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Floraison Dawn  作者: 苺大福
5/9

4,弓と槍


『双方用意はいいね。——始め』


 開幕の合図を最後に沈黙する虚空。乾いた風が群青の濃紺の髪を揺らした。

 

 数秒の沈黙の後、先に動いたのは深白だった。()()()()()()()()()

 数メートル先にあるコンテナの足場へ一足で乗り移った深白が1秒前まで立っていて場所には、磨りガラスの矢が2本突き刺さっていた。

 先手を打っていたのは、群青の方である。

 続いてそれを予測していたかのように破裂するコンテナ。破裂の寸前で斬り付けることで衝撃を相殺した深白が半身を逸らした軌道上を通り過ぎる矢。雨のように畳みかける追撃を深白は風に舞うような動きでふわりと躱し、間に合わないものは槍で受ける。

 深白の実力を持ってすれば容易に対処可能な攻撃ではあるが、手数が多いのが厄介だ。着地先に定めた地点に己よりも早く到達していた矢を踏み砕いた深白は、移動の方向を誘導し動き回させることでこちらの体力の消耗をさせようという射手の意図を悟った。群青の矢は的を正確に射抜く競技としてのそれではなく、獲物を屠るための狩人の矢であった。

 深白は脚力一つで慣性を殺し、体力消耗の少ない流線的な動きからあえて不規則な軌道で跳ねる動きへと転換した。狙い通りに撹乱された矢の射出頻度が下がった隙を見逃さず、廃ビルの一つの壁を垂直に駆け上がった。崩れかけた壁を蹴破って内部へ侵入し、矢の射線からその身を隠した。

 

「——ふ」

 深白が姿を消したことを確認した群青は弓を下ろし、短く息を吐いた。額にはじわりと汗が滲んでいる。

 通常、和弓で矢を射るには、矢を番え、弓を引き絞り、狙いを定める一連の動作が必要であり、銃のように一瞬で攻撃を仕掛けることは不可能である。しかし群青はそれを——()()()()()()()()()()()()()()

 それだけでも十分に出鱈目な話であるのに、加えて群青は照準の精度がシンプルに高い。弓道で規定される距離の数倍はある地点で動き回る的を相手に、次の行動を予測しつつ一瞬で狙いを定め矢を放つ。これこそが鯨井の誇る、()()()()()()()()弓術である。

 群青がいる廃ビルとは違うビルに侵入した深白はおそらく姿を隠しつつ群青の元へ向かっているのだろう。己よりも射程範囲の広い敵を相手にする際、距離を詰めてしまうことは定石である。群青の見立てでは深白が群青のもとへ到達するまであと10数秒時間がある。その間に息を整えようとした群青は、次の瞬間にそれが誤算であったことを知った。

 群青の立っている場所から約2m後方の床が——爆発した。

「はァ!?!?」

 完全に意識の外にあった出来事に反応が遅れる。土煙と共に降って来たのは白髪の少女。逆光で見えない表情の中で水色の瞳だけが淡い光を放っている。深白は身体を浮かせたまま後ろ手で槍を回し、柄で群青を足場の外へ弾き飛ばした。

 ギリギリで弓を盾にした群青はなんとか直撃は防いだが、全身に広がる鈍い衝撃に顔を顰める。そして地上7階建ての高さから投げ出された身体は当然に自由落下を開始していた。浮遊感に吐き気を堪える群青はさらに目を見開いた。己を突き飛ばした張本人である深白もまた、廃ビルの屋上から飛び降りて来ていた。

「い、いやいやいや待ってちょっと待ってくれ! これは……この高さは流石に死ぬって!」

「大丈夫です! 落ち着いて姿勢を直して、足から着地して下さい!」

 んな無茶な。悪態をつきたい気持ちを噛み殺し、全身の筋力をフル活用して無理矢理に身体を捻る。遠くで『何かあったら瑠璃鳥先生のところに運ぶから大丈夫だよー』という声が聞こえた。それだけは嫌だ。硬いアスファルトの地面が迫る。群青は覚悟を決めた。

 派手な破砕音が偽物の空を揺らした。足先から脳天に駆け上がる痺れに身震いをした群青は、激しく波打つ心臓を抑えつけて片膝をついた。

「はあ、はあ、俺生きてる……」

『ハウンドを起動した時点で身体能力は上がってるからね』

 激しいタイピングの音と共に雛菊の声が群青の頭上に落ちてくる。

『うん、驚いた。正直に言うと弓を選んだ時はちゃんと扱えるか心配してたんだけど、強いね、君』

 熱い溜め息を吐いた彼は、もう一人の役者に呼びかける。

『深白、聞こえる?ここからはもう少し本気出していいよ』

「承知しました。雛菊さん」

 深白の声が群青の耳に届くと同時に、彼の前髪を、水色の刃が薙いだ。

 何が起こったのか分からず尻餅をついた群青。間髪入れず叩き込まれた蹴りに対し、左に転がることでその衝撃を緩和する。理解が追いつかないまま、距離を取ることだけに意識を集中しなんとか立ち上がり前を見据えた。片手で引き摺るように剛槍を持つ深白は相変わらず涼しい顔をしていた。

