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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第3章 『その先の世界』

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プロローグ 選別の街



 管理区中枢は、静かだった。


 正確には、音がないわけではない。

 空調の低い駆動音。

 端末が処理を続けるかすかな電子音。

 遠くの制御壁を通って伝わる、わずかな振動。


 だが、それらはすべて“あって当然の音”として空間に溶けていて、人の気配だけがひどく薄い。


 壁一面の監視モニターが、学園都市アカデミアの各区画を映していた。


 一般学区。

 寮区。

 研究区。

 港湾区。

 管理補助線。

 海上に築かれた箱庭のすべてが、白い枠の中で切り分けられ、数字とともに並んでいる。


 そこに映る街は、もはや理想都市の顔をしていなかった。


 崩れた高架通路。

 封鎖された連絡橋。

 放置された無人車両。

 血の跡を残したまま停止している区画シャッター。

 そして、ところどころでまだ動いている、人だったもの。


 それらを、天城大地は感情のない顔で見ていた。


 白い中枢室の中央。

 半円状の操作卓の前に立ち、片手を軽く端末へ置いたまま、複数の監視映像を順に流し見る。

 焦りも、怒りも、後悔も、その横顔には浮いていない。


 まるで、嵐の夜の海を見ているような静かな目だった。


「一般学区封鎖率、九十一パーセント」


 淡々とした声が響く。


 操作卓の一段下、補助コンソールの前に立つ東雲透が、表示を確認しながら報告を続けた。

 細身の体に、管理区のオペレーター用ジャケット。

 髪はきちんとまとめられている。

 その姿勢も発声も乱れていない。

 けれど、目の下には濃い疲労の影が落ちていた。


「寮区は八十六。研究区は第四層までロック維持、ただし中央記録端末室へのアクセスログに異常があります」


 東雲は画面を切り替える。

 研究区のマップに赤い点がいくつか灯り、そのうちのひとつが点滅を繰り返していた。


「対象群が研究区深部を通過。現在、管理補助線から管理区外縁へ接近中」


 その報告にも、大地はすぐには何も言わなかった。


 モニターのひとつに、研究区の白い通路が映っている。

 少し前の記録らしく、そこでは四つの人影が走っていた。

 先頭の火澄六花。

 後方を確認する如月湊。

 中央に白峰花音と、天城心晴。


 東雲が一拍置いてから、低く言う。


「ここまで接近を許したのは想定以上です」

「そうかな」

 大地は視線を動かさずに答えた。

「はい」


 東雲の声に、わずかに硬さが混じる。


「研究区でのアクセス、抑制剤試作ログの持ち出し、管理補助線への侵入、どれも許容範囲を超えています。これ以上は被害が」


「被害」


 大地がその言葉だけを静かに繰り返した。


 怒ったわけではない。

 否定を強めたわけでもない。

 それでも、東雲はその一語で自分の発言を測り直したように、一度だけ口を閉じる。


 大地はようやく視線を動かし、研究区のモニターから一般学区の俯瞰映像へ移した。


「被害とは、想定していない損失を指す言葉だ」

「……はい」

「だが、想定の中にあるなら、それは経過だ」


 東雲の喉が小さく動く。


 分かっている。

 この人は最初から、こういう考え方をする人間だ。

 今さら驚くことではない。

 それでも、その言葉がモニターの向こうに散らばる死体や血の痕の上に重なると、人の感覚としてどこかが拒否する。


「街全体の安定性が落ちています」

 東雲は言葉を選びながら続けた。

「管理区まで侵入を許せば、中枢設備そのものにも影響が出る可能性があります」

「そうだろうね」

「なら」

「だからこそだ」


 そこでようやく、大地は東雲を見た。


 静かな目だった。

 感情を切り落とした静けさではなく、感情を出す必要がない人間の静けさ。


「外から見ているだけでは、最後の形は分からない」

