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三、バスタブカーブ

 枠谷が並田に再会したのは春、郷之上市の国道沿いにあるホームセンターだった。並田は何も持たず何をするでもなく、レジの後方で突っ立っていた。

「おや、並田さん。お久しぶりです」

 並田は枠谷に話しかけられて微笑んだ。

「あまり刑事さんとは親しくなりたくない、って話をしたんですけどね」

 笑いながら話しているので、もちろん本気で嫌がっているのではない。

「郷之上でホームセンターはここだけですから。会いたくなくても会ってしまうのは仕方がないと思ってください」

「ははは、そうですね。枠谷さん、今日はどうしました」

「蛍光灯が切れましてね。ついでに乾電池の予備も買っておこうかと。並田さんは?」

「妻のお供というか、運転手兼荷物持ちです。ついでに下の子を監視しています」

「監視?」

「上の子は大人しく車の中で本を読んでいます。でも、下の子は店の中を歩き回るのが好きで、といって母親の後をついていくこともない。自分の興味だけで動くので予測がつかない。それで下の子と一緒に歩くと、とても疲れます。それで妻がレジに来たら子供を捕まえに行きます。それまでは子供がどこらへんにいるのかを見て、店の外にだけは出ないように見張らないといけない」

「はあ、家族というのは大変ですね」

「おや、枠谷さん。ご家族は」

「独身ですよ。私と並田さんは似たような年齢で、一歳しか違わないでしょう。時々、自分と似たような年の人が夫婦や家族で歩いているのを見かけると、ああいう一生もあったのかなと思います」

 並田は枠谷の話には直接答えず、レジの右のほうを指さした。

「あそこに、お風呂のリフォームコーナーがあるじゃないですか」

「いきなり何です」

「バスタブカーブってご存知ですか」

「お風呂? 曲線?」

 並田は指で左上を示し、指先をそのやや右下に移動させ、こんどは低い位置で指を右に地面に平行に動かすと、最後に指を右上に上げた。平底の鍋の断面図をさらに横に拡げたような動きだった。


挿絵(By みてみん)


「縦軸に故障率を取って、横軸に時間を取ります。そうすると、バスタブの断面のような曲線になる、というものです。最初の故障率は高くてだんだん下がって来る。その後に低い所でしばらく安定する。その後に時間が経つとまた上がってくる。最初は初期故障期。次に偶発故障期。最後に摩耗故障期」

「ほう」

「男と女が出会ってから別れるまでに、結婚したかしなかったか、離別か死別かを区別しないで調べたとしましょう。すると、似たような曲線になると思うんです。出会ってすぐに別れる場合がやはり多い。それが結婚して何年か経って子供も出来て、となると別れることは少なくなり安定してきます。しかし歳を取れば嫌でもどちらかが亡くなって死別することが多くなっていく」

「なるほど」

「うちはどうにか偶発故障期まで来たというところですが、摩耗故障期までもっていけるかどうか。未来はわかりません。それはさておき、初期故障期で終わった関係でも大切な経験じゃないかと思うんです。違いますかね」

「ふむ。そういう意味での初期故障期なら、私もいくつか経験がありますね」

「そうでしょう」

「ああ、でもそれよりも女性と付き合うに至らなかったことが一度あります。それが結構印象に残っている」

「ほう、どんな話ですか」

「北日ヶ丘ってご存知ですか」

「仙台市青葉区の新興住宅地ですね。駅から北西方向にある。行ったことはないですが、場所はだいたいわかります」

「十年近く前になるかな。当時、私は北日ヶ丘の交番勤務をしていました。いい天気の日で、十時か十一時かそれくらいに、道を聞きに来た若い女の人がいたんです。鹿南税理士事務所はどちらですか、って。それで道を教えたら、ありがとうございましたと丁寧に挨拶されました。そこまではよくあることなんですがね。それから一時間ぐらいしたら同じ若い女の人が、先ほどはありがとうございました、ってまた挨拶に来ました。道を教えられてお礼を言われるのは普通ですが、帰り道でまたお礼を言われるのはそんなにない。それで、印象に残りました」

