第65集 太后親征
「そうか…呼延灼将軍が戦死したか…」
高宗は天を仰ぎ見た。海塩府は、もう持ち堪えられないだろう。その日のうちに高宗は脱出した。
1127年に靖康の変が起きて高宗が即位したが、南宋が建国されるのは、高宗が杭州の臨安を首都とした1138年であり、まだ11年も先の事である。歴史上では北宋が滅んだ1127年に高宗が即位している為、これより南宋とされるが、この時代を生きている高宗達にとっては、まだ宋の時代なのだ。
靖康の変が起こると、高宗は南京に逃れた。そこには偶然にも、徽宗の先代である哲宗の皇后であった元祐皇后(廃后されていた為に実家に戻っていたので、靖康の変に巻き込まれなかった)がいた。他の有力な皇室の者らが北に連行された為、元祐皇后の指名を得て大宋国第10代目皇帝として高宗は即位した。宋の命脈を保つ為、と言う大義の元に即位したのである。
しかしこれは、宮中で正当な手続きを得たものでは無く、高宗の即位に反対する大臣も多かった。その為、兄の欽宗が万が一にも解放されれば、高宗は簒奪者の汚名を着せられる事となる立場であった。
「これから、一体どうすれば…」
宋国は事実上の滅亡である。しかし金国には、まだ広大な宋国の領土を支配するだけの力は無い。南で政権を樹立すれば、まだ巻き返せるに違いない。北伐を敢行し、金人を追い出す事が出来れば宋国は再興出来る。そう信じていた。
やるべき事は山ほどある。何から手を付ければ良いのか、分からないほどに。高宗は途方に暮れた。その間も高宗は金軍に怯え、逃げ続けた。
「この状況を打開する策が御座います」
「どう打開すると言うのだ?」
「はい、上皇の側室でした花娘子様に皇后位を授けられ、正式に太后とするのです」
「花太妃を?何故だ?」
「はい、花太妃は、元々は童貫に拾われた子飼いの部下でしたが、その美貌に惹かれた上皇様が妃嬪に列せられました。その用兵は童貫から学び、その武勇は実は東の大宗師様だと言う話しで御座います」
「大宗師だと!?」
「はい、本来なら大宗師は浮世に関わろうとしません。しかし花太妃は、すでに多くの事に関わって御座います」
先代から次代へと譲位されるとその妃嬪達は、皇后は太后(皇太后)として、四妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃)は太妃(皇太妃)となって後宮に住み続け、現皇帝の母と言う立場になる。
それ以外の妃嬪達のうち、子供を生んだ者は後宮に残れるが、そうで無い者は臣下の妻として払い下げられたり、尼僧として出家させられた。
尚、皇帝が崩御した場合は、才人以下の下級側室で子供を生んで無い者は、朝天女(殉葬)にされた。また身分が高くとも、特に寵愛を受けていた者も朝天女(殉葬)にされた。もっとも身分の高い妃嬪は、賄賂をばら撒いて、自分が朝天女の候補から外れる様に仕向けるのだが。
「俺、いや、私が太后に?」
青州の山奥に潜んでいた俺を、沈大監が詔を携えてやって来たのだ。
「はい、陛下にとって太后娘娘は、大切な義理の母で御座います。是非とも後宮にて、ご指導を承りたいと陛下は仰せです」
確か史実では、元祐皇后が垂簾聴政を行うはずだ。元祐皇后は廃后されているので、その存在も実は微妙な立場にある。そして、依然として高宗の即位に疑問視する声も多く、高宗を簒奪者だと思っている者もいる。高宗の立場は前途多難だと思った。
(待てよ?俺が太后になって実権を握れば、先の未来を知る俺なら、今度こそ未来を変えられるかも知れない)
俺はそう考えた。数年もすれば秦檜が主戦派を抑える約束で、宋国への帰国が許されるはずだ。俺が岳飛の後ろ盾になって守れば岳飛が死ぬ事は無く、岳飛が生きていれば宋国は滅びなかった説を実証出来る。
しかもこちらにはまだ、僅か8千の兵で四太子が率いる10万の軍を壊滅させた韓世忠がいる。その未来は、1129年だからまだ2年先の話だが…。
「楊志…吹毛剣を借りて行くわね」
日本の侍であれば、刀は武士の魂だ。中国人の楊志がどうだったのか分からないけど、先祖伝来の宝剣を大切にしていたのは間違いない。この剣は、楊志のたった1つの形見だ。吹毛剣の中に、楊志の魂が眠っている気がした。
「花太后娘娘(皇太后様)、どうか我らをお導き下さい」
1127年の高宗は、20歳である。対して俺は、恐らく1112年に来たので1127年の今は、この世界に15年いる事になる。相変わらず童顔で、未だに見た目年齢は15~16歳くらいに見えるが、30歳を超えたはずだ。高宗とは10歳くらいしか離れていないのに、母上様と呼ばれるのは何だかむず痒い。
垂簾聴政を行う事となった。垂簾聴政とは、病弱であったり、幼い皇帝の代わりに簾越しに政務を聴いて裁可し、実権を握る事である。
高宗は20歳なので幼くは無いのだが、白羽の矢が立ち皇帝にされても政務を執った事が無いのだから、いきなりやれ!と言われても無理と言うものだ。史実でも初めのうちは、元祐皇后が垂簾聴政を行っていた。俺は童貫の側で政務を聴いていたので、流れや掴みは何となく分かる。
「岳飛、韓世忠、張俊、劉光世の4人は中興四将である。彼らの地位と権限を保証し、金に対抗させよ!」
「陛下は英明なり!」
俺は簾越しに、高宗だけに聴こえる小声で指示をした。俺は当然、主戦論者であるので、降伏派や和平派の進言を全て却下し、北伐を推進した。
「金に名将は多いけど、何と言っても 兀朮だな。あいつをどうにかする必要がある」
そして俺は決断した。
「よし決めた。朕が自ら出陣する!」
俺は高宗から、一人称で自らを「朕」と呼ぶ栄誉を許されている。通常、皇帝以外の高位者(王など)は、一人称を「余」と呼称する。例を挙げれば、漢帝在位中の魏王・曹操は、一人称を「余」と呼んでいたのを思い出して頂けるだろうか?
