死走
管理区が壊れる音を背中で聞きながら走るのは、気分が悪かった。
火澄六花は先頭で角を切り、補助通路の分岐を迷いなく選んでいく。
管理区の地図を頭で覚えているわけじゃない。
でも、こういう施設の作りには癖がある。
人が通るための道、物が運ばれるための道、非常時に閉じる線。
そういうものは、だいたい同じ思想で組まれている。
「右!」
六花が言う。
湊がすぐ後ろで反応する。
「花音、心晴、曲がれ!」
「言われなくてもやってる!」
花音が息を切らしながら返す。
その声に、少しだけまだ大丈夫だと分かる。
叫べるうちは動ける。
通路の壁が、さっきより無骨になっていた。
管理区中枢の白い見た目が消え、補助線らしい灰色の金属壁と配管が露出している。
港湾区へ近づいている証拠だった。
後ろからは二種類の音が追ってくる。
一つは《アーク》の重量。
壁や床ごと歪ませる、あの不快な振動。
もう一つは回収部隊の足音。
そろっていて、無駄がなく、速い。
生き物の本能で迫ってくるものと、人間の意思で追ってくるもの。
どっちも最悪だ。
六花は通路の先を見ながら、頭の片隅で隊列を数える。
前から自分。
少し後ろに心晴と花音。
その後ろに湊。
さらに真琴と奏恵。
この順が今はいちばんいい。
自分が進路を切る。
湊が後ろを受ける。
花音と心晴を真ん中に置く。
それが、もう自然にできている。
そのことに、自分で少しだけ驚く。
いつからこうなった。
最初は、ただ厄介な一般科の連中だったはずなのに。
前方の通路が急に狭まる。
横幅のない接続路。
その先に、港湾区補助ラインへ続く防火ハッチが見えた。
「そこ抜ける!」
六花が叫ぶ。
だが同時に、左の横通路から黒い影が滑り込んできた。
回収部隊。
先頭は霧原沙耶だった。
防護マスクの奥の目が、六花を一瞬だけ捉える。
その視線には驚きがない。
この状況でも、自分のやることが変わらない人間の目だ。
「対象を停止」
沙耶が短く命じる。
「無理」
六花が即答する。
そのまま踏み込んだ。
沙耶の右手が上がる。
スタンロッド。
六花はそれを横へ流しながら、警棒の柄で相手の肘を打つ。
重い感触。
だが、沙耶は体勢を崩しきらない。
やっぱり似ている。
無駄のない動き。
迷いなく急所を狙う感覚。
たぶん訓練の方向が近い。
だからこそ、見ていて腹が立つ。
「退いて」
沙耶が言う。
「命令です」
「知らない」
六花が返す。
「そっちの都合でしょ」
後ろでは、湊がすでに動いていた。
花音の背を押し、心晴をハッチへ向かわせる。
「先行け!」
「六花ちゃん!」
花音が振り返る。
「前見て!」
六花が怒鳴り返す。
その声が飛んだ瞬間だけ、花音はちゃんと動く。
単純で助かる。
沙耶の二撃目が来る。
下からの突き上げ。
六花は半歩引いて避け、その反動で壁を蹴り、相手の肩口へ体重ごとぶつかった。
狭い通路では、大きく振るう技より、相手の配置を乱す方が早い。
回収部隊の後列が射線を作ろうとする。
六花はそれを見て、即座に通路の照明パネルを警棒で叩き割った。
火花。
一瞬だけ、視界が白く弾ける。
「っ」
沙耶の動きがわずかに鈍る。
「今!」
六花が叫ぶ。
湊たちがハッチを抜ける。
奏恵と真琴も続く。
最後に六花自身が身を翻して、ハッチの中へ滑り込んだ。
直後、後ろで弾かれたような音。
沙耶の部隊が無理に突っ込んできたのだろう。
だがハッチは狭い。
追う側にとっては不利だ。
六花が中からレバーを蹴り、半閉鎖状態にする。
「走るよ」
「息が」
花音が言う。
「あとでしろ」
「鬼!」
「知ってる」
湊が後ろから言う。
「そこ被せる?」
「今はそれでいい」
「よくないよ!」
ハッチの先は細い整備橋だった。
左右に金属の手すり。
下には海。
港湾区の外周設備に沿って作られた補助デッキらしく、潮風が強く吹き抜けている。
花音の髪がばさっと流れる。
「ちょ、風!」
「落ちるなよ」
湊が言う。
「やめて今それ言うの!」
「注意喚起だろ」
「雑!」
六花は先頭のままデッキを走る。
風で呼吸が少しだけ楽になる代わりに、足元の感覚が削られる。
滑れば終わりだ。
その時、前方の支柱の影から人影が現れた。
六花の体が反射で止まりかける。
だが次の瞬間、その顔を認識して、動きが変わった。
「……先輩」
