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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第4章 『漂着する街』

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漂着



 艇が岸壁へ触れた時、その音は思ったより小さかった。


 ごつん、という軽い衝撃。

 それだけで、白い艇は波に揺れながら埠頭の端へ寄る。


 でも、その小さな音ひとつで、花音の心臓はまた変な跳ね方をした。


 上陸する。


 ほんとうに外へ出る。


 学園都市の中でも、外へ出たいとは何度も思っていた。

 出られたら全部少しは楽になるんじゃないかって、どこかで勝手に期待していた。


 でも今、目の前にあるのは“外”というより、知らない地獄の入口だった。


「行く」

 六花が言う。


 短い一言と同時に、彼女はもう動いていた。

 艇の縁を蹴って岸壁へ飛び移る。

 着地音は小さい。

 膝を軽く曲げて衝撃を殺し、そのまま低い姿勢で周囲を確認する。


 湊が続いた。

 六花の半歩後ろ。

 武器を構えきるより先に、まず見る。

 人がいるか。

 感染者がいるか。

 死角はどこか。


「クリア?」

 真琴が艇の中から小さく聞く。


「今のとこ」

 六花が返す。

「早く」


 花音は喉の奥を詰まらせながらも、艇の縁へ手をかけた。

 その横で心晴も立ち上がる。

 顔色はまだ悪い。

 でも、もうその白さにも少し慣れてしまったのが嫌だった。


「先、行く」

 心晴が言う。

「待って、一緒」

 花音が反射で言ってしまう。


 心晴が一瞬だけ目を瞬く。

 それから、小さく頷いた。


 二人でほぼ同時に岸壁へ降りる。

 コンクリートは冷たかった。

 海の上より、地面の方が逆に不安定に感じる。


 最後に真琴と奏恵が降りる。

 艇はそのまま岸壁の影へ寄せた。

 逃げるにしても隠すにしても、目立たない方がいい。


 上陸した途端、匂いが一気に強くなる。


 潮。

 油。

 焦げたゴム。

 錆。

 それに、閉じた倉庫の中で何かが腐っていくような、湿った重い空気。


「うわ……」

 花音が思わず顔をしかめる。

「海の匂いって、もっとこう……」

「爽やか?」

 真琴が言う。

「そう、それ」

「期待しすぎ」

「知ってるけど!」


 六花はすでに埠頭の奥を見ていた。


 左側には積み上がったコンテナ群。

 右にはクレーンの骨組みと、小型トラックの残骸。

 少し先には倉庫が並んでいる。

 どれも使われなくなってから時間が経っているように見えるのに、完全に放棄された感じでもない。


 人の手が入った痕跡がある。

 それも最近。


「足跡」

 六花が低く言う。


 湊も視線を落とす。

 濡れたコンクリートに、泥のついた靴跡が残っていた。

 いくつもある。

 ひとつふたつじゃない。

 しかも、ばらばらに逃げた感じではなく、何度も往復した跡だ。


「人、いるね」

 花音が小さく言う。

「いる」

 心晴が答える。

「でも、まだ会いたくないかも」

「それも分かる」

 湊が言った。


 埠頭の奥へ進く。

 足音は極力殺す。

 でも全員が疲れているせいで、完全には消えない。

 自分たちがどれだけ消耗しているか、こういう時にいやでも分かる。


 倉庫の一つの前で、六花が止まった。


 シャッターが半分壊れている。

 正確には、内側からではなく外側からこじ開けられた痕だ。

 金属の縁が無理やり曲げられ、鍵部分が破壊されている。


「これ」

 花音が呟く。

「感染者、じゃないよね」

「違う」

 六花が即答する。

「工具使ってる」

「工具」

 花音はその言葉を繰り返す。

「人の方か」

「そう」


 湊がシャッターの隙間から中を覗く。

 薄暗い。

 棚が並んでいる。

 その多くが空になっていた。


 真琴がそっと隣へ寄る。


「食料倉庫かも」

「だろうな」

 湊が言う。

「中、入る?」

 花音が聞く。

「見るだけ」

 六花が返した。


 倉庫の中は、見た瞬間に“怪物が荒らした場所ではない”と分かった。


 棚の缶詰や保存食は、無秩序に散らばっていない。

 綺麗に持ち出されている。

 箱だけが破れ、中身だけが抜かれている。

 床には足跡。

 引きずられた跡。

 それに、乾いた血が少し。


 花音は入り口で止まったまま、中を見て息を呑む。


「……なんか、やだ」

「うん」

 心晴が言う。

「すごく」

「怪物の跡じゃないって分かるの、逆に怖い」

「それも分かる」

 湊が返す。


 倉庫の奥の壁には、数発の弾痕が残っていた。

 血の量は多くない。

 死体もない。

 だから余計に想像がつく。


 襲われた。

 抵抗した。

 食料を奪われた。

 生きていたなら連れていかれた可能性もある。


 六花がしゃがみ、床を指で軽くなぞる。


「新しくはない」

「何日くらい?」

 湊が聞く。

「二日、三日……もっとかも」

「曖昧」

 花音が言う。

「分かる範囲で言ってる」

「そこはそうだね」


 奏恵が倉庫の棚を見て、小さく言う。


「計画的に持っていってる」

「飢えた避難民の略奪なら、もっと散らかる」

 真琴が言った。

「……組織立ってる」

「聞きたくない単語が増えた」

 花音が小さく肩を落とす。


 心晴は倉庫の奥を見ていた。


 血は少ない。

