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五、3Hと4M

 郷之上市のスーパーマーケットで並田と枠谷が再会したのは、梅雨が明けた七月下旬の休日、午後のことだった。

「枠谷さん、何日前でしたか。大変だったんじゃないですか」

 並田のほうから枠谷に声をかけた。

「ああ、ご存知でしたか。十日前に森に入って道なき道を歩く、というのをやっていました」

 郷之上市の西部に歳日岳という標高二百五十メートルほどの山がある。並田が勤めている外村精機近くの県道をさらに西へ車を走らせると歳日岳南麓の登山口に着く。その歳日岳の東麓は崖になっており、その下で白骨死体が見つかったのが十日前だった。ローカルニュースで話題になり、並田家では枠谷さんが大忙しなんじゃないか、などと話していたところだった。

「歳日岳の麓から東側にソーラーパネルを並べるという計画がありましてね」

「ああ、森を開いてソーラーパネルですか。エコなのか環境破壊なのかわからない計画ですね」

「ええ。元々はゴルフ場にする計画が頓挫していた所らしいです。そこでソーラーパネルを置くために予備調査を始めたら、歳日岳の崖下で白骨を見つけたということです。これが縄文時代の骨とかだったらよかったんですが、調べたら亡くなってから一年から一年半くらい前だという」

「たちまち大事件と」

「その通り。見つかった場所が崖下で、道も一人が藪をかき分けてようやく歩ける幅しかない。捜査員が大勢で分け入っていくのは大変でした」

「ということは、歳日岳の東の崖から落ちた人ということですね。亡くなったのは地元の人でしょう。歳日岳って、このあたりの人なら誰でも知っているけど、他所の人は誰も知らないんじゃないかな。去年長男が遠足で行きました。私も以前に一度一人で行きましたが、別に登るのに難しい山じゃない。それに東麓側には登山道から外れた見晴らしのいい所がありますが、そこまでの道は緩やかだしわりと広い。歩いていく途中で、うっかり崖から落ちるなんて考えにくい」

「おや、登山が趣味ですか」

「たまには、という程度です。歳日岳に登ったのはまだ独身で就職したばかりの頃です。郷之上に来たばかりだったので、あの当時はこの辺りの地理に興味がありました」

「そうですか。それでね、白骨は誰かという話なんです。百名山じゃあるまいし、仰る通り、他所から来る人が登る山じゃない。だから順番として地元を当たれと。難しい山じゃないから遭難の線は薄いだろう。それなら自殺か。でも、それらしい失踪届も出ていない。だから殺人や死体遺棄の可能性が否定できない。つまり、生きている人間、あるいは死んだ人間を崖から落としたのかもしれない。崖の上は先ほど並田さんが仰ったように、山頂への登山コースから外れている展望台があるところです。平らな岩場で誰かが誰かと争って突き落とす、あるいは死体を運んで落とすのは難しくない」


挿絵(By みてみん)


「なるほど。ところで白骨から死因ってわかるものですか」

「頭蓋骨が陥没しているとか骨からヒ素が出て来たとかなら、それが死因なんでしょう。でも、そうしたことがなければなかなかわからないですね。ただ、四十代の男性だということはわかりました」

「年齢と性別は骨からわかるんですね」

「ええ。今ある情報はそれぐらいです」

 二人はレジを通り過ぎたところで話題を変えた。

「並田さんは今日一人でどうしました」

「焼肉のたれがないことに気がついたから、ということでお使いです。食材を並べて食事が始まるのはまだ先なんで、それまでに帰ればいい」

「家族で焼肉ですか。いいですね」

「家族と言えば、枠谷さん。婚活はどうなりました」

 並田は枠谷の婚活話に興味津々であった。

「十日前の日曜日に相談所がマッチングしてくれた相手と初めて会う予定だったんです。でもこの事件でアウト。ドタキャンです」

「うわあ」

「改めて会いましょうということになりました。この前の週末は向こうの都合が悪いということで、次の週末の予定です。でも仕事でドタキャンだと印象が悪いでしょうね」

「まあ、頑張ってフォローして印象を良くしてください。並田さん、女性とのお付き合いは初めてじゃないんでしょう」

「でも相当久しぶりですよ」

「久しぶりですか。初めて、変更、久しぶりは3Hと言いましてね。工場では特別な対応をするんです」

「ほう?」

「作製方法をシミュレートしたり、ミスが起こりそうなところを前もってチェックしたりします。それから最初のロットを作り始めたら、作業や検査などひと通りを工程ごとにモニターします。時間も手間もかかりますが、いきなり通常モードで生産に入ると、不良品が出たり安全面で問題が出たりする可能性がありますから、慎重にならざるを得ない」