「ほう。そうですか」

「それがね、数日後のことです。私の実家は歳分町にありましてね」

「ああ、仙台の盛り場に近い所ですね」

「そうです。非番で実家に帰っていた時、近所のホームセンターに行ったら偶然その女の人に会いましてね。北日ヶ丘で私に道を聞きませんでしたか、って声をかけたら、向こうも覚えていまして」

「おお、運命の出会いだ」

「話が結構弾んだんですよ。このあたりに住んでいるんですね、とか。税理士事務所に行ったのは、堅い仕事をしたくなって求人募集に応募したのだとか。それが駄目だったとか。経理の経験とか簿記の資格とかコンピュータに詳しいとか、何かがないと駄目みたいですと言って。その女性は、化粧っ気があまり無くて、顔も私の好みで、涼しげな雰囲気って言ったらわかりますかね」

「なんとなく」

「それで、これはいける、と思って。ちょっとこのへんでお茶でもどうです、って聞いたんです。そうしたら、私は警察官とお付き合いするのにふさわしい女性ではありません、って断られてしまいました。警察官だと、この女性とは付き合えないのか、と思うとショックで。あれは忘れられません」

「ちょっと待ってください」

 並田が右手の親指を額に押し付けて考え込むようなポーズをとった。

「なにがまずかったのか、FTAをやってみますか」

「FTA? なんですそれ」

「フォールト・ツリー・アナリシス。日本語では故障の木解析と言います」

 並田はレジの左側にあるイートインスペースを指さして、あちらに行って話しましょう、と言った。並田は店の出入り口が見える席につき、枠谷はその向かい側に座った。それから並田は話し始めた。

「FTAは故障とか事故とか、なにかよろしくないことが起きた時に、その原因として考えられることを展開していく手法です。故障や事故の分析などに用いられます」

「なんだかよくわかりませんが」

「例えば、車が動かない、という例を取ります。それはエンジンが動いていてもタイヤなどの駆動系に問題がある場合と、エンジン自体が動かなくなる問題に分けられますね」

「ええ」

「駆動系の問題は、まずタイヤの問題。この下には、タイヤが何かに乗り上げて空回りしている、氷の上で滑っている、タイヤに輪留めがかけられている、などが上げられます。他にタイヤ以外では、ハンドブレーキの引きっ放し、シフトレバーを運転側に入れていない、目の前に壁があって衝突防止センサが働いている、などがあります。次にエンジンが動かない問題。エンジンキーでもボタンでもいいですが、その情報が伝わっていない電気系統の問題。そもそもガソリンがない。あるいは点火プラグの問題。バッテリーがあがっている。エンジン内部の異物や損傷。こうやって起こり得る問題を下に並べて分岐させて、そのうちどれが起きたのか、あるいは起こりうる確率はどうか、と考えていく」


挿絵(By みてみん)


「ああ、いくらかわかってきました」

「そのFTAを枠谷さんのお話しされた、女性とお付き合いになれなかったことでやってみようと言うのです。まず見た目の問題です。その下には顔が好みでない、髪が整っていない、服装が格好悪い、身だしなみが悪い、老けて見える、身長・体重など肉体の何かが気に入らない、そうしたことが並べられます」

「何か私に酷いことを言っていますね」

「FTAでは結果に繋がり得ることは全て考慮に入れますので我慢してください」

「個人的には、自分のことを結構イケメンだと思っているんですがね」

「はいはい。それではとりあえずそれは除外します。次に二人の会話についてです。話がつたない。しつこい。声が小さい。あるいはでかすぎる。強引で圧迫される。逆に頼りない」

「話が弾んでいたのに、それは有り得ないですね」

「それでは、趣味。趣味が自分と合わない。好きな音楽が違う」

「趣味や音楽のことまで話は進んでいませんでしたよ」

「それなら次はいよいよ職業ですね。不定期な仕事。あるいは、いつ首になるかわからない」

「警察官は公務員で安定しています」

「給料が安い」

「そんなに高くはないですが、暮らしていくのに不自由するほどではない」

「しかしいつ怪我するかわからない。殉職する人もいる」

「否定できませんね。でも世間で思うほど確率は高くない」

「仕事の過酷さ。夜勤が多い。重大事件の時には移動が不自由になる。妻になればそれを支える負担が大きい」

「うーん。でも休日はそれなりにあるし」

「それから警察に何か不愉快な目にあったことのある人。あるいはあの厳格そうな服装が苦手とか」

「交番の前で、息を止めて走る子供がいたりします。結構傷つく。でもその女の人は交番で制服の自分に気軽に道を聞いてきたからなあ」

「そして警察の敵側に当たる人。過激派とか、反社会勢力。犯罪者」

「過激派や反社会勢力の人が交番で道を聞きますか」


挿絵(By みてみん)


