友の手紙 1
「じゃあ、いってきまぁす!」
「あいよっ。気を付けていっといで」
おかみのあたたかな声に見送られ、アグリアは食堂を飛び出した。
今日こそは、ランソルの恋人が働いていたという花屋を見つけてみせる。もしもすでに店を辞めていたとしても、店の人にその後の消息を聞けばいい。もしも悲しい過去なんてもう振り返りたくないというのなら、その時は仕方ない。
(シオンの居場所はきっとフィーが見つけてくれる。それまでにせめてランソルが恋人に何を伝えたのか、突き止めなきゃ!)
そんなことを考えていたら、本日一軒目の花屋に到着した。
店先をひょいとのぞき込み、声を上げた。
「こんにちは! つかぬことをお伺いしますが……」
一軒目、二軒目とも見事に空振りだった。その後も王都中を駆けずり回り、花屋と言う花屋を訪ね歩いた。
疲れた足取りでとぼとぼと通りを歩きながら、ついに最後の一軒へと向かった。
これでもだめなら、ランソルの恋人の線を当たるのはあきらめるしかない。ごくりと息をのみ、店先に近づこうとした時だった。
「ただいまぁ!」
弾けるような明るい声とともに、ひとりの若い女性が通りの向こうから店先へと駆け込んだ。ただいま、ということは、この店の人間であるのだろう。
年の頃はランソルの恋人と合致する。もしや、と期待に胸を躍らせつつ、様子を見守っていると。
「あぁ、配達ご苦労さん。ミリー。暑かったろう。中で何か冷たいものでも飲んでおいで」
「はぁい!」
手の平で顔を扇ぎながら、女性が店の中へと入っていった。慌ててそれを追いかけ、声をかけた。
「すみませんっ! つかぬことをお伺いしますが、ランソルさんという方をご存じではありませんか?」
瞬間、女性が目を丸く瞬かせながらゆっくりと振り返った。
コトリ……。
店主の女性がテーブルに湯気を立てるカップをふたつ置いた。
「ミリー、店は気にしなくていいからゆっくりしておいで」
「ありがとう。おかみさん」
その背中が遠ざかるのを待って、ミリーと呼ばれた女性が口を開いた。
「……それで、ランソルの何が知りたいの?」
頬に散ったそばかすと大きな口とが快活な印象を与える女性だった。なんとなくこれまで話に聞いてきたランソルの印象とぴたり、と重なった。
アグリアはこくり、と息をのんだ。
今さら悲しい過去を蒸し返すのは、きっとミリーにとって酷なことに違いない。けれどここまできてしまったのだ。覚悟を決めるより他ない。
「あの……私、アグリアと言います。ランソルさんと戦地で親しかったシオン・イグバートの……その、一応妻なんです」
「一応?」
「あ、いえ、本当に妻です! 実はシオンが今以前上官だった人にひどい目に遭わされていて、それを救うために色々と過去のことを調べているんです」
シオンの名を出した瞬間、ミリーが反応した。
「あぁ! シオンのことならよく話に聞いたわ。ふふっ。ランソルってばいっつもシオンって人の話ばかりしてたもの」
「そう……なんですか?」
ミリーが懐かしそうに笑った。
「手紙にもいつも書いてきてたわ。シオンと何をしたとかどんなやつだとか色々。そう言えば最後にもらった手紙にも、シオンのことを書いてたな」
「えっ!」
思わず勢いよく立ち上がった。
「あ……あの! その手紙、まだ持っていらっしゃいますか? 実は昔一緒の部隊にいた方に聞いたんです。その……ランソルさんがあんなことになる前、何かシオンに関することを恋人への手紙で書き残してたんじゃないかって」
瞬間、ミリーがゆっくりと目を瞬いた。
「ちょっと待ってて」
そう言うと、ミリーは自室へと入っていった。戻ってきた時には、その手に一通の手紙が握られていた。
「これがそうよ。読んでみて。……ランソルからの最後の手紙」
「……」
前半は、ごく普通の愛する恋人への心のこもった手紙だった。ランソルがいかにミリーと会える日を心待ちにしていたのかが伝わる、あたたかな文面だった。様子が変わったのは二枚目の最後の方だ。
『同封したものは、次の休暇まで預かっていてくれ。それがあれば、きっとシオンを助けることができるはずだ。頼む』
ひらり、と便箋の半分ほどの大きさの紙が落ちた。
「それが一緒に入ってたの。預かっててって言われたから、今日まで持ってたんだけど……。何なのかわかんないのよね」
ミリーの言う通り、その紙切れにはよくわからない記号や数字が書き込まれていた。さっぱり意味がわからない。
アグリアは首を傾げた。