「なるほど。その初めて、などというのは新入社員が来た時などですか」

「ええ。4Mと言いましてね。4MはMan(人)、Machine(機械)、Method(方法)、Material(材料)のことを指します。これらの4Mが3H、初めて、変更、久しぶりの時には、先ほど述べたような特別な管理をします。4Mは他にMeasurement(測定)、Environment(環境)も加えて5M1Eと言う場合もあります。まとめて変化点管理と呼ばれています」

「あの、ひとつ質問いいですか」

「何でしょう」

「3Hが日本語なのに、なんで4Mは英語なんですか」

「いい質問ですね。すみませんがよくわかりません。日本由来か英米由来か、という話ではないでしょうか。品質管理用語は日本語と英語がぐちゃぐちゃに混在しているんです」

「そうですか」

「日常生活でも3Hには気をつけたほうがいいですよ。久しぶりに電球を取り替える、などという時には、踏み台から落っこちたりしやすいので」

「ああ、そうですね。変更、と言えば印象的なことがあります」

「なんでしょう」

 二人はスーパーマーケットを出て少し歩いたところにあるベンチに腰掛けて話し続けた。そこはスーパーマーケットの喫煙所なのだが、そのとき喫煙していた者は誰もいなかった。ちなみに並田も枠谷も愛煙家ではない。

「私は郷之上警察署に来てから独身寮ではなくアパートのニ階に住んでいます。そのアパートの向かいは一軒家でしてね。家族はご両親と娘さんの三人でした。私が早めに帰ってきた日や非番の日だと、だいたい午後五時くらいから娘さんがピアノを弾く音が聞こえてくる。毎回、最初は同じ曲で、タン、タララン、タンタンタタン、タンタンタタン、タ、タタタタタン」

「ああ、それはショパンの別れの曲ですね」

「おや、並田さんはクラシックには詳しいんですか」

「詳しいわけではないんですが、その曲は父が好きで、旅行に行く時によく車の中で父が流していました。別れの曲と言われていますが、そういう題名のショパンの伝記映画で使われたから日本でそう言われているそうです。もともとはショパンの作曲したピアノの練習曲だとか。慣れた練習曲を毎日初めに弾いていたわけですね」

「へえ。それでその向かいの家ですが、六時半くらいになるとその家の父親が車で帰って来る。帰ってくると娘さんが迎えに行くんでしょうね。ピアノの音が止まる。平日は毎日そんな感じでした」

「父親が帰ってきても何の反応もない家とかも世の中にはあるそうです。だから、良い家庭なんでしょうね。それが変わってきたんですか」

「まず家にほとんど車が置きっ放しになりました」

「お父さんの職場が変わったのかな」

「そのお父さんを見かけなくなりまして」

「単身赴任でしょうか」

「時々、家の前の道路に車が止まっていました。それが医療機器関連の会社で」

「誰かが病気になったのかな。自宅療養か」

「そんな状況で何年か経ったんですね。私がアパートで暮らし始めた頃に小学生だった娘さんは郷之上高校の制服を着るようになりました。その間もずっとピアノは続けていて、最初にその、別れの曲ですか。それを弾くのも変わりませんでした」

「ふむふむ」

「それがある日、去年の三月でしたか。突然、最初に別れの曲じゃないピアノの曲が流れて来たんです。ダンターラ、ダンターラ、ダンターラ、ダンターラ、ダンターラ、ダンターラ、という悲しい旋律で」

「ん?」

「その翌日にその一家はいなくなってしまいました。仕事から戻ってみると、車はないしピアノの音も聞こえない。ただ雪が降っていたのを覚えています。雪の中で引っ越しをしたんです。あの曲が並田さんの言う変化点だったんですね。その家族がどこに行ったのかわかりません。いま向かいの家は空き家です。たぶん売りに出されているんでしょうが、郷之上だとそうそう買い手がつきません」

