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LAST EXIT ACADEMIA  作者: きなこもち
第1章 『 崩壊の学園都市』

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エピローグ 白い扉の向こう



 白い扉の向こうは、学校の中にあるとは思えないほど静かだった。


 さっきまでいた一般学区や寮区には、壊れた生活の気配がまだ残っていた。

 倒れた机。開きっぱなしの扉。置き去りの鞄。

 誰かが少し前までそこで息をしていたと分かる空間だった。


 でも、ここは違う。


 白い廊下は、最初から人を遠ざけるために作られたみたいに冷たかった。

 照明は落ち切っていないのに薄暗く、壁も床も白いのに明るく感じない。

 足を踏み入れた瞬間、音の返り方まで変わる。


 湊は一歩先に進き、廊下の奥へ目を凝らした。


 長い。

 まっすぐ続いている。

 途中で左右に分かれているらしいが、その先は暗がりに飲まれて見えない。


「……ほんとに行くの?」


 花音の声は小さかった。

 強がっていない時の、いつもの声より少し低い声だった。


 六花が短く答える。


「ここまで来たら戻る方が危ない」

「それは分かるけど」

 花音は自分の腕を抱く。

「分かるけど、空気がもう無理なんだって」


 その言葉に、湊は少しだけ同意した。


 危ない場所は今までいくつも通ってきた。

 教室。避難ホール。寮区。

 どこも死ぬかもしれない場所だった。


 でも、ここは少し違う。


 危ないというより、入ってはいけない感じが強い。

 生き物としての勘が、足を止めろと言ってくる。


 その時、隣で心晴の呼吸がわずかに止まった。


 湊が横を見る。


 心晴は扉のすぐ内側で立ち止まったまま、白い廊下の奥を見ていた。

 顔色はもともと良くなかったが、今はさらに色が抜けているように見える。


「心晴」


 呼ぶと、少し遅れて視線が動いた。


「……なに」

「平気か」

「平気じゃない」

 心晴は小さく言った。

「でも、立てる」


 花音がそっとそばへ寄る。


「なんか、顔色また悪くなってる」

「もともとよくない」

「そういう問題じゃなくて」

「分かってる」


 言いながらも、心晴の目はまた廊下の奥へ戻ってしまう。

 見たいわけじゃない。

 なのに見てしまう。

 そういう目だった。


 六花が廊下の壁を軽く指で叩いた。

 鈍い音が返る。


「防音も強い」

「分かるの?」

 花音が聞く。

「音の返り方が違う」

「そういうの分かるのすごいよね」

「職業病」

「高校生の台詞じゃないんだよなあ…」


 そのやり取りに、心晴がほんの少しだけ目を伏せた。


 白い壁。

 床に落ちる灯り。

 遠くで鳴る、小さな機械音。


 その全部が、胸の奥のどこかを薄く引っかく。


 知らないはずなのに。

 初めて来たはずなのに。

 それなのに、まるで昔、同じ匂いの中を歩いたことがあるみたいな違和感が離れない。


 消毒液の匂い。

 冷えた空気。

 白すぎる床。


 そして、何かを見てはいけないような感じ。


「……ここ」


 心晴がぽつりとこぼす。


「え?」

 花音が顔を向ける。

「何?」

「……分からない」


 心晴は首を振る。

 でも、その言葉のあとに出た沈黙は、ほんとうに“分からない”だけのものじゃなかった。


 湊はその横顔を見る。

 この場所に入ってから、心晴はずっと何かを思い出しかけている顔をしていた。


「見覚えあるのか」

 湊が聞く。


 心晴はすぐには答えなかった。


 代わりに、白い廊下の奥から、微かな音がした。


 ぎ、……ずる。


 花音が肩を跳ねさせる。


「またそれ!」

「静かに」

 六花が低く言う。


 全員が息を止める。


 音は一度だけ鳴って、止んだ。

 何か重いものを床で引いたような音。

 でも、それが生き物なのか、物なのか、今の時点では分からない。


 花音が小声で言う。


「心臓に悪いって……」

「今さらだな」

 湊が返す。

「今さらでも悪いものは悪いの!」


 そこでようやく、心晴がかすれた声で答えた。


「……ある、かもしれない」


 花音が見る。


「何が?」

「見覚え」

「ほんとに?」

「でも、ちゃんとじゃない」

 心晴は言う。

「景色っていうより、感じ」

「感じ」

「白い廊下の感じとか、匂いとか……そういうのだけ」


 六花がすぐに反応する。


「前に来たことがある?」

「分からない」

「そこは分からないんだ」

「分からない」


 でも、その“分からない”は、何もない人の言い方じゃなかった。


 湊は白い廊下の先を見たまま聞く。


「思い出したくない感じか」

「……」

 心晴は少しだけ息を止める。

「そうかも」

「じゃあ当たりだな」

「何が」

 花音が聞く。

「この街の中心に一番近い場所ってことだろ」

「そういう理屈で当たり引きたくないなあ…」


 花音の言葉に、六花がわずかに口元を動かす。

 笑ったというほどでもないが、完全な無表情ではなかった。


 心晴はゆっくりと廊下の奥へ視線を戻す。


 白い。

 静か。

 冷たい。


 なのに、その奥に何かがあると分かる。

 自分と無関係ではいられない何かが。


 胸の奥が、ひどく落ち着かない。


 小さい頃。

 白い床。

 誰かの手。

 低い声。


 そこまで浮かんで、肝心なところだけ霧みたいに遠のく。


「心晴ちゃん」


 花音が隣で呼ぶ。

 その声で、今ここにいると分かる。


 花音。

 湊。

 六花。


 白い廊下の中で、その三人だけが変に現実的だった。


「……大丈夫」

 心晴は言った。

「まだ、歩ける」

「“まだ”ってつけるのやめて」

 花音がすぐ返す。

「不安になるから」

「ごめん」

「謝るのも禁止」

「めんどくさい」

「今さら!」

「知ってる」

 湊が言う。


 少しだけ、呼吸が戻る。


 六花が先へ視線を向け直した。


「進く」

「うん」

 湊が答える。


 花音は一度だけ白い扉を振り返った。

 そこはもう、戻る場所には見えなかった。


 研究区の白い廊下の奥で、また小さく何かを引きずる音がした。


 それを聞いた瞬間、心晴の胸の奥で、忘れていたはずの白い景色がわずかに軋んだ。


 ここ、来たことある。


 はっきり言い切れるほどではない。

 でも、その違和感だけはもうごまかせなかった。


 白い廊下の先で、記憶はたぶん、まだ息をしている。




最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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