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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第4章 『漂着する街』

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生存圏の灯り



 中に入った瞬間、花音はほっとした。


 そして、その安心は五歩で消えた。


 鉄柵とコンテナで囲われた内側には、たしかに人がいた。

 子どももいる。

 老人もいる。

 怪我人も、物資を運ぶ人も、火を囲んで何かを煮ている人もいる。


 なのに、空気が重い。


 人の数はあるのに、生活の音が少なすぎた。


 誰も騒がない。

 子どもでさえ、普通の避難所みたいにはしゃいだりしない。

 大人たちは必要なことだけを小声で交わし、視線の半分はいつも外側へ向いている。


 生きている場所というより、

 **崩れながら、まだ止まっていない場所**。

 そんな感じだった。


「……なんか」

 花音が小さく言う。

「静かすぎる」


 九条が前を歩いたまま返す。


「静かじゃないと、余計なもんが寄ってくる」

「余計なもん」

「感染者も、人間も」

「わあ、ひとまとめ」

「今は似たようなもんだ」

 篠崎蓮司が後ろから言った。


 その言い方に、花音は顔をしかめた。

 でも反論もできない。

 倉庫街で見た跡と、さっきの銃口と、全部がもうそれを教えている。


 通路代わりの細い隙間を進いていく。

 コンテナの間にロープが張られ、布が干され、地面には木箱やポリタンクが並んでいる。

 即席の暮らしだ。

 けれど、諦めた感じはしない。

 ここで回そうとしている人の手がある。


 その途中、花音の目に小さな子どもが映った。


 七つか八つくらい。

 痩せている。

 毛布を抱えたまま、コンテナの影からこっちを見ていた。

 でもすぐに隠れた。


 花音の胸の奥が、少しだけざらつく。


「……ねえ」

「何」

 心晴が横で小さく返す。

「子ども、すごい静か」

「うん」

「普通じゃないよね」

「普通だったら、たぶんここまで残ってない」

 心晴は言った。


 その返しに、花音は何も言えなくなる。


 普通じゃない。

 でも、その普通じゃなさが、この場所を持たせているのかもしれない。


 九条が振り向いた。


「白峰」

「はい」

「怪我してるんだろ」

「え、あ、はい」

「先に診療所」

「診療所あるんだ」

「あるだけだ」

 九条は言う。

「足りてるとは言ってない」

「だよね……」


 花音は思わず肩を落とした。

 この人、やっぱり変に優しく嘘をつかない。

 だから逆に少し楽でもある。


 心晴も少しふらついたのを、六花が見逃さなかった。


「心晴も」

「……平気」

「顔が平気じゃない」

「六花、それちょっと傷つく」

「事実」

 六花が返す。

「じゃあ、もう少し言い方」

「後で」


 湊がそこで短く言った。


「二人とも行け」

「如月は?」

 花音が聞く。

「九条と話す」

「じゃあ私も」

「怪我見せてこい」

「はいはい」


 素直に返したものの、花音は少しだけ湊の横顔を見た。

 九条と話す時の湊は、さっきから少しだけいつもと違う。

 雑な感じは同じなのに、言葉の後ろでずっと計算している顔をしている。


 それだけ今、この場所は重要なのだろう。


 花音と心晴は、九条に案内されてコンテナ二つ分ほど奥まった区画へ向かった。

 そこだけ白い布で仕切られていて、簡易的に“中”が作られている。

 入り口脇には、汚れた消毒用アルコールのボトルと、使い捨て手袋の箱。

 診療所、と呼ぶしかない場所だった。


「澪」

 九条が布の向こうへ声をかける。

「新入り。軽傷二名、疲労強め一名」


 布の向こうから、少し間を置いて女の声が返ってきた。


「一名増えてません?」

「増えてる」

「どっちですか」

「見れば分かる」

「分かりたくない答え方ですね」


 その会話に、花音は少しだけ眉を上げた。


 ちゃんと、人がいる会話だ。

 必要なことを言ってるだけなのに、どこか生活の匂いがある。


「入って」

 中から声がした。


 花音が布をくぐる。

 中は狭い。

 ベッドは二つ。

