第六話 別離への道
ディートリヒの卒業後、リゼットは学院で過ごす平日の時間を、以前より大切にするようになっていた。講義のない時間には図書室へ通い、週末に公爵邸へ出向くために遅れがちな課題を進めた。何か特別な目的があったわけではない。ただ、卒業までの二年間を無事に過ごし、その後に待っている結婚について考えずに済む時間が、彼女には必要だった。
その日、リゼットが読んでいたのは、隣国の宮廷制度についてまとめられた歴史書だった。外交史の課題で参考文献として指定されていたもので、王家の成立から現在の宮廷組織に至るまで、かなり詳しく記されていた。何気なくページをめくっていた彼女の目が、王宮侍女の選抜制度について書かれた箇所で止まった。
隣国の王宮侍女は、王族の身の回りを世話するだけの職ではなかった。
外交文書の管理や外国使節の接遇、宮廷儀礼の運営などにも携わるため、語学、歴史、法律、計算能力に至るまで、高度な知識が求められる。
貴族令嬢にとっては非常に名誉ある職であり、外国貴族の娘にも受験資格は認められていたが、合格者は毎年ごくわずかだった。
リゼットが興味を引かれたのは、選抜制度そのものよりも、任命後の身分についての記述だった。
王宮侍女は王家への奉仕義務を負い、在任中は外国貴族との婚姻を原則として認められない。王宮の職務に携わる者が、外国の家門に属することによって利益相反を生じさせないための規定だという。
彼女は、その一文を何度も読み返した。
「その制度に興味があるのですか?」
不意に声をかけられ、リゼットは顔を上げた。
目の前に立っていたのは、同級生のフロリアン・フォン・クラウゼンだった。彼はリゼットが開いている本に目を向けると、少し意外そうな顔をした。
「王宮侍女について調べているのですか。隣国の制度ですから、こちらの学院では詳しい資料が少ないでしょう」
「ええ。外交史の課題で読んでいたのですが、少し気になることがございまして」
「僕でわかることなら、お答えしますよ」
リゼットは迷った。
フロリアンとは以前、何度か図書室で言葉を交わしたことがあったが、ディートリヒに咎められて以来、できるだけ関わらないようにしていた。
彼はすでに卒業しているとはいえ、リゼットの行動を知る手段はいくらでも持っている。もし、ほかの男性と親しくしていたことが伝われば、週末の「指導」がどれほど長くなるかわからなかった。
それでも、目の前にある記述について確かめたい気持ちが勝った。
「王宮侍女に任命された女性は、任期中、外国の貴族と結婚することができないというのは、本当なのでしょうか」
フロリアンは少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「ええ。王家への奉仕義務が優先されますから、外国の貴族家へ嫁ぐことは原則として認められません。ただし、我が国の貴族との婚約については別の規定がありますし、婚姻そのものには王家の許可が必要です。王宮侍女になったからといって、すべての婚約が自動的に解消されるわけではありませんが、少なくとも任期中の婚姻には制約が生じます」
「そう、なのですね」
リゼットは本に視線を落とした。
もし自分が王宮侍女になれれば、卒業と同時にディートリヒと結婚する必要はなくなるかもしれない。もちろん、婚約そのものが消えるわけではないし、公爵家が簡単に認めるとも思えなかった。
それでも、結婚を延期できるだけの理由があれば、その間に別の方法を探すことができる。
「リーヴェルト嬢」
フロリアンの声に、彼女は顔を上げた。
「差し出がましいことを申し上げるようですが、あなたは王宮侍女になりたいのですか。それとも、王宮侍女にならなければならない事情があるのですか?」
リゼットは息を呑んだ。彼の問いは穏やかだったが、誰にも話したことのない考えを見透かされたような気がした。自分が何を恐れているのか、どこへ行きたいのか、それを口にすれば、今まで懸命に守ってきたものが崩れてしまうのではないかという不安があった。
「……わたくしには、選べる道があまりございません」
しばらく迷った末、彼女はそれだけ答えた。
フロリアンは、彼女が何かを隠していることに気づいていた。
以前から、ディートリヒと話した後のリゼットが、ひどく疲れた顔をしていることを知っていたし、彼女が周囲の視線を気にしながら、必要以上に人との交流を避けていることも見ていた。しかし、本人が話そうとしない事情を無理に聞き出すことが、彼女の助けになるとは思えなかった。
「それなら、選べる道を増やすために勉強するのは、悪いことではありませんね」
リゼットは思わず顔を上げた。
「王宮侍女の試験は難関ですが、あなたなら挑戦する価値はあると思います。講義での成績も優秀ですし、語学にも強い。必要な資料があれば、僕が取り寄せることもできますよ」
「ですが、クラウゼン様にご迷惑をおかけするわけには……」
「迷惑かどうかは、僕が決めることです。それに、僕はあなたに何かをしてあげたいと言っているのではありません。あなたが挑戦するなら、必要な情報をお渡しできると言っているだけですよ」
リゼットは返す言葉を失った。
ディートリヒなら、何かをしてやるのだから感謝しなさいと言っただろうし、その後で必ず、自分の期待に応えるよう求めたはずだった。フロリアンは、受験するかどうかさえ彼女に委ねていた。
「受験するかどうかは、あなたが決めてください。僕はその選択を尊重します」
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その日の帰り道、リゼットは図書室で書き写した王宮侍女の受験資格を、何度も読み返した。
試験に合格するためには、通常の学院の勉強だけでは足りない。外国語の習得はもちろん、隣国の法律や宮廷儀礼についても詳しく学ぶ必要がある。週末には公爵邸へ呼びつけられるため、自由に使える時間も限られていた。
それでも、リゼットは初めて、自分の将来について自分の意思で考えた。これまでの彼女にとって、卒業とは結婚の日が近づくことを意味していたが、その日から、卒業までの二年間は別の意味を持つようになった。
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