「ともかく、これだけ挙げてみました。さて、この中で、私は警察官とお付き合いするのにふさわしい女性ではありません、という言葉が合致するものは何でしょう。容姿、性格、趣味、枠谷さんはどれも違うと言う。それに話が弾んだと言いましたね。会話術の問題ではない。何か職業関連でしょう。となれば、その女性は犯罪者でしょうか」

「そんな馬鹿な」

「その女性が道を聞いてきた日に、なにか犯罪がありませんでしたか。歳分町のホームセンター付近で」

「犯罪? 特には。いや、歳分町に火事があったかな。道案内の直後くらいに、お前の住んでいる所の近くで火事が起きているぞ、と同僚に言われた記憶があります。アパート一棟の二階が火事で、確か亡くなった男の人が一人いたはず。煙草の火の不始末とかなんとか」

「ああ、ありましたか。その火事、焼け跡から大きな虫眼鏡とか、水の入った丸い金魚鉢とか、出てきませんでしたか」

「何ですか、虫眼鏡とか金魚鉢って」

「集光装置です。自分がいなくなってから、火事が起こるようにセッティングできる道具です」

「何を言いたいんですか」

「道を尋ねるだけではなく、帰りに礼も言ってきた。もし女性が男性を気に入っていたのなら、それは自然な行動です。でもそれ以外の理由があるとしたら何でしょう。それで、犯罪者のアリバイ工作かな、と。その女性は警官に自分を印象づけたかったのではないか」

 枠谷は立ち上がり、脱兎のごとく駆けだしていった。入れ替わりに並田の妻が大きな荷物を抱えてやってきた。

「陽翔を見ていてね、って言ったのに。旦那さん、こんな所でなにをしていたの」

 陽翔は並田家次男の名前である。

「ほら、あの、刑事さん。枠谷さんって言うんだけど、偶然ここで会って話をしていたんだよ。いま出ていった人」

「へえ」

「蛍光灯と乾電池を買うと言っていたけど、何も買わないで行っちゃったな。ああ、ここで枠谷さんと話していたけど、スーパーの出入り口はずっと見ていたから。陽翔は外には出ていない。今は出口近くのガチャガチャを見ている」


「ようやく逮捕までこぎつけました」

 例のガソリンスタンド併設のコーヒーチェーン店で、枠谷が並田に説明をしたのは一ヶ月後。季節は初夏になっていた。

「事件から日が経っているし、大変だったんじゃないんですか」

「歳分町を管轄している仙台北警察署に知り合いがいましてね。例の火事が起こった頃の担当者を紹介してもらって話しました。確かに当時の焼け跡に割れている厚めの丸いガラスがあったと言っていました。そう言われれば、金魚鉢の一部かもしれないと。当時から、放火じゃないかという疑いはあったらしいんです。火元に吸い殻はあるんだが、その周りに燃えやすそうな衣類がいくつも置かれている。それに玄関に置かれた灯油入りのポリタンクは蓋が開いて石油ポンプが突っ込まれていて、いかにも引火しそうになっていた。当時、亡くなった男と関係のあった女が一緒に暮らしていたことも調べられていました。女は国分町のホステス。そして男は、タチの悪いヒモだったんですね。女を働かせて毎晩酒を飲んで、昼間までゴロゴロ寝ているような奴です。当時のホステス仲間は、女が別れたがっていたとか、そのヒモの男に女がよく殴られていたとか言っていました。ただ、その女は出火の時間にアリバイがある。北日ヶ丘まで行って交番に道を聞いて、就職の面接をしていたと言っていた。当の税理士事務所の裏が取れたのでアリバイ成立。だから怨恨による放火の線はない。やはり煙草の火の不始末だろうということになったらしいです。そうか、丸い金魚鉢か、気づかなかった。と担当者は感心していました。並田さんはなぜ金魚鉢と」

