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Floraison Dawn  作者: 苺大福
3/9

2,協議会へようこそ


 通路の反対側から群青と紫陽に近づいてきたのは1人の少女だった。彼女の体格に対しては少し大きく見える黒いジャケット、反対に腰まで届くふわりと長い髪と全身を包む衣服は透ける様に白い。陶器の人形の様な頬の上に収まる瞳は人工的なほどに鮮やかなライトブルー。

 愛らしい少女である。零れ落ちそうなライトブルーと視線が交錯した群青は、僅かに赤くなった頬を凄まじい勢いで背けた。

「深白! 昨日の怪我はもういいの? 歩いて大丈夫かい?」

「お疲れ様です紫陽さん。すぐに瑠璃鳥先生に診てもらいましたから、もう完治してます」

 すぐにでも動けますよ、と両手をグーにして元気ですポーズをとる少女。よく見ると彼女の白い服の左脇腹部分には切れ味の悪い刃物で無理矢理に引き裂かれた様な傷があった。そこから覗く少女の腹部には掠り傷どころか年頃の女の子を悩ませる肌荒れ一つ存在しない。思わずその触り心地を想像してしまう様な新雪の肌が目に入った群青は再び首を右にきっかり90度高速で捻った。

「あの、そちらの方は……」

 明後日の方向に首を向けていた群青に心配そう、というよりも何か不審なものを見る目を向ける少女。紫陽は苦笑しながら、不思議ポーズで固まってしまっている群青の代わりに前に出た。

「今日から我々協議会の仲間になった新人魔法使いの鯨井群青くんです。これから深白と同じ東京本部の魔法使いとして戦うことになるから、一緒に過ごす時間はかなり多くなると思うよ。仲良くね」

「鯨井群青です。よろしく」

 ようやく平静を取り戻した群青が右手を差し出す。群青色の瞳に真っ直ぐに射抜かれたライトブルーはふわりと瞬きを一つ落として、差し出された手に応じた。

「初めまして群青さん。私は兎城深白(うさぎ みしろ)、協議会所属の魔法使いです。よろしくお願いします」


 *


「ここが大会議室です。社員全員入る大きさがありますが、ほとんど使われてないので皆さんの休憩スペースになってます」

 重厚な扉を閉める音と共に、深白の解説も終了した。「どうせなら群青くんの案内は深白にお願いしようかな」という紫陽の一言により、群青は深白に連れられて辰巳グループの本社施設内を歩き回ることになっていた。

 数分前のこと。元来人見知りという訳ではないが気さくな方でもない群青と深白が形式的な挨拶を交わしたところに割り込んできた年上がいた。

「うーん2人とも淡白だねえ。もっとこう、ないのかな、趣味とか好きな物とか、仲良くなるための自己開示的なのは」

「「うわ紫陽さんオッサン臭いですね」」

「2人揃って辛辣だね!? そしてめちゃくちゃ気が合ってるね!? 余計なこと言ってごめんね!?」

 いやおそらく10人中10人は同じ返しをしただろう、今のは。紫陽さんが悪い。

 これから同僚になる2人に仲良くなってほしいという気持ち半分、完全な自業自得により居心地が悪くなってしまったため逃げ出したい気持ち半分で紫陽は深白に群青を託した。


 本社ビルというだけあって、この建物は相当に広い。加えて深白は隣接する大学の学生でもあり、群青もまた4月から大学の籍を獲得しているため2人が行き来できる範囲は小規模なテーマパーク程もある。

 大学の方は授業が始まってから追々。今日は本社の施設と共用部である研究棟の散策に留まることになっている。

「まず医務室の方から紹介しておきたかったんですけど、すみません。室長の鑑瑠璃鳥(かがみ るりちょう)先生は私の診察が終わるなりお昼寝タイムに入っちゃいまして……」

 場所だけお伝えしておきますね、と連れてこられた引き戸式の扉に掛けられた壁掛け式のホワイトボードにはデカデカと『起こすな』という極太の文字が赤のペンで殴り書きされていた。

