14,赤い魔法使い
謎の夜行獣が現れてから4日。辰巳グループの本社ビルに突如大量発生した珍妙な姿のそれは、いつの間にかミニ獣と呼称されるようになっていた。
「悪い群青! 一匹そっち行った!」
赤褐色の刀を払いながら、柊馬は首だけを振り返って叫んだ。
柊馬の剣先から間一髪で逃れた一匹のミニ獣が後方の群青に突撃する。完全な不意を突いたはずのミニ獣は群青に到達する寸前で、不可視の速度で放たれた矢に貫かれた。
「……了解。問題ないよ柊馬」
剛弓を下ろした群青は額に張り付いた前髪を振り払って息を吐いた。返事よりも早い迎撃。同じく一息ついた柊馬はわざとらしく口笛を吹いて見せた。
現在時刻は20時を少し過ぎたあたり。本来であればヨル対策部の当直員以外は業務を終えている時間であり、本社ビルに人の気配はほとんどなくなっているはずである。しかし、今現在本社ビルは大都会を飾る夜景の中で一際大きな光源となってその存在感を示している。
ミニ獣は平均して1時間おきに5〜10匹の群れで本社ビルのどこかに発生する。とはいえあくまでそれは「平均で」である。一度に数10匹が発生することもあれば、1匹ずつちまちまとわんこ蕎麦のように連続して発生することもある。蓋をしてしまいたいものだ。
本社ビルに駐在する魔法使いは常に走り回っている状態であり、それでも手が足りず追加で非番の魔法使いが招集される。結局、東京本部を拠点とする魔法使いのと観測室の職員ほぼ全員が、騒動が収束するまで本社ビルで寝泊まりすることになってしまった。
事態の発生直後から働きっぱなし組であった群青と柊馬も数時間前に一度帰宅した後、数日分の宿泊準備を整えて本社ビルに戻ったのである。そしてそんな働き者の2人を出迎えたのは早速発生したミニ獣の群れであった。
置き去りにしていた荷物を拾い、あてがわれた宿泊部屋へ向かう途中の群青と柊馬。その鼓膜を下方から響いた轟音が揺らした。どうやら1つ下の階でも誰かが戦っているらしい。顔を見合わせた群青と柊馬は、長い夜が始まる予感に肩をすくめて首を振った。
*
本社ビルには宿泊用の部屋が複数設けられており、その全てが満室になることはそうそう無い。しかし魔法使いと観測室職員全員となると流石に耐用上限を超える。そのため普段使われていない会議用の大部屋や、1人用の当直室に簡易的な寝台を運び込んで人数分の寝床を確保していた。
群青と柊馬に振られた部屋は3人部屋。本来は1人用の部屋であるためなかなかにコンパクトスペースである。
扉を開けると、そこには先客がいた。寝台の一つに胡座をかいている男性の左腕は肘から下が無い。縫合の跡が見えるその先端に軟膏を塗っていた彼は群青達の来訪に気がつくと、口に咥えていた包帯を落として顔を上げた。
「あれま、相部屋は柊馬くんだったか。そっちのお兄さんは初めましてだね。僕は狗世茜。よろしく」
「鯨井群青です」
犬歯を見せて笑う茜は握手を求めようとして、差し出した右手が軟膏まみれなことに気付き左手を出す。が、そもそも左手は無かったことに気が付いて膝を叩きながら呵々と笑った。赤い髪に赤い瞳の、目にも賑やかな青年である。
簡単に荷物の整理を済ませた群青と柊馬、茜の3人は取り止めのない世間話で盛り上がっていた。
夜の帳はとうに降りているが、どうせ夜間でもお構いなしにミニ獣は発生するのである。身体と脳が興奮した状態で無理に横になるよりも、歓談に花を咲かせた方がよほど精神の休養になるし咄嗟の事態にも対応できる。
茜と群青は初対面であったが、2人が打ち解けるのに大して時間はかからなかった。元来人好きのする茜は他人との距離の詰め方が上手い。独特のイントネーションで繰り出される彼の話は聞いていて楽しいし、タイミングの良い相槌は話していて心地良い。気さくに話す彼の口からは時たま群青の知らない言葉が飛び出したが、文脈からその意味を推測するのはそう難しくなかった。
「ん? あぁやっぱ話し方気になるかい? 僕はもともと地方にいたもんだから、いや東京弁は慣れねえなぁ」
自身も離島から上京した身である群青は方言で語る茜に親近感を覚えていた。
「狗世さんも魔法使いになるために東京に来たんですか」
「『も』ってことは君も地方出身かい。呵々! いいね、仲間が増えた。」
笑いながら茜は群青の髪をクシャリと撫でた。どうやらスキンシップも多い方らしい。
「魔法使いになるために東京に来たのかと聞かれると、答えはNoだね。僕は生まれも育ちも、魔法使いになったのもあっち。田舎にも一応協議会の支部はあんのよ。いや目新しいもんは何もない田舎だけど良いところだったよ。牛肉が名産でさ、水が綺麗だから酒も旨くて、先輩方もみんな善い人達だった」
「いいっすね、行ってみたいです。どこの支部ですか」
肉と酒、と聞いて柊馬の耳が動いた。瞳を輝かせる柊馬を群青はじっとりとした目で見た。ブレないなこいつ。
協議会の支部があるというならば、錬成会や視察といった名目で経費での旅行ができる。大方それに目をつけたのであろう。
柊馬の下心丸出しの言葉に対しても、茜が不快に感じることはない。寧ろ愉快そうに笑い飛ばした。
