6,フレンドリー・タイム
辰巳学院大学、空き教室、窓際。4名程度が横に並んで座ることができる横長の席が3列に並ぶ広い教室。その窓際に位置した座席の一角に鯨井群青は陣取っていた。
学内で規定されている昼休みの時間が終わり、現在は午後の1コマ目の時間である。
昼食後の急激な血糖値の変動に揺れる脳に暖かい真昼の日差しが優しく追い討ちをかける。そう、学内の人類悉くがめちゃくちゃ眠くなる魔の時間帯である。
群青もまた、頬を撫でる風の爽やかさに瞼を落としかけていた。
今日の群青の講義は午前中のみで、午後は自由時間だ。特に予定の無かった群青は学内の食堂で昼食を取った後、食休みを兼ねつつ午前の講義の資料整理をするためこの教室に居座っていた。
大きな欠伸を一つ。勉強をするつもりではいたものの、この微睡の誘惑には抗い難い。
どうせ今は誰に強制されるでもない空き時間。加えて言えば朦朧とした頭を無理矢理動かすよりも一度仮眠を取った方が効率がいい。よし、寝よう。5分、いや10分……1時間くらいは許されるのではなかろうか。
群青は既に半分眠っている頭でスマートフォンのアラームを操作し
「いたぜシスター!!」
「よし確保だシスター!!」
スパーーン!! と勢いよくスライド式の扉が開けられると同時に鼓膜をつんざいた少女の大声×2に、睡魔もろとも椅子から転げ落ちた。
「な、なに、何事」
床に打った腰をさすりつつ椅子に座り直そうとした群青を快活な少女達が左右から挟み込んだ。
「フッフッフ……探したぜアオくん」
「フッフッフ……見つけたぜアオくん」
「私は鶯!」
「私は鹿乃子!」
「「そう!! 2人合わせて!! ……その先は特に何も考えてなかったぜ!!」」
「何も考えてないのかよ」
突然の出来事に目を白黒させつつ律儀にツッコミを入れる群青の左右で謎の決めポーズを取る2人組、鶯と鹿乃子。よく似た顔立ちをしている彼女達は色素の薄い髪を鏡合わせに揃え、お揃いの服を着ている。
典型的な一卵性双生児を思わせる姿形の二人は瞳の色彩だけが異なっていた。
群青は眉間を押さえ、盛大な溜め息を一つ吐いた。
「で、あんた達は何者なんですか。なんで俺の名前を知ってるんですか」
群青の胡乱げな視線を受けた鶯は薄緑色の瞳をキラリと輝かせた。
「私達はアオくんと同じ、協議会所属の魔法使いだよ! アオくんのことは紫陽さんから聞いたのさ」
オレンジ色の瞳で群青を覗き込んだ鹿乃子が続ける。
「歳は君の1個下、学年は1個上だよ。ふふん、気軽にセンパイと呼んでくれてもいいんだぜ」
なるほど協議会の人間であったか。
群青は一人合点がいったと頷いた。
群青が協議会に所属すると共に入学したこの辰巳学院大学は辰巳グループに属する学校法人が運営している。入学の難易度はさほど高くはなく、取り扱う学問は一般的な理系分野が主である。
何の変哲もない私立大学に見えるが、この大学は魔法の研究を行っているという点で他の教育機関と一線を画している。
群青が所属している理学部魔法学科こそがまさにその象徴的な存在であり、将来的に辰巳グループの企業で魔法の研究に携わることを望む人間や、群青や鶯、鹿乃子のような現役の魔法使い達が所属している。
魔法使い達はその性質上どうしても通常の学生のように規則的に講義を受けることが難しく、単位取得のために特殊な規則が適用される。変則的にしか講義に参加出来ず、サークル活動などもとてもではないが他の学生のようにはいかない。学生らしい青春を謳歌することは難しく、薄暗いモラトリアムに浸ることも叶わない。
そのような生活の中で、魔法使いの同胞という存在は同じ時間、同じ感情を共有する数少ない仲間で、理解者で、大切な友達になり得る。