 でも、“ここで誰かが襲われた”空気だけが残っている。

 研究区の白い廊下とは別の意味で嫌だった。

 あちらは隠された冷たさ。

 こっちはむき出しの奪い合い。


「外って、こうなんだ」

 心晴が小さく言う。

「まだ全部じゃない」

 六花が返す。

「たぶん、もっと悪い」

「そこは否定してほしかった」

 花音が言う。


 その時だった。


 遠くで、乾いた音が鳴った。


 ぱん、と。

 一発。

 短い間を置いて、また二発。


 発砲音。


 全員の体が止まる。


 六花の目が鋭くなる。

 湊も反射で顔を上げる。

 花音は一瞬だけ息を忘れた。


「……銃」

 心晴が言う。

「聞けば分かる」

 六花が返す。

「いやそうなんだけど、確認したかったの!」


 真琴が音の方向へ顔を向ける。


「東。倉庫街の向こう」

「近い?」

 湊が聞く。

「遠くはない」

 六花が答えた。


 続いて、人の怒鳴り声が風に混じって届いた。

 内容までは聞き取れない。

 でも怪物相手の叫び方ではない。

 誰かに指示を飛ばす声。

 人間同士の声だ。


 花音の背中に冷たいものが走る。


「やだ」

 思わず口に出た。

「外に出たのに、最初に聞くのそれ?」

「運が悪い」

 六花が言う。

「ほんとに?」

「だいぶ」


 湊は倉庫の外へ出て、コンテナの隙間から東側を見た。

 煙までは見えない。

 だが、確かに何かが起きている。

 生存者同士の争いか、防衛か、それとも略奪か。


「戻る?」

 花音が聞く。

「艇に?」

「うん」

「戻って海に出ても、どこに行く」

 湊が言った。


 花音は口を閉じる。


 行き先なんてない。

 燃料も無限じゃない。

 真水も食料も足りない。

 上陸した以上、どこか人のいる場所を見つけるしかない。


「人がいるなら、情報もある」

 真琴が言う。

「でも危険もある」

「知ってる」

 湊が返す。


 六花は東の方角を見たまま言う。


「行くなら、今」

「理由は」

「発砲してるってことは、まだ終わってない」

「終わったあとより、今の方がいい?」

 花音が半信半疑で言う。

「終わったあとだと、残るのは死体か、勝った側」

 六花が答えた。

「今なら第三者の余地がある」


 その理屈は嫌になるほど分かりやすかった。


 心晴が小さく聞く。


「……行くの?」

 その声は不安だった。

 でも、“嫌だ”ではなかった。


 湊は少しだけ考える。

 考えるというより、持っている選択肢を並べる。


 艇に戻る。

 海へ出る。

 別の場所を探す。

 でも、どこも同じかもしれない。

 燃料の問題もある。

 今の自分たちに必要なのは、安全そのものより、**拠点と情報**だ。


「行く」

 湊が言った。


 花音が顔を上げる。

 六花はもう頷いている。

 心晴も、少しだけ息を吸ってうなずいた。


「隊列」

 六花がすぐに言う。

「私が先。湊、右後ろ。心晴と白峰は中。真琴さんと先生は最後」

「了解」

 湊が答える。

「はい」

 花音も返す。

「分かった」

 心晴が続く。


 倉庫を出る。


 埠頭から一段高い通路へ上がると、景色が少し開けた。

 倉庫街の奥、コンテナの列の向こうに、街の骨組みが見える。

 クレーン。

 連絡橋。

 途中で止まったトラックの列。

 そのさらに先、かすかに人の影が走るのが見えた気がした。


 また発砲音。

 今度は少し近い。


 花音が肩を跳ねさせる。


「っ……」

「止まるな」

 六花が言う。

「う、うん」


 その時、風に乗って何か別の音が混じった。


 低いうなり声。

 引きずるような足音。

 すぐ近くではない。

 でも、ゼロでもない。


 感染者もいる。


 人間だけじゃない。

 怪物もちゃんと外にいる。


「最悪の盛り合わせやめてほしい」

 花音がぼそっと言う。

「今さらだな」

 湊が返す。

「便利すぎる、その言葉」

「本当に便利だから」

「認めるんだ」

「今さら」

「ほんとにもう!」


 会話のあと、少しだけ呼吸が整う。

 それでも足は止めない。


 進いた先のコンテナの影で、六花が急に片手を上げた。


 全員が止まる。


 六花はしゃがみ、地面を見る。

 そこには新しい足跡があった。

 泥と血が混じっている。

 複数。

 誰かが走った跡だ。

 追う側と、追われる側がいたような乱れ方をしている。


「新しい」

 六花が言う。

「かなり」

「追う?」

 湊が聞く。

「追うっていうか、方向が一緒」

「じゃあ結局行くんだ」

 花音が言う。

「最初からそう」

 六花が返す。


 コンテナの角を一つ曲がる。

 その先で、ようやく人の声がはっきり聞こえた。


「止まれ!」

 男の怒鳴り声。


 それに続いて、別の声。

 「撃つな!」

 「引け!」

 「走れ!」


 人間の声だ。

 複数。

 混乱している。

 誰かが誰かを追っている。


 そして次の瞬間、コンテナの隙間の先に、即席バリケードと銃口が見えた。


 黒い銃口が、まっすぐこちらを向いていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/


また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

引き続きよろしくお願いいたします。

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