新しいはじまり 3
「殿下……じゃなくって、フィー様! よかったらこれもどうぞ。『エクラン』の店主がアグリアのためにってわざわざ屋敷に届けてくれたの。『エクラン』のスイーツは、王都で一番おいしいのよ」
ルンルミアージュが、フィーにリール特製のスイーツを差し出した。
「あ、でもパイならアグリアの焼いたメリューのパイが一番よ! いつかフィーも食べさせてもらうといいわ。最高にとろけるように甘くておいしいのっ」
ルンルミアージュがうっとりと夢見るように告げれば、フィーの目がきらりと輝いた。
「へぇ、それは食べてみたいな。それにメリューという果物は、そんなにおいしいのか」
「えぇ! 最高よっ。なんなら、王家が栽培に力を貸してあげてもいいくらいにおいしいんだから」
なぜか自慢げに胸を張るルンルミアージュに、アグリアは顔を引きつらせた。
(メリューはともかくパイはただの家庭料理なんだし、あんまり大げさに言われると……)
フィーがくるりとこちら向いた。その目にはぜひ食べてみたいと書いてある。
そうは言われても、一国の王子がおいそれとあんな田舎に遊びに行けるわけもないだろう。パイを持参するにしたって、王都にはいくらでもおいしいスイーツがあるはず。それこそ『エクラン』とか。そんなすごい店の菓子と自分が焼いた素朴なパイが比較になるはずもない。
なのに。
「確かにアグリアの作るパイは、すこぶるうまい。あれを食べたら他のパイは物足りないな」
「もう、シオンまで! あれはメリューがとびきりおいしいせいよ」
恥ずかしさからぷぅ、と頬を膨らませれば、シオンがおかしそうに笑った。
「そうか。メリューはそんなにもうまいんだな。なら試さないわけにはいかないな。今度時間を作って、アグリアちゃんの領地に遊びに行こうかな」
まんざら冗談でもなさそうなフィーの言葉に、苦笑するしかない。
「いいじゃないか、アグリア。次期国王がお忍びでメリューを食べにきたとなれば、領地はうんと潤うぞ。なんたって、王家御用達だからな!」
「え……?」
がははと笑うモンバルトの言葉に、アグリアの頭の中で数字が飛び交う。
もしそんなことになったら、確かに領地の未来は安泰だ。農具をもっと大型のものに買い替えれば収穫量だって増やせるし、加工や王都への運搬にかかる人手だって増やせるかもしれない。
むくむくとわき上がる商売っ気をのぞかせ本気で考え込んでいると、タリオンが苦々しい顔でフィーの肩をぽんと叩いた。
「のんびり田舎に遊びに行く暇なんて、あるわけないでしょうよ……。ですよね。フェリクス王子殿下」
タリオンの目の下には、くっきりと黒い隈が浮かび上がっている。どうやら今日も随分とお疲れの様子らしい。相変わらずフィーにこき使われているのだろう。
タリオンは事件のあとすぐに、フェリクス王子の補佐に任命された。第一王子から命じられては、いくら過労死はごめんだなんて言ったところで拒否できるわけもない。
「聞いてくれよ、シオン。アグリアちゃん! フィーは俺を殺す気なんだっ。くぅっ……!」
タリオンがむせび泣いた。
聞けば事件以来、多忙過ぎて満足に自宅にも帰れていないらしい。
「いいじゃないか。軍で働くよりずっと待遇もいいんだし、将来だって安泰だ。王子のお墨付きともなれば、とびきりの良縁だって望めるしな」
にやりと笑みを浮かべたシオンの言葉に、タリオンが嘆いた。
「……他人事だと思って。本当に大変なんだぞ? 過労死したら絶対フィーの前に化けて出てやる」
恨みがましい顔でじっとりと雇い主を見やったタリオンに、フィーが涼しい顔で告げた。
「ふふっ。まぁそういうな、タリオン。もうしばらくしたら仕事もひと段落つくはずだ。……多分な。それに家に帰れていないっていうけど、その分王宮内に君の部屋を用意しただろう。ベッドはふかふかだし、食事だって私が食べているのと遜色ないはずだよ。そう待遇は悪くないと思うんだけどな」
