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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第1章 『 崩壊の学園都市』

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6/10

避難所の嘘



 再び人の声を聞いた時、花音はほっとした。


 それが本音だった。


 寮区を抜けた先、共有ホールを転用した避難スペースには、十人を少し超えるくらいの生存者が集まっていた。

 照明は半分しか生きていない。

 白い床の上に、机と棚で簡単なバリケードが組まれている。

 隅には応急処置を受けた生徒。壁際には水の箱。使い捨て毛布まで運び込まれていた。


 ちゃんとした避難所に見える。


 その見た目だけで、人は少し救われる。


「花音ちゃん…!」


 声が飛んできて、花音は顔を上げた。


 乙坂凪咲が、ホールの奥から駆け寄ってくる。

 別の通路で一度離れかけていたが、どうやら先にここへ流れ着いていたらしい。

 その後ろには神代奏多、そして真壁進もいた。


「凪咲」

 花音が息を吐く。

「よかった…」

「私も…」

 凪咲は泣きそうな顔で笑おうとして、うまくいかなかった。

「もうほんと、心臓だめかと思った…」


 その横で、神代奏多が四人を見て少しだけ肩の力を抜いた。


「無事だったか」

「無事って感じでもないけど」

 花音が答える。

「でも、まだいます」

「それで十分だ」


 奏多の声は疲れていた。

 けれど、ちゃんと人をまとめる声だった。

 こういう場所で、その声はたしかに必要に見える。


 真壁進もこちらへ来る。

 ジャケットの肩口が裂けていて、白い包帯がのぞいていた。


「如月、白峰、天城、火澄」

 いつもの名字呼び。

 少しだけ、それで現実が戻る。

「怪我は」

「大丈夫じゃないです」

 花音が即答する。

「でも立ってます」

「なら今はそれでいい」

 真壁は短く言った。

「よくここまで来た」


 その言い方が、ちゃんと教師だった。


 湊は一歩だけホールの奥を見る。

 見覚えのある顔も、ない顔もいる。

 床に座り込んでるやつ、壁にもたれてるやつ、毛布にくるまって震えてるやつ。

 誰も余裕はない。

 でも、それでも“人の集まり”があるだけで、空間の見え方は少し変わる。


 花音はその変化に、自分でも思ったより安心していた。

 それが少し嫌だった。

 さっきまで、誰も助けてくれないって分かったはずなのに。


「今、ここにいるのは十二人」

 奏多が言う。

「二階下の演習室から移ってきた。中央避難区画は閉鎖済み。だから管理棟寄りの避難スペースへ移る」


 六花の眉が動く。


「何でそっちが生きてると思うの」

「他に動線があるからだ」

 奏多が答える。

「管理棟側は一般区画より設備が強い。隔離壁も多い。少なくとも、ここよりはましな可能性がある」

「可能性ね」

 六花は淡々と返した。

「中央避難区画も“可能性”で人集めて、ああなった」


 空気が少しだけ張る。


 奏多も引かない。


「分かってる。でも、何もしないままここに留まるのも危ないだろ」

「集まってれば安心?」

「一人で動くよりは」

「状況による」


 湊は二人のやり取りを聞きながら、ホールの出入口と上部のスピーカーを見る。

 静かだ。

 静かすぎる。


「如月」

 奏多が視線を寄越す。

「おまえはどう思う」

「今の放送もルートも信用してない」

 湊は答える。

「橋落とした時点で終わってる」

「見たのか」

「見た」

「……」


 奏多が一瞬だけ黙る。

 その沈黙は、否定しきれない時のやつだった。


 真壁進が低く言う。


「それでも、ここで散るわけにはいかない」

「まとまって動くのは正しい」

 奏多が続ける。

「怪我してるやつもいる。食料も水も限りがある。ルールがいる」


 その言い分は、まともだった。

 まともだからこそ、厄介だった。


「先生たちが動いてるかもしれないし」

