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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第1章 『 崩壊の学園都市』

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7/10

白い区画へ



 白い連絡棟へ続く通路は、他の区画よりずっと静かだった。


 同じ学園都市の中なのに、空気の温度まで違う気がする。

 寮区や一般学区に残っていた生活の匂いが、ここにはほとんどない。

 壁は白く、床も白く、照明も白い。

 整っているというより、無菌に近い。


 四人は足音を殺しながらその通路を進んでいた。


 先頭は六花。

 半歩後ろに湊。

 その少し後ろに花音と心晴。


 凪咲たちと別れたあとの沈黙は、まだ薄く全員に張りついていた。

 花音はもう泣いていない。

 でも、完全に立て直せてもいない。

 心晴も同じだった。

 黙っているぶん、かえって痛々しい。


「……心晴ちゃん」


 花音が小さく呼ぶ。


「何」

「さっきの続き、聞いていい?」


 心晴は少しだけ足を緩めた。

 でも止まりはしない。


「うん」

「研究区に何かあるって言ったじゃん」

「……うん」

「それって、ほんとに“あるかも”なのか、“ある”に近いのか、どっち?」


 心晴はすぐには答えなかった。


 前を歩く六花も、聞こえていないふりはしていない。

 むしろ耳だけは完全にこっちを向いている感じだ。


 湊も視線は前のまま、言葉を待つ。


「……抑制剤の試作データがあるかもしれない」

 心晴が言った。

「あと、発症経路とか、感染段階とか……何が起きてるかに近い記録」


「かも、ね」

 六花が短く言う。


 心晴の肩がかすかに揺れた。


「断言はできない」

「なんで」

「……見たことがあるから」

「どこで」

「昔」


 その一言で、空気がまた変わる。


 花音が息を呑む。

 湊は視線だけ少し動かして、心晴の横顔を見た。

 白い壁に反射した光のせいか、顔色がさらに悪く見える。


「昔って」

 湊が聞く。


 心晴は前を見たまま答える。


「小さい頃。父に連れられて、一度だけ」

「医療研究区に?」

「たぶん」

「たぶん?」

「はっきり覚えてない。でも、白い廊下と……ガラスの向こうにいたものだけ、変に残ってる」


 花音がぎゅっと自分の腕を抱く。


「それ、今言われると普通に怖いんだけど」

「……ごめん」

「いや、謝ってほしいんじゃなくて」


 花音は言いかけて、少しだけ唇を噛んだ。


「ほんとにずっと知ってたわけじゃないんだよね」

「全部は」

 心晴が答える。

「でも、見ないふりはしてた」

「……」

「何かおかしいのは、たぶん前から分かってた。分かってたのに、ちゃんと見ようとしなかった」


 その声には、自分を責める感じがあった。


 六花が前を向いたまま言う。


「今さら言っても、状況は変わらない」

「うん」

「でも、隠したままならもっと悪い」

「……分かってる」


 ぶつかっているようで、完全には切っていない。

 その距離が今の六花と心晴らしかった。


 湊は小さく息を吐く。


「今はそれでいい」

 心晴が見る。

「何が」

「全部言えなくても、行き先が定まるなら」

「如月、それ甘くない?」

 六花が聞く。

「甘いかもな」

 湊は答えた。

「でも、ここで責めて口閉じられる方が困る」


 花音がすぐにうなずく。


「それ」

「白峰、乗るの早い」

「今のは乗るでしょ」

「うるさい」

「はいはい」


 少しだけ、空気が戻る。


 通路の途中、白い壁に埋め込まれた案内表示が見えた。

 青い矢印と小さな文字。


 **医療研究区 第三区画**

 **生体試料保管棟**

 **臨床検査室**


 花音がその表示を見て、顔をしかめる。


「学校の中にある案内じゃないって」

「言ったでしょ」

 六花が返す。

「ここ、もう学校の顔してない」


 たしかにそうだった。


 一般学区の表示はもっと柔らかい。

 フォントまで親切で、誰でも分かるようにできている。

 でもここは違う。

 読めるけど、読む前提が違う。

 最初から“知ってる人間だけ使う場所”みたいな顔をしている。


 通路を曲がると、前方に人影が見えた。


 全員の足が止まる。


 白衣。

 女性。

 壁に肩を預けたまま、首だけ少し不自然な角度で下がっている。


 花音が息をひそめる。


「……生きてる?」

「分からない」

 六花が言う。

「近づくな」


 だが、白衣の女はその場でぴくりと動いた。

 ゆっくり顔を上げる。

 口元が赤い。

 片方の袖口まで血で濡れている。


「……っ」

 花音が喉の奥で声を詰まらせる。


 女は一歩、ふらつく。

 二歩目は急に速かった。


「来る!」

 六花が前へ出る。


 警棒が振られる。

 女はそれを避けることはできないが、勢いだけで突っ込んでくる。

 普通の感染者より速いわけじゃない。

 でも、人の姿のまま白衣で来られると、妙なためらいが生まれる。


 六花の一撃がこめかみへ入る。

 女がよろける。