フィーの口から明かされた厚待遇っぷりに、皆がざわめいた。
「なんだ、お前随分と大事にされてるじゃないか。だったら早々にあんな狭っ苦しい部屋なんか出て、王宮に住み込めばいいだろう」
すかさず突っ込みを入れたモンバルトに、タリオンはぶんぶんと頭を振った。
「勘弁してくれよ! その分四六時中、真夜中だって叩き起こされて仕事させられるんだぞっ!? いつも仕事に追われる俺の身にもなってくれよ」
「確かにそれは気の休まる暇もなさそうではあるな。くくっ」
同情しつつもどこか楽しげな様子で、シオンが笑った。そんなシオンをギロリとにらみつけ、タリオンは自棄だとばかりに料理をかっこんだ。
そんなタリオンをフィーがくすくすと笑いながら見やり、つとこちらを向いた。
「でもそんなにメリューがおいしいのなら、ぜひ王都に出回った折には私も試してみるとするよ」
「はい! ぜひお願いしますっ」
にっこりと笑みを浮かべうなずけば、フィーが満足げに皆を見渡した。
「今回の一件を無事に解決できたのは、皆のおかげだ。心から礼を言うよ」
あらたまった口調で告げたフィーに、皆がこくりとうなずいた。
「シオン。真実を突き止められずあの者たちを野放しにしたことで、君には随分長いこと苦しい思いをさせた。王族の一員として謝罪する。申し訳なかった。……そして君にもあやまらなければならない。アグリアちゃん」
真剣な顔で見つめられ、思わずすっと背筋を正した。
「私は別に、あやまってもらうようなことは何も……」
けれどフィーは静かに被りを振った。
「君を囮になんてして、殴られたって文句は言えないよ。いくら君の大切な人を助けるためだとは言ってもね。身を危険にさらしてしまい、本当にすまなかった。許してほしい」
フィーが頭を下げた。
「やめてくださいっ。そんなこと王子殿下がしちゃだめです! それに……私はシオンを助けたくて、ただ必死だっただけだから」
そうだ。あの時自分にできることは、そのくらいしかなかった。確かに怖くはあったし、足もガクガクだったけれど。
「でも今思えば、一発くらいクロイツを殴っておけばよかったです。……いや、ミリーさんの分とランソルさんの分を入れたら三発くらいは殴っても罰は当たらなかったかも。ふふっ」
半分は本気で、半分は冗談でそう口にすれば。
「はははははっ! アグリアちゃんらしいね」
最後の夜は、和やかに更けていった。
義両親もまるで棘が抜け落ちたようにすっかり落ち着きを取り戻した息子に、安堵している様子だった。息子を見守る目がとてもあたたかい。
ルンルミアージュはと言えば、しばしの王宮暮らしで母親の愛情をひとり占めできたことがなんとも嬉しかったらしくご満悦だ。
『妹か弟が生まれたら、しばらくの間お母様は赤ちゃんにつきっきりになるでしょう? だから、今のうちに目一杯お母様に甘えておいたわ。それくらい、いいわよね』
そう言って嬉しそうに笑っていた。
そして王宮でもルンルミアージュは侍女たちに人気だったらしく、髪の結い方を色々と教えてもらったのだと自慢げにひとりで結った髪を見せてくれた。さすがは王宮付きの侍女たちだけあって、凄腕揃いだったらしく上達ぶりが著しい。この調子なら、ひとりで凝った髪型を自在に結えるようになる日も近いだろう。
ジグルドとシオンの関係は相変わらずだけれど、互いを見る眼差しはやわらかい。
ふとシオンが何かを思い出したように、声を上げた。
「どうかした? シオン」
視線を向ければ、シオンがこちらを見つめていた。
「実は、明日領地へ発つ前に行っておきたい場所があるんだが……」
その顔ににじむ少し寂しげな色に、それがどこであるのかはすぐにわかった。
「……うん、そうね。行きましょう、ふたりで。あ、でもその前に一か所立ち寄りたいところがあるの。いい?」
「寄りたいところ?」
アグリアはにっこりと微笑み、こくりとうなずいた。