「残念。今はもうないのよ。僕以外の魔法使いも、もういない」
呵々、と乾いた声を吐き出した茜は脚を組み替える。アルミパイプ製の寝台が軋む音がした。
「もう大分前のことだけどね。かなり大規模なヨルが発生してねぇ、多分、東京の魔法使い達なら何とかできるくらいのやつだったと思う。けどそれまでヨルが来たことなんてなかった土地で、しかも住民は頭の固いお年寄りばっかりなもんだからもう町中パニックよ。そんな中で魔法使いは僕入れてたったの5人。5人よ? そりゃないぜってねぇ」
茜は右手の5本指を立ててシシッと笑って見せた。細められた瞳の色は群青と柊馬からは見えない。
「先輩方は、みんな、どうせ老い先短い爺さん婆さんなんかの盾になって死んじまった。僕の左手もそのとき一緒に無くしたわけ」
肘から下のない左腕をひらひらと振る茜。軽い調子を崩さないよう努める彼だが、その語気には隠しきれぬ悔恨と悲嘆、怒りと憎悪が滲んでいた。
「不躾なことを、すみません」
「いいのいいの。僕の方こそごめんね、湿っぽい話しちゃって。呵々、いやダメだね、自分でも割り切ったつもりでいたんだがねぇ」
己の振った話題が地雷だったことを悟った柊馬は羞恥とともに頭を下げたが、隣で押し黙っていた群青は茜にかける言葉を見つけることができなかった。
大切な人との死別も、己の一部を失うことも群青は経験したことがないしその苦痛を想像することもできない。茜が抱える痛みの全貌は、今の群青が汲み取れている分よりもずっと深く大きいのだろう。
「いやでもね。悲しいけどよくあることよ? 僕らが魔法使いで、命をかけてる以上ね。寧ろ片腕で済んだのは運が良かった。それこそ両脚や両の目を無くした人だっているんだからさ……あ。いや」
茜は気まずそうに群青と柊馬の顔を交互に見た。余計なことを言っちゃうのも悪い癖だね、と言って呵々と苦く笑った。
やらかした。うん。完全に。
己のせいで重くなってしまった空気を何とか追い払おうと茜は話題を探した。沈黙が辛い。焦れば焦れほど頭は空回る。もういっそ一発ギャグでもしようかと寝台の上に立ちあがろうとしたとき、茜を助けるかのようにミニ獣襲来のアラートが鳴った。
「敵襲だね! 僕が行くよ。ああ大丈夫、2人はさっきも働いたでしょ、休んでて。大丈夫、僕強いから。それじゃっ!」
目にも止まらぬ速さで義手を装着した茜は立ちあがろうとする2人を押さえつけて飛び出して行った。
「……逃げたな」
「……ああ」
食い下がる暇すらなく取り残された群青と柊馬。おそらく茜は当分帰ってこないだろう。どうしようもなくなった2人は、とりあえずもそもそと布団に入ってみることにした。
*
人気のない暗い廊下を茜は走っていた。
彼の数メートル先にはミニ獣が4匹。今回のミニ獣は己が対処するという旨を既に通信機に打ち込んであるため、他の魔法使いと鉢合わせになることはないだろう。
着流しのような形の茜の服はその外観に反し、伸縮性のある生地と特殊な縫製のおかげで戦闘の動き邪魔することがない。左の義手が握る仕込み刀の唐傘が彼のハウンドである。
「呵々。いやもう僕の方が先輩なんだもんなあ」
突進してきた2匹のミニ獣を開いた傘で弾き、間髪入れずに中棒から抜いた刀で抜刀の勢いのまま叩き斬る。残りの2匹とも一足で距離を詰めた茜は1匹を突きで仕留め、地面に踏みつけていたもう1匹も丁寧に寸胴の首と身体を切り離した。
茜のイルジオル置換率5.1%は高値である。左腕の義手に励起を割いていたとしても、彼は戦力として協議会で高水準にある。否、それどころか彼は左腕を失う以前よりも今の方が格段に強くなっていた。
——もう二度と、何も失わないために。
数分もかからず一戦を終えてしまった茜は、これじゃ逃げ出した意味がないな、と笑った。群青と柊馬はまだ起きているだろう、どうしたものか。顎に当てた義手はひんやりとして硬かった。
「とりあえず、月見でもしながら時間を潰そうかね」
茜はどこからか取り出した盃と四合瓶を片手に、高層ビルの屋上へ向かって歩いていった。
*
同時刻。窓のない暗い部屋で一人、コンピュータの青く光る画面に向き合っている男がいた。草臥れたワイシャツ。緩め切って解けた灰色のネクタイ。掻きむしってほつれた髪。充血した虚ろな眼球の下には深い隈。男が奥歯を強く噛み締める音と、コンピュータの機械音だけが静かな部屋に響いていた。
複数のモニターの一つに、和装の赤い魔法使いの姿が映っていた。4匹のミニ獣が彼に倒される様子が映し出されると同時に、男は苛立たしげに画面の映像を切り替えた。強く叩かれたキーボードのエンターキーが奥へ沈み込んでしまったが男がそれを気にする様子はない。そんなことに気を割く余裕は男にはなかった。
「もうこれ以上、俺はどうすればいい……」
背を預けた椅子が軋む。
男がいる暗い部屋の、更に奥の、許可を得た職員以外が内部に入らないようにその旨の張り紙と厳重な施錠が施された扉の奥。人工的な光源がない限り完全な暗闇となるそこに潜む、何か。
憔悴しきった男の視線がその扉を貫通する。魂ごと吐き出してしまいそうなため息をついた男は、ゆっくりと最奥の扉を開けた。




