玉のような男の子が産まれました。それはわたくしにとってどれだけ誇らしかったでしょう。どれだけ毎日を彩りに満ちたものにしてくれたでしょう。あの子はいま、この家を離れておりますが、天使のお遣わしになった子です。きっと神様に恥じない立派な日々を送っていると思います。

 そうですか。壮次様は仙台で亡くなられたのですか。銃で撃たれた。まあ、なんということでしょう。きっと、殉教なされたのです。

 九月二日の夜から三日にかけて、ですか。この家で神様に祈りを捧げておりました。ええ、わたくしは毎日、夜の、日が変わる時刻にお祈りをしてから眠りに就くことにしておりますから」


「世の中にはずいぶん、いろいろな女の人がいるものですね」

 一度ため息をついてから、並田が感想を述べた。

「実際には東京でも仙台でも、付き合っていた女性がさらにいたようですけどね。中には付き合っていた女同士の間で友人だったり、仕事仲間だったり、かなり複雑です」

「そんなにたくさんの女の人とつき合うとなると、よっぽど美男子なんですか」

「いや、そうでもない。被害者の顔は十人並だと思います」

「いやいや、枠谷さんは自分が一番イケメンだと思っているからそう言うんでしょう」

「そんなことはないです」

「それとも、そんなに女性にとって魅力的な男性なんでしょうか」

「効率がいいんでしょう。当たれば倒れそうな女性がなんとなくわかる。そうした女性にしか近寄らない。猫が好きな女に、猫のように近づく、みたいな」

「ああ、そう言われるとなんとなくわかります。それで犯人の目星は」

「被害者に関わりのあった女性が何人もいるのですが、殺したいほど恨んでいる女性は見つからない。その関わりのあった女性とさらに関係する男性が怪しいのかもしれない。拳銃なんてそう誰でも持つものじゃないから、まずヤクザ関係が女の周りにいないかを当たっています。でも今のところ出てこない」

「もともと関係していた女性のお兄さんとか、横恋慕している不良とかに乱暴されそうになったから故郷から逃げたんでしたっけ。だったら、そうした面倒がありそうな男性が裏にいたら避けそうなものですね」

「それで署で、被害者の周りに関係している女性の写真をたくさん並べて、何がどうなっているんだろうと考えているところですよ」

「刑事ドラマを見ていると、よくボードに被害者と関係者の写真を何枚も張り付けて、この人とこの人がこれこれの関係で、ってやるじゃないですか。あれですか」

「ええ、そんな感じです」


挿絵(By みてみん)


「あれって、連関図法みたいだな、って思うんですよ」

「連関図法、何ですかそれは」

「原因と結果とか、目的と手段とか、そうしたものが複雑に絡み合った問題について、それぞれの因果関係を連関図、矢印で結んで全部見えるようにするんです。そうすることで整理し本当の原因を見つけていく手法です。例えばですね。たった今、うちの奥さんがスーパーマーケットで買い物をしていて、私はそれが終わるのを待っているわけです。でも、これだけ長いこと私と枠谷さんが話をしているのにまだ終わりません。この、なぜ買い物に時間がかかるのか、という問題の原因を探っていきます。

 値引きシールが貼られるのを待っていることもあります。だが、たいていはネギだの人参だのを見つめて、買おうか買うまいか迷っている、ものの値段や家に必要な量を確認するのに時間がかかる、そもそも何を買おうとしているのか最初に把握していない。こうした理由が買い物に時間がかかる要因として上げられます。値段や量を確認するのに時間がかかる理由として、値段や量を前もって確認していないという要因があります。何を買うか把握していない理由に、夕食に何が必要かわかっていないという要因があります。そうして結果の要因、要因の要因、を矢印で繋いでいく。そうしているうちに最も重要と思われる原因、夕飯に何を作るか決めていない状態でスーパーに来ている、という事実が浮かび上がるわけです。例えば豚肉のコーナーで、カレーにするかとんかつにするかハンバーグにするか、迷ってしまって立ち止まり何分も動かない。ここを対策し、何を買うか決めてから買い物に来れば、スーパーマーケットで費やす時間は間違いなく短縮される」