 棚には薬瓶、包帯、ハサミ、消毒液。

 壁代わりのコンテナは熱を持っていて、空気が少しだけ閉じている。

 けれど、アルコールの匂いがここだけ妙に“ちゃんとしている場所”みたいに感じられた。


「座ってください」

 女が言う。


 その人は、花音が顔を覚える前に怪我を見た。


「右腕ですね」

「え、あ、はい」

「心晴さんは顔色」

 女の視線が静かに心晴へ向く。

「相当悪い」

「そんな言い切るんだ」

 花音が思わず言う。

「言い切らないと、本人が誤魔化すので」

 女は淡々と返した。

「ほら」

 花音が心晴を見る。

「だよね」

「そこは味方しないで」

 心晴が言う。


 女は花音の前へしゃがんだ。


 年上。

 三十前後くらい。

 髪は後ろで一つにまとめられていて、少し乱れているのに不思議と不潔に見えない。

 顔立ちはやわらかい。

 でも、眠っていない大人の疲れが目の下に薄くある。


 きれいな人だと花音は思った。

 派手じゃない。

 でも、見た瞬間にちょっとだけ安心したくなる顔だった。


「私は雨宮澪です」

 女は包帯を外しながら言う。

「ここで医療を見ています」

「白峰花音です」

「知っています」

「ですよね」

 花音は少しだけ苦笑する。

「今日、名前が勝手に広がる日だ……」

「ここは人の出入りが少ないので」

 澪は小さく言う。

「新顔はすぐ共有されます」

「なんかすごい、田舎の回覧板みたい」

「内容はあまり平和じゃありませんけど」

「ですよね」


 澪が傷口を見て、消毒液を準備する。


「しみます」

「先に言うんだ」

「言わないと恨まれるので」

「それで今まで何人に恨まれました?」

「かなり」

「ですよね」

 花音が言った次の瞬間、消毒が来た。

「いっ……!」

「はい」

「そこ“はい”で済ませるやつなんだ」

「済んでないですよ。今ちゃんと痛がってます」

「静かなのに強いなあ……」


 そのやり取りの横で、心晴は椅子に座らされていた。

 澪はちらちら花音を見ながらも、心晴の唇の色と呼吸も同時に見ている。

 その目つきが、花音には少しだけ印象的だった。


 優しい。

 でも優しいだけじゃない。

 見て、判断して、止めるべき時は止める目だ。


「心晴さん」

 澪が呼ぶ。

「寝ていませんね」

「……分かりますか」

「顔色と、呼吸と、目の乾きで」

「うわ」

 花音が横から言う。

「すご」

「すごくはありません」

 澪は淡々と包帯を巻く。

「見てきただけです」


 その言い方に、花音は少し黙った。


 この人はたぶん、何人も見てきた。

 怪我も、飢えも、疲労も、たぶんもっとひどいものも。

 その上で、今もここに座っている。


 澪は花音の腕に新しい包帯を巻き終えると、やっと少しだけ息を抜いた。


「痛みは?」

「あります」

「でしょうね」

「そこ否定してほしかった」

「大丈夫じゃない時に大丈夫と言うの、私はあまり好きじゃないので」

 澪がやわらかく言う。

「……」

「でも、今すぐ駄目になる傷ではありません」

「それは、かなり助かります」

「それならよかった」


 その返しで、花音の胸の中の警戒が少しだけほどけた。

 この人は、“大丈夫じゃないものを大丈夫と言わない”。

 それだけで、今はかなり信用できる。


 花音はちらっと周囲を見る。


 診療所の奥には、簡易ベッドで眠っている子どもが一人。

 別の椅子には、腕を三角巾で吊った女の人。

 みんな静かだ。


「……ここ、ずっとこんな感じですか」

 花音が小さく聞く。


 澪の手が一瞬だけ止まる。


「最近は特に」

「最近」

「ええ」

 澪は包帯の端を止めながら言った。

「感染者だけじゃなく、人間側の問題も増えています」

「人間側」

「食料、燃料、薬、武器」

 澪は指を折るように、ひとつずつ並べる。

「それから、人」


 最後の単語だけ、花音には少し重く聞こえた。


「……人?」

「労働力」

 澪は言う。

「交渉材料。見せしめ。所有物」

「所有物?」

 心晴が顔を上げた。


 澪は二人を見た。

 その視線はまっすぐだった。

 濁さない代わりに、煽りもしない。


「女や子どもが消えることがあります」

 静かな声で言う。

「この周辺では、特に」


 花音は一瞬、言葉の意味が遅れて入ってきた。


 消える。

