再びの王都
「はじめまして、アグリア・ノーレルと申します。この度はしばらくお世話になります」
居候先の料理屋は、軍本部の目と鼻の先にあった。そのため客のほとんどは軍部関係者であるらしい。
「あぁ! よくきたね。部屋は二階に用意してあるよ」
恰幅のいい体にエプロンをつけたおかみが、快活な笑みを浮かべ中へと招き入れてくれた。
まだ開店前ではあるが、下ごしらえの最中なのだろう。店の中にはふんわりと野菜の煮える優しい香りが漂っていた。そのなんともいい香りに、思わず鼻がぴくりと反応する。
「相変わらず繁盛しているようだな、おかみ」
モンバルトが気安い笑みを浮かべ、おかみに話しかけた。
「あぁ、おかげ様でね! なんてったって、ここいらには腹をすかせた食べ盛りの若者たちがわんさかといるからね。作り甲斐もあるってもんさ!」
そう言うとおかみは「あっはっはっはっ」と明るく笑った。
王都にある繁盛店『若葉亭』に、アグリアは居候することになった。
夫亡きあとひとりで店を切り盛りしているおかみの手伝いをすることを条件に、二階を間借りさせてもらうことになった。なんでも昔おかみの夫が病気に倒れた折、モンバルトが世話してやった恩があるとかで快く受け入れてくれたのだ。
「でも、本当にいいのかい? 貴族家の奥様を厨房で働かせたりしてさ。先生の頼みなら別に手伝いなんてしてくれなくたってかまわないんだよ」
アグリアはぶんぶんと首を横に振った。
「何もしない方が心苦しいですし、料理は好きなんです。なので、何でも言ってください!」
モンバルトもこくこくとうなずく。
「アグリアの飯はなかなかうまいぞ。シオンなんかすっかり胃袋をつかまれてるからな。今頃アグリアの飯が食えなくなって、後悔してるだろうよ」
「モンバルト先生ったら!」
おかみはなるほど、と納得したようにうなずいた。
「そうかい。ならお願いするよ。実は手が足りなくて大変なんだよ。開店前の仕込みだけでもしてくれると助かるってもんさ!」
「はいっ! 頑張ります」
ひとまず荷物を部屋に置き、さっそくタリオンのもとへと向かった。
「とりあえずはタリオンに手紙のことを聞いてみるとしよう。ちょうどタリオンが休みで助かった。さすがに本部に押しかけるわけにはいかないからな」
軍本部にはクロイツもいる可能性が高い。うっかり顔を合わせでもしたら大変だ。
「おぉ、ここだ」
貴族家の次男であるタリオンは、長男夫婦に三人目の子どもが生まれたのを機に王都の一画に部屋を借りて暮らしていた。
こじんまりとした部屋ではあるものの、独り身ならば軍部にもほど近く便利なのだろう。
コンコンッ!
ノックをすれば、髪に寝癖をつけたタリオンが驚いた顔をのぞかせた。
開口一番、アグリアはタリオンに切り出した。
「タリオンさん! お願いですっ。シオンを死なせないために、どうか力を貸してください!」
タリオンの目がゆっくりと瞬いた。
アグリアはすべてをタリオンに打ち明けた。シオンとの契約結婚のことも、領地で起きた納屋の火事についても全部。
すべてを聞き終えたタリオンは、深く嘆息した。
「道理で俺の忠告を聞き入れないわけだ。まさかクロイツのやつ、領地にまで手を出してシオンを脅してたなんて……」
除隊の勧めを断り早々に領地を出た理由を聞いて、タリオンは納得した様子だった。
「わかった! こうなったのも俺がシオンを夜会に連れ出したせいだ。夜会でクロイツと顔を合わせなきゃ、こんなことにはねらなかったかもしれないからな。協力するよ!」
タリオンは快く協力を申し出てくれた。
「ならまずはおかみの店に行こう。アグリアはすでにクロイツに顔が知れてるからな。開店前の店で落ち合うことにすれば、都合がいい」
「あぁ、わかった。あの店なら俺も行きやすいし、出入りしてもあやしまれずに済む」
モンバルトの提案で、ひとまず三人で店へと移動することにした。
場所を変え、さっそく本題に入る。
「それでシオンのことなんですけど、どこの宿屋に滞在しているかタリオンさん、ご存知ですか?」
シオンは王都に着いたその足で、真っ直ぐに本部へと出向いたはずだ。となれば今頃はどこか宿屋にいるはず。
タリオンは頭を振った。
「いや。でも調べることはできるよ。滞在先を届けるのが決まりだからね」
さっそくタリオンは、休みにも関わらず同僚に頼み調べてくれた。その結果、意外な事実が判明した。
「シオンのやつ、本部を出ていった記録がない……」
「どういうことですか、それ」
アグリアの問いに、タリオンが顔を強張らせ答えた。
軍本部への出入りは、すべて記録されている。なのになぜかシオンが立ち入った記録はあれど、出ていった記録が残っていない。
「じゃあシオンは今どこに……」
アグリアはこくりと息をのんだ。
「もしかすると、本部内のどこかに監禁されているのかもしれない。他国のスパイとか公にはできない者を一時的に尋問するための部屋が、本部内にはあるって聞いたことがある」
「監禁って……!」
アグリアは言葉を失った。
その部屋は、一般の職員にはどこにあるのかさえ知らされてはいない。当然タリオンも知らなかった。
タリオンは険しい顔でなおも続けた。
「それと、クロイツについてとある噂が流れてるんだ」
「噂だと?」
モンバルトの目が鋭く光った。
「実はあのクロイツが、近々軍部内で異例の大出世をするらしいって噂が流れてるんだ。クロイツがシオンの口を封じようと慌てて動き出したのは、そのせいかも……」
「出世?」
タリオンによれば、それは本来ならあり得ないくらいの大出世であるらしい。それが叶えば、クロイツは軍部内でかなりの力を得ることになる。
それをシオンが邪魔するのではないかと懸念したクロイツが、シオンの復讐を止めるべくこんな行動に出たのではないか。
タリオンはそう考えているらしかった。
モンバルトが低くうなった。
「そりゃあ、あの男の後ろ盾が動いたんだな」
「後ろ盾って?」
モンバルトは苦々しい表情を浮かべ、教えてくれた。
クロイツの後ろには強力な協力者がいるらしい。なんでもこの国でも相当な力を持つ人物で、その力のおかげでクロイツは我が物顔で振る舞えるんだとか。
「じゃなきゃ、今回の前線送りの辞令だって強行できるはずないからな」
モンバルトが舌打ちをしながら言い放った。
「……」
アグリアの脳裏に、夜会の時のクロイツの妙に苛立った態度がよみがえった。
もしもあれが出世を前に浮き足立っているところにばったりシオンに会い、水を差されたと感じたのなら納得がいく。
「確かに軍部への呼び出しだって、通常はそうあることじゃないしね。ということは、もしかしたら今もシオンは本部のどこかに……」
同意するようにうなずいたタリオンの言葉に、沈黙が落ちた。
アグリアの喉がごくり、と鳴った。
「じゃあシオンは、本部の建物のどこかで今頃尋問を……」
まさかの展開に、じわりと嫌な汗が伝った。