この小型の台風のような2人も、何の事情も把握していなければただのうるさくて騒がしく馴れ馴れしい非常識な人間という感想で終わっていた。だが、仲間という存在に飢えた悲しき魔法使いというのならば先の無礼も寛大な心で許容できよう。やかましいが。
「なんだかとても失礼なことを考えられてる気がするぜシスター」
「うん。すごく生暖かい目で見られているなシスター」
顔を見合わせた後にニヤリと笑う2人。センパイへの礼儀ってもんを教えてやるぜ、と群青に飛びかかろうとしたした鶯&鹿乃子の脳天に
「てい!」
という掛け声と共に手刀が振り下ろされた。
結構な威力でぶっ叩かれた頭を抱えて転げ回る鶯と鹿乃子。2人を沈めた本人は呆れ顔で腕を組んでいた。
「全く。目を離した隙にいなくなったと思ったら……新入りに妙な絡み方してんじゃねえよ双子」
「か弱い女の子の頭を叩くとはどういう了見だトーマ!」
「超絶美少女の私達に傷でもついたらどうしてくれるんだトーマ!」
「よし反省してないな、てい!」
「「ギャアァァァ!!」」
2発目を喰らって涙目で絶叫する双子。完全に置いてけぼりにされている群青は半口を開けながら事態を見守っていた。
「おっと。悪い。双子が迷惑をかけたな。……一応聞くけど、お前が鯨井群青で間違いないよな?」
あれだけ騒いでおいて人違いだったら申し訳ないどころの話ではない。双子の知り合いらしい青年はバツの悪そうな顔をしつつ群青に向き直って右手を差し出した。
「大丈夫です。俺が群青で合ってます……あんたは?」
差し出した右手に返事をもらった青年は安堵したように薄鈍色の髪を揺らした。その肩には革製の竹刀袋が掛かっている。
「俺は錆石柊馬。そこで転がってる2人と同じ魔法使いだよ。よろしく」
「トーマはアオくんと同い年だぜ」
「同年代が増えるって一番喜んでたのはトーマだぜ」
転がったままの双子が床から語りかける。2人を順番に立たせ、服の埃を払い、髪を整えてやっている柊馬の様子を見るに面倒見がいいのだろう。叩いたのは柊馬本人だがそれも怪我にならない程度に調節していたし、最終的に痛いところはないかと確認もしていた。
「それで、群青くん今夜はどうだって?」
「?」
「おお、そうだったそうだった」
「おお、うっかりうっかりだぜ」
復活した双子はとびきりの笑顔で柊馬の左右に飛びついた。
「歓迎会しようぜー! トーマの部屋で!」
「しろちゃんも呼んで賑やかにやろうぜー! トーマの奢りで!」
「おい待て俺の奢りは聞いてないぞ」
猫のように柊馬に戯れ付く鶯と鹿乃子。3人の親しげな様子は歳の近い兄妹のようにも見えた。
その様子に微笑ましさを感じつつ、二つ返事で了承した群青はふと気になる単語があったことを思い出して首を傾げた。
「さっき2人が言ってたしろちゃんって」
柊馬から離れた双子が得意げな顔で答えた。
「魔法使い仲間の兎城深白ちゃんだぜアオくん」
「とんでもない美少女だから覚悟しておけよアオくん」
*
都内某所、コンビニエンスストア店内。群青と柊馬、鶯、鹿乃子そして講義を終えて合流した深白の5人は群青の歓迎会のための買い出しに来ていた。
柊馬が持つカゴにはすでに大量のお菓子やジュース、軽食類が詰め込まれていた。
「群青くん酒は飲む?」
女性陣がスイーツコーナーを物色している間に、成人している柊馬と群青はスイーツコーナーの隣にある冷蔵ケースのアルコール飲料を選んでいた。スナック菓子の袋の隙間に大量の缶チューハイやビールを詰め込みながら柊馬は群青の顔を見た。
「トーマはアル中だからな」
「まだハタチなのにな」
「うるさいぞお前ら」
コンビニスイーツから視線を外さないまま双子が揶揄う。その様子に小さく笑いつつ、群青は飲みきりサイズのボトルの御神酒を取った。柊馬からは「渋いなー」という感想が飛んできた。柊馬も飲める相手がいることが嬉しいらしく、上機嫌で肴になりそうな商品を物色していた。
「しろちゃんアオくんもっと好きなもの取れよ、トーマの奢りなんだからな」
