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Floraison Dawn  作者: 苺大福
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13,分からないことだらけ


 群青、柊馬、鶯、鹿乃子、深白の5人が観測室に到着したときには既に、呼び出しを受けた人員の大半が集まっていた。群青達の後から数名、魔法使いと思しき人間が入室したのを確認し、部屋の奥に設置された巨大なモニターの正面に立つ男性——辰巳紫陽は口を開いた。

「まず、急な呼び出しにも関わらず集まってくれた皆さんに感謝を」

 本来の収容人数を超えた部屋の奥にいる紫陽の表情は見えないが、その声色には僅かに緊張の色が滲んでいた。

「状況の説明は観測室長からお願いします。巳堂室長」

 巳堂と呼ばれた男性は白髪の混ざった頭を軽く下げた後、モニターに注目するよう全員に促した。小さく機会音を発する画面に映し出されたのは、数分前に深白によって退治されたあの珍妙な謎の夜行獣であった。

 間の抜けたその姿にどうにも緊張感が削がれる。眉間に皺を寄せる幹部陣とそれとの温度差に、ひそひそと困惑するような話し声が部屋の所々から聞こえた。

「既に遭遇された方も多くいらっしゃるでしょう。画面に映っているこの物体は小型の夜行獣です。これが今、本社ビルの至る所に発生しています」

 今度こそ室内のざわめきは大きくなった。

 驚愕。動揺。

 周囲と同様に声を出す鶯と鹿乃子。群青の隣で話を聞いていた柊馬と深白も目を見開いている。

「先程発生した夜行獣はその場に居合わせた魔法使い達によって討伐されているのでご安心ください。……皆さんご存知の通り夜行獣はヨルに伴って発生しますが、今回ヨルの発生は確認されておらず、夜行獣自体も通常目にするものと大きく異なります。現時点での夜行獣の発生範囲は本社ビル内に限られていますが、発生頻度は不明。範囲も今後拡大する可能性があります。ヨルという厄災が訪れて以来、このような事態には前例がありません。幸い夜行獣一体一体の脅威度は低く討伐の難易度は高くありません。が、夜行獣に長時間接触していると徐々に侵食が起こることは確認されており、危険性が全くないとは言えません」

 苦虫を噛み潰したような顔でレーザーポインターを動かし続ける巳堂室長。そのこめかみには一筋の汗が流れていた。

「早急に対処しなければならない事態なのですが、申し訳ありません。現時点では解決の糸口を見出せていないのが事実です」

 観測室の役割はヨルに関連する事象の観察と分析、記録だけではない。解析の結果から最適な魔法使いや治療班の派遣、事後の現場回復に必要な諸々の手配まで行なっている。魔法使いがヨルという敵を武力で打ち倒す役割を果たすのに対し、観測室はヨルという災害とそれによってつけられた傷への総合的な対処を担っているのである。

 観測室は僅か数分前に発生した異常事態を、当時居合わせた数名の職員で解析する必要があったのだ。巳堂室長を含め彼らの顔には疲労が浮かんでいる。

「ありがとうございました巳堂室長。この事態を早急に解決するため、まず社内に駐在する人員を増やします。観測班は原因の調査、魔法使いは夜行獣の対応と非戦闘員の護衛を。ひとまず今日明日の配置は今いる人員で組み、正式な勤務表は後日お渡しします。質問がなければこの場は解散としますが、連絡があるまで全員社内で待機をお願いします」


 未だ騒然とした雰囲気が残る部屋を一人、また一人と後にしていく。その表情には観測室員、魔法使いに関わらず不安の色が見え隠れしていた。

 ヨルや夜行獣との戦いには慣れた者たちであるが、このような事態は誰も経験がない。明確な対処法が不明な状態では勇猛な魔法使いでもその瞳に翳りを落とすのは致し方のないことである。

 ぽつりぽつりと挙がった手に答え終わった紫陽は、壇上から退出する人間たちを見送っていた。去り際、不安げに振り返る者には、大丈夫だよと鼓舞するように、笑って手を振って。

「紫陽さん」

「ん? ああ、群青くん達。ごめんね、急にこんなことになっちゃって」

 室内の人の密度が低くなったのを見計らって群青達5人は紫陽に声をかけた。

 彼らの顔を見た紫陽はいつも通りの気安い笑顔で笑った。

「気負いすぎないでよー、紫陽さん。私達がついてるからな!」

「そうだぞ紫陽さん。こういうときのための魔法使いだからな!」

 いつも通りの紫陽にいつも通りの快活さで返す鶯と鹿乃子。

 不安がっていても仕方ない。自分達に少しでも出来ることがあるのならば重畳。喜んでそれを全力で遂行するのが鶯と鹿乃子である。彼女らの星のような明るさはいつも周囲を照らしている。

