第四十ニ話 旦那様? どうかされましたの? な、なんでもない!ちょっと風切り音が鳴っただけだ!
きな子が、年相応の子どもらしい屈託のない笑顔を
見せてくれるようになったことは、喜ばしいことではあるが
それが、自分のへたれが原因となれば、手放しでは喜べない
(なんとかして、俺の威厳を取り戻さなければ…… 名誉挽回を図らねば……っ!)
どうすれば頼れる家長としての姿をきな子に見せられるか
祥吾が腕組みをして真剣に頭を悩ませていたとき
ふと、ある閃きが脳裏に舞い降りた
地図の作成だ
正確には、地図の作成のために行っている空中捜索を
きな子にも体験させてやろうと思いついたのだ
以前のように、ただの戸板一枚の上にうつぶせになって
空を飛ぶというスリル満点(かつ危険極まりない)やり方ではなく
もっと安全で快適に行える形で
すでに祥吾は、『アズキゴンドラ一号』を作り上げていた
これに乗れば、きな子も怖がることなく
祥吾の操縦の腕に尊敬の眼差しを向けるに違いない
祥吾の胸には、揺るぎない自信が満ち溢れていた
庭の真ん中に鎮座する、その『自信作』を前にして
「……自信、ねぇ?」
小さな腕を組んだ神爺の声には
これ以上ないほど濃厚な疑いの色が滲んでいた。
「だ、大丈夫ですわ、屋敷神様。……
ほら、見た目は、その……あれですけれど
とても頑丈に出来ていそうですもの」
千草も一応夫をフォローしようと口を開いたが
どう見ても「大丈夫そう」には見えていない様子だった
無理もない。
祥吾が、蔵に眠っていた古い戸板や資材の木材をノコギリで切り出し
釘で打ち付けて作り上げたソレは
控えめに言っても「継ぎ接ぎだらけの不格好な木箱」にしか見えなかったからだ
一応、高所から安全に下を覗き込めるようにと
床の一部には覗き窓をはめ込むなど
祥吾なりの細やかな工夫が随所に凝らされてはいる
だが、いかんせん外観が不格好すぎた
「大丈夫だ!」
不満げな二人の反応に、祥吾は胸を張って力強く反論した。
「たしかに、ここに至るまでには失敗らしきものもあったが……
それらの教訓を活かして
今は絶対の信頼に足るものが出来上がったのだ!」
その高らかな宣言を聞いた瞬間
神爺の顔からスッと血の気が引き
祥吾の耳元まで飛び上がってきて
ギリッと歯を食いしばりながら小声で怒鳴った。
「ばかもん!! 奥方の前で、余計なことを言うでないわ!!」
「あっ」
ハッとした祥吾が慌てて千草の方を見ると
千草は「失敗……?」と、何のことか全く分からずに
きょとんと小首を傾げているところだった
実は、祥吾は千草に内緒で
このゴンドラのテスト飛行を何度か極秘裏に行っていたのだ
実際にアズキの強靭な爪でゴンドラを掴んでもらい
上空の風圧に耐えうるか、うまく安全に飛行できるかを試していたのだが……
そのテスト飛行の最中。
一度だけ、上空数百メートルの風に煽られたゴンドラが
空中で「バキィッ!」という派手な音と共にバラバラに
分解したことがあったのだ
足場を失い、真っ逆さまに虚空へと投げ出された祥吾
当然、祥吾の胸ぐらを必死に掴んでいた神爺も
絶叫と共に完全なる道連れとなった
眼下に恐ろしい速度で迫り来る森の木々
