1-2 美少女名人との記念対局
「おはようございます、永久先生!」
「おはようございます、最上先生!」
公会堂の職員たちから続々と挨拶される。
「先生と呼ばれるのは、どんな気分かな」
名人が聞いた。俺は少し間を空けてから答える。
「なんだかくすぐったいですね……」
「私もそうだったよ。十三歳の小娘だったのに、その倍以上の歳の大人から先生なんて呼ばれるようになって。将棋界っていうのは特殊だよね」
実力さえあれば、どんなに年少でもプロになれるのが将棋の世界だ。
永久名人はわずか六歳で、初めて通った将棋道場の有段者の大人たちを根こそぎ倒したという逸話を持つ。
その勢いのままプロ養成機関である奨励会に入会し、史上最年少の十三歳でプロデビューを果たした。
そして連戦連勝を記録し続けて……あっという間に名人の座まで上り詰めた。
十八歳での名人戴冠。こんな記録は今後まず塗り替えられないだろうと言われている。
そんなとんでもない人と、俺はこれから盤を挟もうとしているのだ。
「これまで対局してきた男流棋士たちは……失礼だが、正直言って物足りなかったよ。君にはぜひ善戦してほしいものだけど」
「が、頑張ります」
男流棋士。従来の『棋士』とは別枠のプロ制度。
女性が圧倒的多数の貞操逆転世界において、将棋の愛好家も当然、女性が大半を占めていた。
しかしそんな中にも、将棋を愛する男性はいたのだ。
プロにも劣らない情熱で将棋を学ぶ者がいた。積極的にアマチュア大会に参加し、女性たちに交じって目覚ましい活躍をする者がいた。
そこで日本プロ将棋協会は、特に成績優秀な男性たち――プロ並みとは言わずとも、アマチュアの中では十分強い男性たちに目を付けたのだ。
「棋力に優れた男性たちを将棋普及のためにプロにして、活躍してもらう。『男性ならではの魅力を発揮してほしい』とか、上層部は言っていたけどね。これは好手だと思ったよ」
対局室への道すがら、名人は自分の考えを惜しみなく打ち明けてくれた。
「実際、将棋にはまるで縁がなかったという人も、君らがメディアに露出したおかげで興味を持ったという人が増えているみたいだ」
「それは……いいことですよね」
「ああ、将棋界は今後、もっと華やかになるだろう。……だけど私はね、君らと盤を挟みたいとも考えていたんだ」
「……」
「だって仮にもプロを名乗るなら、そうじゃなきゃ面白くないだろう? ただ将棋普及のために頑張って、ファンの注目を浴びてくれればいいだなんて、君らにとっても失礼じゃないか」
そこで企画されたのが、四人の新男流棋士と名人との記念対局。
しかし現在までの成績は、男流側の0勝3敗。名人が貫禄を示していた。
おそらく世間は、今度も名人の圧勝だと疑っていないんだろう。
公会堂でもっとも格式の高い特別対局室に到着する。まず目に入ったのはカメラを構える報道陣だった。
「最上銀河さん! 最年少の男流棋士として意気込みは?」
「……胸を借りるつもりで精いっぱいやります」
「ははっ、巨乳で知られる名人相手なだけにですか!」
当たり障りのない?やりとりをしているうちにも、永久名人が上座に座った。
芯が一本通っているような、美しい正座だった。これほど美しい女性は見たことがないと思った。
報道陣の見守る中、俺もそわそわしながら名人の向かいに座る。
「最上くん、ルールは把握しているかな?」
「ええ……大丈夫です」
この記念対局は、名人が大きなハンデを負っている。
俺が持ち時間一時間なのに対し、名人はたったの十分。
さらに先手は俺と決まっている。将棋は先に相手の王様を仕留めればいいというルールなので、先攻が若干有利とされているのは統計からも明らかになっているのだ。
これで勝てなければどうしようもない。しかしこれまでの三度の記念対局、名人はいずれも圧勝していた。
それほどまでに、男流棋士と名人との棋力には開きがある――
「いい勝負をしよう。お願いします」
