四、なぜなぜ分析
梅雨の合間の晴れた日、並田は退社後のランニングを終え、自家用車で帰宅途中にガソリンスタンドに寄った。車にガソリンを給油していると、ガソリンスタンドに併設されているコーヒーチェーン店から枠谷が出て来た。
「並田さん、お久しぶりです」
「ああ、枠谷さん。婚活はどうなりました」
「仙台の大手結婚相談所の会員になったところです。マッチングアプリを使うやつじゃなくて、対面で相談員のアドバイスを受けるタイプです」
「おや、本気だったんですね。うまくいったら教えて下さい」
「それがなかなか大変なんです。最初に担当者と面接があったんですが、年齢収入職業以前に、仙台の女性は郷之上には行きたがらないと言われました」
「それはそうでしょうね。ところで今日はこんなところでどうしました?」
並田が尋ねると、
「どうも最近、考え事をする時にここに来る癖が出来てしまいまして」
と、枠谷は頭をかいた。
「また何か事件ですか」
「いや、郷之上にそうそう大きな事件などありません。ただ仙台北署の知り合い、河咲という奴なんですがね。彼の担当している事件を聞いて、はてどう考えたらいいんだろうと思いまして」
「ほう」
「せっかく会ったんです。話を聞いてもらえますか」
しかし、並田は素っ気なかった。
「ああ、でも七時までには帰らないと子供らの夕飯が遅れてしまいます。次の土曜日でいいですか。あさってになりますが」
家族ファーストな並田に強いるわけにもいかず、次に会う約束をして二人は別れた。
土曜日午前十時、並田が例のコーヒー店に来ると、枠谷がさっそく話し始めた。
「仙台の北西にある新興住宅地の青葉区西迫台。新興といっても造成されたのは四十年以上も前ですが、その造成を行った華山産業という会社がありましてね。その会社社長の豪邸も西迫台にあるんですよ。その豪邸で社長の華山高一郎が自宅の池に落ちて急死したという一週間前の事件がありまして」
「新聞で見た記憶がありますね」
「ええ。それを先日話した河咲が担当しているんです。でも、自殺か事故か他殺かわからない」
「ほう」
「それで、お前この間、十年近く前の放火事件を解決させただろう。なにかヒントはないかと」
「おお、枠谷さん。名探偵」
「なに他人事みたいに言っているんですか。あれは品質管理の先生が教えてくれたんだ、と河咲に言ったら、それならこの話もその先生に聞いてみろと」
並田は右手の親指を額に押し付けて考え込むようなポーズをとった。
「あのですね。私を巻き込まないでくれませんか」
「それでおとといそれを考えながらここにいたら、並田さんに会えてラッキー、と」
「頭が痛い。帰りたくなってきた」
「帰らないでください。話自体はそんなに複雑じゃないんです。午後十時ごろ、社長の華山高一郎が自宅の池に落ちて心臓麻痺で亡くなりました。家族の者が発見したのは翌朝です。社長はうつ伏せで池に浮かんでいました」
「溺れたわけじゃないんですね」
「高一郎は七十歳を越えているんですが、心臓が弱かったみたいですね。水に入った瞬間にショックで亡くなったようです」
「その池はうっかり落ちそうな池なんですか」
「池の周りは石で囲まれていますが、石に乗ると滑りやすいです。もっとも石に乗らなくてもそれほど大きな石ではないから、石の外に立っていて突き落とされた可能性はあります」
「警察の見解はどうなんです」
「自殺事故他殺いずれもありうるとしていますが、身内による他殺の可能性が高いと」
「ほう」
「その身内の話をしますね」
華山高一郎には三人の子がいる。上から長女、渡利牧子四十七歳。長男、華山紀一郎四十五歳。次男、華山紗次郎四十一歳。
華山高一郎は華山産業の社長で、一代の成金である。西迫台豪邸の当主。華山産業は西迫台の造成を終えた後、不動産業、貸店舗、賃貸マンション、ガソリンスタンド、リフォーム会社、レストランなどの多角経営を行っている。
渡利牧子は資産家渡利家の嫁となっているが嫁ぎ先の景気が悪い。
華山紀一郎は華山産業の専務。高一郎の跡取りだが、いつまでも高一郎は彼を子供扱いして権限を委譲しない。
華山紗次郎は自称画家。しかし売れているわけではない。高一郎の援助を常に受け、その日暮らしの遊び人だ。
高一郎の妻は六年前にくも膜下出血で亡くなっている。その七回忌があり、法事の後に親類縁者は帰宅。三人の子は珍しく揃って華山家に泊まっていた。三人とも配偶者や子供は家に連れてこなかった。
「夕食中に四人で言い争う声が聞こえてきました。詳しい内容は聞いておりませんが」
長年華山家に仕えている住み込みの家政婦がそう語っていた。
