奪う
中央制御区画へ続く通路は、管理区の中でもさらに無機質だった。
白い壁はそのままなのに、ここから先は“人が働く場所”というより、“街そのものを操作する場所”の顔をしている。
ガラス張りの仕切りの向こうに、無人の制御卓。
床を走る細い光のライン。
天井の埋め込み照明。
全部が、感情の入る隙間を削って作られているみたいだった。
心晴を先頭にする形で進くわけにはいかないから、前は六花、少し後ろに湊、その内側に心晴と花音、そのさらに後ろに真琴と奏恵という並びになった。
六花が足を止めずに言う。
「あと二つ曲がる」
「分かるの?」
花音が聞く。
「保安ルートの構造はだいたい共通」
「便利だね」
「便利じゃなかった」
六花は短く答えた。
「今までは」
その返し方に、花音は少しだけ口を閉じた。
玲司の顔が、一瞬だけ全員の頭をよぎる。
でも誰も口にはしない。
今はまだ、あそこを振り返ると止まる気がするからだ。
前方の分岐へ差しかかった時、天井の照明が一瞬だけ明滅した。
六花が即座に右手を上げる。
「止まって」
次の瞬間、通路の先の防火隔壁が、重い音もなく滑るように降りた。
白い板が床へ噛み合い、中央制御へ向かう正面ルートをあっさり塞ぐ。
「うわ」
花音が思わず声を漏らす。
「やな感じしかしない」
それと同時に、頭上のスピーカーから、今度は大地ではない声が流れた。
「これ以上の進行はおすすめしません」
女の声。
若い。
でも、柔らかく聞こえるように調整された抑揚の奥に、かなり強い緊張が混ざっている。
真琴が眉を寄せた。
「……東雲」
「知ってるの?」
花音が聞く。
「顔は何回か見たことある」
真琴が答える。
「管理区側のオペレーター」
スピーカーの向こうの声は続けた。
「補助ルートの封鎖は段階的に進行中です。ここで止まってください」
「断る」
湊が即答した。
少しの沈黙。
それから、声はわずかに低くなる。
「ここから先は、中枢設備に近い区画です。侵入を続ければ被害が広がります」
「もう十分広がってる」
六花が言う。
「今さら設備の心配?」
「設備の心配ではありません」
声が返る。
「この街そのものの維持の問題です」
「維持できてる顔して言うなよ」
花音がぼそっと言った。
それに対して、東雲は少しだけ間を置いた。
「……白峰花音さん」
「うわ、また名前呼ばれた」
花音が顔をしかめる。
「この街、勝手に人の名前知りすぎなんだけど」
「管理区だから」
真琴が言う。
「言われると余計最悪」
六花はすでに壁面の補助パネルへ移っていた。
正面が閉じるなら横へ抜ける。
頭の切り替えが早い。
「迂回路ある」
「どこ」
湊が聞く。
「左のメンテライン。ただしロックかかってる」
「私がやる」
心晴が前へ出る。
その動きを見て、花音の顔が少しだけ変わった。
“認証できる側”であることが心晴を追い詰めていた。
でも今は、それを嫌がるだけじゃなく、自分から使おうとしている。
その違いが、花音には少しだけうれしかった。
心晴が壁面パネルに手を置く。
青。
ロック解除。
だがその直後、東雲の声がもう一度入る。
「どうして、そこまでして進くんですか」
少しだけ、抑えきれない感情が混じっていた。
六花が小さく笑うみたいに鼻で息を吐く。
「オペレーターが会話しにくるの、だいぶ余裕ないね」
「……質問に答えてください」
東雲が言う。
「ここまで来て、まだ何を得るつもりなんですか」
心晴がパネルへ触れたまま、小さく答えた。
「返すため」
「何を」
「決める権利を」
その返答のあと、スピーカーの向こうで一瞬だけ音が消えた。
完全な沈黙。
たぶん東雲が、返す言葉を失った。
六花がメンテラインの扉を開く。
「いい返し」
「今そういうのやめて」
心晴が言う。
「でも事実」
花音がすぐ乗る。
「ちょっとだけ、かっこよかった」
「軽い」
「今はそれくらいがいいの」
扉の向こうは細い整備通路だった。
配線ダクトと保守用の足場がむき出しで、管理区本流の清潔さが嘘みたいに雑然としている。
湊たちが中へ入った直後、正面ルート側の隔壁がもう一段階閉まる音がした。
挟み込む気だ。
「急いだ方がいい」
真琴が言う。
「東雲、今のやり方だとロックダウンで囲うつもり」
「分かる」
湊が言う。
「で、中央制御へは」
「このメンテラインを抜ければ、裏から制御卓に出る」
真琴が答える。
「ただし、その先は」
「その先は?」
花音が聞く。
「もっと見られてる」
「聞きたくなかったなあ……」
整備通路を抜けると、視界が一気に開けた。
中央制御区画だった。
天井が高い。
壁一面のモニター。
半円状に並んだコンソール群。
中央には、ひとつだけ段の高い制御卓があり、その周囲を透明なパネルが囲っている。
人影はない。
けれど、無人ではない空気が濃い。
誰かの視線ではなく、システムそのものがこちらを見ている感じがする。
「……これ、ラスボス前の部屋じゃん」
