15,どうせそんなこったろうと
魔法使いと観測室職員の泊まり込み作戦が始まってから数日が経過した。ミニ獣の襲撃は日を追うごとに頻度が高くなり、一度に発生する数も多くなっている。そして、最初は両手に乗り切るくらいのマスコットサイズだったミニ獣は、いつの間にかバスケットボールサイズの毛玉に進化していた。
群青、柊馬、鶯、鹿乃子、深白の5人は、魔法使い達の日中の休憩所兼作戦会議場になっている大会議室で疲労困憊の身体を休めていた。
「うう、疲れた……もう限界だ……一歩も動けない……」
「うう、同じく……もう無理だ……指一本動かない……」
壁にもたれながらスポーツドリンクの蓋を開ける鶯と鹿乃子。崩れた2人のお団子の髪を、深白が順番に結い直していた。
鶯と鹿乃子と深白の3人は先程非常階段に発生したミニ獣の群れを片付けてきたらしい。高低差のある戦場。足場のアシストがある深白はともかく、高層のビルの階段で激しく登り降りを繰り返した鶯と鹿乃子の脚は生まれたての子鹿のようになってしまっていた。
「お2人ともしばらく休んでいてください。何か欲しいものはありますか?」
双子を床に転がして彼女らのふくらはぎを懸命に揉む深白。群青の脳裏に昨晩見た動画の、短い前足で毛布をこねる子猫の姿がよぎった。
「群青さん?」
視線を感じて顔を上げた深白に呼ばれ、群青は現実世界に戻ってきた。あれさっきまで目の前にいた白いマンチカンはどこに。
「お前も疲れてるんだよ」
群青の肩に手を置く柊馬。私物のスマートフォンに何やら文字を打ち込んでいる彼の目の下にも薄く隈ができていた。
長机の上にはテイクフリーの飲み物や菓子類が置かれている。キャラメルが入ったチョコレートバーを齧りつつ、群青は机と共に備え付けられている椅子に腰を下ろした。
「あ、奇遇だね。お疲れ、みんな」
入り口付近の机に陣取っていた5人に声をかけたのは紫陽であった。咄嗟に立ちあがろうとする5人を制止した紫陽は、自身も近場の椅子に腰を下ろした。
「お疲れ様です。紫陽さんも大変でしょう。調査の方は順調ですか」
柊馬は群青が食べているものと同じ菓子を紫陽に渡した。
「ありがとう柊馬。うん。色々調べてはいるんだけどね、まだなんとも言えない。とにかく原因を探るために、巳堂室長には片っ端から発生場所とか時間のデータをまとめてもらったんだけど」
「お呼びですか会長」
頭上から響いた疲労のにじむ声に6人は顔を上げた。その声の主から飲み物を受け取った紫陽は隣に座るよう彼に促した。
数本の白髪が混ざった髪。髪色の割には若い顔をしてはいるが、疲労のせいか年齢以上の貫禄が見えた。草臥れたワイシャツが皮肉にもよく似合う。
「こちらが観測室統括の巳堂室長」
「巳堂です。よろしく」
協議会の直接的なヨル対策部門は観測室と魔法使いからなる。
その観測室の統括が巳堂、魔法使いの統括が紫陽であり、此度の限界労働ヘトヘト組筆頭である。ちなみに紫陽は会長という立場もあるため現役の魔法使いは退いており、会長としての仕事がない限りは観測室にいることが多い。
ヨルの関連事項に限らず、協議会内のありとあらゆる情報の集積地が観測室である。その観測室の長である巳堂は協議会で最も多くの情報を掌握している人間と言っても過言ではない。協議会が所持する多種多様な観測器、解析機、また膨大な過去のデータや、厳重な保管を要する物理的な資料にアクセスする権限を持っている。協議会会長の紫陽であっても、彼の許可無しには閲覧できない資料も存在するのである。
「初めまして、俺は」
「ああ。君たちのことは知っていますよ、いつも見ていますからね。反省文の5人ですよね」
ものすごく嫌な覚えられ方をしている。元凶である群青は背中に4人からの刺すような視線を感じた。
「巳堂室長。彼らにも資料を見せてあげてもらえますか」
「ええ。構いませんよ」
長机に広げられた資料の山は、これまでのミニ獣発生時の記録だった。時間や場所、一度に発生した数、対処した魔法使い、発生から収束までにかかった時間等の事細かなレポートの他、群青には読み取りが難しい統計図のようなものまで、ミニ獣に関するあらゆる情報が今この机の上に集まっている。
群青がなんとなく手に取ったレポートに、戦闘を終えて武装を解いた深白がバスタオル一枚の姿であったために周りにいた女性魔法使いが必死で彼女に服を巻きつけたこと。シャワー中は深白から通信機を没収するというルールが定められたことが書かれていた。何やってんだあいつ。
「発生に何か条件があるんじゃないかと思って過去のミニ獣発生データを漁ったんだけど、規則性もないし、空気中のイルジオルにもおかしな点はなし、極彩色様から貰ったペンデュラムまで持ち出したけど成果なし。色んな観測器のデータも見たけど全部正常。正直手詰まりだよ」
