19,協議会の刀
ミニ獣の大量発生と巨大夜行獣の襲来から3日。
柊馬の活躍により倒された巨大夜行獣の消滅とともに、あの場で大量発生していたミニ獣も全て消滅が確認された。
今は本社ビルの各施設で復旧作業が進み、組織のほとんどが通常通りの機能を取り戻している。——依然として数時間おきに発生し続けるミニ獣退治に奔走し続ける魔法使いと観測室職員達を除けば。
ミニ獣退治はかなりの長期戦に突入しつつある。最初こそ皆狭いビル内を縦横無尽に走り回る神出鬼没の超小型謎生物に目を回していたが、こうも長期間追いかけ回していると流石に慣れてくるものである。
加えて、ミニ獣の体は段々と大きくなっている。成長している、と捉えるならば警戒を強めるべきであるが、的として見るならば寧ろ大きい方が殴りやすくて助かるというのが本音だ。とはいえやはり、連戦による疲労は蓄積していく一方ではあるが。
*
アラートの音ではなく、遮光性の高いカーテンの隙間から差し込む陽射しによって群青は目を覚ました。
枕元に置いていたスマートフォンを指で叩く。青白い光を放つ長方形に表示された11:24という数字に、群青の寝起きの瞳は僅かに見開かれた。
既に昼に近い時間であるということもそうだが、それ以上に、昨晩一度もミニ獣発生のアラートに起こされなかったという事実が彼を驚かせた。
ここ数日、本社ビルで寝泊まりをするようになってからというもの、魔法使い達が夜中に一度も目覚めずに夢を見れたためしはない。毎夜必ず発生するミニ獣によって微睡の温かい泥の中から無理矢理に引き摺り出されるのである。
故に魔法使い、総じて寝不足。
あまりに久しぶりすぎる平穏な夜。昼前まで惰眠を貪ってしまうのも仕方のないことであった。
いつもなら足音や話し声が聞こえる廊下や左右の宿直室も今はしんと静まり返っている。群青の耳には空調の音と、寝返りを打つ際の衣擦れの音が聞こえるのみであった。
ミニ獣騒動による疲労によるものか、長時間同じ姿勢で眠り続けたことによるものか、肉と骨が軋む痛みを感じながら群青は身体を起こした。
寝起きのぼやけた目で薄暗い部屋を見渡した。
徐々に物体の輪郭に線が引かれていく。狭い部屋に置かれた簡易的な寝台。その一つの上には、やはり群青と同じように眠っている茜の姿があった。
夜襲を警戒してのことであろうか、寝台に胡座をかいたまま首を垂れている茜の寝姿は、昨夜一番後に部屋に戻った群青が見たままの姿であった。あまりにも寝息が静かなので鼻に手を当てて呼吸の確認をしてしまった。
指に当たる茜の浅い息にほっと胸を撫で下ろした群青は、ふと、もう1人の同室者の方へ視線を向けた。
「柊馬?」
簡易寝台の上に畳まれて置かれた布団とシーツ。そこに剣士の姿はなかった。
*
「あ、すんません巳堂室長。呼び出した側が遅くなっちゃって」
本社ビルに設置されている会議室の1つ、10人程度の収容人数の小規模な部屋の扉を開けた柊馬は、先客に軽く頭を下げた。
備え付けの椅子に座ることなく待っていた男性、観測室長の巳堂に、柊馬もまた立ったまま話を続けた。
「忙しいのに時間作って貰っちゃってありがとうございます。昨夜も紫陽さんとずっと観測室に篭ってたって聞きました。ほんとお疲れ様です」
「仕事だからね、仕方ないよ」
どうにか口角を上げてみせる巳堂だが、そのぎこちない笑顔は憔悴の色で染まっている。彼の顔色の悪さは、疲労だけが原因ではなかった。
昨夜0時を境に、本社ビル内から一斉にミニ獣が消えた。
ミニ獣の正体を知る巳堂は彼女に何かあったのではと鼓動を乱したが、観測室長である己が異常の調査にあたる素振りを見せない訳にもいかず、また報告を受けて観測室に駆け込んできた紫陽の手もあって今の今まで観測室を出ることが叶わずにいた。
