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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第1章 『 崩壊の学園都市』

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3/7

封鎖開始



 教室が壊れる時は、音からじゃなかった。


 人からだった。


「きゃっ…!」


 誰かの悲鳴と一緒に、前の列の女子が立ち上がる。

 それにつられて別の生徒も立つ。

 椅子が倒れる。

 後ろの机がずれる。

 たったそれだけで、教室の空気は一気に“座っていられない場所”に変わった。


「落ち着け! 席を立つな!」


 真壁進が叫ぶ。

 でも、その声が届くより先に、血まみれの生徒が廊下から教室の中へ半歩踏み込んだ。


 口元から赤いものを垂らしたまま、焦点の合わない目で一番近い生徒へ向かう。


「うわっ!」


 男子が机ごと後ろに倒れ込む。

 誰かがその肩を引く。

 別の誰かが出口へ走る。


 もう終わりだった。


「花音、こっち」


 湊は正面の扉へ殺到する流れを見て、すぐに切った。

 あそこは詰まる。押し潰される。

 正解かどうかは分からない。けど、少なくとも今の正面はだめだ。


「え、でも」

「いいから!」


 花音の手首を引いて、教室の後方へ回る。

 後ろの非常扉は普段ほとんど使われない。だからこそまだ人が少ない。


「如月!」


 横から飛んできた声に振り向くと、七瀬陸が顔を引きつらせていた。


「どっちだよ!」

「こっち」

「いや分かんねえって!」

「じゃあついて来い!」


 陸が一瞬だけ迷って、それでもこっちへ走る。

 その背後では、誰かが泣きながら真壁の名前を呼んでいた。


 真壁進はまだ廊下側にいた。

 教室に入ってきた血まみれの生徒を椅子で押し返そうとしている。

 その横で、さっきまで倒れていた教師らしき人影が、ぎくしゃくと起き上がりかけていた。


「先生!」


 誰かが叫ぶ。

 でも、その声にはもう“助けて”より“ありえない”の方が強く混ざっている。


 湊は非常扉のロックに手をかけた。

 反応が遅い。

 電子認証のランプが一瞬赤く光り、次に青へ変わる。


「遅っ…!」


 花音が半分泣きそうな声を出す。


「開く、開くから」


 言った瞬間、ロックが外れた。

 湊は扉を押し開ける。狭い補助通路の空気が流れ込んできた。


「入れ!」


 花音を先に押し込み、陸が続く。

 湊が最後に入ろうとした、その時だった。


 教室の中から、椅子が大きく倒れる音。

 真壁の怒鳴り声。

 さらに、その声を食い破るみたいな悲鳴。


 振り返りそうになったところで、花音が湊の袖を強く引いた。


「湊!」


 その声で、意識が前へ戻る。


 非常扉を閉める。

 狭い通路の中は薄暗く、蛍光灯がところどころ切れている。

 白い壁に、非常時用の避難矢印だけが光っていた。


 花音が荒い息のまま壁に手をつく。


「なに、今の…なに…」

「分かんない」

「分かんないって…!」


 言い返す声も半分震えていた。

 陸は通路の奥を見ながら、息だけで笑ったみたいな顔をする。


「分かんないのに動けるの、ほんと怖いって…」

「動かないと終わる」

「それは、そうだけど…!」


 通路の先からも、人の足音が響いていた。

 避難している生徒たちだ。

 悲鳴、怒鳴り声、泣き声。

 どこも同じらしい。


 スピーカーが鳴る。


『緊急避難指示。一般学区所属生徒は、中央避難区画へ速やかに移動してください』


 女の落ち着いた声だった。

 状況と噛み合っていないほど、落ち着いている。


『繰り返します。一般学区所属生徒は、中央避難区画へ』


「うそでしょ…」

 花音が呟く。

「こんなの流してる場合?」

「でも行き先はあるってことだろ」

 陸が言う。

「いや、そうだけど…」


 湊は通路の先に目を向ける。

 進むしかない。

 ここで止まっていても、後ろから何かが来る。


「行くぞ」


 細い通路を抜けると、今度は非常階段だった。


 下へ続く踊り場の先で、人が詰まっている。

 誰かが転んだのか、流れが滞り、上から来る人間と下へ行こうとする人間がぶつかっていた。


「押すなって!」

「痛い、痛い!」

「開けて、前開けて!」


 もう秩序はほとんど死んでいる。

