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Floraison Dawn  作者: 苺大福
2/8

1,魔法


 ——海が見える。


 暗雲から撃ち出された墨汁の様な雨は、激しく渦を巻く波に吸い込まれて消えていく。


 嵐の夜。


 この世の悉くを飲み込まんとする荒波が喰らいつく崖。


 その先端に、人。


 その人は全身を殴りつける雨などまるで気にも止めず、ただ、真っ直ぐに立って。


 自身の背丈よりもずっとずっと大きな弓に、矢を番えて——。


 *


 4月某日、午前11時少し前。東京都を環状に巡る電車に揺られていた鯨井群青(くじらい あお)は、急カーブの一際激しい揺れで目を覚ました。

 早朝のピークタイムを終えた車内に人の姿はまばらで、席にも余裕がある。群青は扉の横に体重を預けつつ、ニュース番組のライブ配信をBGMにしながら地図アプリで目的地までの経路を確認していた。

 日本の主要都市から離れた離島の出身である群青にとって、車窓を流れていく高層のビルや近代的な建造物は馴染みがなく、それだけで興味の対象になる。

 短い間隔で停車する各駅には流行りのゲームや有名企業の看板広告が立っている。乗り込んで来る人間も千差万別で、この首都東京が如何に古今東西の激流が堆積する地であるかを物語っていた。

 群青の地元の、2時間に1本、1両だけの列車が通る鉄道とそれらをつなぐ無人の駅とは比べものにならない、まさに大都会の超巨大交通機関。そのような中でしかし、群青はただ静かに手元のスマートフォンに視線を落としていた。——つい先程己が長いこと揺られていた電車が目的の駅とは反対方向を目指していることに気が付き、さらにこのままだと引き返すよりも一週したほうが早いという衝撃の事実を目の当たりにした人間とは到底思えない落ち着き様である。

 環状線を降りた後、更にアリの巣の様な地下鉄に乗り換えて数駅。『昨晩発生したヨルの被害者は……』切り忘れたスマートフォンから男性アナウンサーの深刻さを取り繕った声が聞こえた。


 目的の建物に到着した群青は受付の円状のカウンターで来客の手続きを行なっていた。それではおかけになってお待ちください、と案内された観葉植物とソファが備えられたロビー。その白くだだっ広い壁はスクリーンの役割の兼ねているようで、マスコットと思しきロボットが両目から映像を投影していた。……もう少しどうにかならなかったのだろうか、そのプロジェクターのデザイン。

 ここはグループ企業の本社ビルであるが、同時に一般の人間に取り扱う事業内容を紹介する見学施設としての役割も果たしている。群青の様な成人したばかりの青年が私服で訪れるには些か違和感のある如何にも会社でございます、といった外観に反し、内部は常に賑やかな歓迎ムードで満たされている。ロボットも踊っている。


「ああ、彼は私のお客さんだよ」

 群青の名前を当日の来客リスト内で検索していた受付の職員の背後から、やわらかい男性の声が響いた。

「辰巳会長」

 かっちりとしたスーツに白い髪、笑顔の奥にうっすらと見える紫色の瞳。辰巳会長と呼ばれた男性は受付の職員に差し入れのカフェオレと焼き菓子を渡すと、群青のもとへ近づいた。

「魔法協議会へようこそ群青くん、歓迎するよ」

「お久しぶりです、紫陽さん」

 差し出された右手を握ると、男性の笑顔がさらに嬉しそうに綻んだ。

 辰巳魔法協議会及び辰巳グループ株式会社現代表取締役会長、辰巳紫陽(たつみ しょう)

 魔法という古代の奇跡を暴き、議論し、最先端の科学として現代において再定義し、行使する。世界初にして唯一の研究開発機関のトップ、その人である。


「会長と言っても名ばかりでね」

一面がガラス張りになっているビルの採光は申し分なく、太陽光が差し込む昼間の間は照明を最小限に抑えることができる。その巨大な窓ガラスに映る群青は紫陽の後ろをついて歩いていた。

