4-4 男流名人戦④
昼食休憩が終わり、午後の戦いがスタートする。
「――っ!」
タケルは不安を振り払うような顔つきで、駒音高く次の手を指した。
……それは必然の手であり、驚くようなことはなかった。
そして彼は気づいていないかもしれない。
自分が長く考えるということは、相手もその間に長く考えられるということだ。それも、先の展開を予想しながら。
俺はすでに、タケルが最善手を指してきた場合の応手、次善手を指してきた場合の応手についてある程度の方針を立てていた。
今回は前者。どうやら迷うことはなさそうだ。
「ふううっ……」
俺はひとつ深呼吸すると、駒音を立てず、静かに着手する。
しかしタケルにとって、その静けさこそが巨大な重圧となっていることだろう。
そこからは必然の応手が続いた。
タケルも恐れずよく手を伸ばしてくる。しかしすでに開いている差を縮めるには至らない。
「――よし」
いよいよ俺はタケルの穴熊に手をかけた。あとはじわじわと寄せていく――囲いを形成する金銀を削っていくだけ。
一方、タケルの攻めが俺の玉に届くには、あと三手は足りない。終盤戦においては絶望的な遅れとなっている。
なのでタケルは攻めを諦め、粘りに入った。俺が寄せを間違えることを期待して。逆転の可能性をわずかでも残すため。
しかし俺は間違えない。
「寄せは俗手で」の格言通り、平凡ながら厳しい手を指し続け、相手玉の命運を断ちにいく。
「むう……」
タケルはお茶を一口飲んだ。
それから姿勢を正し――勢いよく頭を下げた。
「負けました!」
「ありがとうございました」
最上銀河男流初段、公式戦初勝利。
しばし、ふたりとも無言だった。全力で戦った疲労感が押し寄せる。
やがてタケルが口を開いた。対局中の険しい表情はもうなく、爽やかな面持ちだった。
「やっぱり強いなあ、銀河」
「三間飛車で来ることは予想してたから。みっちり対策してきたんだぜ」
「そっか。得意戦法だからワンチャンあると思ったけど、さすがだったよ。とりあえず最初から振り返ろうか」
感想戦は一時間ほどにも及んだ。タケルは負けたとはいえ、プロという立場で全力を出して戦えたのが嬉しそうだった。
控え室に戻り、和服から普段着に着替えたところで、玉輝さんがやってきた。
「まずは緒戦勝利、おめでとう」
「ありがとうございます。結構いい将棋だったと思うんですけど」
「他の棋士たちも感心していたよ。理想的な三間飛車破りだってね。このあと食事に誘いたいなんて人もいるんだけど、どうする? あわよくばホテルに誘いたいって人も何人かいるけど」
熱闘のあとで食欲も性欲も満たしたいところだが、よく知らない人に付いていく気分にはなれなかった。
「すいませんが遠慮させてください」
「わかった、そう伝えておくよ。……でも、何もなしというのもつまらないだろう。よかったら、うちでささやかなお祝いをさせてもらえるかな」
「お祝いですか?」
「もちろん銀河のデビュー戦勝利のお祝いだよ。ついでに昨日関西に遠征していた香音とロキシーが、両方とも勝ったんだ。彼女たちのねぎらいも兼ねてさ」
「いいですね! じゃあまたお邪魔します」
将棋公会堂を出て、俺と玉輝さんは永久邸に直帰した。
玉輝さんから連絡をもらった香音ちゃんとロクサーヌも、すぐにやってきた。
「銀河さん~! 見事な勝利でしたね!」
香音ちゃんが小さな体で勢いよく抱き着いてきた。
「ありがとう。俺は香音ちゃんの勝った棋譜、まだ見てなかったんだけど、どうだったの?」
「ふっふっふ、それがですね! 四間飛車で勝ちましたよ!」
「ほー、さっそく裏芸を披露したんだ」
「相手はまるで予想もしてなかったみたいですよ。それでも苦労はしましたけど、どうにか勝てました!」
するとロクサーヌも抱き着いて、頬に熱いキスをしてきた。
「ワタシも同じく振り飛車、中飛車をやりマシタ! 相手はいきなり頭を抱えるほど驚いてマシタ。ワタシ、公式戦じゃ今まで一度もやったことなかった作戦デス」
「それで勝てたのはすごいじゃないか。まだ慣れてないだろうに。センスがあるんだな」
「フフッ、相手の裏をかくのは、とっても楽しいデース♪」
夕食は玉輝さんがデリバリーのピザを注文してくれた。Lサイズの豪勢なのを、三枚も。
俺たちは勝利の余韻に浸りながら食欲を満たした。格別の美味さだった。
そしてその後は、入浴。
今夜は香音ちゃんが俺と一緒に入ることになった。
「ねえ銀河さん……あたしたち、ずっとこのままでいれればいいですね」
「ん……?」
ぬるぬるした薄べったいボディを擦りつけながら、香音ちゃんは可愛いことを言ってくれる。
「棋士と男流棋士。立場は違くても、将棋を愛する心は一緒です。ずっとずっと仲良くしましょうね」
「……ああ、もちろんだよ」
「あたし、もう銀河さん以外の男の人は、考えられないですから」
甘い言葉を投げかけながら、敏感な箇所に手を伸ばしてくる。
「だから銀河さんも、あたしのこと……いつまでも愛してくださいね♡」
いつまでも勝利の余韻に浸る者同士、その夜は一段と燃え上がった。