『次は近接。その槍は強いよ、がんばってね』

 先程矢を防いでいたそれとは比べ物にならない鋭さで振り下ろされる深白の槍。群青の視覚では軌道を予測して直撃を避けることが精一杯である。

 速度は凄まじいが、幸いに重さはそれほどではない。盾にしている弓が刃の腹を受けることに成功したタイミングで槍を弾き、一瞬の隙で何とか矢を射る。しかしその矢が深白に当たることはない。数分前の攻防と打って変わり、群青は完全に狩られる側へと回ってしまっていた。

 群青の強みは予備動作に殆ど時間を必要としない規格外の早撃ちである。さらに雛菊から借り受けた弓は引き絞る動作をすると()()()()()()()()()()()ため、速度が売りの群青と非常に相性がいい。故に咄嗟の判断と対応が必要となる接近戦においてもある程度立ち回る自信があった。

 並大抵の相手であればそれが通用しただろう。しかし目の前の少女には全く歯が立っていない。その理由は単純である。単純に、深白が群青よりも速いのだ。速度が強みの群青が、速度で深白に負けている。ハウンド使用による身体強化もあるだろうがそれは群青も同じである。至極単純に、深白の槍術が強力なのである。

「……ッ!」

 番えた矢を深白のつま先が砕く。これは駄目だ。勝ち筋が全く見えない。近接において彼女に敵わないことを悟った群青は、生成された矢を、射ることなく深白の首を狙ってナイフのように振るった。

 予想外の攻撃に深白が一瞬後退した隙に、彼女の横を通り過ぎ全速力で疾走する。近距離で勝てないのなら、己の間合いに持ち込むしかない。

 遠く、遠く、可能な限り遠くへ。足が動く限界、最後の跳躍の反動で足場にされたコンテナは音を立ててひしゃげた。

 群青は空中で深白の方へと身体を捻り、弓を番える構えを取った。その手に生まれた矢は、これまでのよりも大きく、鋭い。

 深白の立つ座標へと照準を定めた群青は万感の力を込めて弦を引き、


「甘いです」


 吐息のかかる距離で瞬くライトブルーに視界を奪われた。

「な、」

 一足。たった一足で、群青が渾身の脚力で広げた距離をゼロに帰した深白。群青の脳裏に先程の屋上の爆発がよぎる。そうだ、あの時も深白の移動速度は群青の想定を遥かに超えていた。完全に失念していたことに内心盛大に舌打ちするがもう遅い。直線に振るわれた白磁の槍。群青と共に直撃を受けた磨りガラスの矢が粉々に砕けて霧散した。

 左肩から骨盤にかけて強い衝撃。垂直に叩きつけられた群青は真下の地面にクレーターを作った。

『そこまで』

 雛菊から制止の合図が出される。

『2人ともお疲れ様。いいデータ取れたよ』

 鼻腔の奥に鉄の匂いがする。起き上がることもままならない群青は込み上げる吐き気を意地一つで飲み下し、隣に立つ少女を見上げた。


 兎城深白 19歳 女性 1%以上で適性有りとされるイルジオル置換率は、12.8%

 使用する武器は槍型ハウンド:ジャンヌダルク、義足型ハウンド:ジャッカロープの二つ


 その有り得ざる適性の高さ故に協議会に見出された少女。実働の魔法使いとしては2年目の若輩である彼女こそ——


 ——現協議会、否。()()()()()()()と謳われる魔法使い、その人なのである。


 *


 オタクモードの雛菊&もかと別れ、演習室を後にした群青と深白は地上へと向かうエレベーターに乗っていた。

「あとは被服室くらいですけど……今日はもうやめておきますか」

「そうして貰えると有り難い」

 本日2本目の栄養剤を渡された群青はそれを一気に飲み干した。若干の疲労感と打撲の痛みは残るものの、走り回れるくらいには身体が回復していくのを感じる。……副作用とかあるのだろうかコレ。

「被服室には近いうちに制服の採寸で行くことになると思いますから、その時でいいと思いますよ」

 深白が言い終えると同時に、エレベーターの扉が開いた。


 エレベーターが二人を運んだのはビルの高層に位置する展望スペースであった。空の頂点からずれた太陽が光を降らせるそこで、紫陽が二人の到着を待っていた。

「演習室の映像は私も遠隔で見させてもらっていたよ。どうだった? 戦ってみて、何か感想はあるかい?」

「率直に言うと……圧倒されました。あれだけ動けないといけないんですね、魔法使いって」

 半ば満身創痍の群青の横で大人しく会話を見守っている深白は髪の一本も乱れてはいない。小動物のような顔で何もない空間を見つめている。

 正直に言うと、群青は己の腕にそれなりの自信があった。弓の道を進む家に生まれ、物心ついた時には弓を握っていた。以来鍛錬を怠った記憶は彼には存在せず、師である父ほどではないものの歴代ではかなりの若年でその技の全てを会得している。群青の弦は、常に張り詰めている。

