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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第2章 『選別される街』

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18/27

きみを置いていかない



 管理区へ向かう前の休息は、休息と呼ぶには短すぎた。


 港湾区寄りの外気デッキに面した保守室。

 壁は薄く、向こうでは海風が金属の手すりを鳴らしている。

 床に座れば冷たく、立ったままでも足の疲れは消えない。

 それでも、今ここには追ってくる足音がない。

 それだけで十分すぎるほど静かだった。


 誰もすぐには喋らなかった。


 花音は包帯を巻いた腕を膝の上に置いて、壁にもたれている。

 六花は出入口の近く、いつでも動ける位置。

 心晴は少し離れた場所で、手の中の端末を見下ろしたまま。

 湊だけが、その全員を順に見ていた。


 海風が吹く。


 その音に混じって、遠くでまた何かが崩れるような音がした。

 学園都市のどこかが、まだ少しずつ壊れ続けている。


「……ねえ」


 花音が先に口を開いた。

 声は小さい。

 でも、無理に明るくしようとする感じはもうなかった。


「玲司先輩、だいじょうぶかな」


 誰もすぐには答えない。


 たぶん、だいじょうぶじゃない。

 でも、今この場でそれを言葉にするのは違うと、全員なんとなく分かっていた。


 六花が壁を見たまま言う。


「死ぬ気で残る顔じゃなかった」

「それ、安心していいやつ?」

 花音が聞く。

「半分だけ」

「半分かあ……」

「今はそれで十分」

 六花は言う。

「全部ほしいけどね」

 花音が小さく笑った。


 その小さな笑いのあと、また沈黙が落ちる。


 心晴はまだ端末から目を上げない。

 そこに映っているのは、持ち出した研究ログの一覧。

 天城大地の名前。

 因子適応記録。

 緊急時回収プロトコル。


 見たくないのに、見ないでいられない。

 そんな顔だった。


 湊が低く言う。


「目、悪くするぞ」

「今それ?」

 心晴が少し遅れて返す。

「今」

「もうとっくに別の意味で悪い」

「じゃあなおさら閉じろ」

「命令?」

「提案」

「雑」


 その返しがあっただけで、花音は少しだけ安心する。

 心晴が完全には折れていない証拠だったからだ。


 でもその直後、心晴は端末の画面を消して、膝の上に置いた。

 そして、少しだけ俯いたまま言った。


「……私が残る」


 保守室の空気が、そこで静かに止まった。


 花音がすぐに顔を上げる。

 六花の視線も心晴へ向く。

 湊だけが、あまり驚いた顔をしなかった。


 予感していたからだ。


「何」

 花音が言う。

「今なんて」

「管理区の前まで行けば、たぶん父は私と話そうとする」

 心晴は自分の声を保つように、丁寧に言葉を置いていく。

「認証もたぶん、私じゃないと通らない。なら、そこで私が残れば」

「却下」

 六花が切った。


 声は短い。

 でも、即答だった。


 心晴は六花を見る。


「最後まで聞いて」

「聞かなくても却下」

「火澄さん」

「却下」

「ねえ」


 花音が思わず口を挟む。

 でも、その顔は少しだけ救われてもいる。

 六花が何のためらいもなく切ってくれたからだ。


 心晴は息を吸って、それでも続けた。


「私が残れば、みんなは先に行ける」

「それ、本気で言ってる?」

 花音が聞く。

「うん」

「本気で?」

「本気で」


 その答えが、花音には逆にきつかった。


 冗談じゃないから。

 自暴自棄でもないから。

 本気で、自分が切られるべきだと思っているから。


「……やだ」


 花音が言う。

 すごく単純な言葉だった。


「心晴ちゃん、それ、やだ」

「でも」

「でもじゃない」

「花音」

「だってやだもん」


 花音は立ち上がった。

 包帯を巻いた腕が少しだけ痛んだのか、顔をしかめる。

 それでも前へ出る。


「ここまで来て、今それ言うのずるい」

「ずるい?」

 心晴が目を瞬く。

「うん、ずるい」

 花音は言う。

「だって、最初から一人で行くならまだしも、ここまで一緒に来て、今だけ急に自分だけ置いてくみたいなの、ずるい」

「置いていくんじゃなくて」

「同じだよ!」

 花音の声が少しだけ裏返る。

「私からしたら同じ!」


 その言葉に、心晴が黙る。


 湊はそのやり取りを見ながら、六花の方をちらっと見る。

 六花も同じように、今は花音に任せる方がいいと判断している顔だった。