 放送が中央避難区画へと言うなら、みんなそこへ向かう。

 だから集中する。

 集中したら終わる。


「下はだめだな」

 湊が言う。

「じゃあどこ行くの!?」

 花音が返す。

「横」

「横って何!」

「別ルート」


 言ったところで、前方の人波が突然揺れた。


 誰かが押し返されたように後ろへ倒れる。

 その上から別の生徒が乗る。

 さらに悲鳴。

 階下から何かが上がってこようとしているのが分かった。


「戻るぞ!」

 湊が叫ぶ。


 その時、階段脇の連絡扉が内側から乱暴に開いた。


 金属音。

 白い手袋。

 次の瞬間、血のついた警棒が横へ振られ、階段へ這い上がってきた感染者の顔面を強く打ち抜いた。


 鈍い音がして、それは踊り場の途中から落ちていく。


 立っていたのは、火澄六花だった。


 制服の上から軽い防護ベストをつけ、腰には保安科用の装備ベルト。

 顔色は悪くない。

 でもいつもの朝より明らかに目が鋭い。


「伏せて!」


 短い声が飛ぶ。


 反射で湊が花音の肩を引く。

 次の感染者が階段の手すりを掴んで身を乗り出したところへ、六花の二撃目が入った。

 今度はこめかみの辺り。

 相手がぐらつく。

 さらに膝蹴り。

 体勢を崩したところで、階段下へ蹴り落とす。


「っ、なにそれ…!」

 花音が息を呑む。

「頭」

 六花は短く言った。

「頭を止める」

「そんな冷静に言う!?」


 陸まで顔を引きつらせている。

 でも湊はその言葉をすぐ飲み込んだ。


「頭か」

「そこ以外、止まりにくい」

「分かった」


 六花が湊をちらっと見る。


「飲み込み早いな」

「説明会やってる暇ないし」

「助かる」


 そんな短いやり取りの間にも、階段の上と下から人の流れが押し寄せてくる。

 ここに留まるのは危険だ。


「中央避難区画、こっち」

 六花が通路の先を顎で示した。

「保安ルート通る」

「信用していい?」

 花音が聞く。

「今はそれしかない」

 六花が返す。

「やな答えだな…」

「ほんとにね」


 四人は六花の先導で、通常の避難導線から外れた細い管理通路へ入る。

 壁の色が少し違う。

 床も滑りにくい素材に変わっていて、一般学区のきれいさより“機能”が前に出ていた。


 そこで、通路の先に人影が見えた。


 白いブラウス。

 壁に寄りかかるように座り込んだ女子生徒。

 足元に血。


「待っ…」


 心晴だった。


 その前に、もう一人。

 床に倒れている男子生徒がいる。

 肩口を押さえてうめいていた。


「まだ助けられる」


 心晴はそう言って、止血しようとしていた。

 けれど手元が少し震えている。


「天城!」

 花音が声を上げる。

「何やって…!」


 心晴が顔を上げる。

 その目はさっきよりはっきり怯えていた。

 でも、それ以上に「見捨てられない」が前に出ている顔だった。


「このままだとまずい」

「今、それやるな」

 湊が言う。

「でも」

「来てる」

「分かってる、でも」

「分かってるなら走れ」


 言い切ったところで、通路の奥から足音がした。

 いや、足音じゃない。

 引きずるような音。

 誰かの呼吸。

 湿った気配。


 六花が低く言う。


「もう来る」


 心晴の唇が強く結ばれる。


「……っ」


 倒れていた男子生徒がかすれた声を出した。


「い、け…」


 その一言が、逆に残酷だった。


 心晴の手が止まる。

 花音が一歩前へ出かける。

 でも六花がそれより先に扉の方へ体を向けた。


「ここに全員いたら終わる」


 平坦な声。

 けれど間違っていない。


 湊は一瞬だけ目を閉じそうになって、やめた。

 迷ってる時間がもうない。


 心晴の手首をつかむ。


「行くぞ」

「待って」

「待てない」

「でも」

「俺だってそう思う」

「なら」

「だから今は無理だって言ってる!」


 その声は、自分でも思ったより強く出た。


 心晴が息を呑む。

 花音まで一瞬固まる。


 その直後、通路の角から血まみれの腕が見えた。


「来た!」

 六花が叫ぶ。


 心晴はそれでようやく立ち上がった。

 立ち上がるというより、引かれるように。

 花音がその反対側の腕を支える。

 陸も後ろを振り返りながら走り出した。


 四人。

 いや、この瞬間にようやく、四人だった。


 六花が前。

 湊が真ん中で道を見る。

 花音が心晴を支え、心晴は走きながらも何度も後ろを見そうになる。


