第五話 終わらない支配
※全話執筆済みです。
今日も朝、昼、夕方、夜と複数話投稿します。
ディートリヒが王立貴族学院を卒業したのは、リゼットが十五歳の春だった。卒業式では優秀な成績を収めた生徒として壇上に立ち、卒業生代表の挨拶を任されていた。
堂々とした立ち居振る舞いと、後輩たちへの温かな激励は列席者の称賛を集め、式典が終わる頃には、ヴァルディエ公爵家の次代も安泰だと口にする者が少なくなかった。
リゼットも婚約者として式典に出席していたが、ディートリヒが卒業することを、誰にも言えないほど喜んでいた。
彼が学院からいなくなれば、少なくとも平日は顔を合わせずに済む。講義の合間に呼び出されることも、上級生たちの前で侍女のように使われることもなくなるだろう。何より、誰と話したか、どの本を借りたか、昼食を誰と取ったかといった些細なことまで、彼の機嫌をうかがいながら報告する必要がなくなる。それだけでも、リゼットにとっては十分にありがたいことだった。
ところが、卒業式後の祝賀会で、ディートリヒは集まった人々に向かって、いかにも婚約者思いの青年らしい笑顔を見せた。
「僕が卒業してしまうと、リゼットのことが少し心配なんです。彼女は真面目な子ですが、まだ周囲に気を配る余裕がありませんからね。これからも僕ができる限り支えていくつもりです」
「まあ、学院を離れられても、婚約者のお世話をなさるおつもりですの?」
「もちろんです。婚約者だからこそ、彼女の至らないところを見過ごすわけにはいきません。本人も僕の指導を頼りにしてくれていますし、最後まで責任を持って立派な公爵夫人に育ててあげたいと思っています」
周囲から感嘆の声が上がる中、リゼットは隣で微笑んでいた。
ディートリヒの言葉を否定すれば、せっかくの卒業祝いに水を差したと責められることはわかっていたし、何より彼が自分をどのように扱うつもりなのか、まだ聞かされていなかったからである。
**
その答えは、翌週に届いた一通の手紙に記されていた。
今後は毎週土曜日の朝に公爵邸へ出向き、日曜日の夕方まで、公爵夫人になるための教育を受けるようにという通知だった。
差出人はベアトリスであり、末尾には、学院の勉強を理由とした欠席は認めないこと、将来の嫁としての責任を自覚することが、丁寧な言葉で書き添えられていた。
リゼットが初めてその指示に従って公爵邸を訪れた日、ベアトリスは朝食を終えたばかりの小食堂に彼女を呼びつけた。
「リゼットさん、今日はあなたに茶会の準備を任せようと思っているの。将来、公爵家の女主人になるのですから、この程度のことは一人でできるようになっていただかないと困りますわ」
「承知いたしました。招待客の名簿を拝見してもよろしいでしょうか」
「まあ、名簿がなければお茶の準備もできないの? あなた、学院では優秀な成績を収めていると聞いていましたけれど、実際の仕事となると随分頼りないのね。わたくしがあなたの年頃には、母の手伝いをしながら、もっと多くのことを覚えていたものですわ」
招待客の人数も好みも知らされないまま、リゼットは使用人たちに尋ねて必要な準備を整えた。
しかし、茶器の選び方が気に入らないと言われ、花の配置を変えさせられ、ようやく支度が済んだ頃には、最初に指示された時刻を大幅に過ぎていた。
「随分時間がかかったのね。わたくしが一つ一つ教えて差し上げなければ、何もできないのかしら」
「申し訳ございません」
「謝るのは簡単ですけれど、わたくしはあなたに謝罪を求めているのではないのよ。どうすれば次から同じ失敗を繰り返さずに済むか、自分で考えていただきたいの。あなたのご両親に代わって、こうして教育して差し上げているのですから、少しはわたくしの苦労も理解してほしいものだわ」
リゼットは、朝から何も口にしていなかった。
公爵邸へ向かうために早く出発し、到着してすぐに仕事を命じられたからである。