「ありがとう。うん。でも今回は本当にたくさん君達を頼らせてもらうことになりそうだね。どうかよろしくねみんな」

 もちろんです、とそれぞれが返事をする。

 紫陽は他の人員と同じように休憩に向かうよう5人に勧めたが、群青と柊馬はその場に残った。数日前に見た、あの黒いモヤの正体を聞くために。


 *


「ああ、あれね。あれが魔王だよ」

 ラウンジに備えられているセルフサービスのコーヒーの湯気を吐息で散らせつつ、あっけらかんと紫陽は答えた。

 あの日3人を襲った巨大な夜行獣。群青が以前に見たそれとは比較にならない化け物を生み出した人の形をしたモヤ。ヨルを意図的に発生させたとも言えるその正体。神妙な面持ちで問いかけた群青と柊馬に対して、紫陽の返答は世間話でもするかのようなノリだった。

「魔王。ヨルの元凶。ラスボス。あれを倒すことが私達の最終目標って話は前にもしたよね」

「ま、魔王って……そんな奴があんなポロっと出てきていいんですか!? 普通に間合いでしたよあの距離!?」

 驚きを隠せない群青。それはそうである。

 紫陽の言う通り、魔王を倒せばヨルという災厄は終わる。その存在が目の前にいたというのに、彼らはそれを追いかけることも出来ず、暗い虚空へと溶けていくのを見送った。つまりは世界を救う大チャンスをみすみす逃したということになる。

 さらには魔王本人の有する戦闘能力は並の魔法使いでは到底太刀打ちできないものと聞いている。あの時、あの魔王だというモヤの機嫌次第では3人の首は繋がっていなかっただろう。チャンスを逃した、とは言ったが、それは彼らが知らず知らずに命拾いをしていたということでもある。

 己がどれほどの窮地に置かれていたのかということを今更に知った群青は小さく身震いをした。

「魔王自体は意外とよく顔を出すよ。1年半くらい前からかな、頻繁に現れるようになってね。だからあの絵を描けるぐらいの目撃情報が集まったし、魔王と相対できる戦力を有した魔法使いが必要になってるんだ」

 今回のようにヨルの発生前に現れることは珍しいけどね、と付け加えて紫陽はコーヒーを啜った。まだ熱かったらしく、端正な顔の眉間にはきゅっと皺が寄った。

「俺も一つ聞いていいですか」

 一人、沈黙を守っていた柊馬が口を開いた。

「俺は昔ヨルの中で魔王を見たことがあります。その時見た奴の姿はあんなふうにぼやけたものでなく、はっきりと人間の男性の形をしていたと思います。それに、なんというか、纏う空気が、威圧感のようなものが全然違いました」

 群青が驚愕に震える間、柊馬は何か考えるように顎に手を当てていた。彼の疑問は、群青とは別のところにあった。

 黒く長い髪、マゼンダを溶かした瞳は陰鬱な睫毛が影を落とす。夜の帳を人型に切り取ったような出立ちの男。幽鬼のような不確かさと羅刹の如き苛烈さを備えた冥夜の王。それが協議会が知る魔王の姿である。だがあの時見たモヤにそのような威圧的な気配はなく、二者の間には例えるならばライオンと野良猫ほどの差があった。

「多分、あれは省エネモードのようなものなんだと思う。ヨルの中に現れる時はみんなが知る魔王の姿、それ以外は出力を抑えたあのモヤ。ヨルの王なんてものに何でそんな使い分けが必要かも分からないけれど、あれが魔王だということは間違いないから、そういうものだと思うことにしてる」

 実際のところ、ヨルというものは未だ解明できていない部分の方が多い。

 被害が出ている以上戦わなければならないことは間違いなく、まず優先されたのはヨルという災害を、夜行獣を、魔王を殺す方法を探ること。協議会はヨルへの対処法を見つけたが、それはヨルを生き物に例えるならばその生き物の生態を知らなくとも脳か心臓を潰し灼熱の炎に焚べれば命を奪える、といったようなものである。そもそもヨルとは、魔王とは科学的に何ぞや? という部分に切り込めていないのが現状である。

「ごめんね、私も分からないことが多くって」

「いえ……」

「うん。分からないことだらけなんだ……今回のことだってそう」

 コーヒーカップから顔を上げた紫陽は群青と柊馬を真っ直ぐに見つめた。協議会の拠点でもある辰巳グループ本社ビルに大量発生した謎の夜行獣。この現象もまたヨルという厄災が抱える未知の一つであるのかも知れない。

