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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第4章 『漂着する街』

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30/45

プロローグ 海の外側

第4章の始まりです。




 海の上は、思っていたよりずっと静かだった。


 白い艇が波を切る音。

 機関の低い振動。

 手すりを叩く潮風。


 それだけが、この世界がまだ完全には止まっていないことを教えてくれる。


 白峰花音は、冷えた手すりを握ったまま、しばらく指を離せなかった。


 指先がかじかんでいる。

 腕も足も痛い。

 喉は乾いている。

 眠いはずなのに、目だけが変に冴えていた。


 たぶん、安心していないからだ。


 学園都市を出た。

 あの白い街から、ようやく外へ出た。


 それは確かにそうなのに、胸の奥はぜんぜん軽くなってくれなかった。


 花音はゆっくりと後ろを振り返る。


 海の上に浮かぶ学園都市アカデミアは、もうかなり遠くに見えた。

 夜の底で、赤い警告灯だけがまだ瞬いている。

 ところどころで煙のような黒い影が上がっていて、白く整っていたはずの街は、もう遠目にも壊れているのが分かった。


 壊れてる。


 その一言で片づけるには、あそこにはいろいろありすぎた。

 朝の教室も、昼の避難所も、白い研究区も、管理区の冷たさも、全部あの中に残っている。


 心晴の父の声も。

 《アーク》の形も。

 あの中で死んだ人たちも。


「……」


 花音は唇を噛みそうになって、やめた。


 考え始めると、また息が苦しくなる。

 今は前を見た方がいい。

 そう思って顔を戻す。


 前方には、まだ暗い沿岸地帯があった。


 夜明け前の空の下で、港のクレーンが何本も黒い骨みたいに立っている。

 大きな倉庫。

 コンテナの列。

 その向こうに見える街の灯りは、どこか不自然だった。


 点いている場所と、完全に死んでいる場所がある。

 ただ停電しているだけじゃない。

 生きているところと、もう死んでいるところが、まだらに混ざっている感じだ。


 花音は目を凝らした。


 道路沿いに並ぶ街灯の列は、途中からぷつりと途切れている。

 港の奥の方には、煙の筋が上がっていた。

 火事のあとかもしれない。

 でも、今もくすぶっているみたいにも見える。


「……ねえ」


 自分の声が思ったより小さくて、花音は少しだけ喉を鳴らした。


「湊」


 艇の後方にいた如月湊が、振り返る。


 座っていたわけじゃない。

 さっきからずっと、艇の縁に近いところで立ったまま、後ろと横と前を順番に見ている。

 見張ってる、という言葉がいちばん近い。


「何」

 短い返事。


「前、見て」

「見てる」

「いや、そうじゃなくて、ほら」

 花音は手すりから片手を離して、沿岸の方を指さした。

「なんか……やじゃない?」


 湊は少しだけ目を細める。


 その横で、火澄六花も立ち上がった。

 彼女は休んでいたというより、壁にもたれたまま体力の消耗を最低限にしていただけだった。

 目は最初から眠っていない。


「煙」

 六花が言う。

「あと停電」

「うん」

 花音が頷く。

「なんか、普通に“助かった先の街”じゃないよね」


「最初からそんな気はしてない」

 六花が返す。

「だよね……」


 花音は小さく息を吐いた。


 学園都市だけが壊れたんだと思いたかった。

 あそこが異常だったんだって、そう思いたかった。

 でもたぶん、違う。


 違うから、こんな光景が前にある。


 艇の内側では、天城心晴が携行端末を膝の上に置いたまま、前を見ていた。

 顔色はまだ白い。

 疲れも抜けていない。

 けれど、目だけは眠っていなかった。


 心晴は少しだけ首を上げる。


「港の方、船が少ない」

「え」

 花音がそっちを見る。

「分かるの?」

「分かるっていうか……普通なら、もっと係留されてると思う」

「それは」

 湊が前を見たまま言う。

「逃げたか、使われたか、沈んだか」

「最後のやつ、聞きたくなかった」

 花音が言う。

「でも、たぶんそれだよね」


 心晴は端末を見下ろした。

 管理区から持ち出した最低限のデータはまだ生きている。

 でも、港の詳細まで分かるわけじゃない。

 ここから先は、見て、確かめるしかない。


「人がいるかもしれない」

 心晴が小さく言う。

「うん」

「でも、まともとは限らない」

「……それ、今いちばん嫌な予想」

 花音が肩をすくめた。


