六、アローダイアグラム法
お盆が過ぎた直後、例のガソリンスタンドで並田が自家用車にガソリンを給油していると、併設のコーヒーチェーン店から枠谷が顔を出した。
「並田さんはガソリンを木曜日に入れるんですね。何週間に一回なのかは一定していないようですが」
「おや、気がつきましたか」
「刑事ですので、人の習慣は気になるんです」
「金曜日はここのガソリンスタンドが結構混むんですよ。土日にお出かけしようという人がガソリンを前もって満タンにしておこうとする。私は混むのが嫌なので木曜日に入れるようになりました」
「なるほど。ガソリンスタンドに来る時間も六時を少し過ぎたくらいで一定していますね」
「仕事が終わって会社を出て、毎日ランニングして同じコースを走って、それから車に乗ると大体この時間になります。残業することはあまりありません。品質管理の仕事は不具合が出なければそれほど忙しいものではないんです。それに品質管理は工場の生産に直接関わる仕事ではないので、仮に忙しくてもあまり残業するなと言われています。製造部は注文が多い時期は長く残業したり、二交替制、三交替制を敷いたりする。それは工場の売り上げに直結するんです。しかし品質管理は売り上げに直結しない。だから品質管理部は忙しい時でもあまり残業できないので、そうした時に時間を捻りだすのが大変だったりします」
「なるほど。工場内の様子は聞いてみないとわかりませんね」
「そんなことは置いといて、枠谷さんの婚活はどうなりました」
「断られました。例の私のドタキャンの後、一回、その相手の女性と会ったんですね。そうしたら刑事の仕事を根掘り葉掘り聞かれた後に、そんな大変な仕事の人の奥さんにはなれませんと言われました」
「ああ女性側が、断るのは前もって決まっているけれど、興味があるから会ってみたという感じですか」
「そうです。実物の刑事に会って仕事の話を聞きたかったみたいです。テレビで昔の刑事ドラマを見るのが好きだと言っていましたから」
「それじゃあ、仕切り直しですか」
「そうですね」
「それでは、ガソリンも入れたことですし、私はここで」
「行かないでください。また、ご相談したいことがあるんです」
「ああ、もう人が死ぬような犯罪の話は聞きたくないと思っているのに」
「明後日、土曜日の十時にここでいいですか。お願いします」
「もう、しょうがないですね」
「それでどうしましたか」
「歳分町のマンションで殺人事件があったんです」
土曜日の午前十時、枠谷は事件の説明を始めた。
「また歳分町ですか。そこ、事件が多くないですか」
「先日助けていただいた放火事件から今回の殺人事件まで、歳分町では十年近く目立った事件は起きていないですよ」
死体が発見されたのは五日前の月曜日、十六時五分。殺されたのは夫。第一発見者は妻。鑑識によれば亡くなったのは十五時四十五分頃。
「タイガースパークマンションという名前のマンションでしてね。そこの三階です」
「その名前、オーナーが阪神ファンなんですか」
「いや、オーナーが寅年生まれだからだそうです。それで、例によって仙台北警察署の河咲から相談を受けまして」
「例によってとか、そういうの、いらないです。私は相談されたくない」
「まあまあ。被害者の実里謙太は正面からナイフで心臓に一突きされていました。その被害者の財布がテーブルの上にありましてね。万札だけ抜かれています。凶器は見つかっていません。十六時五分、外出から帰った妻、実里遥香が亡くなった夫を発見し警察と救急に通報しました。その直前にマンションのエレベータの防犯カメラに妻の映像があるのを確認しました」
「防犯カメラがある」
「ええ、マンションの入り口とエレベータ内に」
「そこに犯人は映っていませんでしたか」
「犯人らしき人物がマンションの入り口で十五時四十分と十五時五十分に映っています。しかし、足しか映っていません。カメラから遠いところを選んで歩いている。その足を見る限りでは男もののスーツだし紳士靴を履いている。男性と思われます。三階への行き帰りではエレベータに乗らないで階段を使ったようです」
「マンション入り口とエレベータ内の防犯カメラを避けて歩いているんですか。窃盗ならプロだろうし、そうでなければカメラ位置が前もってわかっている人物ですね」