 花音は少しだけ息を整えて、もう一度言う。


「謝るんじゃなくて、一緒にいてよ」

「……」

「私たち、そんな簡単に“じゃあここで分かれようか”ってなるくらいの関係じゃないでしょ」


 心晴の喉が小さく動く。

 返事がすぐに出てこない。


 花音は続けた。


「私、怖いよ」

「……」

「めちゃくちゃ怖い。今もずっと怖いし、研究区とかほんと意味わかんないし、六花ちゃんと湊がいなかったらたぶんもう三回くらい終わってる」

「三回で済む?」

 六花が言う。

「そういうとこだよ」

 花音が即座に返す。

「今空気読んで」

「読んでる」

「読んでない」


 そのやり取りに、心晴の口元がかすかに動いた。

 ほんの少しだけ。

 でもそれを見て、花音は押し切るように言葉を続ける。


「怖いけど、それでも一緒に来たの」

「花音……」

「だから今さら“私はここで残るね”はやだ」


 そこへ、六花が淡々と入る。


「合理でも却下」

 心晴が振り向く。

「合理?」

「天城切ったら、管理区の認証と研究区の情報が消える」

 六花は指を二本立てる。

「それでまず一個」

「……」

「もう一個。今の追跡のされ方見ると、天城だけ渡して終わる保証がない」

「でも」

「“でも”はいらない」

 六花が言う。

「全体で見て損。だから却下」


 花音が少しだけ苦笑した。


「六花ちゃんって、たまにすごい冷たい言い方で助けるよね」

「助けてるって認識はない」

「あるよ」

「ない」

「あるって」

「今それ議論する?」

 真琴が呆れたように言う。

「する」

 花音が返す。

「こういうの大事だから」

「意味分かんない」

「分かんなくていい」


 少しだけ空気がゆるむ。

 でも、心晴の表情はまだ晴れない。


「……それでも」


 小さく言う。


「それでも、私がいなければ」


「いるだろ」

 湊が言った。


 今度は、花音よりも、六花よりも、真琴よりも、静かな声だった。


 心晴が顔を上げる。


「如月」

「勝手に話進めるな」

「……」

「おまえがいなければって、誰に聞いた」

「誰にも」

「じゃあそれ、おまえが勝手に決めてるだけだろ」

「でも、現実は」

「現実なら見てる」


 湊は壁から背を離して、心晴の前まで来た。


 近い。

 でも、責める距離じゃない。

 逃がさない距離だ。


「認証通るのも見た。対象って呼ばれてるのも見た。父親の名前も見た」

「……」

「その上で言ってる」

「……どうして」

 心晴の声が少し掠れる。

「どうして、そこまで」


 その問いに、湊はすぐには答えなかった。


 保守室の向こうで、風が金属を鳴らす。

 遠い場所で、警報が一度だけ鳴る。

 その全部が、返事を急がせるようでいて、でも今だけは関係なかった。


 湊が言う。


「置いていく気はない」

「……」

「今度は、手を離したくないからだ」


 その言葉は大きくなかった。

 でも、心晴には十分すぎるほど真っ直ぐ届いた。


 今度は。


 その“今度”の中に、湊が今まで口にしなかった何かがあると分かる。

 助けられなかった誰か。

 手を離したまま終わった何か。

 そこまで全部は分からない。

 でも、軽い言葉じゃないことだけは分かる。


「……ずるい」

 心晴がやっとそれだけ言う。

「知ってる」

 湊が返す。

「そこで自覚あるんだ」

 花音が言う。


 その一言で、心晴はほんの少しだけ息を吐いた。

 張りつめすぎていた糸が、完全には切れずに少しだけ緩む。


 六花が出入口の方へ目をやったまま言う。


「話まとまった?」

「たぶん」

 花音が答える。

「その“たぶん”は軽いな」

 湊が言う。

「いいの」

 花音が返す。

「今はそれで」


 真琴が壁際の端末を閉じる。


「感動の場面に水差すけど、そろそろ移動した方がいい」

「早いな」

 湊が言う。

「外周ラインのスキャンがまた近づいてる」

「それを先に言って」

 花音が言う。

「さっきから言おうとしてた」

「じゃあ私が悪いの!?」

「半分くらい」

「ひど」


 奏恵がようやく口を開いた。


「管理区へ行くなら、次の巡回の前」

「分かった」

 六花が言う。


 心晴はまだ完全には立ち直っていない。

 でも、もうさっきみたいな“ここで残る”顔ではなかった。


 湊が短く言う。


「行くぞ」

「……うん」

 心晴が答える。


 その返事は小さい。

 でも、今度はちゃんと前へ進く返事だった。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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