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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第1章 『 崩壊の学園都市』

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寮区の夜



 寮区は、静かすぎた。


 昼間の学区が悲鳴と足音で埋まっていたぶん、その静けさはむしろ不気味だった。

 白い外壁。整った植栽。ガラス張りの共有ラウンジ。

 少し前まで、ここにはちゃんと生活があったはずなのに、今はその気配だけが取り残されている。


 湊たちは低い姿勢で通路を抜け、寮棟の間にある小さな休憩スペースへ入った。

 ベンチと自販機、軽食の売店があるだけの場所だが、壁が多くて外から見えにくい。


 六花が先に周囲を確認し、短く言う。


「ここで三分」


「三分って、ほんとに三分?」

 花音が聞く。

「二分でもいい」

「やだよ逆に短くするの」


 六花は反応せず、自販機の裏側と出入口を順番に見た。

 警戒がもう癖になっているみたいだった。


 陸はベンチに腰を落とした瞬間、全身の力が抜けたように頭を下げた。


「……もう、足が俺のものじゃない」


「分かる」

 花音が言う。

「私も今、たぶん気持ちだけで立ってる」


 その声に凪咲が小さくうなずく。

 彼女は花音の隣に立っていたが、立つというより、かろうじて倒れていない感じだった。


「私、もう無理かも…」


 花音がすぐにそっちを見る。


「無理でも今は座って、ちゃんと息して」

「うん…」

「ほら、吸って、吐いて」

「……花音ちゃん、なんでそんな動けるの」

「動けてないよ。気合い」


 花音はそう言ったけど、実際にはかなり無理してるのが分かった。

 顔色も良くないし、足も少し引きずっている。

 それでも、凪咲の前では崩れないようにしている。


 湊は売店の奥にまだ残っていたペットボトルの水を二本取って戻った。

 一つを花音へ。

 もう一つを凪咲の前に差し出す。


「飲め」

「……ありがとう」

 凪咲は受け取る手さえ少し震えていた。


 陸がそのやり取りを見て、力なく笑う。


「如月、おまえってさ」

「何」

「そういうの自然にやるの、ずるいよな」

「は?」

「いや、本人は全然かっこつけてない感じでやるからさ」

「意味分かんない」

「分かんなくていいよ」


 花音がその会話に少しだけ肩の力を抜いたように笑う。


「七瀬くん、それちょっと分かる」

「だろ?」

「本人だけ分かってないやつ」

「二人してうるさいな」


 でも、その軽口があったおかげで、場の空気がほんの少しだけ戻った。


 心晴は休憩スペースの端、自販機の横に立っていた。

 周囲を見ているようで、実際にはもっと遠くを見ている顔だった。


 視線の先には、寮区の先にある白い連絡棟がある。

 その向こうが、医療研究区だ。


 湊が近づく。


「座れよ」

「……平気」

「その“平気”もう信用ない」

 心晴が少しだけ眉を寄せた。

「言い方、ひどい」

「事実」

「如月って、たまに雑すぎる」

「たまにじゃないよ」

 花音が横から言った。

「基本ずっとだよ」

「余計な参加すんな」

「心晴ちゃんの味方しただけですー」


 心晴はそのやり取りを聞いて、ほんの少しだけ口元をゆるめた。

 すぐ消えるくらいの、小さい変化だった。


 湊はその顔を見てから、何となく視線をずらした。

 自分でも理由は分からない。


 六花が売店の棚を確認しながら言う。


「食べられるもの持てるだけ持つ」

「こういう時ってほんとにそういう感じなんだ…」

 花音が呟く。

「なんか、もっとこう、映画とかだとさ」

「映画より現実の方が地味」

 六花が切る。

「あと面倒」

「夢がない」

「今いる場所に夢いらないでしょ」

「たしかにそうだけど…」


 陸がベンチから顔を上げ、売店の奥を見た。


「カップ麺あるけど、お湯ないな」

「そこで日常出すのやめて」

 花音が即座に言う。

「いやでも、あると見ちゃうだろ」

「分かるけど!」


 その時、凪咲が小さく声を漏らした。


「……結衣ちゃん」


 花音が振り向く。


「え?」

「さっきから、結衣ちゃん見てないなって…」


 空気が少しだけ止まった。


 水城結衣。

 朝、花音と笑っていたあの子の顔が、湊の中にも一瞬浮かぶ。

 教室の窓際で笑っていた、あの普通の朝の空気ごと。


 花音はすぐに答えられなかった。

 喉の奥で言葉を探すみたいに、一度だけ唇を閉じる。


「……見てない」

 凪咲が言う。

「私も、見てない」


「そっか」


 花音はそう言った。

 声は思ったより普通だった。

 けど、その普通さが逆に危うかった。


「結衣、足遅くないし」