「お待ち下さい!太后が自ら出陣されるなど、前代未聞ですぞ!?」
「ははは、何を愚かな事を言う?朕が倭人だと思うて、知らぬと侮るか?統和27年(西暦1009年)に死去した蕭燕燕を知らぬとは言わせぬぞ!!」
蕭燕燕は遼の景宗の皇后で、景宗が亡くなると遼国の実権を握り、自ら兵を率いて宋に南侵した。蕭太后は弓の名人で、百発百中の腕前だった。実父である宰相が暗殺された時は、犯人を探し出して獲物を狩る様に、実行犯と黒幕をその弓で射殺して恨みを晴らした。
宋国と澶淵の盟を結んだ事で知られる女傑である。尚、この澶淵の盟によって、宋は兄、遼は弟とし、宋は毎年遼国へ銀10万両、絹布20万匹の歳幣を約束した。宋国は面子を重んじたが、遼国は実益を取った形である。
蕭燕燕が亡くなってから、まだたったの118年だ。澶淵の盟は宋が受けた屈辱の歴史でもある。だから知らぬとは言わせないし、知らぬと言えば国への不忠で処分され兼ね無い。だから誰も反論が出来なかった。
「よし、話は纏まったな?では岳飛と韓世忠、張俊と劉光世を呼べ!」
呼べと言っても彼らは外地で防備に当たっているから、南京まで来るのに日数がかかる。それまでの間に、戦の準備を進めるのだ。
「それから、宗沢を召し出す様に」
宗沢とは、あの岳飛を見出した事でも知られる抗金の英雄の1人だ。ここ南京で、まだ康王であった高宗に即位する事を進言したのも彼である。今は東京開封府留守となり、略奪の限りを尽くす匪賊を鎮圧し、金の四太子の軍勢を打ち破って防衛に成功した。以来、金軍から「宗爺爺」と呼ばれて畏れられた。
宗沢の才能に気付いて重く用いる様になったのは、宰相となった李綱であったが、靖康の変の少し前、和平案に強く反対した為に欽宗によって処刑されていた。
宗沢は主戦論者である。だから俺は、彼を新たな宰相にしようと考えたのである。
「例え秦檜が金から戻って来ても、もうお前の場所は宋には無い…。あははは」
笑っている自分に、そう言えば久しぶりに笑ったと感じた。梁山泊が事実上解散に追い込まれ、それ以来、笑う事も口数も少なくなった。
ふと気になり、手鏡を取り出して自分の顔を見た。この世界に来た頃は、15~16歳くらいだったはずだ。今の俺は30歳を超えたはずなのに、鏡に映る俺の姿は信じられない事に、15年前のままだった。
「ステイタス オープン!」
ステイタスを開くと、有り得ない文字が目に飛び込んだ。
「不老不死?」
己の目を疑って三度見した。何度見てもステイタスには、『不老不死』の文字があった。
「何これ?ま、まさか…本当に不老不死?前に見た時は、寿命以外では死なないと書いてあったはずだ」
ずっとこの姿を維持なんてしていたら、迷信が信じられる時代だ。恐らく化け物扱いされて、殺そうとするに違いない。この姿でいても不思議では無いのは、せいぜい後10年くらいだ。その後は顔に傷が付いたなどと言って顔を隠し続け、それが出来ても50年くらいか。
南宋がモンゴル帝国によって滅ぼされるのは、西暦1279年だ。さすがに150年後まで生きている訳にはいかない。1度どこかのタイミングで死んだフリをして、別人を名乗って戻って来るしかないな。そんな事に思いを馳せた。




