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Floraison Dawn  作者: 苺大福
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3,廊下は走らない


 食堂をあとにした群青と深白は研究棟へと向かっていた。

 研究棟は2人が今までいたビルとは別の建物になっており、少々距離がある。雑談をしながら歩く2人の後ろから


「そこの人ッ、どいてくださーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!」


 という絶叫が猛スピードで迫ってきた。


 反射的に振り返った群青の鳩尾に華麗なタックルを決めたのは明るいカフェラテ色の髪を振り乱した小柄な少女。

 急所に完全な不意打ちでクリティカルヒットを食らった群青はそのまま吹き飛ばされ、空中で3回転した後墜落し床に転がった。


 ……………………………………………………沈黙。


 たっぷり30秒後、突然の交通事故にぽかんと半口を開けていた深白ははっと我に帰って群青に駆け寄った。小型トラックもとい少女の方は地面に倒れる寸前で受け身を取っていたので大丈夫だろう。今は散らばった荷物をあわあわとかき集めている。

「鯨井さん、鯨井さん、大丈夫ですかしっかりしてください」

「……骨は、海に……」

「鯨井さん!?」

 吐き気と眩暈と全身の痛みを堪えてなんとか最後の要望を絞り出す群青。ああ、短い人生だった……。

 ガクリと項垂れる群青。太もものケースから何やらペン型の注射器らしきものを取り出し振りかぶる深白。荷物が一つ見つからないらしく半泣きの少女。

 カオス。漢字で書くと混沌。まごうことなきカオスがここに存在していた。


「何してるの、君たち」

 カオスを打ち破った救世主は白衣姿の青年であった。

 青年は辺りを一周見回すと、額に手を当ててため息を吐いた。

「えーと……とりあえず。もか、廊下は走らない」

「雛菊せんぱぁい!!!!」

 カフェラテ色の少女——蝶番もか(ちょうつがい もか)は白衣の青年に泣きついた。ぎゅむっと音を立てて白衣を抱きしめる。

「ごめんなさいーー!! わたし、人を殺めてしまって……しかも、それだけじゃなくて、先輩の大切なティースプーンをなくしてしまいましたあ!!」

「うんうん。罪の重さの順位がおかしいし謝る相手は僕じゃないし彼まだ生きてるからね、一回落ち着こうか」

「と、トドメを……」

「刺せって意味じゃないからな!?」

 白衣の青年——重金雛菊(かさがね ひなぎく)は小柄なもかをひょいと抱えると、深白たちに着いてくるよう顎で合図をした。

「君たちもおいで。この子の責任は僕の責任だからね、手当てをしよう……兎城さんはレイセンを仕舞って」


 *


 辰巳学院大学・研究棟、ICE武器開発部、実習室B。

「ひどい目にあった……」

 深白に運ばれた群青は椅子を連ねた簡易的な寝台の上で横になっていた。……まさか女の子にお姫様抱っこされる日が来ようとは夢にも思わなかった。

「うちのもかがごめんね、体調はもう大丈夫そう?」

「ごめんなさい……」

 触り心地の良さそうな金色の髪をさらりと揺らしながら群青の顔を覗き込む雛菊。群青は上半身を起こしてその手から換えのタオルを受け取った。

「驚きましたけど大丈夫です。すごいですね、この栄養剤」

 部屋に運び込まれた群青がまず飲まされたのは、コンビニなどでよく見るような100mlの栄養ドリンクのようなものだった。深白曰く、件の瑠璃鳥先生の作品のひとつで、疲れを誤魔化すのではなく根本から癒す栄養剤として協議会で大人気のドリンクらしい。1本600円(税別)。


「さて、君が倒れている間に兎城さんから話は聞いたよ。僕は重金雛菊。君たち魔法使いが使うハウンドの開発班に所属している。よろしく、鯨井くん」

 群青が差し出された手を取ろうとした瞬間、茶色い何かが飛び出してきた。

「先輩と同じく開発班に所属している蝶番もかです! 趣味は先輩と映画に行くことです! よろしくお願いします!」

 148cmの背を精一杯に伸ばして元気な自己紹介をするもか。その姿はどこからどう見ても小学生にしか見えない。協議会では子どもでも研究者になれるのかと頭上に疑問符を浮かべる群青の後ろから、鈴の鳴るような声が響いた。

「もかさんは歴とした成人女性ですよ。鯨井さんより年上ですからね」

 群青がダウンしている間にどこかへ姿を消していた深白が部屋に戻っていた。その白い手には、華奢な彼女の手には余りそうな白磁の剛槍が握られている。淡く発光して見えるその刃は彼女の瞳と同じ色をしていた。