幸いにも、事態に気づいたアズキが弾丸のような速度で急降下し
空中で見事に二人の身体を背中で柔らかく受け止めてくれたため
大事には至らなかった
もし千草が、夫が(自分の知らないところで)空から墜落しかけたなどと知れば
二度と空を飛ぶことなど許してはくれないだろう
「な、なんでもない! 試行錯誤の末の、輝かしい完成品だということさ!」
引きつった笑顔で必死に誤魔化す祥吾の額には
冷や汗が滝のように流れていた
ともあれ、大空への準備はついに整った
きな子には、祥吾が前もって
これからどんなものに乗るのか
空からの景色がどれほど美しく、気持ちが良いか
を、身振り手振りを交えて説明していた
きな子の大きな瞳は、恐怖よりも、
まだ見ぬ世界への純粋な好奇心でキラキラと輝いていた
そして、迎えた決行の日。
人を乗せて飛べるほどの大きさに戻ったアズキが待つ場所へ向け
一行は出発した
抜けるような青空の下、三人と一柱は
頼れる愛馬・疾風に木製の『アズキゴンドラ一号』を牽引してもらいながら
森の開けた場所へと向かって進んでいく
ガタゴトと車輪が草を踏む心地よい振動
きな子はゴンドラの縁を小さな手でしっかりと握りしめ
これから始まる大冒険に期待を膨らませ
満面の笑みで風を浴びていた
開けた野原に到着すると
そこにはすでに元の森の主としての龍へと姿を変え
誇らしげに胸を張るアズキが待っていた
祥吾は手早くかつ慎重に
ゴンドラの上部に設けた頑丈な取っ手を確認する
「よし、準備完了だ。アズキ、まずはゆっくりと頼むぞ」
祥吾の合図に、アズキが力強く一度鳴き、巨大な翼を広げた。
強烈な風圧が草を薙ぎ倒し、アズキがふわりと宙に浮く
そのまま、ゴンドラの取っ手をつかみ、持ち上げる
ゴンドラがふわりと宙に浮く。
「わあ……っ!」
きな子は千草の腕に抱きつきながらも
足元の覗き窓から離れていく大地を見て
歓喜の声を上げた
上空数百メートル。アズキの飛翔は安定しており
『アズキゴンドラ一号』は心地よい揺れを保ちながら空を滑っていた
「アズキ、高度はこのままでいい!
次は少し右、あの山の稜線に沿って飛んでくれ!」
舳先に立ち、風を切って的確な指示を出す祥吾
その背中は、頼れる家長としての自信に満ち溢れていた。
千草ときな子は、目をキラキラと輝かせながら祥吾を見上げている
(よし! 名誉挽回、大成功だ……!)
祥吾が内心で拳を握り絞めた時
――ミシィッ……バキッ。
足元の木板から、決して空の上で聞いてはいけない嫌な音が鳴った
「「っ!!??」」
祥吾と神爺の顔から、一瞬でスッと血の気が引く
( また空中でバラバラになるのか!?)
脳裏に蘇る、真っ逆さまに落下した死の記憶
祥吾の額から滝のような汗が噴き出す。
「旦那様? どうかされましたの?」
無邪気に首を傾げる千草と、尊敬の眼差しを向け続けるきな子。
ここで「分解しそうだから降りる!」などと言えば
名誉挽回どころか一生のトラウマを刻んでしまう。
「はは、ははは! な、なんでもない!
ちょっと風切り音が鳴っただけだ!」
引きつった笑顔で祥吾は心の中で
(アズキ! 頼むから揺らさないでくれ! そーっと飛んでくれ!)