群青達にだけ聞こえるよう小声で話す紫陽。平時のにこやかさを保ってはいるが、彼の声色にはやはりどうにも覇気がない。
「ヨルの内部はもちろん、夜行獣の周辺ではイルジオルが不安定になる。急激に減少したり、反対に爆発的に増加したりね。それが全くないっていうのが一番分からない。いっそ機器の故障の可能性も視野に入れたほうがいいかな」
「必要でしたらまたメンテナンスを実施しましょう。つい昨日行ったばかりではありますが」
そうなんですよね、と腕を組む紫陽。正直に言うと、技術者側である紫陽や巳堂が頭をひねる問題に、群青達が太刀打ちできるとは考えていない。故に彼らが相談をする風にここで話をしていることは、解決策を探るというよりも愚痴と気分転換の意味合いの方が大きい。
これまでのミニ獣の発生場所がマークされた社内の地図と、自身のスマートフォンを交互に見ていた柊馬が口を開いた。
「んー……紫陽さんは今までミニ獣が発生した場所の調査をしてたんですよね」
柊馬の呟きに紫陽は短く肯定の返事をした。柊馬は社内地図の赤い丸が付けられた部分を一つ一つ指でなぞっていた。
「じゃ、俺は逆の発想で行こうと思う。今までミニ獣が一度も発生してないエリアがいくつかあるから、そこを探りに行こうと思います」
予想外の柊馬からの提案に、紫陽と巳堂は少々面食らったように顔を見合わせた。先程述べた通り、彼らは助言を求めてここに訪れた訳ではない。
だが、まあ。
それも何か収穫があるかもしれないと、2人は目を合わせたまま頷いた。
「では、こちらで人を用意しておきましょう」
「ああ、いいですよ巳堂室長。ダメでもともとですし、俺個人で勝手にやります。もちろん本業のミニ獣退治はちゃんとやりますから安心してください。発生場所のデータだけ、貰えますか?」
どうせやるなら技術者からなる正規の調査員の方がいい、という巳堂の言葉を遮ったのは紫陽だった。
「まあまあ。柊馬は役職は魔法使いですけど協議会の在籍年数はほぼ年齢とイコールです。信頼していいと思いますよ。こっちも人手不足ですしね。柊馬が調査員やってくれるなら護衛もつけなくていいので二重に節約になりますよ」
「会長がそう仰るのでしたら」
長机の上に散乱した書類をまとめ、魔法使い達の手元にあったレポートや地図を回収した巳堂は席を立った。
「柊馬くんには改めて資料をお渡ししましょう。会長。そろそろ行きましょうか」
「ああもうこんな時間ですか。じゃあみんな、私達はこれで」
「了解です。ありがとうございます」
一礼して去っていく紫陽と巳堂。2人を見送った魔法使い一同は柊馬の肩をちょいちょいと突いた。
「お前、さらっと仕事増やしたけど大丈夫か?」
「そうだぞトーマ」
「できるのかトーマ」
「柊馬さんを甘く見ているわけではありませんが、正直心配です。無理はよくないですよ」
群青達の心配は当然である。ミニ獣退治に奔走している今の時点で既に疲労困憊であるのに、さらに行動しようというのか。その上原因調査などは本来魔法使いの業務範囲である。確かに柊馬は4人に比べて多少魔法やヨルに関する知識が豊富ではあろうが、それが専門の技術者に並ぶものかと問われればそれは否である。
「まあまあ。心配はありがとう、でも俺も考え無しに請け負った訳じゃないぜ? それに」
それに? 続く言葉を待って4人はかくりと首を傾げた。
「はなからお前らにも手伝ってもらうつもりでいたからな!」
「「「「どうぜそんなこったろうと思ったよ/思いましたよ!!!!」」」」
*
翌朝、巳堂に依頼していたデータを受け取った柊馬は、雨に濡れたポメラニアンのような顔をした群青、鶯、鹿乃子、深白を引き連れて調査を開始した。道すがらすれ違った和装の赤い魔法使いは謎のしょぼくれ集団を一体何事かと二度見した。
「で、俺らは何をすればいいわけ」
群青は欠伸を噛み殺しながら柊馬を睨んだ。協力につき柊馬から提示された報酬は事態が解決するまで朝食を奢るというもの。悪くは無い条件ではあるが、そもそも食堂で提供される食事はどれも格安なため柊馬へのダメージが少ないのは少々不服だ。
巳堂から渡された社内地図。マークの付いていない部分に、柊馬は別の色で新たなマークを付けていく。
「ああ。今から俺が指定する場所を、何か怪しいものがないか片っ端から調べてくれ。それで何か見つかったら俺に報告すること。以上だ」
極めてシンプルな指示に4人はやや呆気に取られた。ミニ獣現象解明のための現地調査などというから、何か特殊な作業でもするのかと思っていたが、随分と原始的で物理的なアプローチである。拍子抜けした4人ではあったが、想像していたよりもずっと楽な作業に対し感じたのは安堵の方が大きかった。