「そうです。防犯カメラはあるものの、マンションでは特にゲートを設けていない。誰でも部屋の前まで来ることが出来ます。マンションと言ってもほとんど賃貸らしい。件の部屋は3LDKで家賃十一万円とか」
「相場は知りませんが、いい部屋なんでしょう」
「そうですね。亡くなった夫と第一発見者の夫婦は二人とも三十四歳。子供はなし」
「警察の見解は」
「物取りの可能性が高いが、そう見せかけた怨恨その他の可能性もあると」
「怨恨その他と言うと、容疑者がいるんですか」
「います。山本孝弘。妻の遥香の学生時代の恋人。現在の妻の浮気相手」
「うわあ、ネトラレものですか」
「ネトラレって、何ですか」
「恋人や夫がいる女性が、別の男性に奪われる、寝取られる、という意味ですよ。この場合では、山本孝弘がまずネトラレて実里謙太に結婚され、次に謙太が山本にネトラレているわけです」
「浮気とか、三角関係とか、聞いたことのある言葉にしてくれませんか」
「すみません。説明を続けて下さい」
「被害者の実里謙太はIT関連のコンサルタントをしていましてね。数年前までは景気が良かった。ところがトレンドの技術に乗り遅れてこの頃は顧客を手放してばかりだったという」
「ほう。なんで乗り遅れてきたんでしょう」
「顧客の話では、プライベートの悩み事でもあったんじゃないかという話ですね。仕事どころじゃない様子だったと」
「夫婦仲がうまくいかなかったのかな」
「ともかくそれで今は家賃を払うのがやっとじゃないかという状況です。一方の山本孝弘は不動産会社に勤めるサラリーマンです。イエアパハウジングってご存知ですか」
「全国規模の不動産会社ですね」
「そこの仙台支店で地道に営業の仕事をしてきた。実里謙太の妻の遥香は大学卒業後、山本と付き合うのをやめて謙太と結婚した。彼が華やかな流行り仕事をしているように見えたんですかね。しかし金の切れ目は縁の切れ目。サラリーマンの山本はまだ独身。こちらに再度乗り換えようとしている。しかし謙太は簡単には別れたがらない。妻が浮気したのを盾に夫側が慰謝料を要求していたようです」
「それだと山本と遥香と二人に動機があるわけですね」
「そうです。しかし犯行時刻の十五時四十五分には二人ともアリバイがある。遥香は当日十五時から十六時ちょうどまで近所のカフェで友人とお茶してます。友人の証言によると席は立たなかったというからこのアリバイは崩しようがない」
「山本のほうはどうです」
「この日は仕事で小牛田に出張していますね。大手の不動産会社は地方の小さな不動産会社と提携している場合があるんです。大家は大手と契約し、地方の借り手は地方の小さな不動産会社を訪ねて契約する」
「元請けと下請けみたいですね」
「ええ。それで山本は小牛田駅東口、駅裏ですね。そこにある城石不動産というところで午後にミーティングをしていた。ミーティングを終え、車でそこを出たのが十四時五十分」
「細かいですね」
「出る時に三時十分前か。午後五時までに帰れるかな。といった会話を山本が城石不動産の人としていました」
「十四時五十分なら、被害者が亡くなった十五時四十五分まで五十五分あるじゃないですか。ええっと、スマホの地図アプリを開きますね。車で最速五十六分とか出ています。これは高速を飛ばせば間に合うでしょう」
「それが間に合わないんです。この日は東北道で工事をしていまして、郷之上より南のほうで該当の時間は渋滞が発生しています。それを抜けるのに三十分かかる」
「ああ、そう言えば高速道路集中工事、とCMで言っていましたね」
「それです。これに引っかかるといくら飛ばしても十六時を過ぎてしまう。三陸道ルートも仙台市内で渋滞に引っかかったりして間に合わない。一般道しか使わない場合だと国道四号線から四五七号線、そこから県道に入るのが一番速いルートのようですが、それでも信号などに引っかかるし、仙台市内に入ってから渋滞にあう。どのルートでも、マンションに十五時四十五分までには着けない。それは実地で河咲が何度も運転して確認しました」
「推理小説や刑事ドラマだと、こうしたアリバイのある登場人物が犯人で間違いないんですがね」
「あいにくとこれは推理小説でも刑事ドラマでもありません」