なぜランソルはわざわざこんなものを、恋人への大事な手紙に同封したのだろう。
「あたしが持っていても仕方ないし、それ持ってっていいわよ。シオンのために寄越したものってことは、シオンを助けるのに何か役に立つかもしれないもんね」
「ミリーさん……」
ミリーが寂しそうに笑った。
「……あたし、あいつが死んでからずっと抜け殻みたいだったの。二度とあいつに会えないなんてちっとも実感がなくて、悪い夢を見てるんじゃないかって思えて」
まだ婚約者ですらなかったミリーがランソルが亡くなったことを知ったのは、ランソルが命を落としてしばらくが過ぎてからだった。しかもその死はどうやらただの事故ではないと人伝に聞き、余計にミリーは苦しんだ。
「その手紙を読んだ時、なんとなく嫌な予感がしてたんだ。いつもとちょっと感じが違ってたから。もしかしたら何かよくないことに巻き込まれてるんじゃないかなって……。でもまさか死んじゃうなんてさ」
ミリーの顔がくしゃりと歪んだ。
「本当はね、次の休暇で話したいことがあるんだって言われてたんだ。ちょうど私の誕生日だったし、結婚を申し込むつもりなんだろうって思ってたの。でもあんなことになって……」
「……」
「いつかランソルの奥さんになるんだと思ってた。お日様みたいに優しくて、ちょっとだらしないあいつと一緒に年を取っていくんだってお互い信じてた。でもあたしひとり置いていなくなっちゃった。神様って残酷だよね。とびきり幸せな出会いをくれたのに、ある日突然それを取り上げるような真似してさ……。ほんと、ひどい」
震えるミリーの手をそっと握ることしかできなかった。
大切な人を亡くす悲しみは知っている。あたたかな思い出だけ残して置いて行かれる寂しさも、切り裂かれるような心の痛みも。
ミリーのスカートに、ぽとりと透明な染みが広がった。
「でも私、もう悲しむのはやめにするつもり。……実は、結婚するの」
ミリーの視線が、つと部屋の片隅に飾られた花束に向いた。
「ここの常連さんでね、結婚を申し込んでくれた人がいるの。ちょっと頼りなくて気の弱いところがある人だけど、すごく穏やかで優しい人。ランソルのこと、忘れられないんだって言ってもそれでいいって言ってくれて。思い出ごと大事にするから、結婚してほしいって」
ミリーがふわりと微笑んだ。
窓辺で揺れる花束は、その人が贈ってくれたものだった。店で買い求めた大きな花束をそのままミリーに差し出して、その場で求婚してくれたのだとミリーは頬を染めた。
「もう幸せなんてこないと思ってた。笑って過ごせる日がくるなんて思ってなかったの。でも……もういいかなって。その人と過ごしてると心がぽかぽかするの。だからそろそろ先に進もうと思って」
ランソルはいつだって快活に大きな口を開けて笑う顔が好きだと言ってくれた。そう言ってくれたランソルなら、きっとわかってくれる。
ミリーはそう言うと、まっすぐにこちらを見た。
「……アグリアさん。今日は会いにきてくれてありがとう」
「え……?」
責められこそすれ、まさか礼を言われるなんて思いもしなかった。驚きに目を瞬けば、ミリーが微笑んだ。
「最後にランソルの話ができて、嬉しかったんだ。あいつが死んでから皆、ランソルの話題を避けてたから。それはそれで寂しかったの。きっと私、誰かとこんなふうに笑いながらあいつの思い出話をしたかったんだと思う。メソメソ泣くんじゃなくて、笑ってさ」
「ミリーさん……」
ミリーの思いがわかる気がした。決して悲しい思い出ばかりじゃないのだ。楽しかったことも幸せだったことも山ほどある。それは長い年月をへても、心をあたためてくれる。それを忘れたいわけじゃない。
「だから……ありがとう。アグリアさん。シオンのこと、早く助けられるといいね」
アグリアはこくりとうなずいた。
「えぇ。何ができるかわからないけど、絶対に助け出すわ。それにランソルさんのことだって、このまま有耶無耶になんてできないし」
シオンのことを大切に思ってくれたランソルだからこそ、ランソルの死の真相も明らかにしたい。でなければシオンだってきっと前を向けないだろう。シオンのためにもきっと必要なことだ。
「頑張って。応援してる」
「ありがとう。ミリーさんも本当におめでとう。どうかお幸せに」
心からの祝福の言葉に、ミリーはにっこりと微笑みうなずいた。
その笑顔は、とびきり美しく輝いてみえた。
まるで雨上がりの晴れた空のように。




