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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第3章 『その先の世界』

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死走



 管理区が壊れる音を背中で聞きながら走るのは、気分が悪かった。


 火澄六花は先頭で角を切り、補助通路の分岐を迷いなく選んでいく。

 管理区の地図を頭で覚えているわけじゃない。

 でも、こういう施設の作りには癖がある。

 人が通るための道、物が運ばれるための道、非常時に閉じる線。

 そういうものは、だいたい同じ思想で組まれている。


「右!」

 六花が言う。


 湊がすぐ後ろで反応する。


「花音、心晴、曲がれ!」

「言われなくてもやってる!」

 花音が息を切らしながら返す。


 その声に、少しだけまだ大丈夫だと分かる。

 叫べるうちは動ける。


 通路の壁が、さっきより無骨になっていた。

 管理区中枢の白い見た目が消え、補助線らしい灰色の金属壁と配管が露出している。

 港湾区へ近づいている証拠だった。


 後ろからは二種類の音が追ってくる。


 一つは《アーク》の重量。

 壁や床ごと歪ませる、あの不快な振動。


 もう一つは回収部隊の足音。

 そろっていて、無駄がなく、速い。

 生き物の本能で迫ってくるものと、人間の意思で追ってくるもの。

 どっちも最悪だ。


 六花は通路の先を見ながら、頭の片隅で隊列を数える。


 前から自分。

 少し後ろに心晴と花音。

 その後ろに湊。

 さらに真琴と奏恵。


 この順が今はいちばんいい。

 自分が進路を切る。

 湊が後ろを受ける。

 花音と心晴を真ん中に置く。

 それが、もう自然にできている。


 そのことに、自分で少しだけ驚く。


 いつからこうなった。

 最初は、ただ厄介な一般科の連中だったはずなのに。


 前方の通路が急に狭まる。

 横幅のない接続路。

 その先に、港湾区補助ラインへ続く防火ハッチが見えた。


「そこ抜ける!」

 六花が叫ぶ。


 だが同時に、左の横通路から黒い影が滑り込んできた。


 回収部隊。


 先頭は霧原沙耶だった。


 防護マスクの奥の目が、六花を一瞬だけ捉える。

 その視線には驚きがない。

 この状況でも、自分のやることが変わらない人間の目だ。


「対象を停止」

 沙耶が短く命じる。


「無理」

 六花が即答する。


 そのまま踏み込んだ。


 沙耶の右手が上がる。

 スタンロッド。

 六花はそれを横へ流しながら、警棒の柄で相手の肘を打つ。

 重い感触。

 だが、沙耶は体勢を崩しきらない。


 やっぱり似ている。


 無駄のない動き。

 迷いなく急所を狙う感覚。

 たぶん訓練の方向が近い。

 だからこそ、見ていて腹が立つ。


「退いて」

 沙耶が言う。

「命令です」

「知らない」

 六花が返す。

「そっちの都合でしょ」


 後ろでは、湊がすでに動いていた。

 花音の背を押し、心晴をハッチへ向かわせる。


「先行け!」

「六花ちゃん!」

 花音が振り返る。

「前見て!」

 六花が怒鳴り返す。


 その声が飛んだ瞬間だけ、花音はちゃんと動く。

 単純で助かる。


 沙耶の二撃目が来る。

 下からの突き上げ。

 六花は半歩引いて避け、その反動で壁を蹴り、相手の肩口へ体重ごとぶつかった。

 狭い通路では、大きく振るう技より、相手の配置を乱す方が早い。


 回収部隊の後列が射線を作ろうとする。

 六花はそれを見て、即座に通路の照明パネルを警棒で叩き割った。


 火花。

 一瞬だけ、視界が白く弾ける。


「っ」

 沙耶の動きがわずかに鈍る。


「今!」

 六花が叫ぶ。


 湊たちがハッチを抜ける。

 奏恵と真琴も続く。

 最後に六花自身が身を翻して、ハッチの中へ滑り込んだ。


 直後、後ろで弾かれたような音。

 沙耶の部隊が無理に突っ込んできたのだろう。

 だがハッチは狭い。

 追う側にとっては不利だ。


 六花が中からレバーを蹴り、半閉鎖状態にする。


「走るよ」

「息が」

 花音が言う。

「あとでしろ」

「鬼!」

「知ってる」

 湊が後ろから言う。

「そこ被せる?」

「今はそれでいい」

「よくないよ!」


 ハッチの先は細い整備橋だった。

 左右に金属の手すり。

 下には海。

 港湾区の外周設備に沿って作られた補助デッキらしく、潮風が強く吹き抜けている。


 花音の髪がばさっと流れる。


「ちょ、風!」

「落ちるなよ」

 湊が言う。

「やめて今それ言うの!」