昼食の時間になっても、ベアトリスは彼女を食卓へ呼ばず、茶会の片づけを終えてから食事を取るようにと告げた。ようやく仕事を終えたときには、すでに料理は下げられていたが、使用人に何か頼めば、それさえもベアトリスの耳に入るかもしれないと思い、リゼットは何も言わなかった。
午後になって姿を見せたディートリヒは、疲れた顔で立っている婚約者を見つけると、母親に向かって困ったように微笑んだ。
「母上、リゼットをあまり厳しくなさらないでください。彼女はまだ十五歳なんですから、できないことがあっても仕方がありませんよ」
「あなたは本当にこの子に甘いのね。わたくしだって好きで叱っているのではありませんよ。ただ、これでは公爵家の嫁として恥をかくことになりますから、今のうちに教えておかなければと思っているだけなの」
「わかっていますよ。母上がリゼットのために心を砕いてくださっていることは、僕も十分に理解しています。ただ、本人も努力しているようですし、今日はこのくらいで許してあげてはいかがですか」
ベアトリスは息子の言葉に満足し、仕方がないわね、と微笑んだ。
リゼットは二人に礼を述べたが、ディートリヒはその返事を聞くと、いかにも嬉しそうに彼女の頭を撫でた。
「よかったね、リゼット。母上も君の努力を認めてくださったんだよ。これからも頑張ろうね」
**
その日の夕方、ディートリヒは帰り支度をしていたリゼットを私室へ呼び出した。
母親の前ではあれほど優しかった彼も、二人きりになると、いつものように彼女の態度を細かく咎め始めた。
「今日の君には、少し困らされたよ。母上がどれほど忙しい方か、君も知っているだろう? それなのに、あんな簡単な仕事に時間をかけて、最後には僕に取りなしてもらうなんて、少し甘えすぎじゃないかな」
「申し訳ございません」
「君は本当に謝るのが好きだね。僕は君を責めたいわけじゃないんだよ。ただ、いつまでも僕に頼ってばかりでは、君自身が困るだろうと思っているんだ。僕が母上にお願いしなかったら、どうなっていたと思う?」
リゼットが答えられずにいると、ディートリヒは彼女の手を取り、袖口の下に指を滑り込ませた。
手首の内側を強くつねられ、思わず肩が震えたが、彼はそれに気づかないふりをして、優しく言い聞かせるように話し続けた。
「ほら、またそんな顔をする。君は少し注意されると、すぐに傷ついたような顔をするね。僕が悪いことをしているみたいじゃないか。そんな態度では、僕だって悲しくなるよ」
「……そのようなつもりでは、ございません」
「それなら、ちゃんと僕の顔を見て。僕は君が憎くてこんなことを言っているんじゃないんだよ。君を愛しているから、ほかの誰よりも厳しくできるんだ。ほかの女性なら、僕もここまで時間をかけたりしない。君は本当に幸せ者だと思うよ」
リゼットは顔を上げた。
痛みで涙が浮かびそうになっていたが、ディートリヒはそれを見ると、ようやく指の力を緩めた。彼女が自分の言葉に傷つき、それでも従おうとする姿は、彼にとって何より愛おしいものだった。学院にいた頃は周囲の目もあって、思うように二人きりになれないことも多かったが、これからは毎週末、公爵邸で彼女を迎えることができる。
「来週は、もう少し上手にできるといいね。僕も期待しているよ」
ディートリヒがそう言って微笑むと、リゼットは礼を述べて部屋を辞した。
子爵家へ戻る馬車の中で、彼女は窓の外に目を向けた。
卒業まで、あと二年。ディートリヒが学院を去れば少しは自由になれると思っていたが、公爵家の母子は、むしろ彼女を自分たちの手元に置く時間が増えたことを喜んでいるようだった。
帰宅を許されるまでの間、何度も頭を下げ、謝罪し、感謝を述べなければならない。彼らの言うとおりにすれば、それが当然だと受け取られ、少しでも期待に応えられなければ、恩知らずだと責められる。婚約者という立場でありながら、彼女に与えられる役割は、使用人のそれとほとんど変わらなかった。
ただ一つ違うのは、使用人ならば辞職することができるという点だった。
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