12,謎の生き物
けたたましいサイレンの音で鶯と鹿乃子は目を覚ました。
昨日は鶯、鹿乃子、深白の3人が当直の担当日であった。合法的に夜更かしができる機会を逃してなるものかと、存分に非日常を満喫していた鶯と鹿乃子は昨夜布団に入った記憶がない。しかし2人の身体にしっかりと軽量型の布団が巻き付いているところを見るに、おそらく深白が寝落ちした2人を介抱してくれたのであろう。その深白本人はというと、既に部屋にはその姿がなかった。
現在時刻は午前5時。まだ日の出の時間帯である。
設定した起床時刻よりもかなり早い時刻に鳴ったサイレンは、ヨルの発生を知らせるものであった。
遮光性の高いカーテンを開けると、1秒前まで夜の底にあった部屋はたちまち朝日の下に浮上する。昨夜3人が存分に散らかしたはずの部屋はもとの無機質な白い部屋に戻っており、鶯と鹿乃子は心の中で深白に感謝&謝罪をしつつ身支度を整えた。
「しろちゃん! 遅くなってごめん!」
「状況はどんな感じだい?」
ヨルの発生場所は3人がいた辰巳グループ株式会社本社ビルからほど近い辰巳学院大学の敷地内であった。
都心にあって決して広大とは言えないキャンパスを覆い切らない程度の、比較的小規模な範囲に発生したヨル。早朝の時間帯では教員や学生の姿はごく少数で、位置的な理由もあり民間人の避難は既に完了していた。
鶯と鹿乃子がヨルの発生場所に到着したのは、既に深白が何体かの夜行獣を葬った後であった。
「鶯さん、鹿乃子さん」
幽霊のような見た目をした夜行獣の、おそらく頭部に当たる部分を貫いて地面に突き刺さっていた白磁の剛槍。それを力任せに引き抜いた深白が二人に振り返った。
「夜行獣は3分の2程度は倒しました。ヨルの範囲も狭いのですぐ終わるとは思うのですが、ただ」
意味深に言葉を切った深白の顔面の横を、丸い物体が高速で通り過ぎていった。
「!?」
「今のなに!?」
戦斧を構えつつ特大の疑問符を頭上に浮かべる双子。すると今度は先ほどの丸い物体と同じものが鶯のお団子の髪に齧り付いて来ていた。
すぐさま深白の槍が丸い物体を貫き鶯のお団子から引きはがした。槍の先端に、銛で突かれた魚のように引っかかっている丸い物体。両手の上に丁度乗り切るくらいのサイズのそれは全体がモフモフとゴワゴワの中間くらいの毛で覆われており、中心にはギザギザの牙が生えた大きな口がある。どういう機序で自重を支えているのか全く見当がつかない細く短い手足はしばらくジタバタともがいた後、力尽きたようにぱたりと動かなくなった。
その後槍の先端で静かに霧散していく丸い物体を3人は丸い目で眺めていた。
「「なにこれ!?」」
「特徴的には夜行獣で間違いないと思うのですが、なんというか、こう、あの、私が言いたいことわかりますよね?」
うん。わかる。なんだこれ。
夜行獣の本質は「喰らう」ことである。故に彼らは獲物を仕留めるための体躯、巨大な口と牙を備えているのだが、この夜行獣は小さく軽く弱い。一応口に牙はついているが、噛まれてもちょっと痛い程度である。お団子ヘアーを解けない程度の咬合力しかない。今まで魔法使いが相手にして来た夜行獣を思うともはや何がしたいか分からない謎の生き物である。愛嬌すらちょっとある。
「と、とにかく。夜行獣である以上倒さないといけないのは確かなので、手分けして、頑張りましょう!」
咳払いをした深白はムン、と両手をグーにして気合いポーズをとる。
「そ、そうだった! びっくりしてる場合じゃなかったぜ! 行こうシスター!」
「りょ、了解シスター! 早く終わらせて3人で二度寝と洒落込もうぜ!」
気を取り直した3人は簡単に作戦会議を済ませ、各自の持ち場に走っていった。
*
早朝に発生したヨルはこれといった問題もなく、無事に鎮静化が確認された。
一度当直室に戻った鶯と鹿乃子、深白は約束通りに二度寝を堪能した後、片付けを済ませてから朝食をとるために食堂へと向かった。
本社ビルに勤務している社員の基本的な始業時間である午前9時。
食堂はその1時間前から営業を開始しており、朝の時間帯限定で種類豊富な朝食メニューを提供している。もちろん通常メニューも朝から注文可能であるため、双子のとてもではないが朝食とは思えない高エネルギーなフルコースの要求もしっかりと満たすことができる。
「お前らとは食堂でよく会うなぁ」
タルタルソースをたっぷりとのせたエビフライに齧り付いている鹿乃子の隣に腰を降ろしたのは柊馬、さらにその隣にいたのは群青であった。
やはり疲弊した様子の群青を見るに訓練の帰りだろう。2人は低温調理した鶏肉とスパイスの効いたソースのサンドイッチを片手に持っていた。
「お疲れさまです柊馬さん群青さん」
ヤドカリのような顔とハサミのチョコレートがついたチョココロネをちぎっていた深白は群青のために椅子を引いた。5人が丁度座ることができる丸いテーブルの中心には、手のひらサイズの観葉植物が飾られていた。
「深白もお疲れ様。そっちも朝大変だったらしいな」
「なんだアオくん。私達への労いは無しかい?」
「そうだぞアオくん。しろちゃんに負けず劣らず大活躍だったんだぞ?」
「はいはいすごいすごーい」
「「心がこもってなあい!!」」
憤慨する鶯と鹿乃子に適当な返事をする群青。どうやら新入りもこの双子の扱い方が分かってきたらしい。