「そうだぞ遠慮はいらないぞ、何てったってトーマの奢りなんだだからな」
言い終わるや否や、柊馬の持つカゴにドサドサドサッと大量の質量を追加して売り場に戻っていく鶯と鹿乃子。自由奔放この上ない。
「お前らはもっと遠慮しろ! あっ待てコラ、ダッツは1人1個までだ、おい!」
きゃー♪と楽しそうに逃げていく双子と入れ替わるように顔を出したのは深白だった。
「すみません柊馬さん、私も出しますので」
申し訳なさそうに眉を下げる深白に柊馬は首を振った。
「いや、気にしなくていいよ。後輩に出させる程度量は狭くないし、俺も好きなもの取ってるし。それより本当に遠慮するなよ2人とも」
まあ、あいつらは自由すぎるけどな、と柊馬は笑った。
必要なものを一通り揃え、会計を済ませた一行は柊馬が一人暮らしをしている部屋へと向かった。風の強かった空に雲はなく、絢爛な夜に霞んだ淡い星の数は片手の指で足りる程度であった。
*
19時少し過ぎ、錆石柊馬の部屋。
「「え〜、それでは! アオくんの今後のご活躍と、協議会の益々の発展を祈念しまして、乾杯!」」
「やたらビジネスっぽいなあ!」
双子の音頭(と柊馬のツッコミ)で、群青、柊馬、鶯、鹿乃子、深白の5人はそれぞれの飲み物を高く掲げた。
「それじゃあまずは改めて自己紹介から始めようぜ! 私は朱鞘鶯、かのちゃんの双子の姉だぜ! 好物はかのこ!」
「じゃあ次は私だシスター! 朱鞘鹿乃子、うーちゃんの双子の妹だぜ! 好物は鶯餅!」
「実家は老舗の和菓子店あけさや! ご贔屓によろしく!」
「まあヨルのせいで全壊したから絶賛休業中だけどな!」
さらっと笑えないことをぶち込んでくるな。早速レモンサワーを1缶空にした柊馬が苦笑しながら口を開いた。
「俺は錆石柊馬。俺は代々協議会の家系で、正式な魔法使いとしては3年目だけどそれ以前から協議会には馴染みがある。だから何か困ったら、このメンバーの中だったらまず俺を頼ってくれれば間違いない。よろしく。あ、酒が好きです」
次に声を出したのは双子に指名された深白である。
「兎城深白です。私に関しては先日お話しした通りで、ええと、甘い物が好きです」
一人一人の自己紹介が終わる度に小さな拍手が起こる。大トリよろしく、と群青はマイクに見立てたチョコ菓子を鶯から受け取った。
「鯨井群青。実戦経験や魔法の知識もない本当の初心者だけど、弓の腕には覚えがある。色々迷惑をかけるかもしれないが、よろしく」
「それにしてもしろちゃんとアオくんがもう知り合いだったとは思わなかったぜ」
「しかもアオくんの初めての相手がしろちゃんだったとはびっくりだぜ」
果物の炭酸飲料を飲みながら双子が話題を持ち出す。あまりの人聞きの悪さに酒を吹き出した群青は盛大に咽せた。
「まあ完全に紫陽さんの気まぐれと偶然の成り行きだったけどな、深白との模擬戦はいい経験になったよ」
努めて平静を装い返事をする。こういうタイプは下手に指摘した方が盛り上がってしまうのだ。経験上理解している。
群青は柊馬から貰った水を飲んで呼吸を整えた。先程買い物を終えて移動する途中、双子からの「呼び捨てでいいよー!」という提案により群青に対して敬称と敬語の禁止令が発令された。群青にとっては同い年か年下しかいないメンバーではあるし、何より今後長い付き合い、それも命を預け合う関係になる五人である。他人行儀は早いうちに廃止してしまった方が良いというのも合理的な見解である。
「そういえば、群青はどうして協議会に来たんだ? タイミング的にちょっと不自然じゃないか?」
柊馬の問いに群青はふむ、と顎に手を添えた。
無論、何となく来てみた、という訳ではない。別に隠しておく理由も無いしなと簡単に結論づけた群青は己がここに居る経緯について語った。
群青は弓の道を歩む家に生まれた。