 壁のスピーカーから、また放送が流れる。


『緊急避難指示。一般学区所属生徒は、中央避難区画へ速やかに移動してください』


「ほんとにそれ信じていいのかよ」

 陸が息を切らしながら言う。

「知らない」

 湊が返す。

「知らないで行くの!?」

「止まるよりはまし!」

「その理屈こわいって!」


 花音の叫びに、今こんな状況じゃなければ少し笑えたかもしれない。

 けど誰も笑わない。


 保安通路を抜けた先で、空間が急に開けた。


 高い天井。

 白い床。

 中央避難区画へ続くメイン連絡ホールだった。


 そこへ向かって、たくさんの生徒が走っている。

 泣きながら、叫びながら、縋るみたいに。


 前方では、大きな防疫シャッターがまだ上がっている。

 その先に避難区画があるらしい。


「まだ開いてる!」

 花音が言う。

「急げ!」

 誰かが叫ぶ。


 希望が、一瞬だけ空気に戻る。


 助かるかもしれない。

 少なくとも今ここにいる誰もが、そう思った。


 だからこそ、嫌な予感がした。


 六花が走りながら天井を見上げる。

 シャッター上部の赤ランプが点滅していた。


「……まずい」


「何が」

 湊が聞く。


 答えより先に、重たい警告音が鳴った。


『防疫封鎖を開始します』


「は?」


 花音の声が裏返る。


「ちょ、待って、今!?」


 シャッターが下り始める。


 ゆっくりじゃない。

 容赦がない速さで。


「走れ!!」

 湊が叫ぶ。


 前方の生徒たちも一斉に速度を上げる。

 転ぶ。

 押す。

 叫ぶ。

 間に合った者、間に合わない者。

 その境目が、目の前で無慈悲に線を引いていく。


「開けて! 待って!」

「押して、早く!」

「いやあああっ!」


 先頭の男子生徒が滑り込み、ギリギリで下を抜ける。

 その後ろの女子生徒は肩からぶつかり、転ぶ。

 後続が彼女を飛び越えようとして失敗し、もつれる。


 シャッターは止まらない。


「やめろ…!」

 陸が叫ぶ。


 誰かの腕が挟まった。

 鈍い音。

 悲鳴。

 さらに、落ち切る金属音。


 向こう側の声が、急に遠くなる。


 花音の足が止まりかけた。


「うそ…」


 心晴が一歩、前へ出る。


「まだ…!」

「行くな!」

 湊が心晴の肩をつかむ。

「でも!」

「今行っても間に合わない!」


 その間にも、シャッターの向こうでは何人かが叩いているのか、鈍い音が続いていた。

 けれどその音もすぐに、別の悲鳴に飲まれる。


 避難区画の中にも、もう感染者がいるのだと分かった。


 六花が低く吐き捨てる。


「最悪」


「これ、何…」

 花音の声はかすれていた。

「避難させる気、ないじゃん…」


 湊も答えられない。

 でも、目の前の光景だけで十分だった。


 この街は、生徒を守るつもりがない。


「外へ出る」

 六花が言う。

「こっち」


 また別の連絡通路へ切る。

 今度はガラス張りの高架通路だった。

 左右に海が見える。

 朝の光はきれいなままなのに、通路の中だけがひどく息苦しい。


 外へ出た瞬間、風が強く吹き込んだ。


 花音が一度だけ肩を揺らす。


「寒…」

「止まるな」

 六花が言う。


 高架通路の先、学園都市と本土側をつなぐ巨大連絡橋が見えた。

 けれど、その手前で大きな隔壁が動いている。


「まさか」

 湊が呟く。


 低い振動音。

 橋の根元にある接続部が重くずれ、ゆっくりと離れていく。

 橋そのものが落ちるわけじゃない。

 でも、もう渡れない。

 物理的に切り離される。


「そんな…」

 花音が息を呑む。

「うそでしょ…」


 さらに、都市内の各連絡区画でも同じように隔壁が降り始めていた。

 一般学区と寮区。

 研究区へ続く白い連絡棟。

 港湾区方面のゲート。

 全部が、住人を閉じ込めるための動きに見えた。


 風の向こうで、スピーカーがまた何かを喋っている。

 でももう、言葉として頭に入ってこない。


 目の前の光景だけで十分だった。


 アカデミアは、檻になった。


 六花が橋の切断を見つめたまま、低く言う。


「…これ、事故じゃない」


 誰も、その言葉を否定できなかった。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

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