「子の三人は夕食後にそれぞれ自分たちの部屋に戻りました。私は疲れましたので午後九時ごろにお休みさせてもらいました。といってもすぐに眠ったわけでもありません。私の部屋は玄関の近くにある使用人部屋なのですが、午後十時前ぐらいに玄関が開いて人が出ていく音がしました。その数分後ぐらいでしょうか。また玄関が開いて誰かが出ていきました。それからまた何十分後かに玄関が開いて誰かが中に入ってきました。その後に私はすぐ寝てしまいました」
三人の子の寝室はそれぞれ二階にある。高一郎が玄関を出た後、誰かが降りてきて高一郎を池に突き落とし、また二階に戻ったのではないか。それが警察の見立てであるという。
「二階は三人の子の部屋として、一階はどうなっていますか」
「玄関から入って左が家政婦のいる使用人部屋、奥に物置部屋、さらにその奥にトイレ。玄関の目の前に階段。玄関の右は応接間、リビング、その奥に台所。廊下を挟んで後方に洗面所と風呂、書斎、主人の寝室」
「トイレは二階にもありますか」
「あります」
「トイレのために一階に降りる必要はない、と。夜に家の外から人の出入りはなかったんですね」
「夜は番犬を屋敷内に放すそうです。家族と家政婦以外の人間が夜に敷地内に入ったら、番犬が激しく吠えて襲い掛かる。しかしそんなことはなかった」
「なるほど。絵に描いたような館ものですね」
「並田さん、館ものってなんですか」
「推理小説のジャンルですよ。全ては館の敷地内で完結する。広義の密室です」
また並田は右手の親指を額に押し付けて考え込んだ。
「警察は三人の子のうち誰かが殺したと思っているんですね」
「家政婦さんの話がありますからね。池の前で三人の子のうち誰かが父親と待ち合わせをして、その時に池に突き落とした、と考えれば整合性がある」
「なぜなぜ分析をしてみますか。あまりやりたくはないんですが」
「なぜなぜ分析って何ですか」
「起こった不具合に対して、なぜ、を繰り返して原因を深掘りし、真の原因を見つけ出し、その対策を立てる手法です。例えば製品コードを貼り忘れた、という工程不具合がある。なぜ貼り忘れたのか。次の蓋を閉める作業に気を取られていた。なぜ蓋の作業に気を取られていたのか。急がなければと焦っていた。なぜ焦っていたのか。標準時間内に終わらないかもしれないと思っていた。標準時間というのは、工場で生産を行うのにこれは何分、あれは何分と作業ごとに設定されているものです。それを越えるとさぼっていたのかと思われる。ここまでなぜなぜで探ってみて、標準時間の設定が短すぎて問題だということがわかった。そこを改善しよう、と対策を取る。実際には分岐があったりして複雑になりがちですが、こうしたものがなぜなぜ分析の一例です」
「ああ、だいたいどんなものかわかってきました」
「今回の不具合というか事象は、社長の高一郎さんが亡くなったことですね。そこになぜ、と問う。心臓麻痺を起こしたから。なぜ、心臓麻痺を起こしたのか。池に落ちたから。次のなぜ池に落ちたのか、で三つに分岐します。自殺したから。うっかり落ちてしまったから。誰かに殺されたから」
「なるほど」
「誰かに殺された、のところでまた分岐する。長女の牧子に殺された。なぜ。遺産が入って牧子の嫁ぎ先が助かるから」
「次はこう続くんですね。長男の紀一郎に殺された。なぜ。紀一郎に会社の権限が手に入るから。次が次男の紗次郎に殺された。なぜ。遺産が入って遊び人を続けられるから。次はどうなりますか」
「分岐はまだ終わっていません。高一郎は家政婦に殺された。なぜ」
「家政婦ですか。その家政婦が玄関の話をして兄弟の誰かが犯人と示唆しているのに」
「家政婦が話しているだけです。四人が言い争っていたというのもフェイクかもしれない。玄関の出入りも、自分の話をしたのかもしれない。最初に玄関を出たのが高一郎。その後に家政婦が玄関を出ていって、戻ってきたのは家政婦本人だけとか」
「なぜですか。動機がありませんよ」
「ないなら調べてください。きっとあります」
「なんで家政婦なんですか」
「家政婦が玄関の話しかしていないからです。子の誰かが犯人なら階段を下りなければならない。しかし家政婦は部屋のすぐ外に玄関と階段があるのに、玄関の話だけで階段の話がない。子は誰も階段から下りていないからです」
華山家、家政婦の供述。
「住み込みであの家に雇われたのは十八歳の時で、もう四十二年前になります。その頃、牧子様、紀一郎様は五歳と三歳でしたか。お小さい時は可愛らしかったですね。あの頃、あの家は建てられたばかりでした。
