第五十一話 ……わかる。わかるぞ、ステラ。俺も最初はそうだった……
ステラが祥吾たちの屋敷にたどり着いてから
数ヶ月の月日が過ぎ去った
空腹と精神的打撃により
ボロ雑巾のように弱り切っていた彼女の心身も
きな子と千草による献身的な介護により
そう日をおかずに目覚ましい回復を見せていった
もともと、獣人の血が半分流れているステラの身体能力や治癒力は
普通の人間よりもはるかに優れているらしい
生傷だらけだった肌が、祥吾たちが驚くほどの早さで綺麗に治っていく様は
生命力の強さをまざまざと感じさせるものだった
しかし、肉体の傷は治っても、心に負った深い傷はそう簡単には癒えないだろう
世界から拒絶された精神的な傷は
彼女の身の上話から察するに
相当な癒やしの期間と根気が必要になるだろうと
祥吾は家長として密かに覚悟を決めていた
だが、その心配は完全に杞憂に終わった
もちろん、きな子と千草の温かい支えのせいでもあったろう
だが、体調が回復し、西園寺家の日常の中で過ごすようになって
ステラには過去の傷を振り返る余裕が
物理的にも精神的にもないようであった
なにしろ、ただでさえステラは
ここを神様の国だと思い込んでいる
創造神にそっくりな神爺はもちろんのこと
祥吾や千草に対しても、恐れ多くも神様と同じくらい偉い存在として
廊下ですれ違うたびにビクッと立ち止まり
深々と頭を下げるような態度で接しているのだ
常に緊張の連続である
それに加えて、少しずつ千草やきな子の日常の仕事である
屋敷の掃除や畑仕事を手伝う中で
ステラを大いに戦慄させる存在がいた
この屋敷の動物たちである
「ブルルッ」
「メェェ」
「ケコーッ!」
「ウモォー」
愛馬の疾風、山羊のハナ、鶏のタマたち、牛のポチたち。
ただの動物であるはずの彼らが
不可思議な知性を持って
いかにも、自分たちの方がこの家の先輩である
とでも言いたげな明らかな新参者扱いの視線を向けてくる
ただでさえ獣の勘が鋭いステラは
彼らの放つ謎の圧力にに怯え
毎日ビクビクしながらブラシかけやエサやりなどの世話に奔走していた
そして、何よりも極めつきだったのは、アズキの存在である
ステラの常識、いや、この異世界の常識から言えば
空を統べる巨大な龍など
出会えば町など一瞬で消え去り
もし姿を発見されたら
国を挙げての緊急討伐態勢を取る必要があるほど
魔物の中でも最上級に危険な厄災そのものだ
その最上級の危険生物が、なんの拘束具もつけられず
犬や鶏や牛などの家畜たちと一緒に厩舎で大人しく丸まっており
あまつさえ千草やきな子に
「どう? アズキ、気持ちいいかな?」
「クァッ(気持ちいい)」
などと能天気に世話をしてもらっているのだ
ステラが、そのことを祥吾たちに力説してくるのだが
祥吾には、あまりぴんと来ない
いまや、祥吾にとって、アズキは愛犬のようになっていた
ステラからすれば、狂気の光景であった
そのあまりにも規格外な日常の連続に
ステラの脳の処理能力はとっくに限界を突破し
過去のトラウマなどという繊細な感情は
文字通りはるか彼方へと吹っ飛んでしまったらしい
ある日の午後
厩舎の前で、アズキが寝転がりながら
千草に腹を撫でられている光景を
縁側からほうきを持ったまま眺めていたステラ
その焦点が完全に定まっていない虚ろな目と
理解を放棄したように浮かべられた
引きつった半笑いの表情を見た祥吾は
(……わかる。わかるぞ、ステラ。俺も最初はそうだった……)
かつての、千草の過酷なサバイバル基準と
この屋敷の不条理さに心を折られかけていた
昔の自分を見ているようで
祥吾は深い、深い憐憫の念を禁じ得ないのだった