 女や子どもが。

 怪物に喰われるのではなく、人間側の問題として。


「……それって」

 喉が少し引っかかる。

「どういう」


 澪は少しだけ目を伏せて、それから言った。


「言葉の意味そのままです」

「……」

「攫う人たちがいる」

 その声は静かだった。

「若い女の子や、逆らえない子どもを」


 花音の指が、膝の上でこわばった。


 さっき倉庫で見た跡。

 人が人を襲った跡。

 鬼塚みたいな男がいるのだと、まだ知らない段階でも、頭の奥で何か嫌なものが繋がり始める。


「九条さんたちが守ってるのに?」

 花音が聞く。


「守っているから、今ここにいる人がまだ残っています」

 澪は言う。

「でも、全部は守れない」

「……」

「外に出れば、もっとあからさまです」


 心晴は静かに澪を見ていた。

 表情は大きく変わらない。

 でも、目だけが少し冷えている。


「嫌な世界ですね」

 心晴が言う。

「ええ」

 澪は答える。

「ほんとうに」


 花音は唇を噛みそうになって、やめた。


 学園都市の中では、怪物が怖かった。

 白い研究区が怖かった。

 管理区が怖かった。

 でも今、外の世界で初めて、人間そのものが別の意味で怖いと分かってしまった。


「花音さん」


 澪が呼ぶ。


「はい」

「今の顔、無理に飲み込まなくていいですよ」

「え」

「怒ってますよね」

 静かな言い方だった。

「……」

「そういう感情は、たぶんここでは必要です」


 その言葉に、花音は少しだけ目を瞬いた。


 怒っている。

 たしかにそうだ。

 怖いより先に、少しだけ、腹が立っている。


 どうしてそんなことになるのか。

 どうして“外”まで来てそんな目に遭う人がいるのか。

 どうして女だから、子どもだから、狙われなきゃいけないのか。


 言葉にならないけど、胸の真ん中に熱いものが残る。


 その時、布の向こうから低い声がした。


「澪」

 九条だ。

「終わったか」

「今、包帯を巻き終えたところです」

「なら少し借りる」

「怪我人優先です」

「分かってる」

 九条の声が一瞬だけ疲れた。

「でも状況が変わった」


 澪の目が少しだけ細くなる。


「外?」

「物資回収班を増やす」

 九条が言う。

「この子たちにも同行してもらう可能性がある」


 花音が「え」と顔を上げた。

 心晴も澪を見る。


 澪は一瞬だけ考えて、それから小さく息を吐いた。


「安静と言える段階ではありませんしね」

「すみません」

 九条が布の向こうで言う。

「謝るなら寝る時間をください」

「努力する」


 そのやり取りに、花音は少しだけ驚いた。

 九条にもこういう会話をする相手がいる。

 責任者というより、人間に見える瞬間だった。


 澪は立ち上がる。


「白峰さん、腕はしばらく無理に使わないで」

「たぶん無理です」

「でしょうね」

「ですよね」

「でも、切れたらすぐ言ってください」

「はい」

「心晴さんも」

 澪は静かに見る。

「大丈夫じゃないなら、大丈夫じゃないって言っていいんですよ」

「……」

 心晴は少しだけ目を伏せた。

「言えるように、努力します」

「十分です」

 澪が言った。


 花音はそのやり取りを見ながら、少しだけ思う。


 この人はきっと、こうやって何人も“努力します”を聞いてきたのだろう。

 それでも、笑わずに受け取る。


 布をくぐって外へ出ると、さっきより空が少しだけ明るくなっていた。

 灰色の海と、コンテナの列と、武装した大人たち。

 世界は相変わらず終わっているのに、その上で朝になろうとしている。


 九条が待っていた。


 その横には湊と六花、少し離れて蓮司。

 全員、もう“休める顔”をしていない。


「何かあった?」

 花音が聞く。


 九条は短く答えた。


「物資回収班を出す」

「今?」

「今だからだ」

「それ、やな予感しかしないんだけど」

「当たりだと思う」

 心晴が静かに言った。


 花音は包帯を巻いた腕を見下ろして、それから前を向く。


 外の世界は、やっぱり少しもやさしくなかった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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