挿絵(By みてみん)


「ほう。それ、奥さんに話されていますか」

「言うわけがないじゃありませんか。迷いながら買い物に時間をかけるのはうちの妻の日常の楽しみというか、やりがいみたいなものですからね。何も言わないのが夫婦円満のコツです」

「なるほど」

「それで今回の事件ですけど、お兄さんと仙台の女性一人と東京の女性三人について話していただきました。でも話を聞いた限りではこの中に強い殺害動機を持つ人物はいないわけですね」

「ええ、そうです」

「すると別な女性、あるいはさらにその周辺の人物が問題になると思われます。まだ足りない情報があるということです。その中でも私は、池袋の愛子さんが気になりますね」

「そうですか。最も恨んでいないというか、壮次に感謝すらしているような話しぶりでしたが」

「ええ。本人はそう思っている。しかしですね、男に逃げられてシングルマザーになったのなら、椎子さんや良子さんみたいに多少の恨み言をいうのが当たり前です。女一人で子供を育てるのはそう容易なことじゃないですから。つまり愛子さんは現実を正面から受け止めていないんです。神様を信じるのはいいんです。ただ、現実を直視するなら、これは神様が私に与えた試練です、とか、神様に許された関係でもないのに快楽を貪った罰です、とか、何かネガティブな感想があってしかるべきです。まるで愛子さんは非現実、物語の世界というかファンタジーの住人になっているように私には思われます」

「それはわかります」

「愛子さんは壮次さんを天使とまで言っている。当人はそれで幸せでしょう。しかし、その息子さんはどうでしょうか。息子さんが大人になって現実を客観的に見た時、父親に対してどのような感情を抱くでしょうか。母が父を持ち上げている分だけ、却って憎悪の対象になりはしないでしょうか。ですから、愛子さんの息子さんがどこで何をして何を思っているのか調べた方がよいように思いますね」

「なるほど。それではそこを重点的に当たってみましょう。アドバイスありがとうございます」

 枠谷が立ち去ったところで、並田の妻がスーパーマーケットから出て来た。

「お待たせ」

「何を買ったの」

「豆腐とネギとしょうが」

「ずいぶん時間がかかったね」

「今晩、何にしようか迷っちゃって。そうしたら冷蔵庫にひき肉とにんにくがあることを思い出したから、麻婆豆腐でいいかなと思って。ずいぶんお待たせしました」

「いや、退屈はしていなかった。枠谷さんにつかまったもんで、さっきまで話をしていた」

「そうなの。私、また会えなかったね」

 並田は妻に、今晩は麻婆豆腐、と決めてからスーパーマーケットに来ようよ、などとは決して言わないのだった。


 愛子の息子の話。

「ええ、確かに撃ったのは俺です。父親殺しってことになるんですか。その父親、あの日に俺、初めて会ったんですけど。俺が拳銃をなんで持っていたかって。それを今言うわけにはいかないな。会社の弁護士さんとも話さないと。まあ、適当に想像してください。いや、うちは合法的な会社ですよ。昔は確かに広域暴力団だったのかもしれませんけど。入社して六年になるかな。

 会社では専務の秘書をしています。仙台には出張で専務について来たんです。一泊二日。仙台に支店があるんでね。若頭の用心棒か、って刑事さん、違いますよ。さっき合法的な会社って言ったじゃないですか。会社は主に建設業、一部芸能関係の仕事もあります。支店に来たのは建設資材とかの打ち合わせのためですよ。縄張りの拡大なんて妙なことを言わないでください。

 自分の父親が仙台にいることは知っていました。それは会社とは関係ないんです。興信所を使って調べさせたんで。専務と一緒に出た会議が終わって、東京と仙台の関係者で飲みに行って、それも終わって、ホテルに戻って一人になった時に興信所から電話があったんですよ。いや、仙台に行った時に、父親の居場所がわかったら何時でもいいからどんなに遅くてもいいから教えてくれ、って興信所に頼んでいたんで。遅いけど、あんたの父親、いま高踏公園にいるよ。女に部屋を追い出されたみたいだ。行けば会えるって。午前零時を過ぎていたかな。寝ていて、起こされたんだけどそれから支度して行ったんです。