巳堂は異変が起きてから、彼女の無事を確認できていない。
本当は柊馬の存在など無視して、今すぐにでも彼女の元へ向かいたかった。
「それで、お呼びしたのは先日の調査の報告のためなんですけど」
柊馬の赤褐色の瞳に、巳堂は胸中を射抜かれるような心地がした。
居心地の悪さに、眩暈と吐き気がした。
「怪しい場所、一箇所見つけましたよ。これが落ちてました」
柊馬が取り出した空のレイセンの容器を見た巳堂の顔面が凍った。
「どこで、そんなもの……」
レイセン。損傷した肉体を強制的に回復させるための高濃度イルジオル製剤。巳堂が彼女への栄養剤として使っていたものである。
「倉庫室です。魔法使いや医療班の人達に聞いて回りましたが、誰も心当たりがないそうでした。何か手掛かりになりそうだと思うんですよね。本格的な調査お願いできますか」
第二倉庫室の書庫からは全て処分したはずのレイセンがなぜ柊馬の手にあるのか。
「あ、ああ。了解した。第二倉庫室へは後で私も調査に向かおう」
「お願いします」
屈託のない顔で空のレイセンを弄ぶ柊馬から、巳堂は濁った目を逸らした。
早鐘を打つ心臓と耳鳴りを押さえつけるための言葉を巳堂は頭の中で唱えた。
落ち着け。大丈夫。証拠は今度こそ完璧に隠蔽する。万が一あの書庫が見つかったとしても、彼女は今別の場所にいる。自分が観測室長の権限を持っている限り隠し通せる。——ああでも、今は。彼女の身に何が起きているのか早く確認しなければ。ああ早く。早く出ていってくれ。早く俺を解放してくれ。早く彼女のところに——
「ところで、巳堂室長」
部屋を出ようとしていた柊馬の足がぴたりと止まった。振り返った鋭利な赤褐色に、先ほどまでの好青年らしい快活さはなかった。
「どうして俺がレイセンを見つけた場所が第二倉庫室だと分かったんですか」
柊馬から発せられた致命的な指摘に、巳堂の視界は真っ白になった。
耳の後ろが冷えていく。こめかみから瞼、眉間に悪寒が広がり、平衡感覚が失われていく。既に無意味と悟りながらも、巳堂は頭の正常な部分を叩き起こして平静を取り繕った。
「それは、ああ。うっかり言い間違」
「あんたに渡された資料では、第二倉庫室は過去にミニ獣の発生が確認されていましたよ。何故、俺が言った捜索範囲に当てはまらない場所を俺が調べたと思ったんですか」
畳み掛ける柊馬の質問、否、尋問に巳堂は答えることができない。
「巳堂室長」
やはり返答はない。ただ浅く荒々しい呼吸を繰り返すことしかできない巳堂に、柊馬は自身のスマートフォンの画面を突きつけた。
「これを隠してたのが、あんただったからじゃないんですか」
巳堂の濁った目に映ったのは、映像記録の画面。撮影器具は誰かが手で持って支えているのだろう、映し出された映像はわずかに揺れ続けていた。その奥の暗い部屋に巳堂は見覚えがあった。強い揺れとともに、カメラが捉える対象が切り替わる。
徐々に定まる焦点。
映し出されたのは数人の魔法使い。
そして、不気味に肥大した腕の先端から、ちぎれたような大腿の付け根から、黒い霧となって消えていく夜行獣の——巳堂の恋人の姿だった。
「ああ」
見開いた巳堂の眼球からは濁った涙液が溢れ出していた。
膝から崩れ落ち、蹲る。己の手の届かない場所で2度目の死を迎える彼女の姿が、瞼の裏に焼き付いて離れない。彼女だけが、意味だった。己の全てを賭してでも、何を犠牲にしても、間違いだと分かっていても、守りたかった。守りたかったのに。
