第66集 皇女達の悲劇
金軍を率いて南下を続ける 兀朮も、宗沢に敗れて北に帰った。北に連行された女性達は、宋国に屈辱を与える為に妻娘を父や夫の眼前で犯した。救おうとした気骨のある者もいたが、妻娘の目の前で顔の皮を削がれて頭蓋骨を露出させ、喉を切り裂いて殺された。それを見た妻娘は恐怖で失神し、抵抗する気力が失せた。
しかし全ての皇族の娘らが、不特定多数の男達から犯された訳ではない。後宮の美女3000人とはあくまでも例えだが、それでも徽宗の妻らが美女であったのは間違いない。徽宗の父も母も美男美女である。徽宗もまた同じである。美男美女から生まれた子供達もまた、美男美女であった。
徽宗の娘達は絶世の美女であり、粘没喝や斡離不 、 兀朮らは争って自分の妻(側室)にした。彼女達が幸か不幸か分からない。しかし、少なくとも不特定多数の男達から犯される心配は無くなったのである。
特に徽宗の側室であった劉貴妃(既に病死している)は美しく、その娘である康福帝姫・趙福金は絶世の美女として知られ、第5皇女であった彼女は徽宗から特に可愛がられて育てられた。(彼女が美少女だっただけでは無く、亡き母である劉貴妃を深く愛していたのも理由の一つ)
趙福金は蔡京の五男・蔡鞗に降嫁していたが、欽宗によって蔡京が流刑となった時に、蔡京の一族は全員処刑された。蔡鞗は趙福金の夫だったお陰で死刑を免れ、監禁刑に処された。
その後、靖康の変で斡離不に趙福金の侍女・李氏が献上された。その侍女から趙福金の美貌を聞かされ、何としても欲しくなった斡離不は、領土と賠償金を譲歩する姿勢を欽宗に見せて趙福金を要求した。
欽宗は了承して趙福金を斡離不の妻としたが、粘没喝に強く反対されて譲歩の話は有耶無耶となった。しかし斡離不は趙福金を手に入れて喜び、彼女を寵愛したと言う。
粘没喝は、徽宗の第19皇女である順徳帝姫・趙纓絡を側室とした。趙纓絡は始め、向子扆に降嫁していたが、靖康の変で金に連行され、粘没喝に一目惚れされて次婦(妾妻)にされた。
兀朮が金に帰国すると、皇族達が徽宗の美しい娘達を奪い合っていた。 兀朮も、徽宗の第32皇女である儀福帝姫・趙円珠を気に入って側室とした。
金の皇族達によって、無理矢理に側室にされた皇女達は他にも大勢いるが、この辺りで割愛しよう。尚、徽宗の娘達は、35人いるが、第27皇女の和福帝姫・趙金珠と第28皇女である永福帝姫・趙仏保 だけが金で洗衣院(妓楼)に入れられた。
妓楼は必ずしも身体を売る仕事をする訳では無かったが、この洗衣院は違う。性行為を目的として作られ、金の皇族や貴族達の御用達の高級ソー◯ランドであり、日本の吉原でもあった。
洗衣院に入れられた者達は、毎日数十人もの男達に代わる代わる抱かれるだけの生活で精神がおかしくなり、身も心もボロボロの生き地獄を味わった。欽宗の朱皇后はこの生活に耐えられず、1年もせずに入水自殺を遂げた。
気付いた読者もいるだろうが、中国は古代より夫婦別姓であり、例えば宋の皇族は趙氏で、その妻が劉氏とする。夫婦はそれぞれの姓を名乗り、その子供は父親の姓を名乗る。故に徽宗の娘達もまた、名字は趙氏なのである。