かくして、柊馬率いる魔法使い5人の本社ビル大捜索が幕を開けたのであった。
*
柊馬に改竄済みのデータを渡した巳堂は、防犯カメラに映らないルートを通って、地下2階の資料倉庫群へと向かっていた。
「余計なことを」
足取りは重いが歩みには焦りが見える。階段を早足で降りながら静まらぬ苛立ちを舌打ちに乗せた。
百年単位で様々な媒体の資料を保管している地下2階には、所蔵する資料が古すぎるために誰も入り用がなく長い期間放置されている部屋や、所蔵品の希少性の高さゆえに立ち入り自体がそもそも制限されている部屋も多くある。
地下2階の照明は感知式ではなく手動。一切の明かりを付けぬまま足を進める。複数ある倉庫室。その一つの入り口の扉に巳堂は手をかけた。
計5つのモニターが設置された簡易的なデスクを通り過ぎ、乱雑に上着を脱ぎ捨てた巳堂は部屋のさらに奥の書庫へと繋がる扉の前に立った。そこには、協議会設立前からの古い資料が保管されている。
状態の悪い羊皮紙や石板、何の生き物の皮か分からない素材が表紙になっている魔術書等、希少性も脆弱性も二重丸な品が並ぶ書庫の空調にはICEが用いられており、状態保存に特化した特殊な環境となっている。本来であれば。
書庫の扉を、内側から何かが激しく叩いていた。大きく深呼吸をした巳堂が扉を開けると、内側から飛び出したのはミニ獣と呼ばれる件の夜行獣であった。
倉庫室を飛び出した夜行獣は本社ビル中を縦横無尽に駆け回る。
ここで発生したミニ獣はあらかじめ設定した地点に到達して初めてアラートが鳴るようシステムに細工がされている。無論、その細工を施したのは巳堂である。
飛び出したミニ獣を意に介さず、巳堂は書庫の奥へと進んだ。背の低い展示棚を寝台代わりにした物の上に拘束されて横たわっているのは一人の女性。否、正確には、女性だったもの。
その身体には大腿の付け根から下がなく、黒い全身には同じく黒い包帯のようなものが巻き付いていた。肘から下にかけて竜胆の花のように肥大していく両腕の先にはそこにあるはずの手指はなく、破れた臓腑のように黒い半個体の物質が蠢いていた。
鎖の拘束から逃れようと身を捩るそれの丁度臍から鳩尾にかけて、食虫植物の様な口が空いている。そこに餌を落としてやれば、彼女の呻きはやや大人しくなった。
およそ1月前。巳堂と恋人であったその女性はヨルに遭遇した。夜行獣の襲撃で怪我を負った彼女を抱えて、巳堂は何とかヨルを抜け出したが、既に彼女の身体のヨルの侵食は取り返しのつかないところまで及んでしまっていた。
巳堂は夜行獣と化した彼女を魔法使いに引き渡すことができなかった。
観測室長である己の立場を利用して、誰も立ち入ることができない場所に彼女を隠した。
本社ビルの特殊環境やあらゆるイルジオル関連技術を無断で持ち出し、ヨルが終われば消えるはずの彼女を無理矢理に延命した。
防犯カメラや種々の観測器のデータを改竄し、彼女の存在と己の足取りを隠蔽した。
だが。
巳堂は今なお彼女の身体から湧き出しているミニ獣を忌々しげに睨んだ。
初めは彼女の身体から一日に数体産まれるのみで、部屋に閉じ込めておいて後から巳堂が処理すれば済むだけの話であった。
しかし日に日にその数は増し、ついには彼女の身体以外から——巳堂が観測器を改竄し隠蔽し続けてきた、本社ビル全体を覆う極々希薄なヨル空間から無尽蔵に出現するようになってしまっていた。
データの改竄程度で隠し切るには、些かことは大きくなりすぎていた。
「……錆石柊馬」
巳堂は、技術者ではない柊馬が彼女の存在を暴くことは不可能だと考えている。さらに彼に渡したデータは偽物であり、そもそも捜索範囲にここは含まれない。
巳堂が柊馬を警戒する必要はないが、臆病さは彼の武器であった。
地下2階に他の人間がいないこと、周辺の観測器は全て己の制御下にあることを確認した巳堂は、彼女が横たわる寝台に手をかけた。
間違った行動である。
協議会の人間としてあるまじき違反行為、職権濫用、処罰は免れない。
そして巳堂がどんなリスクを犯し、どんな代償を払ったとしても、彼女は助からない。ヨルは消えるしかない。
初めから破綻は目に見えていた。
だが、その程度の理由で最愛の人を切り捨てられるほど、巳堂は善い人間ではなかった。
暗い書庫の展示台の上に既に夜行獣の姿はない。
新たな隠れ家を整えた巳堂はすぐさま彼女を運び出したが、書庫の中には彼女のための延命装置や養分としていたイルジオル製剤が残されたままだった。
誰もいなくなった書庫の隅に取り残された、一匹のミニ獣。
焦燥に胸を焼かれていた巳堂がその小さな存在に気が付くことはなかった。