「おかえり兎城さん、どう? 許可は取れた?」

「はい、紫陽さんもむしろ乗り気でしたのでお願いします」

 子どもと間違われたことに頬を膨らませるもかとそれを宥めるための言葉を必死に探す群青を他所に、全く中身の見えない会話が進んでいく。

「さすが会長、話のわかる人だね」

 ウンウンと満足げに頷く雛菊。いや全然わからない。

「よし、鯨井くん。体調はもう万全だね? じゃあ行こうか」

 言い終わらないうちに群青の両手を掴んで強制的に引っ張り上げる雛菊。拍子に群青の額からタオルが落ちたが気にする様子は一切ない。

「えっちょっと待ってください、行くってどこに」

「演習室」

 食い気味に答えた雛菊の声色が先程までの穏やかなそれと明らかに違う。

 振り返った雛菊の藤色の瞳に群青の姿は映っていない。そこにはあるのはただ渦を巻く狂気にも似た激情。歪んだ口元から八重歯が覗く。


「鯨井群青、君には今から——深白と戦ってもらう」


 *


 辰巳グループ株式会社本社地下1階、演習室A。

 防音、防火、防水、防振。本社ビルの地下に造られた複数の演習室各部屋を覆う壁はそれそのものがICE機器であり、イルジオルの恩恵を利用した究極の防御要塞となっている。つまるところ——中でどれだけ暴れても外側には一切の影響がない。

 そのために魔法使いの戦闘訓練やハウンドの試用実験になくてはならない存在であり、利用される頻度はかなり高い。常にどこかしらは稼働しており、現に今日も群青の前に数組の先客がいた。

 およそ250平方メートルの広さの、極めてシンプルな白い部屋の対角線上の端に群青と深白は立っていた。

『二人とも準備はいい? よければサインを出して、シミュレーター起動するから』

 天井のスピーカーから雛菊のテンションの高い声が響く。群青が身に纏っているのは簡易的な訓練用の運動服。グローブを嵌めた左手には白磁の弓が握られていた。


 半ば強制的に演習室に連行された群青はその道すがら現状の説明を聞いた。

 群青の回復を待つ間、彼が新しく協議会に加わった魔法使いであることを深白から聞いた雛菊は目の色を変えた。というのも、重金雛菊は重度のICEオタクである。中でもハウンドにかける情熱は凄まじい。

 未だ群青が己のハウンドを所持していないことを知り、完全にスイッチが入ってしまった。今すぐに彼の身体性能を調べ上げ、彼に最も相応しい最高の武器を作りたい。こうなってしまった雛菊を止めることに成功した者は未だかつて存在しない。深白を使ってすぐに紫陽に連絡を取り、特に断る理由もない紫陽は二つ返事で快諾した。そしてまず精度の高いデータをとるには実際に動いてもらうのが一番、という雛菊の持論により、深白と模擬戦を行う運びとなった。


 向かい側に立つ深白が両腕で大きく丸を作る。それに合わせて群青も天井に設置されたカメラの一つに親指を立ててみせた。

『了解。じゃあ始めるよ。鯨井群青、イルジオル置換率5.4%。得物は本当にそれでいいんだね?』

「ああ。これがいい」

 そう呟いて、手元にある訓練用の弓型ハウンドを見つめる。

 演習室群と同じく地下に設置されている武器庫で、雛菊は群青の目の前に多種多様な武器を並べて見せた。西洋風の剣にマスケット銃、盾、どう使うのか皆目見当がつかない精緻な装飾の施された杖。その造形はいずれも滑らかな曲線を描き、真白い体に磨りガラスのようなものが埋め込まれていた。この中から一番持ってて気分が上がる物を選んで、という雛菊の言葉に、群青は迷わずこの弓を手に取った。

 群青は高校で弓道部に所属しており、引退まで主将を務めていた経験がある。加えて群青が生まれた家——鯨井家の人間は代々受け継がれる独自の弓術を修めている。自身もまた皆伝を認められた身である群青が弓以外を手に取る選択肢はなかった。


 機械的なブザーの音と共に、女性の合成音声が秒読みを始める。『ゼロ』が響いた瞬間、群青の視界は一変した。先ほどまで何もない白い空間だった部屋はアスファルトの地面に障害物となる複数のコンテナ、無人の廃ビルが点在する屋外となっていた。

 深白と同じ目線にいたはずの群青は廃ビルの屋上に立っており、深白の白い髪が風に靡く様子を見下ろしている。

『スタート地点は弓が有利になるよう調整したよ。がんばって』

 頭上の晴天にカメラやスピーカーは見当たらず、虚空から雛菊の声が響く。

『双方用意はいいね。——始め』


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