瀬名玲司だった。
港湾区の補助制服は血と塩気で汚れ、左脇腹のあたりには深い裂傷が見える。
立っているのが不思議なくらいだった。
けれど、その目はまだ死んでいない。
「遅い」
玲司が言う。
「もう少し早く来るかと思った」
「無茶言わないで」
六花が返す。
「だいぶ最短で来てる」
「なら上出来」
花音が玲司を見て、思わず声を上げた。
「先輩、それ大丈夫じゃないですよね!?」
「大丈夫って言うと嘘になる」
「やっぱり!」
「でもまだ立てる」
「それもわりと無茶な人の台詞です!」
「知ってる」
玲司は少しだけ笑ったように見えた。
ほんの一瞬だけだ。
湊が周囲を見る。
「追手は」
「後ろから二系統」
玲司が即答する。
「管理区側から回収部隊。もう一つは、あれだろ」
「知ってる」
六花が言う。
「最悪の方」
「じゃあ話早い」
玲司は支柱脇のパネルを開けた。
中に隠されていた小型端末がまだ生きている。
港湾区の緊急艇ライン、その最終手動開放ルートが表示された。
「このデッキの先、貨物昇降路を下る」
玲司が指で示す。
「その先に緊急艇発進ライン。通常認証死んでても、手動解放で一回だけ開く」
「一回だけ」
心晴が小さく繰り返す。
「それで足りる」
玲司が言う。
その返し方で分かった。
この人はもう、自分がそこまで行かない前提で話している。
六花の喉が小さく動く。
「先輩」
「言うな」
玲司が先に切った。
「今それやってる暇ない」
「……」
「おまえは行け」
風が一瞬だけ強く吹く。
花音が息を止めた。
心晴も。
湊は何も言わない。
真琴と奏恵は、玲司の顔を見て、もう全部分かってしまった顔をしている。
「ここの補助デッキ、狭いだろ」
玲司が続ける。
「人数多い方が逆に詰まる。俺が残る」
「無理」
六花が言う。
「知ってる」
玲司は苦く笑う。
「でも、おまえら六人よりはましだ」
六花はすぐには返せなかった。
保安科にいた頃から、この人はそうだった。
無茶な判断をする時ほど、妙に静かになる。
その静けさが、今は嫌になるほど懐かしかった。
「……また」
やっと声が出る。
「また、置いてく気?」
「置いてくんじゃない」
玲司が言う。
「残るだけ」
「同じだ」
「違う」
短い会話。
でも、それ以上やり取りしたらたぶん止まる。
後方から、金属を叩き壊すような音が聞こえた。
《アーク》が補助デッキへ近づいている。
回収部隊の無線音も風に混じって届く。
時間切れだった。
玲司が六花を見る。
「おまえ、もう選んだんだろ」
「……」
「ならそっち行け」
「先輩」
「おまえは行け。ここで止まるな」
その言葉は、前と同じだった。
でも、今度は意味がもっと重い。
六花は一瞬だけ目を閉じそうになって、やめた。
そんなことをしたら、戻れなくなる気がした。
花音が、小さい声で言う。
「六花ちゃん……」
その声で、六花は前を見た。
湊。
心晴。
花音。
それに真琴と奏恵。
今、守るべきなのはこっちだ。
その事実だけは、もう迷わない。
「行く」
六花が言った。
玲司が、ほんの少しだけ頷く。
「それでいい」
六花はそれ以上は何も言わず、玲司の横を抜けた。
すれ違う瞬間だけ、血の匂いと潮風が混ざる。
その記憶が、あとで残るのだと分かってしまった。
「貨物昇降路、左!」
玲司が最後に叫ぶ。
「落ちるなよ!」
「分かってる!」
花音が反射で返す。
「いや、私に言われても困るんですけど!」
その声に、玲司は少しだけ笑った気がした。
次の瞬間、後方の隔壁が吹き飛ぶような音がして、《アーク》の重量がデッキ全体を揺らした。
六花は振り返らなかった。
振り返ったら、足が止まるからだ。
前へ進く。
自分で選んで。
自分で、その背中を置いて進く。
港湾区の緊急艇発進ラインの灯りが、遠くに見えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
もし作品を気に入っていただけましたら、
下部の☆☆☆☆☆より評価をいただけると大変励みになります。
★★★★★を入れていただけると作者のやる気が大幅に上がります(^^)/
また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。
引き続きよろしくお願いいたします。




