8,双ツ星
「な、なにアレーーーーーー!?!?!?」
叫ぶ鶯。頬を引き攣らせる鹿乃子。半口を開けて硬直する群青。
3人の視線の先にいたのは、目測で凡そ20m以上の巨軀のバケモノ。
他の夜行獣の様に布を被っているがそのシルエットはトルソーとは程遠く、左右非対称の不気味な突起の生えた塊である。
突起に引っかかってそこら中が破れた布は襤褸切れとなり、千切れた先から霧散している。その破れた隙間からは節足動物の脚、だけでなく、球体関節のついた人間の手足が突き出ていた。
巨体を支える細い1本の脚はよくよく見ると1本ではなく、本体から突き出した脚と同じものが絡まり合って構成されている。そして、布を被った本体の頂上に、ブラックホールの様な巨大な口が牙を剥いていた。
「きっっっっも!! キモすぎ!! デカすぎ!! なにアレ!? あんなのどこに隠れてたの!?」
「最後の夜行獣の反応を追いかけてたらでっかい倉庫っぽいとこに着いてさあ! 扉を切ったらアレだよ! わーん!!」
半泣きの鶯と鹿乃子。先程の夜行獣の巨大版と考えれば2人にとっては脅威ではないが、如何せん、キモい。精神衛生には大ダメージだ。
年頃の女の子にとっては中々に耐え難い見た目をしている夜行獣は、鈍重な足取りで、餌を求めて3人の方向に移動を開始していた。
「で、でもシスター! コイツが最後なんだよね!?」
「そ、そうだぜシスター! ラスボス戦だぜ!」
事実確認を済ませた2人はよし!! と頬を叩いて気合いを入れた。
「ならさっさと倒しちゃおうぜシスター!」
「おうさ! 一気に真っ二つにしちゃおうぜシスター!」
言うや否や、アスファルトの地面を蹴った鶯と鹿乃子は真っ直ぐに巨大夜行獣へ突貫した。
魔法使いである彼女らの健脚は尋常ではない。数秒も立たず標的の元へ到達した2人の猛攻はしかし、巨大夜行獣の足元から湧き出した無数の化け物によって阻まれた。
「なにこれ! 夜行獣はもういなんじゃなかったの!」
「違う! よく見て! これ一匹一匹は夜行獣じゃないよ!」
2体の化け物を同時に切り伏せた鹿乃子。その背後に迫っていた化け物を戦斧で殴り飛ばしながら鶯が叫ぶ。
巨大夜行獣から無尽蔵に湧き出す化け物は、先程まで鶯と鹿乃子が戦っていた夜行獣とはよく見ると異なる。
背丈は1〜1.5m程度しかなく、布越しのシルエットはトルソーとは言い難い。瓦礫をなんとか人の形に集めたように歪なそれにはやはり、夜行獣に存在する筈の口がなく、本体である巨大夜行獣の眷属の様なものであることが見てとれた。
幸い、化け物たちの強さはそれほどでも無い。鶯と鹿乃子が殲滅した夜行獣に比べれば酷く脆く、動きも緩慢だ。
だから、2人が苦い顔をしている理由は別にある。
「これちょっと」
「埒が明かないね」
湧き出し続ける化け物の群れの中心で、背中合わせに戦斧を構える鶯と鹿乃子は呟いた。
そう、とにかく数が多すぎるのだ。一体一体の戦闘能力はそれほどでは無いとは言え、それが星の数ともなれば十分な脅威だ。
化け物達が巨大夜行獣の眷属である以上、親である本体を倒して仕舞えば解決する。が、本体に辿り着くためには、まずその脅威を淘汰し道を作る必要がある。
それには、時間がかかる。今は2人が化け物を引き付けているために丸腰の群青が待機している地点まで脅威が及ぶ事はない。だが、2人が包囲網の一点突破に切り替えた際に散開する化け物、またその間にも増殖するであろう化け物が群青を襲わない保証はない。
深白の火力であれば或いは一掃出来たかもしれないが、生憎彼女は今要救護者の支援に回っている。
くるくると回るように、互いの死角を補完し合いながら化け物を斬りさばく鶯と鹿乃子。良いとは言えぬ旗色の状況でしかし、2人の瞳に曇りはない。
「シスター!」
「了解、シスター!」
作戦会議は不要。たった一言、互いを呼び合うだけ。息遣い、声の高さ、震え、強弱。その僅かな機微で完全な意思疎通を図った鶯と鹿乃子は戦斧を握る手に力を込めた。
最初に炸裂した光の色はオレンジ。絡まった2人分の脚の遠心力によって扇状に振るわれた鹿乃子の横薙ぎの一閃が、前方5m範囲の化け物を瓦礫に変えた。イルジオル置換率は中の上といったところの鹿乃子に出せる最大の熱量を、一度に放出した。
