4-3 男流名人戦③
翌朝。俺は永久邸から将棋公会堂へと直行した。玉輝さんも伴って。
「いい顔だね銀河。睡眠時間も足りてるようで何よりだ。昨夜、手加減してあげた甲斐があったよ」
そんな会話をあけっぴろげにするものだから、職員たちにざわざわされてしまう。
「め、名人! もしかして昨日は最上先生と? きゃーっ♪」
「最上先生、すっかり名人のお気に入りになったのねぇ~」
俺と玉輝さんの関係は、完全に将棋界全体に広まっているようだった。
「玉輝さん……恥ずかしいですから」
「ごめんごめん。対局前にあまり興奮させたらいけないね。じゃあ、私は今日も検討室で観ているから」
「はい。いい将棋を指してきます」
まずは和服に着替えるため、控え室に向かう。呉服店のスタッフが笑顔で待っていた。
「それでは、しっかり着付けさせていただきますね」
デビュー戦が和服着用なんて、元の世界ではまずありえなかったことだ。
俺の胸の内に、闘志が湧き上がる。ネット動画も配信されるし、この格好で恥ずかしい将棋は指せない。
着替え終えた俺は、意気揚々と対局室に向かった。
そこにはすでに、俺の相手が正座をして待っていた。
「おはよう、銀河。ついにこの日が来たな」
「おはよう、タケル」
渡部武尊男流初段。トレードマークの尖った茶髪が、きっちりした和服と斬新な組み合わせになっている。動画を視聴しているファンたち……そして検討室で観ている棋士たちも、さぞかしうっとりしているのではないか。
タケルの目は、鋭かった。この一局にかける強い意気込みをひしひしと感じる。
先日の懇親会では、俺とは角一枚の差があるなんて自嘲気味に言っていた。
そこから短期間で劇的なレベルアップができるとも考えにくい。それでも彼は、決して最初から負ける気で戦おうとは思っていない。
だから俺も、全力を出す。それがプロとしての礼儀だ。
時間になった。記録係の奨励会員が対局開始を宣言する。
「それでは渡部先生の先手で始めてください」
「よろしくお願いします」
互いに一礼。タケルはゆっくりと気息を調えてから、静かに第一手を指した。
俺も少し、感慨に浸ろうと思った。
幼い頃から夢見ていたプロ棋士デビュー。
貞操逆転世界の男流棋士なんてのになってしまい、当初の予定とはだいぶ違ってしまったけれど――これが俺の公式戦初登場には違いないんだ。
俺の将棋で、ファンも、同業者たちも魅了してみせる。その気持ちを込めて最初の手を指していった。
俺は予定通りの居飛車志向。タケル、お前はどうだ?
「……よしっ」
タケルはそんな声を出してから、飛車を手にした。
移動させたのは、左から三筋目。
三間飛車だ。予想通りの戦型でやってきた。
そしていかに王様を守るかも明らかにしていく。
(穴熊……か)
タケルは一目散に、飛車とは反対側の隅っこに王様を潜らせていった。その後に金銀でがっちりと囲っていく。
穴熊。数ある陣形の中でも容易に王手がかからず、もっとも固いと言われる。
玉輝さんとの記念対局では披露できなかったが、もしかしたらタケルは、この三間飛車+穴熊を一番の得意戦法にしているのかもしれない。
しかし、そういうこともあり得ると考えていた。この戦型も、永久研でしっかり練習を積んできたのだ。
(お互い全力を出せそうだな、タケル)
居飛車側も穴熊にするという選択肢はあるが、俺は実のところ穴熊がさほど好きではない。
振り飛車に対しては、守りはそこそこにして、急戦。急いで攻めるのが俺の信条だ。
そこから互いに、いくらか手が進む。
「っ……!」
タケルは前のめりになって盤面を凝視している。
昨日の藍沢さんと浜崎さんの対局は、午前中はじっくりとした序盤戦だった。
しかし今回は、俺が素早く仕掛けたため、すでに中盤戦に入っている。
現在の手番はタケル。すでに三十分近くの長考に沈んでいた……。
「ふうっ……」
タケルが席を立った。気がつけば正午。昼食休憩に入ったのだ。
自分の手番で休憩に入れば、さらに考えられる計算。公式戦では重要なテクニックのひとつである。
控え室に戻った俺は、用意されていた料理の前に座る。
俺もタケルも、注文したのはカツ丼だった。昨日の藍沢さん、浜崎さんと同じ。やはり勝負に勝つとゲン担ぎをしたくなったのだ。
一口カツを囓ると、濃厚な味が口内に広がっていく。思考にエネルギーを費やし続けた脳内にも、じんわりと栄養が行き届いていくようだった。
しかしタケルのほうは、はたして味がしているかどうか。
(悪いがタケル、一気に決めさせてもらうぞ)