「だから君たちが必要なんだ。私だけじゃ、いつだって何もできない。みんなのおかげでヨルを倒せてる。みんなのおかげで私は希望を持てる。頼りないリーダーでごめんね、でもどうか力を貸してほしい」

 言いながら紫陽は群青と柊馬の手を握った。

 改めて真っ直ぐな言葉を聞かされるのはなんというか、くすぐったいものがある。

 群青は紫陽の真っ直ぐな目線に耐えきれず顔を逸らしたがそれは柊馬も同じだったようで、ちらりと視線をやると耳が赤くなっていた。群青と柊馬の2人に顔を逸らされた紫陽が行き場をなくして必死に顔を覗き込もうと変な動きをしてくるのでつい吹き出してしまった。

 くねくねと動く一組織のトップの成人男性にひとしきり笑った群青は滲んだ涙を拭った。

「こっちこそ、どれだけ役に立てるか分からないけど、全力を尽くします」

「右に同じです。協議会の敵は俺が全部斬ってやりますから」

 頼もしい弓兵と剣士の返事に紫陽は赤くなった頬を掻いた。

「ありがとう群青くん、柊馬。……いやあ、なんか改まって言われると恥ずかしいね!」

「どの口が言うんですか」

 顔を見合わせた3人は小さく吹き出してまた笑った。


 *


 今日これからの配置指示については巳堂室長が計画を立てている。観測室にその様子を見にいくといった紫陽を見送った群青は柊馬と雑談しつつ観測室からの連絡を待っていた。

 現在2人が利用しているラウンジは広く、現代アートのようなソファが置かれていてそこに寝転ぶこともできる。先程思い切り笑ったので脇腹が痛い。群青が寝転んで上半身を伸ばしていると、通信機から聞き慣れないアラートがなった。

 何事かと身体を起こすと同じように首を傾げる柊馬と目があった。そのときだった。

「おりゃぁぁぁぁ!!!! シスター!! そっち行ったぜ!!」

「了解シスター!! 挟み撃ちだ覚悟しろ!!」

 廊下の端と端から聞き覚えのある叫び声と、件の小型夜行獣数匹が飛び出してきた。

 ラウンジが面している廊下は広い。鶯と鹿乃子が扱う戦斧を振り回すにも十分なスペースがある。

「「アルタイル&ベガ・ビーム!!!!」」

 左斜め下から斬り付ける攻撃をビームとは呼ばない。

 交差するような薄緑とオレンジの斬撃に、小型の夜行獣は為す術なく切り裂かれた。ぽてり、と霧散し始めている一匹が群青の足元に落ちると同時に鶯と鹿乃子のハイタッチの音が聞こえた。

「あれ、アオくんじゃないか。何してんのさこんなとこで」

「あれ、トーマもいるじゃないか。何いちゃついてんのさこんなとこで」

 心外に過ぎる挨拶を無視し、群青は立ち上がった。

「お疲れ双子。今の、例のやつか?」

「うん。さっき偶然集団で見つけてさ」

「すばしっこくて追いかけるのも大変だったぜ」

 やれやれと首を振る鶯と鹿乃子。2人は軽口を叩いているが、今朝の騒ぎからまだ数時間も経っていないにも関わらず既に新たな夜行獣が発生している状況はなかなかに笑えない。このペースが続くのであれば、今後はかなりの頻度で戦闘が発生することになる。

「さっきのアラートはコイツの発生を知らせるものだったみたいだな」

 夜行獣が見えた段階でハウンドを起動していた柊馬は魔法使いの武装をしていた。白いショートブーツの先で消えかけの夜行獣を突いている。

 先程の聞き慣れないアラート。そして共に響いた女性の合成音声は、件の夜行獣の発生を知らせるものであった。通常のヨルと同じように発生場所近くにいる魔法使いに出動要請と、また非戦闘員には避難を勧告するものだが、通常のそれとの差別化のためにアラーム音とバイブレーションパターンが変更されている。

「なるほどこれを聞いて対応するようにってことか」

 興味深そうに柊馬の話を聞いている双子の様子を見るにアラートには気がついていなかったらしい。偶然見つけたと言っていたが、おそらくそれはアラートが鳴るよりも早かったのだろう。夜行獣発生からアラートまでは少なからずラグがあるようで、その間にも被害は広がる。これはいつも以上に気合を入れる必要があるなと生唾を飲んだ4人の頭上から社内アナウンスで紫陽の声が響いた。

 どうやら観測室の方で今後の方針が定まったらしい。4人は指示を受けるべく、再び観測室へと向かった。


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