漫才のような3人のやり取りに、深白は薄い唇に指を添えて笑った。
「でも、お2人とも本当に大活躍でしたよ? 今回規模は小さかったですけど、なんというかその……」
件の小さくて丸い夜行獣。
一体一体はハウンドの攻撃であれば簡単に倒せる程度であるが、すばしっこくて数が多い。3人はその夜行獣のためにヨル内部中をあちらこちらへ走り回らせられたのである。
目配せする女子3人に首を傾げる群青と柊馬。
現場にいなかった2人のために鶯と鹿乃子が今朝遭遇した夜行獣について話し始めたが、それよりも群青は廊下が何やら騒がしいことに気を取られた。
すぐにそのざわめきは食堂まで伝播し、席を立つ人間もちらほら見え始めた。
5人を代表して席を立った群青を見送り、残された4人は今朝のヨルの話を続けた。
群青が食堂の出入り口から廊下を覗くと、出社したばかりの社員と思しき人間たちが数人ずつ固まって話をしていた。
皆一様に廊下の奥を指さしており、その声色や表情には困惑の色が浮かんでいた。一体何事かあったのかと、その手近な一団に話を聞こうと群青は廊下へ出た。
「変な夜行獣ねえ」
デザートのチーズケーキをつつきながら、身振り手振りを交えて説明する鶯と鹿乃子。食事を終えた柊馬は2人の話を聞いて腕を組んだ。
「柊馬さんでも見たことありませんか」
頷き一つで肯定の意を返す柊馬。柊馬は深白や双子に比べ協議会に長く在籍しているが、そのような事例には遭遇したことはないし記録で見たこともなかった。
「黒くて、小さくて、丸くて、ほんとに変な感じだったよ!」
「なんかのマスコットとかにありそうな感じだったよ!」
「……それ、もしかしてこういうやつか?」
熱弁する双子の背後から、食堂に戻った群青が声をかけた。どこか困惑したような口調の彼の右手には、黒く、小さく、丸く、全身が毛に覆われた何かが、野球ボールのようにと掴まれていた。
「おかえりアオくん! そうそう、まさにこんな感じ……」
遡ること数分前。群青が廊下に一歩踏み出すと同時に人混みを器用に避けて飛来した謎の物体。群青はその物体を、持ち前の動体視力の良さで華麗に片手キャッチしたのであった。
むぎゅり、と握られたそれに目は存在しないはずなのだが、その数秒の沈黙の間、5人はそれとじっと見つめ合っているように感じた。
「「「「「…………」」」」」
「ギョエッピーーーーーーーー!!!!!!!!」
奇怪な叫び声を上げた謎の夜行獣。それに一瞬怯んだ群青の隙をついて逃げ出した夜行獣は食堂の机や椅子、壁を飛び跳ねて暴れ始めた。
食事中の人間達などお構いなしに暴れ回る夜行獣。あちこちで上がる悲鳴。カトラリーが床に落ちる音。非力な夜行獣にぶつかられたところで怪我のしようもないが、騒然としたその場は優雅に食事などとれる環境ではなくなってしまった。
「あれがお前らが言ってた夜行獣か!?」
「そうだぜトーマ! でもなんでこんなところに!?」
「わけわけんない! ヨルは発生してないよね!?」
夜行獣はヨルの中にしか存在しない。そして夜行獣が出現した場所にはヨルが発生する。しかし外は明るく、ヨル特有の重苦しい霧も発生していない。今なお目の前で飛び跳ねている夜行獣からもそういった気配は感じられない。前代未聞の事態である。
訳が分からない。訳が分からないが、魔法使いが夜行獣を前にしてとる行動は一つである。
鶯と鹿乃子、群青がハウンドを起動し夜行獣を狙うが、大振りな2挺の戦斧は障害物の多いこの場で振り回すには不向きにすぎた。群青に至っては弓を構えるスペースすら確保できずにいる。机の上に乗ればなんとかなりそうだが、食卓でそれをやるのはかなり気が引けた。
「「どうしようーー!!」」
高火力の彼らがハウンドをいつものように振るえば食堂の備品や床を粉微塵にしてしまうことは間違いない。比較的小回りが効く柊馬も、刀身を上段に構えたまま身動きが取れず攻めあぐねてしまっている。
だがこのまま硬直していたところで事態は解決しない。なんだか縦横無尽に跳ね回っている夜行獣が動けない5人を馬鹿にしているようにも見えてきた。
背に腹は変えられないと、二度目の反省文覚悟で群青が弓を引こうとしたとき。
「まかせてください!」
僅かなスペースを縫って兎のように助走をつけた深白が、宙にいた夜行獣を思い切り蹴り飛ばした。
水色の軌道、白いブーツの直撃を受けた夜行獣は、べち! という音を立てて床に墜落した。
「あぁ、そうか。深白はその靴もハウンドだったもんな」
深白が履いているブーツは義足型のハウンドであり、その名をジャッカロープという。
その能力は空気中や深白の体内のイルジオルを利用して虚空に足場を生成するというものだが、ハウンドである以上夜行獣討伐用の武器としての性能も備えているのである。
魔法使いの武装を解いた5人が、霧散し始めている夜行獣を訝しげに見つめていると、天井のスピーカーから社内アナウンスの音声が響いた。
『こちらは観測室です。緊急連絡と指示があります。社内にいる魔法使い、及び観測班の人員は速やかに観測室に集合してください。繰り返します、こちらは——』
食堂の惨状について猫々に説明と謝罪を済ませた5人は、指定された観測室へと急ぎ足で向かった。