嗚咽混じりに滂沱の涙を流し続ける巳堂を、柊馬は温度のない瞳で見下ろしていた。
耐え切れずに胃液を吐いた巳堂の、その内側で濁流の渦を形成する感情は、悲しみ、後悔、罪悪、疑問、そして怒りと憎悪。
「どうして」
体液と吐瀉物でぐちゃぐちゃに汚れた顔を柊馬に向ける。巳堂が今感情をぶつけることができる相手はこの青年しかいない。
「どうして気がついた。どうやって彼女に、どうやって俺に」
柊馬に答える義理はない。
答えたところでこの男にも自分にも益はない。だが柊馬自身、この男に少なからず怒りを覚えていた。
冷え切った目に僅かな苛立ちを乗せ、柊馬は口を開いた。
「そもそも前提がおかしいんだよ。協議会の技術と人材をもって、あんなふざけた事件の原因が特定できないはずがない。なら、原因を隠蔽しようとしてる奴が、協議会の内部にいると思うのは当たり前のことだろうが」
柊馬は初めから、黒幕は協議会の内部にいると考えていた。
協議会の設立より遥か昔から、辰巳の右腕として付き従っていた錆石。協議会の魔法研究を、イルジオルの技術を、辰巳が描く理想を誰よりも近くでその目に映し、信じ、支えてきた者達。生まれながらに協議会とともにあり、その歴史を子守唄の代わりに聞き育ち、彼らの理想を守るための刀を手に取った者達である。
故に柊馬は、協議会を誰よりも信頼しているからこそ、協議会を一切信用しなかった。
小型とはいえ、その気配は紛れもない夜行獣。それを協議会が、感知できないはずがない。
黒幕が協議会内にいると仮定した柊馬は真っ先に観測室を疑った。
まず柊馬の頭に浮かんだのは何者かが計器を意図的に故障させた可能性。否、物理的な計器の修理作業を行える人間は多い。そこまでの大人数が加担する大規模な謀反が行われているとは考えにくかった。
ならば次に考えられるのは観測結果の改竄。この時点で柊馬は巳堂を疑っていた。実際に改竄が行われたかを明らかにするためには、観測室が弾き出した数値と事実との比較が必要になる。故に柊馬は生身の己でも観測できる数値、ミニ獣の発生場所と頻度の記録を始めた。
そして調査をするという体で巳堂から受け取ったデータと柊馬が独自に集めたデータは、見事に異なっていた。
計測器の結果を書き変えることができる人間など協議会には1人しかいない。
柊馬はすぐに2つのデータを紫陽のもとへ持ち込んだ。
観測室において最も高い権限を有するのは巳堂であったが、その権限を与えることができるのは紫陽であった。柊馬から報告を受けた紫陽は巳堂と同じ権限を別の観測室員に付与し、巳堂に勘づかれぬよう秘密裏に調査を進めていた。
群青達を使い走りにしたのは巳堂の目を誤魔化すためである。あれは結果ではなく行動そのものに意味があったのだ。
3日前の巨大夜行獣の発生は巳堂自身も予想外の出来事であった。緊急事態に紫陽達も手を止めざるを得なかったが、魔法使い達の活躍により事態は収束。昨夜、元凶である夜行獣の居場所を突き止めた紫陽は魔法使いを派遣し、彼女の処分を命じたのである。
ちなみに、先程柊馬が取り出して見せたレイセンは巨大夜行獣との戦闘後に彼が使用したものであり、巳堂に口を滑らせるためのブラフである。あえて夜行獣の消滅間際の姿を映像で見せたことも含め、巳堂に揺さぶりをかけて自白を促すための柊馬の策略であった。
一連の事件の元凶である夜行獣は倒された。さらに柊馬と巳堂のいる会議室に設置された監視カメラの映像が、巳堂がこの件に関与していた動かぬ証拠となる。巳堂が処分を免れることはできないだろう。
涙と共に全ての知性とプライドを吐き出した巳堂はここにきて、無謀にも保身に走った。
よろけながら、無理矢理に立ち上がった巳堂は、震える手で拳銃を握っていた。