 故に、驕りがあった。実戦の経験は無いとはいえ、師範としても申し分のない腕を持つ己。対して相手はただ一人の少女。吹けば飛び、叩けば割れるような可憐さを備えた少女である。魔法使いである以上彼女は群青より戦闘経験が豊富であるから、手加減をするつもりはない。ないが、負ける気はしていなかった。戦闘不能まで追い込まずとも、その槍を手から離すことが出来ればその時点で群青の勝利であると高を括っていた。——その慢心は、初動の矢を完全に避けられた時点で打ち砕かれていたのだが。

 群青の内心を察した紫陽は励ますように笑った。

「いや、群青くんも凄かったよ。実戦経験がないのが信じられないくらいだ。魔法使いとしては申し分ないよ。……深白は、少し特別だからねえ」

 そうですか、と生返事をする群青の背中を叩いて元気付ける紫陽。薄く開いた瞼の奥の瞳が白髪の少女を見つめる。

「深白。今日は非番だったのにありがとう。あとは大丈夫だから上がっていいよ」

「わかりました。お疲れ様です。鯨井さんも、今日はありがとうございました」

「いや、こちらこそ」

 ふわりと笑って一礼すると、深白は踵を返した。白い後ろ姿が消えると紫陽は口を開いた。

「魔法使いの仕事は夜行獣を倒し、発生したヨルを鎮静化すること」

 紫陽は一枚の写真、否、精巧に描かれた絵を群青に渡した。

 男性の絵だ。長い髪に隠された顔は見えない。髪も服も、夜の帳を切り取ったように黒く、服の僅かな隙間から見える素肌だけが幽鬼のように白い。

「けど一部の魔法使い……深白はそれだけじゃない。もう1つ、役目がある」

 ヨルには元凶がいる。全ての夜行獣に絶対的な支配権を持ち、ヨルという厄災を自在に操る、(ヨル)の王。

「ヨルを統べる王たる個体——私達が魔王と呼んでいるモノの抹殺だよ」


 ヨルとは、端的に言えばこの世に堆積した呪いである。他者への害意で構築されたそれが溢れ出した災害。災害に意思などはなく、ただ現象としてこの世の悉くを蹂躙する、そのはずである。だが、ヨルという災害には意思がある。——正確には、ヨルという災害は一つの存在によって統べられている。

 呪い、害意とは。憎悪、愛、哀しみ、復讐、利益の追求、そのような己を中心に渦を巻いた感情を伴う、言わばエゴの一つの究極形。発生において“己”というものに深く触れたそれは多くの“己”を模倣し、やがて一つの人格、頭脳となる司令塔を練り上げた。

 それが魔王。ヨルという災害を統べる存在。呪い、害意という概念が自我を持ったそれの望みは言うまでもなく、この世一切の鏖殺。衝動のままにヨルの力を振るい、この世に遍く暴虐をもたらすことが、彼の王の存在意義である。

 彼の意思によりヨルは発生し、彼の意思により全てを呑み込む。彼の意思により夜行獣は生まれ、彼の意思に従って動く。彼の意思によってヨルは生命に侵食し、彼の望むモノに姿を変える。しかしヨルの絶対的な支配者である彼は、転じてヨルの心臓、弱点そのものでもある。存在そのものがヨルという概念と同期している彼を殺すことができれば、ヨルに死を与えることができる。故に協議会は、何としても魔王の首を獲らねばならないのである。


「……この絵が、その魔王ですか」

「うん」

 ヨルの空間ではノイズが大量に映り込んでしまい、写真や映像を記録することができない。だからこれは魔王に遭遇した魔法使い達の証言から作成した絵なんだと紫陽は語った。その証言をした魔法使いには深白も含まれているのだろう。

 ただの絵。魔王という存在をどこまで正確に映し出しているのかも分からない、一枚の紙に書かれたただの絵。それなのに、絵に触れている指先から悪寒が走る。後ろを向いている首がぐるりとこちらを向いてその牙を向くのではないか、有り得ない予感が群青の脳裏に湧き上がる。

「見ての通り、魔王は人の姿をしている。夜行獣のような単純な暴力で襲いかかることしかできない化け物とは違う。人としてヨルの力を振るうんだ。故に、魔王に相対する魔法使いには、()()()()()()()()()()が求められる」

「……確かに兎城さんは膂力も凄かったですけど、単純に槍の扱い自体が上手い気がしました」

 頷いて紫陽は続ける。

「そうだよ。そういう風に育てたんだ。——そして群青くん」


「君の流派の、いや、()()()は人を殺し得る矢だよね」


 人を殺し得る矢、紫陽の放った言葉の意図を察した群青は目を見開いた。

「い、や……でも、俺は……」

 激しく脈打つ心臓を抑え、うわずった声をかろうじて搾り出す。——緊張、というよりも高揚に近い身体反応に群青自信が驚いていた。

 紫の瞳に白い睫毛で蓋をした紫陽はいつもの笑顔を戻し、喉の奥で笑った。

「まあまあ、すぐにという訳ではないよ。——でも、覚えておいてね」


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