「昔の子供向け雑誌に、キミも名探偵、みたいな記事があったんですよ。その中に、丸い水の入った金魚鉢で集光して、昔の火縄銃みたいな、火をつけると弾が出る銃に火がついて、撃った人がいないのに人が撃たれて死んだ。そんな話が書いてあったのを覚えていたんです」

「なるほど。それで担当者が例のホームセンターに、今になってダメもとで当たりました。古株の店員がいましてね。十年近く前まで丸い金魚鉢を置いていたけれども、長い間に一個しか売れなかったから置くのをやめた。それで当時の女の写真を見せたら、確かに買っていったのはこんな人だったと。古いデータベースを当たってもらったら記録が残っていて、売れたのは火事の一週間前だったのがわかりました」

「その店員、よくぞ覚えていた、ってところですね」

「珍しいこともあるものだと思って覚えていたらしい。それで取り調べをしたら本人はあっさり自供したということです。ここ十年近く、いつ捕まるかとずっと気が気じゃなくて、不安な毎日だったらしい。捕まって却ってほっとしたようなことを言っていたみたいです」

「自供したんですか。それはよかったです」

「税理士事務所の面接自体がもともとアリバイ作りのためだったらしいです。それで、仕事の面接予定が入っていた日の朝、男が寝ている間に準備した。一時間後ぐらいに火が付くように、その時間帯の金魚鉢の集光場所に黒い紙を置いた。ご丁寧にそこに吸った後の煙草を置いてカモフラージュ。紙が燃え始めたら火が回るように燃えやすい衣類をそばに置いた。灯油にも引火しやすいように燃えそうなものを並べて置いてポリタンクのふたを開けてポンプを突っ込んだ。あとは先ほどお話した通りのアリバイ工作。面接で何の経験もない自分は断られると最初から思っていた。ただ、門前払いされて事務所にあっさり忘れられたら困ると思って、念のために交番で道を聞いて帰りにも声をかけた、と。事件の担当者に、あなたがその時に交番で道を教えた人ですか、と言われました。税理士事務所で裏が取れたので、交番まではアリバイの確認をしなかったらしいです」

「枠谷さんは今回、その女性に会ったんですか」

「その女性の、当時と今の写真だけ見せてもらいました。当時の写真は化粧っ気が無くて確かに見覚えがあった。でも今の写真はホステスの仕事中のやつで、あれから十年近く経っている上に濃い化粧をしている。もうまるで別人でしたよ。すれ違っても絶対にわからない」

「それはそうでしょうね」

「枠谷さん。どの段階で犯罪者だと疑っていました?」

「警察官とお付き合いするのにふさわしくない女性って、どんな人だろうかと。もしそれが本音だったとしたら、警察に捕まる側の人なのかなと思って」

「その時点で疑うなら、なぜFTAをしたんですか。顔が好みでない、などと言われてずいぶん気分が悪かったですよ」

「FTAは当人が犯罪者、という予想以外の可能性がないかな、と思ってそれを調べたかったんです。FTAは、原因の見当が全く思いつかないという時にばかり、やるとは限りません。予想している原因があるにしても、それ以外の原因があり得ないか、という時に保険をかけるつもりで行うことが結構あるんです」

「ほう。あの時、それ以外の原因については」

「枠谷さんが否定しまくったじゃないですか。だから犯罪者以外の可能性が残らなかったんです」

「そうだったんですか」

「お付き合いするのにふさわしい女性ではありません。なんでそんなことを言ったんでしょう。焦ったんでしょうね。放火殺人を行った自分に、まさか交際を申し込む警官がいるとは思わなかった。とても付き合ってなんていられない。それで焦ってついうっかり本音を漏らしてしまったんでしょう」

「うーん。その焦りは読み取れなかったな」

「まあ、あれです。FTAの結果、枠谷さんがご自分の容姿に自信があること、それから犯罪者の女性以外だったら、刑事さんとお付き合いをするのに支障がないことがわかりました。諦めなければ、そのうち誰かと巡り合えるかもしれませんよ」

「ああ、はい。バスタブなんとかの、偶発故障期でしたっけ。それを目指して、諦めないで婚活してみますかね」


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