 最初から殺す気はなかった。一度会ってみたかったんですよ。どんな人なのか。母親のこと、子供のこと、つまり俺のことですが、どう思っていたのか。単に知りたかったんで。

 会って話してみたら最低の男でした。

 あいつ、公園のベンチで横になっていたんですよ。まだ暑いし野宿するつもりだったんじゃないですか。近寄ったらまだ寝ていなかったらしくて、帽子を外してこっちを見ました。

 あんたが邑田壮次か、って俺から聞いたんです。そうだよ、って言うから、俺が誰かわかるか、って聞いたんです。初めて会うんだからわかるわけねえよな、って思っていたら、愛子の息子か、って答えたんです。びっくりしましたね。続けて言うんです。目もとがあいつそっくりだって。俺は一度でも寝た女は忘れないんだって。

 愛子はまだ宗教に、とち狂ってるのか、と聞いてきました。癇に障ったんで黙っていました。そうしたら、あいつ、うちの母の体の話とか性行為の話ばかりするんですよ。二十何年も経って初めて父親に会ったっていうのに、その父親から母親とのセックスの話ばかり聞かされる俺の身になってください。滅茶苦茶腹が立ってきました。

 それであいつを撃ったんです。撃ってすぐホテルに帰りました。今日まで東京で何もなかったふりをして仕事してました。まあでもニュースになっていたし、いずれ捕まると思っていましたよ。ああもう俺の人生終わっちまったな。父親殺しだし。死刑か、一生刑務所かもしれない。十何年、何十年経って出られたとしても、組は、いや、会社は首でしょう。仕事と関係ない所で人を殺しているんだし。でも後悔はしていません。死んだ方がいい人を殺しただけなんでね。

まったく、俺ね、今で言う宗教二世なんです。母親が神様第一でね。勉強している暇があったらお祈りしろ、部活動やっている暇があったら布教しろ、っていう人です。小さい頃はそれで当たり前だと思っていた。でもおかしいでしょ、そんなの。真っ当な職に就けるわけがない。母は余計な金があったら寄付してしまうし、いつも家は貧乏で高校を出るのがやっとでした。今の仕事だってどうにか拾ってもらったんです。

そんで父親がアレだし。親ガチャ最低っすよ。

 うちの母、俺が父親を殺したって聞いたら、何て言うかな。なんでも神様の思し召しって人だから、ひたすらお祈りしてるんじゃないかな」


 邑田壮次が息子にした話。

「愛子には最初、池袋の街中で会ったんだ。新宿から逃げた後、俺はそこを根城にしていた。愛子は丸顔で優しそうな顔しててよ、なんか宗教のパンフレット配ってたな。俺はな、こいつは触ったら落ちる、って女がわかるんだ。宗教話に適当に相槌打って部屋に行ったよ。これは神様の意思です、って強く言ったら脱ぎだした。首から上は布教で日焼けしていたが首から下は白かった。筋肉はあまりなくて肌が柔らかいのが俺好みだった。

 世の中には、男と寝たくて仕方がない女がいるんだ。それなのに自分でそれに気づいていないことがある。愛子はそういう女だった。神様を言い訳にしたら簡単に股を開いてくれたよ。

 愛子とは半年ぐらい一緒に暮らしていたかな。貧乏だった。とにかくあいつは神様が一番で、少しでも余計な金があると全部寄付しちまう。でも俺は愛子を抱きたかったから話を合わせていたよ。まあ、屋根があって雨風防げればどうにかなるもんだ。女と寝ていればあったかいし。