旦那様は、家の誰もが自分に従わなければならないと思っていました。体も大きい、声も大きい、怒り出すと手が付けられないかたです。暴君でした。ひとつ嘘を言いましたね。夕食中に四人で言い争う声が聞こえてきた、と言ったのは嘘です。旦那様と言い争えるかたなど家にいません。旦那様が一方的に怒るばかりです。牧子様のご主人や紀一郎様の奥様は、それでこの家に近寄ろうとしないんです。お孫さんもじいじは恐いと言っています。紗次郎様は自分の父と母を見ていたら結婚する気になどなれない、と仰ってまだ独身です。
そして旦那様は、家の中にいるものは全て自分のものだと考えるかたでした。
わたくしが旦那様に手籠めにされたのは、奥様が紗次郎様を身籠ってご実家に帰られていた時です。その時は恐ろしくて声も出せませんでした。旦那様はそれをわたくしの承諾と受け取りました。
奥様は旦那様とわたくしの関係をご存知でした。紗次郎様とこの家に戻って来た時から、わたくしを蔑むような目で見るようになりましたから。ご実家に行く前はそんなお顔をしたことはありませんでしたのに。
二度、赤子を堕ろしました。ええ、あの家で働くのは針の筵のようなものでした。
そんなにまでしてなぜあの家で働き続けたのかとお思いですか。旦那様が怖くて、逆らうことなど思いもしなかったからです。
奥様が亡くなった時のことはよく覚えています。床に倒れて頭が痛い痛いと仰っておいででした。急いで救急車を呼びましたが間に合いませんでした。でも亡くなられてからなにか、ほっとしたのを覚えています。もうあの蔑むような目で見られないですむかと思うと。
旦那様が亡くなった時の話でしたね。
午後十時に池の前に呼び出されたのです。旦那様は以前から家族に聞かせたくない話をそこで私に話すのです。
隠居すると仰っていました。
まだ子らには言わない。次の役員会で話す。その時に部下と紀一郎がどんな顔をするのか見たいと。
この家は人に売って、自分は介護付き高級マンションで暮らす。子供らはそれぞれに遺産を欲しがっているが、生前に渡すつもりはない。華山産業は紀一郎に継がせるが、俺がいなかったら早々に立ち行かなくなるだろう。そう仰っていました。子供らには何の期待もしていないと。
そして私には、この家の整理が済んだら暇をやるから、どこへでも好きなところに行けばよい、と仰いました。
その時に思ったのです。私はなんとつまらない一生をここで送ってしまったのだろうと。
旦那様は言い終えると、私に背を向けて夜の池を見ていました。話は終わった、家の中に戻れという合図です。
私はその時、思いっきり走って体ごと旦那様のその背中にぶつかりました。旦那様はそのまま、つんのめる様にして池に飛び込みました。
わたくしは上から旦那様を見下ろしたかったのです。そしてこう言ってやりたかった。わたくしにねぎらいの言葉すらないのか、と。でも言う機会はありませんでした。
奥様の時にも思いましたが、人というものは死ぬ時には呆気なく死んでしまうものですね。
旦那様を死なせてしまったことに悔いはありません。悔やむのはわたくしの一生です。なぜもっと早く、わたくしはあの家から逃げ出さなかったのでしょう」
枠谷は例のコーヒーチェーン店で並田に結果を報告した。
「並田さんによくお礼を言っておいてください、と河咲から伝言がありましてね。おかげさまで解決しましたと。ありがとうございました」
「いや、私が何も言わなくても、家政婦さんにもっと詳しく話を聞いてみよう、ということになったんじゃないですか」
「そうかもしれませんが、解決はもっと遅くなっていたでしょう」
「苦い結果でしたね。何か仕事をしていて、やっているのが嫌だったら、続けていないでさっさと辞めたほうがいい、ってことですね。この事件は殺人罪になるんですか」
「いや、殺意を立証するのは難しいでしょう。傷害致死でしょうか。情状酌量もあるでしょうね」
「そうですか。まあ、あまり好きではないなぜなぜ分析が、いくらかは役に立ったみたいで良かったです」
「そう言えば、なぜなぜ分析はあまりやりたくないって言っていましたね。どうしてですか」
「なぜなぜ分析って品質管理では有名な手法ですから上司がやらせたがるんです。でも、例えば製品コードを貼り忘れた不具合が起きた時、当事者の製造の人に、なぜ貼り忘れたんだ、と聞いてごらんなさい。なぜだろう、と言うばかりで話がそこで止まってしまうんです。分析がうまくいった試しがない。だからもう出来るならやらないですませたいんです、なぜなぜ分析は」
「なるほど」
「まあ、あれです。その家政婦さんみたいに、なぜ、なぜ、と探っていっても、人が何かをした、あるいはしなかった理由なんて、そう簡単にはわからないんじゃないですか」