「うちの団体は創設者の子孫が代々会長を受け継いでいてね、それの今代が私というだけさ。みんなのリーダーというよりはみんなの代表みたいなものだね」

 だから全然畏まらなくていいからね、と。話しながら紫陽はビルの最上階に設えられた会長室へと群青を案内した。


 ——魔法。超常の何某かによって引き起こされる現象、奇跡。時代の変遷とともに失われた神秘の御業。

 御伽話の存在であったそれらはしかし、今日においてその存在が証明された。

 その正体——否、正確には()()()()()()()()()()()()()()()()。所謂魔力や霊力と呼ばれるものが同定されたのである。

 その名をイルジオル。長年に渡り魔法を研究してきた辰巳魔法協議会によって発見され、名付けられたそれらは水素原子一つにも満たない極小の粒子。イルジオルへの適性を持つ者の手で励起されることにより、分化度の低い、すなわち半万能のエネルギーを大量に生産することが可能である。

 しかし適性を持つ者の数は多くはなく、協議会は慢性的な人手不足に悩まされている。故に協議会は行政に協力を仰ぎ、教育機関や企業、地域で実施される健康診断の検査項目にイルジオル適性の血液検査を導入。割れ出された高適性者へ協議会へのスカウトをかけていた。

 そして群青も、そのようにして協議会へと誘われた者の一人である。


 会長室は群青の想像していたそれよりもシンプルな内装で、見た目のデザインよりも機能性が重視された設備が並んでいる。メインの作業場として使われているのであろう1人がけのデスクには何度も書き足された跡のある書類や乱雑に纏められた分厚いファイルが積まれており、この部屋の主の気苦労が窺い知れた。群青は紫陽から様々な用紙の入った茶封筒を受け取り、その重さにやや顔を顰めた。

「それが手続きに必要な紙たちだけど、ほとんどは協議会(うち)のパンフレットとかだからそんなに身構えないで。それも多分一度渡したことがあるやつばっかり」

 群青の内心を悟ったように紫陽は苦く笑った。

 個人用の端末が支給されればわざわざ紙で書いてもらう必要もなくなる。と紫陽は言うが、離島の田舎町出身の群青にとっては物理的な用紙での手続きの方が馴染みがるため有り難かった。もちろん今時の若者らしくデジタル機器の扱いには長けているが、周りはそうではない。何をやるにもアナログだった。致し方ない、比喩抜きに孤島の限界集落だったのだから——。

「群青くんは協議会(うち)、それから魔法についてどれくらい知ってるのかな?」

「詳しくはないと思います。精々貰った資料を読んだくらいで……一般的な知識の範囲内だと思います」

 遠い目をしながら地元のおじいちゃんおばあちゃんに思いを馳せていた群青は現実に戻された。


 魔法、及びイルジオルの存在が公表されて久しい今日では誰もがその存在を知っている。一部の分野では既にICE—illusion particle - Internal combustion engine—を搭載したイルジオルを動力源とする機器が利用されていると聞くが、如何せんイルジオルの励起、すなわちICEの起動には適する人間と適さない人間がいる。家電製品のように万人が同じ操作で同じ結果を得られない限り、幅広く流通する製品としての利用は難しいのが現実だ。

 存在は知っていても、手が届かない。だからよく知らない。一般的な民間人にとって魔法というものはまだまだ夢物語の技術なのである。


 群青にとってもそれは同じで、協議会から手紙が届くまで、まさか自分が魔法などという摩訶不思議な分野の最先端を征く組織に所属するなど想像したこともなかった。

「科学としての魔法については、大学に通いながらゆっくり学んでいってほしい。もっとも、私達が君に期待しているのは研究者になることではないのだけどね」

 紫陽は整った唇でゆっくりと笑った。

「君には、魔法使いになってほしい」


 辰己魔法協議会が魔法——現在はイルジオルの研究に長い年月心血を注いできた理由は大きく2つ。

 1つはその有用性。イルジオルはごく少量で莫大なエネルギーを生み出すことが可能であり、かつ世界中に普遍的に存在している。それらを個人の資質によらず、無条件に利用することが可能になれば——もたらされる利益の金額は天文学的な数字になる。単純なエネルギー供給はもちろんのこと、地球の環境問題や飢饉、希少資源の不足等の世界的な問題すら解決への糸口を見出すことができるだろう。

