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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第2章 『選別される街』

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崩れた保安線



 保安ルートに入った瞬間、空気が少し変わった。


 研究区の白さとも違う。

 一般学区の整いすぎた感じとも違う。

 もっと無骨で、目的がはっきりしている通路だった。


 壁は灰色。

 足元のラインは黄色。

 ところどころに非常用の装備ロッカー。

 消火器、簡易盾、封鎖用ワイヤー、保安科用の補助端末。


 火澄六花はその中を、迷いなく進んでいた。


 先頭を歩く背中が、今までより少しだけ静かに見える。

 湊はそれに気づきながらも、何も言わなかった。


 花音が小声で言う。


「なんか……六花ちゃん、急に歩きやすそう」

「ここ、知ってるから」

 六花が短く答える。

「保安科の補助ルート」

「ホームって感じ?」

「別に」

 即答だった。

 でも、その即答の速さが少しだけ不自然だった。


 心晴は六花の背中を見ていた。

 研究区では自分が中心だった。

 けれどここへ来てからは、六花が場所の意味を一番知っている。

 その立ち位置の変化が、少しだけ心晴を楽にして、同時に申し訳なくもさせた。


 真琴が壁の表示を見ながら言う。


「保安って、ほんとに学校の中にこういうルート持ってたんだ」

「学校じゃなくて都市だから」

 六花が言う。

「こういうのはある」

「さらっと言うけど、高校生活の常識じゃないよ」

 花音が返す。

「うちらの常識、もう何個か死んでるし」

「それはそう」


 奏恵は後方で、歩きながら壁際の補助パネルを確認していた。

 この人も疲れているはずなのに、立ち止まると終わると分かっている人の動き方をしている。


 曲がり角を二つ抜けた先で、六花が足を止めた。


 壁沿いに並ぶロッカーの一つが開いたままになっている。

 中身はほとんど空だった。

 補助バッテリーの箱が床へ落ちていて、包装だけが破れている。


「……遅い」

 六花が小さく言う。


 湊が聞く。


「何が」

「補給の抜かれ方」

 六花はロッカーの中を見る。

「撤退済みか、持ち逃げか、どっちでも最悪」


 さらに先へ進く。

 次の補給区画はもっと露骨だった。

 棚が荒らされ、封鎖用スプレー缶も応急止血キットもなくなっている。

 床には割れた端末。

 壁に残った血痕は、感染者の襲撃だけではなく、人間が最後までここで粘った気配を残していた。


 花音が少しだけ声を落とす。


「保安科の人たちも、もういないのかな」

「いるなら、ここはこんな風になってない」

 六花が言う。

「少なくとも、整った形では残ってない」


 その言い方は淡々としていた。

 けれど湊は分かった。

 六花の中で何かが静かに削れていっている。


 さらに奥の区画へ進もうとした時、前方の薄暗い通路の先で、何かが動いた。


 六花が反射で警棒を構える。

 湊も一歩横へずれる。

 花音と心晴は壁際へ寄り、真琴が小さく息を殺す。


「誰」

 六花の声は低い。


 数秒の沈黙。


 それから、通路の先から男の声が返った。


「その言い方……六花か?」


 六花の目が、ほんのわずかだけ揺れた。


 影が近づく。

 壁にもたれながら歩いてきたのは、保安科の制服を血と埃で汚した男子生徒だった。


 短髪。

 体格は六花より一回り大きい。

 肩口に深い裂傷。

 けれど目は死んでいない。


 瀬名玲司。


 六花の口から、その名は出なかった。

 でも代わりに、ごく短く言う。


「生きてた」

「そっちもな」

 玲司が息を吐く。

「感動の再会にしちゃ場所が悪い」


 花音がその空気を見て、少しだけ目を丸くする。

 六花の知り合い。

 それもかなり近い側だとすぐに分かる。


 湊が一歩だけ前へ出た。


「敵じゃない?」

「見りゃ分かるだろ」

 玲司が返す。

「……いや、今の街でそれ言い切れるのちょっとすごいな」

 花音がぼそっと言う。

「正直わかる」

 真琴も小さく同意した。


 玲司は壁に手をついたまま、六花を見る。


「その顔、だいたい察した。上の動き見たな」

「見た」

 六花が答える。

「学区封鎖、切り捨て、中央避難区画も」

「だろうな」


 玲司は苦く笑った。

 笑った、というより、口元がそういう形になっただけに近い。


「上はもうだめだ」


 その一言は、保安ルートの無機質な空気の中で、妙にはっきり響いた。


 花音が息を呑む。


「だめって」

「切った」

 玲司が言う。

「学区も、生徒も、保安線も。ぜんぶ、守る対象から外した」


 六花の手の中で、警棒を握る指が少しだけ強くなる。


「保安科も?」

 心晴が聞く。

「そうだ」

 玲司は頷く。

「俺らも“現場要員”ってだけ。最後に残って、食われる側だった」