 ホールの端にいた女子生徒が言う。

「保健区画とか、まだ無事なとこあるかも…」


「無事なら、なんで今までまともな誘導がないの」

 六花が返す。

「閉じるなら閉じるで、生徒を先に通すでしょ普通」

「でも!」

 女子生徒が声を上げる。

「じゃあどうすればいいの! 一人ずつ勝手に逃げるの!?」

「そうは言ってない」

「同じじゃん!」


 その言葉で空気がざわつく。

 花音は思わず肩をすくめた。


 神代奏多がすぐに声を張る。


「落ち着いて!」


 その一声で、ぎりぎり崩れかけていた場が止まる。

 生徒会補佐か何かをやっていただけあるのかもしれない。

 こういう時に、人の視線を集めるのがうまい。


「今、言い合っても意味がない」

 奏多は続ける。

「大事なのは、ここからどう動くかだ。中央避難区画はだめだった。だから別ルートを取る。管理棟寄りの避難スペースへ行く。そこまで全員で移動する」


 花音はその言葉を聞きながら、少しだけ揺れた。


 “全員で移動する”。

 それは、普通に考えたら正しい。

 怪我人もいるし、凪咲みたいに一人だと折れそうな子もいる。

 自分だって、メインの四人と一緒じゃなかったらとっくに無理だった。


 でも、六花はずっと険しい顔のままだ。


「火澄」

 奏多が言う。

「おまえ保安科だろ。管理棟側の動線、多少は分かるんじゃないのか」

「知ってるとこもある」

「なら」

「今の封鎖のされ方見たあとで、そこを信用しろって?」

「信用じゃなくて利用だ」

「それができる状況ならいいけど」

 六花は壁にもたれたまま言う。

「今の街、上がどこまで生きてるか分からない。システムだけ動いてる可能性もある」


 真壁進が息をついた。


「火澄、言っていることは分かる」

「なら」

「だが、現時点で他に明確な方針もない」


 その横で、心晴はずっと黙っていた。

 俯いているわけじゃない。

 ただ、言葉を選びきれない顔をしている。


 湊はそれに気づいていた。

 花音もたぶん気づいてる。

 六花はもう、ほぼ確信してる顔だ。


「……天城」

 奏多が言う。

「おまえはどう思う」


 心晴の肩がわずかに揺れた。


「私は…」

「何か知ってるなら言って」

 凪咲が、弱い声でそう言った。

「ごめん、責めたいんじゃなくて…でも、何が起きてるのか少しでも分かるなら…」


 その言い方が凪咲らしくて、逆に痛かった。


 心晴は目を閉じかけて、やめた。


「……分からないことの方が多い」

「またそれか」

 六花がぼそっと言う。


 花音がすぐそっちを見る。


「今それ言わなくても」

「今だから言う」

 六花は譲らない。

「この子が黙るたび、あとで痛い目見る」


 その言葉で、周りの何人かの視線まで心晴へ集まる。

 居心地の悪さが一気に濃くなる。


 湊が口を開こうとした、その時。


 ホールの端、毛布にくるまっていた男子生徒が小さく咳き込んだ。


 一度。

 二度。

 三度目は、咳というより喉が裂けるような音だった。


 空気が止まる。


「……大丈夫?」

 近くにいた女子が恐る恐る声をかける。


 男子生徒は返事をしない。

 毛布の中で肩だけが大きく上下している。


 心晴の顔色が変わった。


「離れて」

 小さいけど、はっきりした声だった。


「え?」

 女子が振り返る。


「そこ、離れて!」


 心晴が一歩前へ出る。

 その反応の早さに、何人かが逆に固まった。


 男子生徒ががくっと顔を上げる。

 目が焦点を結んでいない。

 口元には泡混じりの唾液。

 毛布の中の腕が不自然な勢いで跳ねる。


「下がれ!」

 今度は六花が叫んだ。


 その直後、男子生徒が近くの女子へ飛びついた。


 悲鳴。


 毛布が床へ落ちる。

 椅子が倒れる。

 誰かがぶつかって壁に手をつく。


「うそでしょ…!」

 花音が息を呑む。


 真壁進が反射で前へ出た。


「離れろ!」


 教師としての体が先に動いた。

 倒れた女子生徒を引きはがそうと腕をつかむ。

 だが、その動きは“こういう相手”を想定したものじゃない。