 その会話を聞いていた六花が、艇の前方へ一歩寄る。


「上陸するなら、埠頭の端がいい」

「理由は」

 湊が聞く。

「中央は開けすぎ」

 六花は短く答える。

「見られやすいし、撃たれやすい」

「やめてよ、その自然な選択肢みたいに言うの」

 花音が言う。

「もう“撃たれる”が候補に入るの嫌なんだけど」

「今さら」

 湊が返す。


「それ、便利な言葉みたいに使うのほんとやめて」

「便利だからな」

「認めるんだ」

「今さらだろ」

「もうその返しも含めて雑!」


 やり取りのあと、少しだけ空気が緩む。

 ほんの少しだけ。

 それでも花音にはありがたかった。


 完全に静かになると、さっきまでのことが一気に戻ってくる。

 玲司のことも。

 港湾区の崩落も。

 《アーク》の腕が湊を潰しかけた瞬間も。

 ぜんぶ。


「……湊」


「何」

「ほんとに怪我ない?」

「今さらか」

「今さらだよ」

 花音は少しだけ睨む。

「さっきまでそんな確認してる余裕なかったし」

「ない」

「じゃあ今する」

「……ない」

「どっち」

「深いやつはない」

「その言い方、浅いやつはあるってことじゃん」

「ある」

「やっぱり!」


 花音が声を上げると、心晴が少しだけ目元をゆるめた。

 六花も呆れたように息を吐く。


「うるさい」

「だって今の流れ、びっくりするでしょ」

「びっくりはしてない」

 六花が言う。

「如月だし」

「その“如月だし”で全部片づけるのひどくない?」

「事実」

 心晴がぼそっと言う。

「心晴ちゃんまで入るの!?」

「今日はそっち」

 心晴は静かに言った。


 花音はむっとしながらも、少しだけ安堵した。

 心晴が喋っている。

 少なくとも、完全には沈んでいない。


 艇はゆっくりと沿岸へ近づいていた。


 波の音に混じって、今度は別の匂いが流れてくる。

 潮だけじゃない。

 油。

 焦げたゴム。

 湿った鉄。

 それに、遠くで何かが長く放置された時の嫌なにおい。


 花音は思わず鼻を押さえた。


「うわ……」

「港の匂いにしても、ちょっとひどい」

 心晴が言う。

「やっぱり何かあったんだよね」

「なかったら逆に困る」

 湊が言う。

「それも嫌なんだけど」


 前方の埠頭が見えてくる。


 コンクリートの岸壁。

 係留ロープが切れたまま揺れている桟橋。

 横倒しの小型車両。

 コンテナがいくつか崩れて積み上がっている。

 人影は、まだはっきりとは見えない。


 見えないのに、気配だけはある気がした。


「……ねえ」

 花音が小さく言う。

「誰か、いるかな」

「いるかも」

 心晴が答える。

「いてほしい?」

「それは……」

 花音は少しだけ言葉を詰まらせた。

「いてほしいけど、今はちょっと怖い」


 それが本音だった。


 人がいなければ困る。

 でも、人がいたらいたで怖い。

 学園都市を出たのに、次は人間を怖がるなんて思っていなかった。


 六花が艇の前へ身を寄せ、低く言う。


「左端の埠頭に寄せて」

 真琴が操縦補助を見ながら頷く。

「あそこなら遮蔽物が多い」

「上陸後は?」

 湊が聞く。

「私が先」

 六花が即答する。

「その後ろに如月。心晴と白峰は中。真琴さんと奏恵先生は最後」

「分かった」

 湊が答える。


 花音はそれを聞きながら、自分の手のひらを見た。

 まだ少し震えている。


 でも、前みたいに何もできない感じではなかった。

 怖い。

 それでも降りる。

 その準備だけは、もうできている。


 心晴が小さく言う。


「……来る」


「え」

 花音が顔を上げる。


 心晴は前方の埠頭を見ていた。

 夜明け前の薄い明かりの中で、コンテナの影が並んでいる。

 その奥。

 ほんの一瞬だけ、何かが動いた。


 人影かもしれない。

 風に揺れたシートかもしれない。

 でも、ただの風じゃない気がした。


 湊の手が、無意識に武器の方へ動く。

 六花の重心が下がる。

 花音の喉がひく、と鳴った。


 埠頭の左端。

 崩れたコンテナの影の向こうに、誰かいる。


 いるのに、まだ出てこない。


 見ているのか。

 待っているのか。

 それとも、品定めでもしているのか。


 花音は自分でもいやになるくらい、そんな嫌な想像をしてしまった。


 白い艇は、壊れた岸壁へ静かに近づいていく。


 学園都市の外。

 本当の海の先。

 その最初の地面は、やっぱり安心できる場所には見えなかった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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