「お願いします」
互いに礼をして、対局が始まった。
俺はまず角道を開けた。将棋のもっとも基本的な序盤だ。
対して、名人は飛車先を伸ばしていく。これも当然すぎる一手。
「では、サクサク進めていこうか」
俺は慎重に進めるが、名人はテンポよく指していく。
あちらは持ち時間が短いのだから、いちいち序盤に時間にかけないのは当然の話だ。
しかし俺は彼女の胸の内に――真剣さが足りないと感じた。
なぜって? なぜでも、仕草からわかってしまったのだ。
「永久先生」
「うん? なんだい?」
きっぱりと、その美しい瞳を見据える。
「手加減はされたくありません。本気でかかってきてください」
ピシイッ! ひときわ高く駒音が鳴った。
駒を動かす時は、別に大きな音を鳴らさなくてもいい。
今のは単純に、俺の意思表示だ。
男だからって舐めるなよ、と。
「ふうん――」
名人の目が鋭くなった。
指し手が少しずつ、遅くなっていく。
時間をかける。俺の手をしっかり読めるように。
そこで俺は、逆にペースを上げていく。
「むっ――?」
驚いた様子の名人。
持ち時間の多い俺が、あえて早指しして手番を向こうに渡す。
それは相手に、ただでさえ少ない時間の消費を強要することを意味する。
「そういう作戦で来たのは、君が初めてだ」
「どういたしまして」
表面上は、名人は平静を保っているように見えた。
しかしやはり、持ち時間の差は大きすぎた。いかに名人と言えど、わずかな時間では膨大な変化を読み切れない。
所詮は記念対局。本気の本気でぶつかる相手だとは思っていなかっただろう。
それでも並の男流棋士相手なら、どうとでもなったのかもしれない。
だけど俺は――彼らとは違う。
あの地獄の奨励会をくぐり抜けた、正規の『棋士』なんだ。本来だったら!
「くっ……!」
インターネットで全国中継され、その美しいご尊顔が流れているにもかかわらず、名人は焦燥を隠さなかった。
悩みに悩んだ様子だったが、明らかに最善ではない手を繰り出してしまう。
俺はそれを、的確に咎めていく。
「む……? ふうむ……そうか……」
劣勢になると、人はむしろ冷静さを取り戻すものらしい。
あとは双方とも、自然な手順を続けていった。
名人が敗北にいたる道だ。どうあがいても彼女に逆転の目はなかった。
「負けました」
名人が深々と頭を下げた。
すぐに上げられたその顔は……意外だと思っているのか、悔しいと思っているのか、どうにも判断の付かない微妙なものだった。
ともあれ勝負は決着し、対局室の襖を開けて再び報道陣が入り込んで来た。
「名人、まさかの敗北でしたが!」
不躾な質問に、名人は爽やかな笑顔で応答した。
「まさかなんて、とんでもない。彼は強いよ。今回のハンデじゃとても勝てなかったよ」
感想戦が始まった。対局開始からのすべての指し手を再現しながら、ここが良かったここが悪かったと、細かく振り返っていくのだ。
名人は俺の手をことごとく褒めてくれた。
「この手は見たことがなかったな。君の研究かい?」
「ん……まあそんなところで」
「もう少し時間があれば対応できたかもしれないけど、ちょっと無理だったよ」
ははは、と笑う報道陣。
もしかしたら彼女たち(当然みんな女性だ)は、名人が俺に花を持たせたと思っているのだろうか?
注目の男流棋士たちとの記念対局。そのすべてに圧勝してしまってはつまらないから?
だが……当の本人は、そんなつもりは微塵もないらしかった。言葉にしなくても、雰囲気でわかる。
「最上くん、本当に強かったよ。できるなら、次は対等な条件で戦いたいね」
感想戦が終わり、駒が片付けられる。
対局室を出ようとする俺に、名人が声をかけてきた。
「最上くん、このあと時間はあるかな」
「えっ?」
「よければ、なんだけど」
彼女の頬は、林檎のように赤く染まっていた。瞳は波打つみたいに潤んでいて――
「私の自宅に、来てくれないかな……?」