と、祈り続けるのだった
幸いなことに、不吉な軋み音は一度きりで収まり
ゴンドラは無事に安定飛行を続けた
初めて見る空からの光景は、きな子を魅了したようだった
以前に行った瀧は、驚くことに、その上にもう一つの瀧を有していた
山脈から直接落ちていくように見える水の柱が落ちた先に
大きな川を作りその川がまた、崖に達して
きな子が見た瀧になって落ちていく
瀧の発祥と思える山脈は、その山頂をうっすらと白く飾り
盛り上がりながら北へと続いている
木々で緑一色に覆われていると思われた森は
山脈や地面の隆起に沿って
平地や盆地、小高い丘や崖など
立体的な起伏に富んで、見ている者を飽きさせなかった
雲海を抜け、太陽の光が世界を照らし出す
その途方もない広がりの中で
きな子の動きがぴたりと止まった
足元の窓に張り付き
眼下に広がる広大な景色をじっと見つめ始めた
祥吾は気づく
闇のように淀んだひときわ色の濃い森の塊
――エルフの集落がある、あの森だった
きな子にとって、あの森は世界のすべてだった
冷たく、恐ろしく、自分を永遠に閉じ込める
絶対に逃れられない絶望の檻
空からでは分からないだろうと思っていた
自分の見通しの甘さに、内心で舌打ちした
「きな子……?」
千草も、気づいたようで、心配そうにきな子の手を握る
しかし、きな子は顔を上げ、にっこりと微笑む
そこには、わずかに陰りがさしてはいたが、それでもしっかりした目で二人を見ていた
ほっとする二人の手を、きな子がとり、握り返す
きな子が過去の記憶をのりこえつつあることに
ほっとしつつも
その傷を思い出させてしまったことに胸が痛んだ
千草が背後からそっと肩に手をかけてくる
その手を、軽くトントンと叩きながら小さくつぶやく
「ありがとう」
そして、きな子の小さな頭を優しく撫でる
「風が冷えますわ」
いつの間にか隣に座った千草が、きな子の小さな肩に
ふわりと温かい若草色のショールをかけて抱きしめる
きな子は、お日様の匂いがする千草の胸にすっぽりと顔を埋めた
上空の気流にゴンドラが乗ったのを見計らい
祥吾は床に羊皮紙を広げ
炭筆を握って地図の作成準備に取り掛かっていた
その時、きな子がふと、ゴンドラの縁から身を乗り出し
北西の遠くの地平線を指さした。
「ん? どうした、きな子。何か見えるのか?」
祥吾と千草が目を凝らすが
遠すぎて霞がかかっており、よく見えない
しかし、ハーフエルフとしての優れた視力を持つきな子には
はっきりと見えているようだった
きな子は身振り手振りで、
「四角い石がいっぱいある」
「人が通る道がある」と、懸命に伝えようとする。
そして、きな子は迷いなく炭筆を手に取ると、地図の北西部分に
さらさらと迷いのない線を動かし始めた。
「きな子……?」
千草が息を呑んで覗き込む。
ほんの数十秒の筆致。
そこに描き出されたのは
巨大で美しい大木の周りにある古代都市の遺跡の俯瞰図だった
中心には満々とした瑠璃色の湖が広がり
そこから四方へと幾何学的な水路が伸びている
「これは……遺跡か? いや、壁で囲まれた街のようにも見えるな」
祥吾は驚きの声を上げた。
彼らがこれまで探索してきた未開の森を抜けた先に
明らかに集落、あるいは都市の影が存在しているのだ。
「すごいな、きな子の目のおかげで、大発見だ!」
祥吾が手放しで褒め称えると
きな子は少し照れくさそうに、しかし誇らしげにえへへと笑った。
「旦那様。いつか、あちらの街へも行ってみましょう!」
千草が、きな子の描いた地図の図をワクワクとした表情で見つめる
「ああ、そうだな
すんでいる者がいるかどうかも調べなければならないな」
軋むゴンドラの底に冷や汗を流しつつも
新たな集落の発見という
冒険の舞台を大きく広げる成果を得た祥吾は
満足げに肯くのだった
(千草も、随分と俺のことを見直してくれたであろう
これで、自信をもって、千草に――)
祥吾が、思わず、夫として千草を慈しみ愛していく将来を夢見て
密かににやけていたが
――ふと視線を感じて横を見ると
きな子が耳まで真っ赤にして
祥吾のことをまじまじと見つめているではないか
(…………あっ)
その瞬間、祥吾の思考が凍りついた。
自分が、人の心を読んでしまう少女の目の前で
妻に対するなんとも恥ずかしい妄想を
全開にしてしまっていたことに気がついたのだ
「ち、違うぞきな子! 今のはだな!」
慌てて弁明しようと、きな子に近づくためにドンッと一歩強く踏み出した
その時
――ミシリィッ。
足元の床板から
先ほどよりも一回り大きく
致命的な不気味な音が響き渡った
ピタリ、と祥吾の動きが止まる
お恥ずかしい心の中を覗かれた羞恥心と
空の真ん中で底が抜けるという死の恐怖
二つの恐怖に板挟みになりながら
祥吾は文字通り、滝のような冷や汗を流し続けるのであった