「注意喚起だろ」

「雑!」


 六花は先頭のままデッキを走る。

 風で呼吸が少しだけ楽になる代わりに、足元の感覚が削られる。

 滑れば終わりだ。


 その時、前方の支柱の影から人影が現れた。


 六花の体が反射で止まりかける。

 だが次の瞬間、その顔を認識して、動きが変わった。


「……先輩」


 瀬名玲司だった。


 港湾区の補助制服は血と塩気で汚れ、左脇腹のあたりには深い裂傷が見える。

 立っているのが不思議なくらいだった。

 けれど、その目はまだ死んでいない。


「遅い」

 玲司が言う。

「もう少し早く来るかと思った」

「無茶言わないで」

 六花が返す。

「だいぶ最短で来てる」

「なら上出来」


 花音が玲司を見て、思わず声を上げた。


「先輩、それ大丈夫じゃないですよね!?」

「大丈夫って言うと嘘になる」

「やっぱり!」

「でもまだ立てる」

「それもわりと無茶な人の台詞です!」

「知ってる」


 玲司は少しだけ笑ったように見えた。

 ほんの一瞬だけだ。


 湊が周囲を見る。


「追手は」

「後ろから二系統」

 玲司が即答する。

「管理区側から回収部隊。もう一つは、あれだろ」

「知ってる」

 六花が言う。

「最悪の方」

「じゃあ話早い」


 玲司は支柱脇のパネルを開けた。

 中に隠されていた小型端末がまだ生きている。

 港湾区の緊急艇ライン、その最終手動開放ルートが表示された。


「このデッキの先、貨物昇降路を下る」

 玲司が指で示す。

「その先に緊急艇発進ライン。通常認証死んでても、手動解放で一回だけ開く」

「一回だけ」

 心晴が小さく繰り返す。

「それで足りる」

 玲司が言う。


 その返し方で分かった。

 この人はもう、自分がそこまで行かない前提で話している。


 六花の喉が小さく動く。


「先輩」

「言うな」

 玲司が先に切った。

「今それやってる暇ない」

「……」

「おまえは行け」


 風が一瞬だけ強く吹く。

 花音が息を止めた。

 心晴も。

 湊は何も言わない。

 真琴と奏恵は、玲司の顔を見て、もう全部分かってしまった顔をしている。


「ここの補助デッキ、狭いだろ」

 玲司が続ける。

「人数多い方が逆に詰まる。俺が残る」

「無理」

 六花が言う。

「知ってる」

 玲司は苦く笑う。

「でも、おまえら六人よりはましだ」


 六花はすぐには返せなかった。


 保安科にいた頃から、この人はそうだった。

 無茶な判断をする時ほど、妙に静かになる。

 その静けさが、今は嫌になるほど懐かしかった。


「……また」

 やっと声が出る。

「また、置いてく気?」

「置いてくんじゃない」

 玲司が言う。

「残るだけ」

「同じだ」

「違う」


 短い会話。

 でも、それ以上やり取りしたらたぶん止まる。


 後方から、金属を叩き壊すような音が聞こえた。

 《アーク》が補助デッキへ近づいている。

 回収部隊の無線音も風に混じって届く。


 時間切れだった。


 玲司が六花を見る。


「おまえ、もう選んだんだろ」

「……」

「ならそっち行け」

「先輩」

「おまえは行け。ここで止まるな」


 その言葉は、前と同じだった。

 でも、今度は意味がもっと重い。


 六花は一瞬だけ目を閉じそうになって、やめた。

 そんなことをしたら、戻れなくなる気がした。


 花音が、小さい声で言う。


「六花ちゃん……」


 その声で、六花は前を見た。


 湊。

 心晴。

 花音。

 それに真琴と奏恵。


 今、守るべきなのはこっちだ。

 その事実だけは、もう迷わない。


「行く」

 六花が言った。


 玲司が、ほんの少しだけ頷く。


「それでいい」


 六花はそれ以上は何も言わず、玲司の横を抜けた。


 すれ違う瞬間だけ、血の匂いと潮風が混ざる。

 その記憶が、あとで残るのだと分かってしまった。


「貨物昇降路、左!」

 玲司が最後に叫ぶ。

「落ちるなよ!」

「分かってる!」

 花音が反射で返す。

「いや、私に言われても困るんですけど!」


 その声に、玲司は少しだけ笑った気がした。


 次の瞬間、後方の隔壁が吹き飛ぶような音がして、《アーク》の重量がデッキ全体を揺らした。

 六花は振り返らなかった。

 振り返ったら、足が止まるからだ。


 前へ進く。


 自分で選んで。

 自分で、その背中を置いて進く。


 港湾区の緊急艇発進ラインの灯りが、遠くに見えた。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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