2本の足で歩くことを覚えると同時に弓を握り、彼の人生は常に弓術と共にあった。
彼の収める弓は一般に普及している競技としてのそれとは異なっていたが、中学、高校では弓道部に所属し、いずれも主将を務めていた。
学校では部活動の長として好成績を期待され、家では後継として申し分ない実力を認められていた。高校3年生最後の弓道の大会で全力を出し切り、その後は家業に専念するつもりでいた。
——そのつもりだった。
大会のおよそ2ヶ月前であった。群青の右腕は動かなくなった。
正確には、力を入れることが難しくなったのだ。
病院での検査の結果、群青の右手の指先から二の腕にかけて微細な腫瘍が至るとことに発生し、筋組織や骨、神経を蝕んでいることが判明した。原因は不明。一つ一つの肉腫が小さく、数が異様に多いことから摘出による治療は困難。根治は不可能。せめてこれ以上進行が進まないように、投薬による治療を行うしかなかった。
大会は欠場。高校卒業後、師範として経つはずだった群青は、父親の補佐を行うことしか出来なくなっていた。弓術の鍛錬は続けていたが、日が経つごとに症状は悪化していった。
遂に1日に1矢を射ることも叶わなくなったある日、協議会から一通の手紙が届いた。
——君の腕を治す。代わりに、我々の力になって欲しい。
群青は迷わなかった。協議会による治療——即ちイルジオルを利用した魔法技術による治療を受けることを群青は決断した。
辰巳グループの医療機関で治療を受けた彼の腕はそれまでがまるで悪い夢であったかのように超高速で回復し、発症前と全く遜色のない状態まで回復した。道場に戻り、リハビリを終えた彼は、協議会との——手紙を送った張本人である辰巳紫陽との約束を果たすため東京に赴いたのである。
それが、経緯。群青が魔法使いになることを望んだ理由はもう1つある。
——群青は、自分の弓を試したかった。
群青の弓術は競技のためのものでは無い。獲物を狩るための、殺戮のための弓である。
しかし現代の平和な日本ではそのような力が日の目を見ることはない。
群青はそれがもどかしかった。
己の力を示したい。だが示す必要も、機会もない。必要がないことが一番だという父の言葉に同意する心に嘘偽りはない。しかし、闘いたいという欲求も群青にとっては真なるものに違いなかった。
だから、協議会からの要請は願ってもいないことであった。協議会は交換条件としたが、群青にとってはどちらも報酬である。己の培った力で、ヨルを狩る。殺戮の弓の意味を示す。それが、鯨井群青の望みである。
「それで、意気揚々と挑んだ初戦でしろちゃんにズタボロにされたってわけかあ」
「めちゃくちゃ痛いところついてきやがる」
ぐうの音も無い。実際その通りなのだから反論のしようがない。両手で顔を覆ってガクリと項垂れる群青がふと深白の方を見ると、最高火力の魔法使いは求肥に包まれたバニラアイスをもちもちと頬張っていた。1個差し出してきた。大丈夫、欲しいという意味で見つめた訳じゃないから、お食べ。
3本目の缶のプルタブに指をかけた柊馬が先程より上機嫌な顔で笑った。
「それは本当に運が悪かったな、深白相手じゃどうしようもないだろ」
「おっと他の人なら勝てたと思うのかいトーマ」
「自分なら負けちゃいそうだと思ったかいトーマ」
「いやそれは全くない。ハウンドを初めて触った人間に負ける魔法使いはいないだろ」
駄目じゃないか。やはり実力不足。さらには己の得物への不理解が大きいのだろう。実際にあの時使った弓が群青の手に馴染んでいたのかと問われれば首を縦に振ることは難しい。それを負けた言い訳にするほど群青は子どもじみてはいないが、慣れの必要性は強く感じた。雛菊さんの武器が完成したら早速訓練を開始しないと、そう群青が決意を固めたその時だった。
柊馬、鹿乃子、鶯、深白が携帯している小型の通信機が一斉に鳴り出した。