「まあ本当に急患の時はいつでも診てくれます。なんだかんだ優しい人なんです、なんだかんだ」

 フッと遠い目をする深白。群青はその先生とやらに会ったことはない、ないのに、何故だろう深白の横顔を見ていると彼の御仁の人となりがありありと脳裏に浮かぶ様であった。できる限り怪我はしないようにしよう、と群青は一人決意を固めた。


 次に深白に案内されたのは社員食堂であった。大学にも学生食堂やカフェテリアが備えられているが、そちらは基本的に委託で業務を行なっているのに対し、本社ビルの食堂は完全直営で運営している。

「ここは食事を頼まなくても席だけの利用もできます。テイクアウトのお弁当とかも売っていてとても便利です」

 丁度お昼時の食堂は大いに賑わっている。オフィスカジュアルな装いの如何にも社会人風な者から、草臥れた白衣に身を包んだ者、そして深白と同じ黒いジャケットを羽織った者は下は小学生、上は定年間際の貫禄を漂わせる紳士まで、多様な人間が楽しそうに食事をしていた。

「はい入口で止まらない! 食券買ったら列に並びなさい……ってあら深白ちゃんと、そっちは見たことない顔ね」

 入口付近のディスプレイを塞いでしまっていた2人を催促する声。明るい茶色の短髪に三毛猫の様なメッシュが印象的な長身の男性が2人の後ろに立っていた。

「わ、すみません猫々さん」

「はぁーい、いいのよ。——青梅猫々(おうめ ねね)。ここの専属の管理栄養士で料理長よ、あなたは?」

 猫々と名乗った男性の流線的な目が群青を捉えた。

「鯨井群青、協議会には今日来たばかりの新入りです。よろしくお願いします」

 群青について深白から補足で説明を受けた猫々はアップルグリーンの瞳をキラリと輝かせた。

「新しい魔法使いの子なのね! アタシは魔法使いや見習いの子向けに食事管理とかトレーニングメニューもやってるから、気になったらいつでも言ってちょうだい」

 まあ一番自信があるのは料理だけど、と猫々は器用に片目を閉じて笑った。通常であれば別の拠点で活動している魔法使いたちの合同訓練が行われていた今日は食堂の利用者が多く、厨房は慌ただしい。猫々自身も食材の買い足しに出掛けた帰りであった。名残惜しそうに検収庫の方に向かう猫々に別れを告げた深白と群青は、自分たちも食事をとっていくことにした。

 食堂のメニューはここが社員食堂であることが信じられない程に豊富で、そのどれもがかなりの低価格で提供されている。

「多いな……ん? 兎城さん、この無料の『わんぱくチケット』ってなんですか」

「あ。それちょっと気をつけてください」

「?」

「その『わんぱくチケット』は他のメニューと一緒に使うと、そのメニューを超大盛りにできるチケットです。いいですか、超大盛りです。持ち帰り不可、完食必須です。先日紫陽さんを含めた成人男性4名が超大盛りカツカレー1皿に泣かされてました。くれぐれも生半可な覚悟では使わないでください」

「……肝に銘じておく」

 遠くから大きなくしゃみの音が聞こえた気がするがきっと気のせいだろう。うん。


 互いに選んだ料理を受け取った2人は窓際に設置された4人がけの席に座った。利用者の数も多いが、食堂の席数も相当に多い。和気あいあいとした喧騒の中で2人に目をくれるものはいない。

「兎城さんはいつからここにいるんですか? 歳は多分俺と変わらないですよね」

「協議会に来たのは高校に進学するときでした。そこからは見習いで、18になって正式に魔法使いに登用してもらって、今大学2年生で19歳なので……1年と数ヶ月ですね。なのでまだまだひよっこです」