生まれた空白に飛び出し、さらに追撃を仕掛けるのは鶯。高火力攻撃の反動で姿勢を崩した鹿乃子と鶯の間に距離ができる。その隙間にすかさず割り込もうとする数体の化け物を、今度は鶯が最大火力の斬撃でまとめて葬った。
縦一文字に切り裂かれた化け物が霧散するより早く、地面を蹴った鹿乃子。空中で1回転した彼女は一秒に満たない自由落下の間に呼吸を整える。
「かのちゃん!!」
「——ッふ」
瞳を閉じたままの鹿乃子の着地点には、鶯。——否、正確には、鶯の握る戦斧。
薄緑色の刃を真横に構えた鶯はその腹で鹿乃子の白いスニーカーを受け止めた。
「「せえぇーーーーーーーーの!!!!」」
鶯が2度目の最大火力で戦斧を振るうのと、鹿乃子が鶯の戦斧を全力で蹴り出したのは同時だった。
薄緑とオレンジの稲妻が弾けた。次いで、思い出したように、ばちん、という音と余波の突風が周囲を突き抜けていく。
「は、」
全力の攻撃を2回連続で撃った鶯の余力は既に尽きている。痛みと痺れを訴える四肢を無理矢理立足せている彼女は、未だ虎視眈々と自身を狙う化け物の残党には目もくれず、霧で塞がった空に向けて語りかけた。
「うんうん、しっかり飛んでったな。じゃあ頼んだぜシスター!」
虚空に向かって撃ち出された鹿乃子は、暗色の霧の中を舞いながらそのオレンジ色の瞳に標的の姿を映していた。
駅に隣接している商業施設の屋上を見下ろす高さで戦斧を構える鹿乃子は、地上ではあれほど巨大に見えていた夜行獣の全貌をはっきりと捉えることが出来る。
月を喰らわんばかりに、夜空の頂点へ向けてぽっかり開いた夜行獣の口。その円周に蠢く乱杭歯の様に見えていたそれは球体関節の手足であった。
「う、やっぱりキモいぜ」
姿形に対して苦情を一つ。逆様の姿勢から回転した鹿乃子はオレンジ色の瞳を大きく見開き、戦斧を上段に掲げた。
「あいよ任されたぜシスター!! 全力の最大火力でもう一発ッ!! うおりゃああああああ!!!!」
地上およそ50mからの落下の勢いを乗せて振り下ろされる魔法使いの戦斧。
眩いオレンジ色を纏った斬撃は、夜行獣の黒い巨体を真っ二つに切り裂いた。
コンマ一秒、タイミングを間違えれば己を切り裂いていたかも知れない凶刃によるアシスト。
正確な状況判断、伴うリスクを承知の上で最低限の保身すら捨てた余力全ての譲渡。
互いが互いに全幅以上の信頼を寄せていなければ到底不可能な芸当を、齢僅か19の少女達は当たり前にやって退ける。
朱鞘鶯 イルジオル置換率3.7% 使用武器は戦斧型ハウンド:アルタイル
朱鞘鹿乃子 イルジオル置換率3.7% 使用武器は戦斧型ハウンド:ベガ
双子である彼女らは、双子である以上の絆で結ばれている。
鶯と鹿乃子。ふたりにとっては、ふたりであるということ自体が何よりも強大な切り札であるのだ。
*
ヨル内部で活動していた全ての者の視界を覆い尽くした、夕焼けのようなオレンジ色。その色彩が消失すると共に、本来の夜がその色を取り戻す。余りの眩しさに両目を手で覆っていた群青が再び視界を開いたとき、彼の目に映ったのは上機嫌でハイタッチを交わす双子の姿だった。
素人目にも大技と分かる出鱈目な特攻を成功に終わらせた鹿乃子も、数秒前まで肩で息をしていた鶯も、今は元気に飛び跳ねながらいつもの軽口を交わす余裕すら見せている。
「すごいな……」
力の抜けた唇から率直な感想がこぼれ落ちた。
鶯と鹿乃子に与えられた戦斧型のハウンドは、効率的な熱量放出に重きを置いた設計となっている。小回りが効きにくい代わりに、一撃で与えられるダメージが大きいのだ。故に使用者には自身の戦闘技術よりも、ハウンドを振るうタイミングの判断、及び適正な体力管理が求められる。狂戦士もかくやといった力技を強みとするハウンドである。だがその真価を発揮するためには、何時如何なる時も状況を俯瞰し、冷静な判断を下す鉄の理性が求められるのだ。
群青が魔法使いの戦闘を目にするのはこれが2度目である。以前に見た深白の槍は一撃の重さよりも速度と正確さに目を見張るものがあった。彼女の使用する槍型のハウンドは熱量の放出よりも、術者の技量の反映と増幅に長けている。このタイプのハウンドの使用者はハウンドを握る以前よりその形態の武器への造詣が深い者が多く、おそらくは群青もこちらの型に当てはまるのだろう。