 そしてもう1つが()()()()()()。それはとある書物に記されていた予言。協議会が団体としての形をとる以前、魔法の研究が未だ個人の趣味の範囲を出なかった頃に創設者の男が聞いた警鐘。

 曰く、それは呪いの結晶。邪悪な力。時とともに忘れさられていった魔法の暗黒面、所謂呪術や黒魔術といったモノ達。人間の負の感情によって形成されたそれら概念は、概念でありながら自我を持ち、自らが消え去ることを拒否した。観測不能となった水面下で燻り続けた呪いはやがて形を持って世界に襲いかかるだろう。それら厄災を打ち滅ぼすための、強く輝く力が必要なのだ。

 "来たる厄災"、それに抗う手段として、協議会はイルジオルの研究開発による武力としての魔法の再現を追い求めていた。


 そして今、予言は現実となった。今から12年前の12月、この世界で初めて発生した厄災が協議会の所有する大学院の研究施設を襲った。辺り一体に暗い霧が立ち込め、霧の内部では無数の化物があらゆる生命を喰らいつくさんと咆哮を上げる。周囲から隔絶された光の届かない空間を生み出すことからヨルと名付けられた厄災と、ヨル()に巣喰い、この世全てを喰らわんと徘徊する習性から夜行獣(やこうじゅう)と名付けられた化物は、協議会の本部が存在する東京を中心に日本各地で観測されてる。

 既存の武力の通用しない化物、物理法則をねじ曲げる亜空間、生命の在り方を容易く冒涜する暗い霧の侵食。比喩抜きの厄災の只中にあって、人類はしかし絶望に抗う手段を持ち得ていた。

 その手段こそが魔法使いという存在。ICEを搭載し、イルジオルを動力源として超火力の攻撃を可能とした武器——ハウンドを振るう才能ある者達。

 彼らこそ、協議会による長年の苦心惨憺の末の最大の成果の一つであり、(ヨル)を終わらせる黎明の希望なのである。


「魔法使いになれる人間というのは、イルジオルの適性がある人間の中でも限られているんだ」

 イルジオルの適性とはつまり、その人間の身体にどれだけのイルジオルが含まれているかということである。単純な体重におけるパーセンテージで表すその値は体内イルジオル置換率と呼ばれている。

 通常、一般的な人間の置換率は0〜0.1%である。0.1%以上であればICEを利用したイルジオルの励起が可能であり、イルジオル適性があると判断される。

 だが、魔法使いとなるためには最低1.0%の置換率が必要と定められている。その理由は2つ。1つは必要な火力の違い。ハウンドは攻撃手段としてイルジオルを利用するため、一度に励起しなければならない量が非常に大きく、使用する者にも高い適性が求められる。水鉄砲とバズーカでは打ち出せる質量が違うということと同じである。

 もう1つはヨルの侵食への抵抗性。ヨル空間内では人間を含む生き物の体は徐々にヨルに侵食され、最終的には夜行獣へと変貌してしまう。体内に存在する休眠状態のイルジオルは宿主の恒常性維持を助け、ヨルに対する免疫細胞の様な働きをする。そのためヨルの内部で曝露を受ける魔法使いにとって、イルジオルの置換率は命にも関わる極めて重要な数値であるのだ。

「置換率が1%を超える人間は多くないし、それにヨルと戦う以上命の保障があるとは言えないのが魔法使いという存在だ。適性があって声をかけたとしても、返事が来ることのほうが稀だよ。だから、」

 だから——君が来てくれて本当に嬉しいんだ。と紫陽は語った。

 人を助ける。そのために、己の命を賭ける。まさにヒーローの様な在り方に憧れる者は多くとも、目指すものは少ない。

 しかしヨルは時間、場所を問わずに発生し続け、その戦線は苛烈になる一方である。

 魔法使いによる防衛に限界が来る前に、根本的な解決を、ヨルの元凶を潰す必要がある。


 群青達がいる辰巳グループの本社ビルがある敷地内には、複数の施設が併設されている。実技的な研究及び実験のメインとなっている建物は隣接する大学と繋がっており、辰巳グループの研究職員と学生が共に利用することができる。

 せっかくだから敷地内を軽く案内しようか、という紫陽の提案に乗った群青。会長室を後にした2人の向かい側から近付く人影があった。


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