 それで子供を授かったと言われたんだ。しょうがない。また逃げよう。俺は神様につかわされた天使だってことにしていた。だから、あなたにお子様を遣わすことが私の役目で、その役割は終わった。それで神様に呼ばれたんで神様のそばに帰るって言い置いて逃げた。これで女が妊娠して、俺が女から逃げたのは三度目だ。もう東京にはいられないと思って仙台に来た。こっちに来てからは避妊に気をつけることにしたよ。それにだいたい女は腹の中に子供がいると、男と寝ている場合じゃなくなるからな。

 ああ、でも久しぶりに思い出した。愛子のおっぱいは白くて柔らかくて揉み心地が良くて、本当に最高だったな。

 おい、何だよそれ。拳銃か。うわっ。痛えじゃねえか。何で逃げんだよ、おい」


 週末の朝、例のコーヒーチェーン店で、枠谷は並田に事件の顛末を話した。

「また並田さんの推測通りでした。今回は東京、仙台、古川、郷之上と随分大勢の刑事が解決までに苦労しました。ありがとうございます」

「いや今回については、たまたま当たった、というところでしょう。何にせよ、犯人が見つかって良かったです」


 邑田壮次の最期。

「痛えな。子供の頃、よくこんな拳銃ごっこをしたもんだ。撃たれたら死んだふりをしないといけない。

 遊びじゃなくて本物だ。そうか、俺はこれから死ぬのか。

 じゃあ、ここで死ぬのは嫌だな。死ぬ前に一度古川に帰るか。

おい、タクシー。古川まで行きたいんだが、一万五千円でどこまで行ける。郷之上までか。それでいい。行けるところまで行ってくれ。郷之上の、どこかベンチのありそうな公園で降ろしてくれ。そこで少し休んで、それから歩く。

 おお、もう着いたか。眠っていたんだな。俺はまだ生きていたか。運転手さん、一万五千円だ。

よし、公園のベンチ。座ろう。古川は北だから北の方を向いて、と。おっと、気が遠くなってきた。これ以上、歩けねえ。

 ここで死ぬのか。こんな中途半端な所で、ってところが俺らしいかな。古川にいた頃に抱いた恵子や桜子、夕子は元気かな。また会いたかったな。できれば抱きたかった。

ベンチで死んだのはゴッドファーザー PARTⅢだっけ。アル・パチーノみたいでいいじゃないか、俺も。

帽子を横に置いて、と。帽子を置いたところが俺の死に場所だ、ってな」


「最期はこんな感じだったんじゃないかと思うんですが、枠谷さん」

「並田さん、勝手に物語を作らないでもらえますか」

「でも、当たらずといえども遠からずでしょう。私の会社にも女の尻ばかり追いかけている男がいます。反省や後悔を全くしない男もいます。責任感のかけらもない男も」

「でも、それらを全部兼ね備えている人は、なかなかいませんよね」

「全くです。でも犯人に同情する気にはあまりなれませんね」

「そうですか」

「親がいくら悪かったにしても、もう大人になっているんですから。大人なら感情は制御できないといけない」

「思わず殺したくなった、っていう犯人の気持ちはわからなくもないんですがね」

「それは仰る通りです」

 お互いコーヒーを飲み終えたところで二人は立ち上がった。

「並田さん、被害者のお兄さんが、恋愛は責任を伴うって言っていたじゃないですか」

「責任ね。子供が出来たら、ちゃんと家族になって、子供を育てて、ですよね」

「そんな当たり前のことが嫌で逃げ出す男もいたと」

「枠谷さんはどうです。婚活中ですが」

「ああ、婚活ですが、実は十歳年下の交番勤務の子と付き合うことになりましてね」

「ええっ!」

「そのうち詳しくお知らせしますよ。これからドライブデートです」

 そそくさと枠谷はコーヒーチェーン店を出て行った。後には驚いた顔をしたまま固まった並田が残された。




参考文献

・“PAPA WAS A ROLLIN’ STONE” 作詞・作曲: Norman Whitfield・Barrett Strong。まずThe Undisputed Truth が1972年にリリース。同年、The Temptationsが録音時間の長い別バージョンでリリースした。


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