 その答えで、六花は数秒黙った。


 所属。

 訓練。

 保安科として守る側にいた自分。

 その全部が、上から見たら最初から消耗品だった。


 怒るより先に、静かになるタイプの絶望がそこにあった。


 奏恵が低く言う。


「管理区は」

「閉じてる」

 玲司が即答した。

「正面は無理。正規権限持ちでも今は噛み合わない。行くなら裏からだ」


 湊が聞く。


「裏、あるのか」

「保安用の点検ルートが一本だけ」

 玲司は通路のさらに奥を顎で示す。

「でも途中から保安認証も通らない。管理補助ラインに切り替わる」

「なら心晴の認証が要る」

 六花が言う。


 玲司の視線が、そこで初めて心晴へ向いた。

 数秒だけ。

 それでだいたい察したらしい。


「それが“対象”か」

 口調に嫌味はない。

 ただ確認だけだった。


 心晴は小さく頷く。


「たぶん」

「便利な言葉だな」

 玲司が言う。

「今の街、全員それしか言えないよ」

 花音が返す。

「それもそうか」


 玲司は少しだけ息を整えてから、壁の非常用パネルを開いた。

 中には小さな投影マップが残っている。

 半分消えていたが、通路の流れくらいは読めた。


「ここが今いる補給線」

 指で示す。

「ここを下ると研究区外周。そこから港湾区寄りの保守デッキ。で、その先に管理区補助ライン」

「回収部隊は」

 六花が聞く。

「研究区側からも保安側からも回してくる」

「最悪」

「知ってる」


 湊はマップを見ながら、玲司の呼吸の乱れに気づいていた。

 説明はできている。

 でも立っているのがやっとだ。


 花音も気づいたらしく、小さく聞く。


「先輩、その傷……大丈夫じゃないですよね」

「大丈夫って言うと嘘になる」

 玲司が言う。

「でもまだしゃべれる」

「それもだいぶやばい人の台詞だよ」

 花音が即座に返す。


 その会話に、六花の目がほんの少しだけやわらぐ。

 ほんの少しだけ。


「六花」

 玲司が呼ぶ。


 六花は顔を上げる。


「おまえ、まだ保安の顔してる」

「してない」

「してる」

 玲司は言う。

「でも、もういい」


 その言葉の意味は、六花にも分かったはずだった。

 保安科であることにしがみつかなくていい。

 守るべきものを、自分で選べということだ。


「おまえは行け」

 玲司が続ける。

「ここで止まるな」


 六花はすぐには答えなかった。


 ただ一度だけ視線を落として、それから短く言う。


「……先輩は」

「俺は少し残る」

「無理」

「知ってる」

 玲司は苦く笑う。

「でも、おまえら全員にぞろぞろついてく方がもっと無理だ」


「それ、死亡フラグって言うんですよ」

 花音が思わず言う。


 玲司が一瞬だけ目を瞬いたあと、少しだけ笑った。


「今の状況でその単語出るんだな」

「出したくもなるでしょ」

「まあ、分かる」


 湊が玲司を見る。


「時間稼ぎか」

「そう」

「死ぬなよ」

「命令?」

「お願い」

「……六花のとこの連中、そういうの流行ってんのか」

「流行ってない」

 六花が言う。

「でも、聞けるなら聞いて」

「善処する」


 玲司はマップデータを保安端末へ移した。

 六花の端末へ転送。

 短い電子音。


「これでルートは残る」

「うん」

「港湾区の手前で一回外気デッキに出る。風が強いから足元気をつけろ。あと管理補助ラインは見張られてる前提で動け」

「分かった」


 その返事の短さが、逆に六花らしかった。


 玲司はそれを聞いて、最後に言う。


「おまえ、ちゃんと選べよ」

「……」

「上じゃなくて、今目の前にいる方を」


 六花の視線が、一瞬だけ湊たちへ動く。

 花音。心晴。湊。

 その並びを見てから、静かに頷いた。


「もう選んでる」


 玲司は、それで十分だと言いたげに目を閉じかけてやめた。


 通路の遠くで、金属音が鳴る。

 もう猶予は長くない。


 六花が端末を握り直す。


「行く」

「行け」

 玲司が返す。


 そこで終わる会話だった。

 言葉を増やすと、逆に崩れそうな空気があった。


 四人と二人が再び動き出す。

 玲司は通路の脇に残る。

 最後まで立っていた。


 花音は少しだけ振り返りそうになったけれど、六花の背中を見てやめた。

 たぶん今、六花も振り返っていない。


 その代わり、歩幅がほんの少しだけ硬くなっていた。


 保安線はもう崩れている。

 所属はもう守ってくれない。

 だからこそ、この先は自分たちで選ぶしかない。


 その現実が、六花の背中を前より少しだけ大人に見せていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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また、ブックマークや感想も今後の執筆の支えになります。

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