 深白はオムライスの上のケチャップで描かれたネコちゃんを崩しながら質問に答えた。

「じゃあ俺の1つ年下で、学年と魔法使い歴で言うと1年先輩になるんですね」

「そうなりますね。あの、よければですけど、私には敬語使わなくていいですよ? 話しづらくないです?」

「……あー。悪い、そうさせてもらう」

 塩焼きにされた鯖の骨を外していた群青の手が止まる。確かに年下の相手に丁寧な言葉を使うのに慣れていなかったのは事実だが、そんなにぎこちなかっただろうか。少々反省だ。

「ヨルと戦う組織なんて聞いていたから、もっと殺伐としているものと思っていたんだが……なんというか、ここの人間はみんな楽しそうだな。鯖も美味しいし」

「ふふ、そう見えたなら私も嬉しいです。社内の雰囲気が明るいのは紫陽さんの意向なんですよ。私も人から聞いた話ですが、どうしても私達の仕事には危険が伴いますし、それに魔法分野の技術者の皆さんはくせm……個性的な方が多くて、以前はもっとギスギスしていたらしいですよ」


 ヨル、及び夜行獣の討伐には危険が伴う。当然だ。ハウンドの使用に伴う体内イルジオルの半励起による身体強化があるとは言え、彼らは生身で化け物の前に立つ。魔法使いの怪我や故障は日常茶飯事で、最悪の事態として命を落とすことすら有り得る。

 加えて魔法は未知の科学。新説は絶えず、真偽は常に入れ替わる。例えばヒト体内へのヨルの侵食の機序の解明と侵食を食い止めるための薬の開発、この二つはそれぞれ異なる専門性が必要とされ、異なる機関が担うが、互いの連携は必須である。様々な分野が複雑に絡み合う中で、常に最新の情報を正確に共有し合うことは難しい。生まれた齟齬が原因となった事故も少なくはなく、それにより各機関には軋轢が生じていた。

 そのような協議会を覆っていた暗雲に否を叩きつけたのが紫陽である。

 先代の会長の息子である彼が、当時24歳という若さでこの巨大な組織の代表に就任せしめたのは決してその肩書きだけが理由ではない。

 端的に言うと、辰巳紫陽という人間は経営管理能力に長けていた。

 両者はほとんど混同されているが、辰巳魔法協議会は、辰巳グループ株式会社というHD企業を後ろ盾に存在している。多様な事業形態も持つ企業の活動によって得た資金で協議会の魔法研究は支えられている。

 紫陽はまず、()()()()()()()()事業会社の経営を徹底的に見直し、利益の底上げを実現した。続いて主に科学、機械工業分野へのイルジオル技術の売り込み。相手が最も欲している時に、もっとも魅力的に見えるようにキラリと輝いて見せる。数多の情報や期の判断が必要とされ、商売の原則で有りながら実行が難しいそれを紫陽はその身一つでやって退けた。魔法技術の認知を瞬く間に広め、協議会の権威を急激に拡大させたのである。

 ——世の中の困りごとというもの大抵は、その原因に()()がある。金、時間、人材。ならばその不足を補うリソースを確保すればいい。巨大な力には巨大な資源が伴う。紫陽は協議会自体を大きくすることで、不和の原因となっていた“各々の開発研究の未熟さ”、“連携システムの曖昧さ”という不足を補ったのである。

 そしてこれは作戦として行ったことか、それとも紫陽の素の人柄故の行動か定かではないが——彼は、当時の社員全員を()()()()()()()。あまりに荒唐無稽な字面であるが、そうとしか言いようがない。全員の顔と名前を覚え、会話をし、観察し、食事に誘い、付き纏い、部屋に押しかけ、呆れた顔で相手が折れるまでひたすら追いかけ回した。そうして絆された人間達は顔を見合わせ肩をすくめて笑う——そのうちに、仲間内でいがみ合うことなど馬鹿らしくなってしまったのだ。


 「本人はきっと否定すると思いますが……紫陽さんって、ほんとはすごい人なんですよ」

 ゆるく細められた深白の水色は、ここにはいない人を見ていた。


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