「それで山本さんは何と言っているんですか」
「会社にはもともと直帰と連絡していた。高速で渋滞があるのは知っていたし高速を走っても時間は一般道と変わらないと思って主に国道四号線を走った。その国道四号線沿いの電気量販店の駐車場に車を止めて会社への報告書を書いた。そこでうっかりエンジンをかけたまま、冷房の効いた車の中で寝てしまった。それで午後六時半くらいに仙台に着いたと」
「真っ直ぐ会社には戻らなかったんですね。何か不愉快だな。そういう半端なサボリかたをする人は。車のエンジンをかけっぱなしなんてエコでもないし」
「電気量販店に止めたという裏は取れていません。もっとも国道沿いの電気量販店の駐車場など、黙って入って黙って出れば誰の目にもつきません。防犯カメラも駐車場の端のほうまではカバーしていなかったし」
「怪しいなあ」
「といっても車で間に合わない以上、アリバイは崩れません。他に容疑者はいないし、警察は物盗りの線で動いています」
「そんなどこの経路だと何分、という話を聞いていると、アローダイアグラム法を思い出しますね」
「アローダイアグラム、何ですか、それ」
「矢印と結合点を用いて日程や時間の計画を表した図です。例えば一般的なカレールーを使ったカレーライスの作り方を考えてみましょう。まずご飯を炊く。うちの炊飯器だとセットしてから六十分かかります」
「ふむ」
「その六十分の間に平行して、カレーを作る。これは別のパスになります。鍋を準備するのに三十秒。具材を切るのに十分、肉と玉ねぎを炒めるのに十分、ジャガイモと人参を加えてゆでるのに二十五分、ルーを加えて煮込むのに五分。計五十.五分かかります。ご飯が炊けるまでまだ九.五分ある。この時間は待たなければならない。時間が余っているわけです。それで時間を潰した後にご飯が炊ければ、ここが結合点になります。そして皿にご飯をわけてカレーをかける。これに二分。計六十二分。カレーライスを作るにはご飯を炊くほうが長かったりするんですね。だから全体の時間を決めているのはカレーを作ることではなく、ご飯を炊くほうで、この経路をクリティカルパスと言います」
「なるほど」
「工場でもいくつかの作業を同時進行させて作業をすることがあります。そうした時にアローダイアグラム法を用いて、何がクリティカルパスなのか、つまりどの作業がトータルの作業時間を決めているのかを探っていく。コストを下げるために出来るだけ速く多くの製品を作りたい。そう思った時にクリティカルパス以外の時間を縮めても意味がありません。カレーを早く食べたかったら、ご飯を早く炊き始めろということです。レトルトカレーを買ってきたって早くは食べられない。それならレンジでチンしてすぐ食べられるご飯を買った方が早い。そういうことを考えるわけです」
「ほう。それで今回の事件の場合は」
「単純ですね。城石不動産から車で十四時五十分に出発。電気量販店に寄らなければ十六時以降にタイガースパークマンションに着く」
「駄目じゃないですか」
「駄目です。でも枠谷さん、なぜ車と決めてかかるんですか」
「え?」
「電車の場合を考えてみましょう」
「でも不動産屋の営業が車で外出しているんですよ。普通、車で帰って来る」
「その普通を疑うんです。ちょっと電車経路の情報サイトを見てみますね。小牛田から仙台まで東北本線だと、四十六分か。時間が合えば事件の時間に間に合いそうです。ああ、間に合いませんね。十四時四十四分に電車が出てしまっている。次の電車は十六時十九分着だから到底無理」
「不動産屋を十四時五十分出発というのがネックですね」
「それなら陸羽東線で小牛田から古川に行って新幹線に乗ってみましょう。ああ、これも駄目だ。小牛田発の陸羽東線は十四時四十二分に出てしまっている。次の電車だと新幹線に乗っても十六時二十三分着か。これもダメ」
「電車も駄目ですか」
「待てよ、古川発の新幹線が十五時十分ですね。十四時五十分からなら二十分の時間がある。古川駅まで十一.四キロメートル。平均時速四十キロなら十七分。十五時七分に着きます。時速五十キロなら十四分。十五時四分だ。六分あれば乗れるでしょう。十五時十分発の新幹線は十五時二十三分に仙台駅に着く。仙台駅から歳分町まで二.五キロメートル。タクシーを飛ばせば乗り場から歳分町まで五分くらいでしょう。このアローダイアグラム法のクリティカルパスなら犯人らしき人物がマンションに現れた十五時四十分、死亡推定時刻の十五時四十五分に間に合いますよ」