 感染した男子生徒が、ありえない角度で体をひねって真壁へ噛みつこうとする。


 六花が駆ける。

 警棒を抜く。

 でも距離がわずかに遠い。


「先生!」


 湊が動いた時には、もう一歩遅かった。


 真壁進は女子生徒を庇うように体を入れた。

 その肩口に、爪が食い込む。

 服が裂ける。

 真壁が歯を食いしばる。


「下がれっ!」


 その声に押されるように女子生徒が転がる。

 次の瞬間、六花の警棒が感染者の側頭部へ叩き込まれた。


 鈍い音。

 体がずれる。

 さらに二撃。

 三撃目でようやく動きが鈍る。


 周囲の生徒たちはもう完全にパニックだった。


「逃げて!」

「やだ、やだ!」

「開けて、扉開けて!」


 神代奏多が声を張る。


「走るな! ばらけるな!」


 でも、その“正しい指示”は、崩れた空気の前では弱い。

 人は恐怖で簡単に散る。


 凪咲が花音の腕をつかむ。


「花音ちゃん…!」

「うん、こっち!」


 花音はもう考えるより先に、凪咲の手を握っていた。


 陸が湊の横へ寄る。


「如月、どうすんだよ!」

「出る」

「どこに!」

「今は外!」


 その間にも、真壁進は肩を押さえたまま立ち上がろうとしていた。

 顔色がひどく悪い。


「先生!」

 花音が叫ぶ。


 真壁は荒い息の中で、それでも教師みたいに言った。


「生徒を……先に、行かせろ」


 その声が、ひどくかすれていた。


 奏多が真壁を支えようとする。


「先生、立てますか」

「いいから、お前は…」

「そんなの無理です」


 そのやり取りの最中、ホールの別の出入口からも何かを叩く音が始まった。

 悲鳴と騒音に引かれたのかもしれない。

 もう、ここは終わる。


「湊!」

 六花が短く呼ぶ。

「今!」


「花音、来い!」


 花音は凪咲の手をさらに強く引く。


「凪咲、走れる?」

「……っ、うん」

「ほんとに?」

「走る…!」


 でも、立ち上がった凪咲の足は明らかにもつれていた。


 陸がその肩を支える。


「白峰、先出ろ!」

「七瀬くん」

「俺こっち持つ! 早く!」


 一瞬だけ、流れができる。


 湊が前。

 六花が横。

 花音と凪咲。

 陸が支える。

 心晴が後ろを気にしている。

 奏多は真壁のそばを離れられない。


「神代!」

 湊が叫ぶ。

「行くぞ!」

「まだ他にいる!」

 奏多が返す。

「俺は残る!」

「っ…!」


 言い返す前に、真壁進が低く言った。


「神代……行け」


 奏多の顔が歪む。


「でも」

「教師が言ってる」

「そんなの…」


 その時だった。


 ホールの出入口の一つが内側へ大きく揺れる。

 ロックがもたない。

 次に来たら破れる。


 六花が舌打ちに近い息を吐く。


「時間切れ」


 全員の体が一斉に動く。


 湊が先に通路へ出る。

 花音が凪咲を引く。

 陸が押す。

 心晴が最後尾を見る。


 真壁進は、なおも立っていた。


 肩を押さえたまま。

 呼吸を乱しながら。

 それでも、生徒を前へ行かせるために、道の真ん中に。


「先生!」

 花音の声が裏返る。


 真壁は一瞬だけ、こちらを見た。


 教師らしい顔じゃなかった。

 疲れて、痛くて、でも諦めてはいない顔だった。


「行け」


 その一言だけだった。


 次の瞬間、出入口が破られる。


 悲鳴。

 倒れる音。

 奏多の怒鳴り声。


 湊は反射で花音の肩を押した。


「前見ろ!」


 花音の目に涙がにじむ。

 でも止まらない。


 凪咲の手はまだ握っている。

 その温度が頼りなくて、逆に離せなかった。


 細い連絡通路へ入る。

 照明がところどころ切れている。

 足音がやけに大きい。


「凪咲、もう少し!」

 花音が叫ぶ。

「う、うん…!」


 でも凪咲の呼吸は限界に近い。

 肩が上下して、足が追いついていない。


 陸が後ろから支える。


「乙坂、前見ろ!」

「ご、ごめ…」

「謝んな!」


 その時、通路の先から別の生徒たちが逆流してきた。

 どこもだめだったらしい。