同じハウンドでも、使用者の特性によって全く違う性能を組み込まれているのである。
「うんうん、すごいよねえ。連携技で朱鞘姉妹の右に出る魔法使いはうちにいないよ」
「そうなんですか、やっぱり——」
言いかけた群青の口が固まる。余りにもナチュラルに話しかけてきた聞き覚えのありすぎる声。青ざめた群青が恐る恐る振り返るとそこには、
「それで、群青くんはどうしてこんな所にいるのかな」
辰巳グループ会長兼協議会会長、かつ東京本部の魔法使い統括である辰巳紫陽がにこやかな笑顔で佇んでいた。——額に、極太の青筋を立てて。
*
「うっうっうっ……!アオくんのせいだぞぉ……!」
「うっうっうっ……!私たちは止めたのにぃ……!」
ヨルの完全な鎮静化が確認された発生跡地では既に復旧作業が始まっており、先程とは違う種類の規制線が張られている。派遣された施工会社も辰巳グループに属するもので、所有する重機にはICEが組み込まれているらしい。
群青の元へ合流した魔法使い達は待ち構えていた紫陽にこっっっっ酷く叱られた後、反省文用の原稿用紙5枚を土産に持たされて釈放された。
「まぁこうなる気はしてたけどな」
苦く笑いながら後ろ髪をかく柊馬。ヨルは発生が確認された直後から協議会によるモニタリングが開始される。それにより夜行獣や要救護者と思われる生体の反応を観測し現場の魔法使いに共有しているのだから、魔法使いがすぐそばにいるにも関わらず、その場を動こうとしない生身の人間の反応があれば訝しがられるのは当然である。
5人のしたことは本来なら軽くとも謹慎処分は免れない問題行動である。それが反省文程度で済まされたのは単に紫陽の温情あってのことだ。現状の群青の特殊な立場と、彼を焚き付けたと言えなくもない自身の言動を顧みて紫陽は酌量減軽を認めた。
「反省文の刑になるくらいなら連れてこなかったのに!」
「だれだよー! 連れていっちゃおうとか言ったやつ!」
情けない声を上げる鶯と鹿乃子。そんなに嫌か、反省文。
元凶である群青は2人に謝罪しつつ、規制線を潜って外に出た。
「そういえば深白は? 柊馬と一緒じゃなかったのか?」
「ああ。ハウンドの調整しなきゃいけなくなったって、先に帰ったよ。アイツ、紫陽さんによろしくって……最初から気付いてやがったな」
*
「こんばんは」
ヨルの発生した駅周辺から少し遠く、その全体を丁度視界に収めることが出来る地点。数本の線路にかかる歩道橋の上。水色の刃の槍を携えた魔法使い——兎城深白は、橋の錆び付いた手すりに体重を預けている人影に声をかけた。
深白の声に首だけを向けたのは黒髪の男性——人の形を取った魔王。黒縁の眼鏡の奥、蕩けるようなマゼンダが声の主を映し出して三日月型に歪んだ。
「今晩は。兎城深白。ああ、折角お前がいるというのに月は隠れてしまっているな」
相槌の代わりに、小気味の良いヒールの音を鳴らす深白。
「仕事中ではないのか? お前に油を売る暇があるとは思えんが」
「そちらはもう片付きましたのでご安心を。——魔王にとっては、残念でしょうか」
間合いの境界はとうに過ぎ、互いの首に手が届く距離で深白はピタリと足を止めた。
「そうか。それで——」
「やるのか、魔法使い?」
ガラス製のレンズ越しに、獰猛に歪んだマゼンダとライトブルーの焦点が衝突した。一瞬目を大きく見開いた深白は、すぐに戸惑うように視線を下げ、鮮やかなライトブルーに白い睫毛をふわりと落とした。
「……いえ」
カチリ、という音ともに白磁の槍が深白の掌に収束していく。ハウンドが完全に駒の形態に戻る頃には、深白の衣服も協議会の制服から彼女の私服に変化していた。
「敵意の無い人間に槍を向けるのは私の仕事ではありませんから」
王冠の髪飾りが添えられた白い髪が柔らかく風に揺れる。歩道橋の中心で仇敵とただすれ違った深白は振り返ることなく言葉を紡いだ。
「知り合いの姿が見えたので挨拶をしに来ました。……それだけです。おやすみなさい、良い夜を」
金属製の歩道橋を歩く音が男の耳から遠ざかっていく。
すれ違い様に男の目に映ったのは、少女の新雪のような肌に異質な存在感を示す2つの小さな赤。チョーカーの下に隠された深白の首には、未だ牙の噛み跡が残っていた。