 花音は続けた。

「たぶん、どっかでちゃんと逃げてるよ」

「うん…」

「うん、絶対とは言わないけど。あの子そういうとこ地味にしぶといし」

「……それ、褒めてる?」

 凪咲が少しだけ困った顔で聞く。

「褒めてる」

「ならいいか…」


 そこで会話は終わった。

 でも、花音の中に何かが沈んだのは分かった。


 “見つからない”っていうのは、死んだより軽いわけじゃない。

 むしろ、ずっと残る。


 湊は何も言わず、残っていたクラッカーの箱を開けた。

 花音の近くに置く。

 花音は少し驚いた顔をして、それから一枚だけ取った。


「……ありがと」

「食え」

「命令口調やめて」

「今それ気にする?」

「気にするよ。一応」


 その会話に、凪咲も小さく笑った。

 やっと、人間の声が戻ってきた感じがした。


 六花は売店の奥から使えそうなものをいくつか持ってきた。

 水、簡易ライト、非常用の携帯充電器、小さな救急セット。

 無駄がない。


「六花ちゃん、そういうの見つけるの早すぎない?」

 花音が聞く。

「見れば分かる」

「湊と同じこと言った」

「最悪」

 湊が言う。

「何で俺が巻き込まれるんだ」

「いや、ちょっと似てるなって」

「やめて」

「でも分かる」

 陸まで言う。

「怖い方向で気が合う二人って感じ」

「嬉しくない」

 六花と湊が、ほぼ同時に言った。


 花音が少しだけ吹き出す。

 凪咲も口元を押さえて笑いをこらえる。


 そういう、本当に小さいことが、今は妙にありがたかった。


 湊はクラッカーを一枚噛んで、水で流し込む。

 味なんてほとんど分からない。

 でも、食べておかないとたぶんあとで切れる。


 陸が湊を見て、ぽつりと言った。


「如月、おまえほんと止まんないな」

「何が」

「顔」

「意味分かんないって」

「なんかさ、普通もっと、今ので終わった顔になるじゃん」

「なってるだろ」

「見えない」

「見せてないだけ」

「やっぱそれ怖いって」


 湊は少しだけ眉を寄せた。

 自分では普通のつもりだった。

 でも、さっきから何回か似たことを言われている。


「おまえは怖くないのか」

「怖いよ」

 陸は即答した。

「めちゃくちゃ怖い。足も震えてるし、今でも吐きそうだし。なんなら一回くらい泣いてもよくない? って思ってる」

「よくしゃべる余裕はあるな」

「それしか残ってない」

「それはちょっと分かる」

 花音が言う。

「私も黙ったらたぶんだめだもん」


 湊はそこで、花音を見る。

 花音もちゃんと怖がっている。

 それでも動いてる。

 凪咲を気にして、結衣を気にして、心晴も見てる。

 普通の高校生のくせに、いや、普通の高校生だからこそ、そのままでここまで来ている。


 そのことが、少しだけ妙だった。


 六花が休憩スペースの出入口に戻る。


「そろそろ出る」


「え、もう?」

 花音が言う。

「三分って本当に三分なんだ…」


「長居したら死ぬ」

 六花は淡々と答える。

「嫌ならもっと短くする?」

「しないでください」


 その時だった。


 遠くの方で、低い警報音が鳴った。


 最初はひとつ。

 それから、もうひとつ。

 さらに連鎖するようにいくつもの警報灯が点いていく。


 白い連絡棟の向こう側。

 医療研究区の方角だ。


 夜の中に、赤い光がいくつも浮かび上がる。


 寮区のやわらかい照明とは明らかに違う、冷たい赤。


「……何」

 花音が呟く。

「やだ、あっち…」


 心晴の顔色が変わった。


 さっきまで悪かった顔色が、さらに一段冷える。

 目だけが、その赤い光に引かれたみたいに動かない。


 湊はそれを見た。


「心晴」


 呼ぶと、少し遅れて心晴が振り向く。


「……なに」

「知ってる顔だな」

「……」


 答えない。

 でも、それで十分だった。


 六花も赤い警報を見たまま言う。


「やっぱりあっち、何かある」


「研究区…」

 花音が小さく言う。

「心晴ちゃん、さっき言ってたの、あそこ?」


 心晴は数秒だけ黙った。

 風が吹く。

 遠くの警報灯がまた明滅する。


「……うん」


 その一言だけで、夜の空気が少し変わった気がした。


 怖さの形が、ぼんやりからはっきりに変わる。

 逃げるだけじゃなく、向かわなきゃいけない場所が見えた。


 六花が言う。


「行く理由ができた」

「できてほしくなかったなあ…」

 花音が返す。


 でも、誰も否定しなかった。


 夜の寮区は静かなままなのに、遠くの白い区画だけが、まるで別の生き物みたいに赤く脈打っていた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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