 その瞬間を湊が見て、横から肩を蹴り飛ばした。

 体勢が崩れる。

 六花の二撃目。

 今度は確かに止まった。


 白衣の女が床へ落ちる。

 その白さに血だけがやけに濃い。


「医療スタッフ…」

 花音がかすれた声で言う。

「まじで、そういう人たちまで…」


「だから研究区なんだよ」

 六花が短く返す。


 心晴は倒れた女から目を離せなかった。

 顔に見覚えがあるわけじゃない。

 でも、“ここで働いていた人”というだけで、彼女にとっては他人じゃなくなる。


「心晴」

 湊が呼ぶ。


 少し遅れて、心晴が目を動かした。


「今は前」

「……うん」


 再び歩き出す。


 通路の先はさらに静かになっていく。

 耳鳴りみたいに、自分たちの呼吸だけが聞こえる。


 花音が小さな声で言う。


「ねえ」

「何」

 湊が返す。

「こういう時に限って、静かなのやめてほしいんだけど」

「にぎやかでも嫌だろ」

「それはそう」

「じゃあ我慢」

「雑」


 その会話に、心晴が少しだけ視線を落とした。

 笑ってはいない。

 でも、完全に沈んでる顔でもなくなっていた。


 前方に、大きな防疫扉が見えてくる。


 一般学区のシャッターみたいな荒いものじゃない。

 厚い白い両開き扉で、横に認証パネルが埋め込まれている。

 上部には赤ではなく、青い待機ランプ。


「これ」

 六花が足を止める。

「たぶん入口」


 扉の上には、小さくプレートがついていた。


 **医療研究区 制限区画入口**


 花音がその文字を見上げる。


「制限区画って、もう言葉からして入りたくないんだけど…」

「私も」

 心晴がぽつりと言う。

「じゃあ却下で」

 花音がすぐ返す。

「無理だろ」

 湊が言う。


 六花がパネルを確認する。

 保安科用の携帯端末を接続。

 数秒待つ。

 赤いランプ。


「開かない」

「保安でも?」

 湊が聞く。

「区画権限が違う」

「最悪じゃん」

 花音が言う。

「来るだけ来てこれ?」

「まだ」

 六花はパネルの表示を見つめたまま言う。

「上位認証があればいけるかも」


 その言葉の意味に、三人が同時に心晴を見る。


 心晴はすぐに目をそらさなかった。


 ただ、少しだけ息を止めた。


「……私、かも」

「かも、ね」

 六花がまた繰り返す。

「好きだねその言い方」

「しょうがないでしょ」

 心晴の声が少しだけ強くなる。

「はっきり覚えてないんだから」

「でも予想はついてる」

「ついてる」

「ならやって」

「六花ちゃん、その言い方」

 花音が割って入る。

「もうちょい他にないの?」

「ない」

「あるでしょ普通」

「今ほしいのは普通じゃなくて結果」

「そういうとこ!」


 花音の声に、六花は少しだけ眉を寄せた。

 でも引かない。


 湊が心晴を見る。


「できるか」

「……分からない」

「それは聞いた」

「いや、違う。できるかどうかじゃなくて」


 心晴は扉を見たまま言う。


「開いたら、もう戻れない感じがする」


 その言葉に、誰もすぐには何も言えなかった。


 戻れない。


 たしかにそうだ。

 ここまででももう十分戻れないのに、この白い扉はその先にある別の地獄の入口みたいに見える。


 花音が静かに息を吐く。


「……私、すでにだいぶ戻れないけど」

「白峰」

「だってそうじゃん。今さら普通の一限受けられる空気じゃないし」


 その一言に、ほんの少しだけ場の張りが緩んだ。


 心晴は目を閉じる。

 それから、ゆっくり開く。


「やる」


 前へ出る。

 指先を、認証パネルに置く。


 一秒。

 二秒。

 三秒。


 沈黙。


 花音が息を止める。

 六花はいつでも横から動ける位置にいる。

 湊は心晴の肩の震えにだけ気づいていた。


 ぴ、と小さな音が鳴る。


 青いランプが走る。


『認証を確認しました』


 機械音声。


 花音の肩が跳ねた。


「……え」

 六花の目が細くなる。

 湊は何も言わない。


 心晴だけが、いちばん驚いた顔をしていた。


『制限区画のロックを解除します』


 重い音を立てて、白い扉が左右に開き始める。


 中は暗い。

 いや、完全な暗闇じゃない。

 非常灯だけが生きていて、細い白い廊下をぼんやり照らしている。


 長い。

 まっすぐ続いている。

 床は光を鈍く返す樹脂素材。

 壁はやっぱり白い。

 あまりにも静かで、逆に耳が痛い。


 花音がかすれた声で言う。


「……開いちゃった」


 六花は視線を廊下の奥へ固定したまま、低く言う。


「天城」

「……分かってる」

 心晴の声は少しだけ掠れていた。


 湊は白い廊下の奥を見る。


 研究区。

 この街の内側。

 答えに近い場所。


 そしてその静けさの中で、何かが微かに擦れる音がした。


 引きずるような。

 重いものを、ゆっくり床の上で動かすような音。


 花音が息を呑む。


「今の、なに…」


 誰も答えない。


 白い廊下の奥から、何かを引きずる音がした。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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