花音が言う。
「ゲームならセーブポイント置いてあるやつ」
「置いてないな」
湊が返す。
「現実だから」
「知ってるけど!」
六花は周囲の出入口を確認しながら、すでに防衛位置を見ている。
真琴は中央卓までのルートの安全を確認。
奏恵はサブコンソールへ向かった。
心晴だけが、中央制御卓を見て立ち止まった。
高い位置にあるその卓は、研究区の端末とは違って、最初から“街全体を動かすための場所”だと分かる作りをしている。
そこへ手を伸ばすことが、もう父の領域に直接触ることみたいに感じられた。
「心晴」
湊が呼ぶ。
振り向くと、湊は中央卓ではなく、心晴を見ていた。
「行けるか」
「……行く」
「よし」
それだけで十分だった。
心晴は制御卓へ上がる。
パネルへ手を置く。
認証が走る。
『AMAGI_KOHARU / LEVEL-B ACCESS』
すぐにメイン画面が起動した。
都市マップ。
各区画の封鎖状況。
港湾区。
緊急艇ライン。
エネルギー配分。
非常用航路。
「すご……」
花音が思わず声を漏らす。
「街の中身、丸見えなんだけど」
「丸見えにされたくなかったから、今まで隠されてた」
真琴が言う。
心晴は画面を食い入るように見た。
港湾区の非常艇ライン。
起動条件。
認証鍵。
発進ルート。
外洋接続の可能性。
「これだ」
心晴が言う。
「港湾区の緊急艇、まだ死んでない」
「使える?」
湊が聞く。
「ラインは生きてる。でもロックが二重」
「開けられる?」
「やる」
心晴は即答した。
その返答と同時に、端末の別画面に赤い警告が走る。
**回収部隊 / 管理区侵入反応**
六花の目が一瞬で変わる。
「来た」
「早っ!」
花音が言う。
「いやほんとにちょっと待って!」
「待ってくれないでしょ」
六花が返す。
さらに、別の警告が立ち上がる。
管理区深部、封鎖保管ライン。
そこに重いロックマークが点滅している。
心晴はその表示を見た瞬間、嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
「……これ」
「何」
湊が聞く。
表示ラベルの一つに、見覚えのある単語があった。
**ARK / 待機状態**
真琴が息を呑む。
「まさか」
「知ってるの?」
花音が聞く。
「知ってるっていうか、研究区のログにあった」
真琴が言う。
「完成体候補、最終管理ライン……その、最悪のやつ」
「最悪の言い方が軽すぎない?」
「今はそのくらいで十分」
スピーカーが鳴る。
今度は東雲ではなかった。
大地の声だ。
「そこまで行ったんだね」
静かな声。
だが、さっきまでとは違う。
今度は距離を測っている声だ。
「中央制御へ触れた時点で、君たちはもうただの侵入者ではない」
「今さらだな」
湊が吐き捨てる。
大地は続ける。
「緊急艇ラインを見つけたんだろう」
「だったら何」
花音が言う。
「今さら親切に答え合わせしてくれる感じ?」
「親切ではないよ」
大地は言った。
「最終判断に移るだけだ」
中央卓の下部で、深いロック解除音が鳴った。
低い。
重い。
管理区全体を支える骨の一本が外れるみたいな音だった。
心晴の指先が止まる。
「……お父さん、何したの」
「最後の防衛だ」
大地が答える。
「君がここまで来たなら、もう見るしかない」
東雲の声が割り込む。
「主任、それはまだ」
「東雲」
大地が静かに言う。
「手順を」
短い沈黙。
それから、オペレーターとしての東雲の声が戻る。
でも、その奥に迷いがあるのが今度は分かった。
『最終保管ライン、解放シーケンス開始』
六花が中央制御区画の出入口を見る。
「撤退準備」
「でも緊急艇ラインが」
心晴が言う。
「持ってける情報だけ取る」
六花が返す。
「ここに残る方が死ぬ」
「……っ」
「心晴」
湊が言う。
「港湾区の発進条件だけ抜け」
「分かった!」
心晴はもう一度指を走らせる。
港湾区緊急艇。
外洋接続ルート。
認証キー。
発進シーケンス。
最低限のデータを携行端末へ転送。
赤い進行バーが伸びていく。
その間にも、遠くで金属が軋む音がした。
花音が顔を上げる。
「今の、なに」
「聞きたくなかったやつ」
真琴が言う。
次の瞬間、管理区のどこか遠くで、分厚い隔壁が内側から殴られたみたいな重い衝撃が響いた。
制御卓のガラスパネルが、わずかに震える。
六花が低く言う。
「急げ」
赤い進行バーが、ようやく終端まで届く。
「取れた!」
心晴が言った、その直後だった。
管理区全体を震わせるような、二撃目の衝撃が来た。
今度は一度きりじゃない。
向こう側から何か巨大なものが、確実にこちらへ近づいてきている。
大地の声が、最後に静かに告げる。
「さあ、見せてごらん。心晴」
その瞬間、封鎖保管ラインのロック表示が、完全に消えた。
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