カチリ、という音がして銃弾が装填される。重たい金属の光沢を持つそれはジェーンドゥではなく、巳堂が非正規の手段で入手した本物の拳銃である。
「……銃刀法違反も追加されましたよ」
「黙れ!!」
不慣れな手つきで銃を構える巳堂の息は荒い。ひどく興奮した様子の彼の全身は痙攣し、引き金に掛けた指がいつ引かれるかも分からない。
不安定な銃口を向けられた柊馬は苦く笑いながら両手を顔の脇に上げた。
「う、動くなよ。一歩でも動いたら撃つ」
カチカチと歯を鳴らしながら唾を飛ばす巳堂。彼女は死に、巳堂自身も既に処分を待つしかない身である。場合によっては刑事処罰を受けることになるだろう。全てを、全てを失った。なぜ、自分たちだけこのような目に合わなければいけないのか。許せない。おかしい。こんなことは認められない。
拳銃と両眼は柊馬に向けたまま、巳堂は会議室の出口へとじりじりと移動した。どうやら銃を頼りにこの場から逃走しようという算段らしかった。
「落ち着いてくださいよ。巳堂室長……っと」
一瞬だった。
巳堂の両手に走った軽く鋭い痛み。
カラン、と音を立てて床に転がったのは巳堂が握っていたはずの拳銃だった。
剣道で言うところの、巻き上げという技の応用である。
次いで、突き。
喉笛をあえて外した柊馬の木刀は無論真剣ではない。にも関わらず。木刀が掠めた巳堂の首からはたらりと血が流れていた。
「ひ」
怯んだ巳堂はその場で倒れ込んだ。
柊馬が背に掛けていた木刀を抜き、間合いまで距離を詰め、巳堂の手を弾くまでにかかった時間は1秒にも満たなかった。
倒れた巳堂の首に木刀を突き立てた柊馬は、流れた黒い血液に目を細めた。
「まあそうなるよな。あれだけの長期間夜行獣のそばにいたんだ、そりゃ侵食を受けてない方がおかしな話だよな」
むしろここまで人の形を保っていられたことが奇跡だろう、と柊馬は呟いた。
巳堂の身体は、既に人間のそれではなくなっていた。死にかけとはいえ、ヨルの霧を放つ夜行獣と寝食を共にし続けた結果である。少しずつ、少しずつ、確実にヨルは巳堂の体を蝕んでいった。
「ああ」
人の外見をした夜行獣。それが今の巳堂であった。
「嫌だ……死にたくない……」
「悪いけどあんたはもう助からねえよ。それに」
柊馬が握っていた白い木刀は、赤褐色の刃を持つ刀に変わっていた。
通常ハウンドは持ち運びやすいよう戦闘時以外は駒の形に小型化されているが、柊馬のハウンドは木刀の形を取り、常に彼の背に掛けられている。
柊馬自身の剣術を最大限に活かし、ヨルを切り裂くために鋳造された玉鋼の余熱である。
「ヨルとか、夜行獣だとか、関係ない。協議会の敵を斬るのが俺の仕事だ」
夜行獣の強靭な肉体はハウンドの出力をもってしなければ破壊することはできない。
柊馬が突き刺した赤褐色の刃は、目を見開いたままの巳堂の首と胴体を音もなく切り離した。
円形の黒い断面から血が流れることはなく、ただ黒い霧となって、その切り口から空気中に溶けて消えていった。
夜行獣としてその命を絶たれた巳堂。後に残されたものは、彼が着ていた衣服と床に落ちた拳銃だけだった。
錆石柊馬 20歳 男性 イルジオル置換率4.0%
使用する武器は刀型ハウンド:ヒノカグ
焔の神の名を冠する彼の刀は切れ味、火力ともに一級品である。
だが彼の真価はハウンドの性能によるものではない。
辰巳に付き従う、錆石の剣士の末席。
人外の領域に踏み込む彼の剣技はハウンドの強化を受けたものではなく、彼自身の研鑽によるものである。
生身の戦闘においては、協議会最強。それが錆石柊馬という剣士である。