「最後の……形」

「極限まで崩れた時、人は何を守るのか。何を捨てるのか。何に適応し、何から脱落するのか」

 大地は言う。

「箱庭は、そのためにある」


 東雲は返事をしなかった。


 できなかった、に近い。


 一般学区の映像が切り替わる。

 崩れた教室棟。

 避難ホール。

 人影のない連絡通路。

 管理区側の人間がこれを“箱庭”と呼ぶことに、今さら言葉を挟む資格が自分に残っているのか、東雲にはもう分からなかった。


 大地は再び視線をモニターへ戻す。


「心晴はそこまで来た」

「……はい」

「なら、想定はまだ死んでいない」


 東雲はコンソールの表示を切り替える。


 管理区外縁。

 補助ライン接続口。

 認証待機。

 封鎖ステータスは青。

 だが、その外側に四つの生体反応が表示されている。


「この段階で排除命令を出しますか」

 東雲が聞く。


 管理区側に残る即応部隊。

 回収部隊の再配置。

 《アーク》保管ラインの最終ロック。

 まだ切れる手はいくつかある。


 だが、大地は首を横に振った。


「いいえ」

「……しかし」

「ここまで来たなら、見届ける価値がある」


 東雲の目が、ほんのわずかに揺れた。


「それは……対象の保全を優先する、という意味ですか」

「半分」

 大地は言う。

「もう半分は、確認だ」


 確認。


 その一言が、東雲には妙に冷たく響いた。


 娘が管理区前まで来た。

 普通の親なら、そこに感情が生まれるはずだ。

 安堵でも、怒りでも、焦りでもいい。

 だが大地の声には、そのどれもない。


 あるのはただ、“観る”という意思だけだ。


「東雲」

「はい」

「管理区のロックは維持」

「はい」

「ただし、中央補助ルートの監視は切らないで」

「……対象群を内部へ誘導する意図ですか」

「誘導ではない」


 大地はほんの少しだけ間を置いてから言った。


「選ばせるだけだ」


 その言葉と同時に、モニターのひとつが研究区から管理補助線へ切り替わる。

 白い通路を抜け、灰色の保守デッキへ出る四つの影。

 息を切らしながら、それでも前へ進いてくる。


 心晴がそこにいた。

 白い顔で、それでも止まらずに。


 東雲はその映像を見ながら、無意識に指先へ力を入れていた。


「主任」

「何」

「もし、対象が制御卓への直接アクセスを試みた場合は」

「その時はその時だ」

「街そのものが」

「街は目的ではない」


 大地の返答はあまりに早かった。


 東雲はそれ以上、言葉を足せなかった。


 この人にとって、学園都市は守るものではない。

 完成へ至るまでの過程であり、選別のための器でしかない。

 その前提を知っているからこそ、反論の言葉は薄くなる。


 壁際のモニターに、別ラインからの警告が灯る。


 **《ARK》 / 待機状態維持**

 **最終解放権限: TENJO_DAICHI**


 東雲の視線が、一瞬だけそこへ流れた。


 大地は気づいているはずなのに、その表示には触れない。

 ただ、管理区前の四つの影を見ている。


「心晴は」

 大地が静かに言う。

「まだ、自分で決めたことがない」

「……」

「見なくていいものを見ずに済ませてきた。選ばなくていい答えを、そのまま与えられてきた」

「それを、今さら選ばせるんですか」

 東雲は聞いてしまってから、自分の声にわずかな棘が混じっていたことに気づく。


 だが大地は気にした様子もなく、淡々と答えた。


「今だからだよ」


 白い中枢室に、空調の低い音だけが残る。


 東雲は何も返せなかった。


 管理区の外縁で、四つの生体反応が停止した。

 たぶん扉の前に立ったのだろう。

 そこから先は、認証がなければ入れない。


 大地は静かにモニターを見つめる。


 父としてではなく。

 管理者としてでもなく。

 最後の選別を見届ける人間として。


「なら」

 小さく、しかしはっきりと、大地は言った。


「君自身に選ばせよう。心晴」




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