 狭い通路に人がぶつかり合う。


「ちょ、待っ…!」

 花音がよろける。


 その一瞬だった。


 凪咲の手が、花音の手から滑った。


「っ!」


 花音が振り向く。


 凪咲は押し返された人の流れの中で、一歩遅れた位置にいた。

 手を伸ばしている。

 でも間に人がいる。

 距離はたった少しなのに、届かない。


「凪咲!」


「花音ちゃん!」


 花音が戻ろうとする。

 でも湊がそれを強く引いた。


「だめだ!」

「離して!」

「今戻ったら全員止まる!」

「でもっ…!」


 凪咲の顔ははっきり見えた。

 泣きそうで、でも泣くより先に必死な顔。

 手を伸ばしている。

 その向こうから、別の人波がまた押し寄せる。


「花音ちゃん…!」


 その声が、最後だった。


 人の流れが割り込み、凪咲の姿が見えなくなる。


「……っ!」


 花音の喉から、声にならない音が漏れる。


 陸も立ち止まりかける。

 だが今度は六花が後ろから押した。


「走れ!」


 通路の角を曲がる。

 ようやく少しだけ人の流れが切れる。


 花音が壁に手をついたまま、肩を震わせた。


「……凪咲」

「白峰」

 陸が呼ぶ。

「今は」


「分かってるよ…!」


 花音が言う。

 怒鳴ったわけじゃない。

 でも、感情がこぼれていた。


「分かってる、けど…!」


 その声を最後まで言わせる余裕もなく、遠くでまた悲鳴が上がる。

 もうどこで誰がどうなっているのか分からない。


 神代奏多も、真壁進も、あのホールの向こう側に残った。


 生きているかどうかも分からない。


 その事実が、遅れてじわじわ来る。


 息を整える間もなく、四人はまた走り出すしかなかった。


 いや。


 もう四人だけだった。


 花音が涙を拭う暇もなく前を向く。

 六花は一度だけ後ろを見て、それ以上は振り返らない。

 心晴は唇をきつく結んでいる。

 湊は、自分の手がまだ花音の腕をつかんでいるのを意識していた。


 放すな。


 その言葉だけが、頭の奥で鳴っている。


 長い連絡通路を抜けた先で、ようやく音が少し遠のいた。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 花音の荒い呼吸。

 心晴の浅い息。

 六花の靴音。

 湊の心臓の音。

 それだけがやけに大きく聞こえる。


 しばらくして、心晴がかすれた声で言った。


「……医療研究区に行こう」


 花音が顔を上げる。

 目の端がまだ濡れている。


「え…」


「何が起きてるか、あそこなら何か残ってるかもしれない」

 心晴は言う。

「抑える手段とか、データとか。普通の避難スペースより…少なくとも、答えには近いと思う」


 六花がすぐ反応する。


「何で分かる」

「……」

「またそれ?」

「全部は知らない」

 心晴が答える。

「でも、あそこに何もないよりは、ある可能性の方が高い」

「可能性」

 六花が繰り返す。

「曖昧だね」

「曖昧でも、今はそれしか言えない」


 湊は心晴を見た。


 苦しそうだった。

 でも、逃げるための提案じゃない顔をしていた。

 何かを見に行くための顔だ。


 花音が小さく聞く。


「……心晴ちゃん、本当にあそこなの」

「うん」

「怖いんだけど」

「私も怖い」

「そっか」


 その返事で、花音は少しだけ息を吐いた。

 自分だけじゃないと分かった時の顔だった。


 六花が短く言う。


「他に当てがないなら行くしかない」

「信用したわけじゃない」

 湊が言う。

「知ってる」

 六花が返す。

「でも行く」

「……ああ」


 そこでようやく、方角が決まった。


 避難じゃない。

 逃走でもない。

 答えの方へ向かう動き。


 それはたぶん、ここまでとは少し違う。


 遠くの白い連絡棟の方角で、赤い警報灯がまた冷たく明滅していた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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