「枠谷さん、その変化点の時ですが、その家でお通夜とかお葬式とかありませんでしたか。喪服を着た人が出入りしていたとか」

「いや、特には。仕事柄、郷之上で人が亡くなった時は注意していますが、その家で何か不幸があったという話は無かったと思いますよ。一家がいなくなっただけです」

「だったら却って問題ですね。枠谷さん、その家の人たちについて調べたほうがいいです。去年の三月なら一年四ヵ月前。まさかとは思いますが、白骨死体が亡くなった時期とも重なる」

「並田さん、何を言っているんですか」

「枠谷さんが言っていた変化点のピアノ曲は、モーツアルトのレクイエム、その中のラクリモーサという曲のピアノソロバージョンです。レクイエムは死者を送る曲です。恐らく長く闘病していたお父さんが亡くなったんでしょう。それなのに通夜も葬式もないのはおかしい」



「白骨の歯から人物が特定できました。生前に歯の治療をしていたのが、こちらとしては幸いでした。並田さんが推定した通り、私の住むアパートの、向かいの家の父親です」

 枠谷が例のコーヒーチェーン店で結果を話すと、並田が感想を述べた。

「こういうまさかは当たってほしくなかったですね。でも歯で特定できたのなら、私の推定がなくても解決していたんじゃないですか」

「調べる順番というものがありますからね。あの家の近くの歯医者から当たれたのは大きかったです。そのお父さん、ALS(筋萎縮性側索硬化症)だったんです」

「難病ですね」

 ALSは筋肉を動かす神経が障害を受ける病気である。時間をかけて筋肉が衰えていき、手足の筋肉や、のど、舌といった呼吸に必要な筋肉も次第に力がなくなっていく。発症後、車椅子生活となり、数年で人工呼吸器を必要とすることが多い。

「お父さんが仕事をやめて、お母さんが働いて、でもお父さんの介護が必要で、娘さんが学校の合間にヤングケアラーをしていました」

「それは大変な負担ですね」

「そのお父さんは、人工呼吸器が必要になったら死なせてくれ、とずっと言っていたんですね。そして死んだら山から捨ててくれと」

「その通りにしたわけですか」

「そうです。娘さんの就職が決まって、高校の卒業式が終わったところで実行することになった。呼吸器を外してお父さんが亡くなった後、夜に母と娘二人で車に乗せて歳日岳へ。車で運べる所まで運んで、その後は車椅子で運べるところまで運んで。女二人で登山コースから東の展望台へ行くルートに入って、お父さんを二人で引きずっていって最後に東側の崖から落としたと。山に詳しいお父さんが夜でも実行できる場所を指定していたそうです。翌日に雪が降って遺体が上から隠れるのも計算済みだったらしい。それから急いで引っ越しをしたと」

「痛ましい話ですね」

「母と娘は今、二人で仙台のアパートに住んでいました。娘さんの就職先が仙台で、そこから辿れました。アパートに電子ピアノがあったそうです。郷之上の家にあった家具やピアノは引っ越し屋さんに頼んで処分したらしい」

「呼吸器を外す前に、なんとかならなかったんですかね。家族だけで考えていないで。行政福祉に頼るとか親類に相談するとか。たぶん、患者同士のネットワークとかも探せばあっただろうに」

「そこはどう考えたものか、わかりませんね。取り調べをしたらですね、お互いにかばい合って、母も娘も主犯は自分だと言っているんです」

「罪状はどうなりますか」

「自殺幇助と死体遺棄ですめば良いんですが。それにしても、並田さんにはまたお世話になりました」

「いや、枠谷さんの耳コピが完璧だったからです。それにモーツアルトのレクイエムも、たまたま私の父が好きな曲でした」

 会話の最後に枠谷が呟いた。

「3Hと4M。4MのMはMusicのMでしたか」




参考文献

・「アマデウス」、監督:ミロス・フォアマン、原作・脚本:ピーター・シェーファー

・「市子」、原作・監督: 戸田彬弘、脚本:上村奈帆、戸田彬弘


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