「なるほど。アリバイが崩れましたね。でも、車はどうしました」
「古川駅近辺のどこかに置いてきたんでしょう。だから後で取りにいかないといけない。仙台発十六時三十九分の新幹線なら古川駅に十六時五十二分に着きます。そこで車を拾って午後五時頃に出発。そうすれば山本の言う午後六時半頃に仙台に戻れることになる」
「その線で調べてみましょう」
「案外、その午後五時頃の古川駅近辺で何か証拠が出るかもしれませんよ」
「どういうことです」
「しなければならないことが二つ以上あると、一つ目は慎重に行っても二つ目以降は忘れたりぞんざいになることがあります。例えば製造で、はんだ付けをして蓋を閉める、という作業があったとしましょう。こうした時は、はんだ付けだけをして蓋を閉めないで次工程に渡す、というミスが出ることがあるんです。はんだ付けが終わって一つ目の達成感があった時に、二つ目の作業を忘れてしまうんですね。私も会社で、トイレに行った後にコーヒーを入れようとして、トイレの隣の給湯室にコーヒーカップを置いて、トイレを出て、ところがコーヒーを入れるのもカップを給湯室に置いたのも忘れて、真っ直ぐ机に戻ってしまったことが何度かあります。殺人を行ったという一つ目の達成感があると、車を取り戻すという二つ目の仕事は隙だらけになるかもしれません」
一週間後、並田と枠谷はまた例のコーヒーチェーン店で待ち合わせをした。
「並田さん。山本が自供しました。午後五時頃、古川駅で山本が防犯カメラに映っていたのが決め手になりました。並田さんが言っていた通りです。新幹線に乗って仙台に来て殺人を行った後に、車を取りに新幹線で古川に取って返していたことが明らかになりました」
「それはお役に立てて良かったです」
「その後、山本の鞄を押収したら鞄の内側に血痕がありました。それが実里謙太の血液型と一致しました。刺したナイフを処分する時に血が付いたままナイフを鞄に入れていたんです」
「物証もあったと。ナイフの扱いがぞんざいになりましたか。これも殺人後の行動ですね」
「山本は実里遥香に、夫を殺してほしい、と唆されたと供述しています。城石不動産を車で出て仙台に向かったふりをして、古川から新幹線を使うことは自分で考えた。しかし、マンション玄関の防犯カメラの位置は遥香に教わったものだし、エレベータではなく階段を登れと指示したのも、夫の財布の置き場所を教えて万札を抜いて物盗りの犯行にみせかけろと言ったのも遥香だと」
「奥さんが共謀していたわけですか」
「それがですね、妻の遥香のほうは唆したりはしていないと主張しているんです。私は夫を愛していた。学生時代に山本と確かに付き合っていて、最近、偶然会った後に懐かしくて二人で食事などをした。でも浮気ではない。夫は浮気を疑っていたが、それは誤解だ。ましてや共謀の事実はない。確かにいま夫との生活が苦しいという話を山本にはした。でも、殺してくれなどとは言っていない。防犯カメラを避けるアドバイスなどしていない。殺人は全て山本が勝手にやったことだ、と言っています」
「ほう」
「事件前に、親しそうに山本と腕を組んで歩いていた姿などが、近所の人に目撃されているんですがね。それも何回も」
「その奥さんがとんでもない悪女に思えてきました。恐いなあ」
「共謀が立証できるかどうか、今はそこが焦点になっています」
「その奥さん、美人ですか」
「それはもう。河崎の話では、今でもモデルになれるんじゃないかっていうぐらい綺麗らしいです。この女がもし無罪放免だったら、また誰か金持ちの男を平気で掴まえるんだろう、と言っていました」
「枠谷さんの婚活も気をつけないといけませんね。そんな女に引っかからないように」
「そうですね。凄い美人で、それなのに三十を過ぎて婚活している女性がいたら、何か妙なことがありはしないかと、疑ってみることにしますよ」
参考文献
・細谷克也/編著 池永雅範・吉川豊次・高木修一・竹士伊知郎・長谷川伸洋・平野智也著
「速効!QC検定1級」日科技連出版社




