第十四話 失われた支配
今日で完結します。
婚約解消の知らせが社交界へ広まった当初、ディートリヒは特に気にする様子を見せなかった。
周囲から事情を尋ねられれば、リゼットが王宮侍女に合格したことで少し判断を誤ったのだと説明し、婚約者としての責任を十分に理解していなかった彼女を、これ以上責めるつもりはないと微笑んでみせた。
「彼女は昔から、少し思い込みの激しいところがありましてね。僕も長い間、できる限り支えてきたのですが、どうやら自分一人で何でもできると思ってしまったようです。若いうちには、そういうこともあるでしょう。僕としては、彼女が落ち着くまで待ってあげるつもりです」
その言葉を聞いた人々の中には、婚約を解消されたにもかかわらず相手を責めないディートリヒの寛大さを称賛する者もいた。しかし、王国法務院が下した裁定の内容が知られるにつれ、彼の説明をそのまま信じる者は少なくなっていった。
公爵家が、すでに失効した寄親権限を根拠に子爵家へ圧力をかけていたこと。
婚約契約には、子爵家から解消を申し出た場合にのみ莫大な違約金が発生する条項が設けられていたこと。
さらに、ベアトリスの署名入りの書簡には、婚約を解消した場合、子爵家の交易や親族への推薦を見直すという趣旨の文言が残されていたことが、正式な審査によって明らかになっていたのである。
ディートリヒは、こうした話が広まることを不愉快に思ったが、事実関係について説明を求められると、決まって同じような答えを返した。
「契約のことは、僕も詳しく知りませんでしたからね。母上はリゼットの将来を思って、少し厳しい条件を設けられたのかもしれませんが、それも彼女を立派な公爵夫人に育てるためだったのでしょう。善意が誤解されてしまうのは、残念なことです」
しかし、彼が知らなかったと言い張っても、婚約者に対してどのような態度を取っていたのかについては、別の問題だった。
学院時代、ディートリヒの周囲にいた上級生たちは、リゼットに婚約を辞退するよう繰り返し迫っていた。彼らの多くは、ディートリヒがリゼットを不出来な婚約者として紹介していたことを、そのまま事実だと思い込んでいたのである。
ところが、リゼットが隣国の王宮侍女選抜試験に合格したことで、その評価に疑問を抱く者が現れ始めた。学院でも優秀な成績を収め、外国の王宮で求められる高度な試験を突破した女性が、どうして長年にわたって不出来だと評されていたのか。しかも、彼女が学院に在籍していた頃、ディートリヒは自分の資料整理や書類の清書を頻繁に命じており、リゼットが自分の勉強に使える時間を削っていたことも、少なからぬ生徒が覚えていた。
ディートリヒは、それでも自分の評価が間違っていたとは考えなかった。
「リゼットが優秀な成績を収められたのは、僕が厳しく指導してきたからだよ。彼女は昔から少し要領が悪かったけれど、素直に教えを受け入れるところだけはよかったからね」
彼はそう言って微笑んだが、その話を聞く者の反応は、以前とは少しずつ変わっていった。
**
婚約解消からひと月ほど経った頃、ディートリヒはリゼットへ手紙を送った。
王宮侍女としての研修が始まったばかりで、慣れない生活に苦労しているだろうから、婚約を解消したことについて反省する気持ちがあるなら、いつでも相談に乗ってあげるという内容だった。
返事は来なかった。
最初のうち、ディートリヒは彼女が忙しいのだろうと思っていた。しかし、二通目、三通目の手紙にも返事がなく、やがて封を切られないまま返送されるようになると、さすがに不快感を隠せなくなった。
「リゼットは何を考えているんだ。僕がこれほど心配しているのに、返事一つ寄越さないなんて、礼儀を知らないにもほどがある」
ベアトリスは息子の話を聞き、困ったように眉を寄せた。
「本当に恩知らずな娘ね。あなたがあれほど面倒を見てあげたというのに、少し外国で褒められたくらいで、昔のことを忘れてしまったのかしら。きっと、周囲の人間に何か吹き込まれているのよ」
「僕もそう思います。リゼットは人の言葉を信じやすいところがありますからね。誰かが僕との仲を引き裂こうとしているのかもしれません」
ディートリヒは、彼女の行動を調べるため、公爵家の使用人を隣国へ向かわせようとした。しかし、その計画が実行される前に、王国法務院から正式な警告が届いた。婚約解消後も元婚約者への接触を繰り返し、本人の意思に反して所在を調べようとする行為は、裁定の趣旨に反するという内容だった。
「僕は彼女を心配しているだけだぞ。長年の婚約者だった女性が、慣れない外国で困っていないか確かめることの、どこが悪いというんだ」
ディートリヒは怒りを露わにしたが、法務院の警告を無視すれば、公爵家の立場がさらに悪くなることは明らかだった。
一方、ベアトリスにも、これまでとは違う日々が訪れていた。
公爵家が寄子に対して不当な圧力をかけていたことが知られると、彼女が後援していた慈善事業の運営委員会から、役職の辞任を求める書簡が届いた。ベアトリスは当然のように抗議したが、委員会は、公爵家の名誉に関わる問題が解決するまでは、彼女を代表者として迎えることはできないという判断を変えなかった。
長年親しくしていた貴婦人たちも、次第に彼女を茶会へ招かなくなった。以前なら、ベアトリスが姿を見せれば真っ先に挨拶に来ていた人々が、今では目を合わせることさえ避けるようになっていた。
ベアトリスは、その変化をリゼットのせいだと考えた。
「わたくしが、あの娘に何をしたというの。将来の嫁として教育して差し上げただけでしょう。それを、まるで酷い扱いを受けたかのように訴えるなんて、あまりにも卑怯ではなくて?」
しかし、彼女の言葉に同意する者は、以前ほど多くなかった。
公爵家が失効した権限を使って子爵家を拘束していたことは、すでに正式な裁定によって認められている。ベアトリスがどれほど教育のためだったと主張しても、その事実が変わるわけではなかった。
それでも彼女は、自分が間違っていたとは考えなかった。むしろ、リゼットが黙って従っていれば、誰も不幸にならずに済んだはずだと信じていたのである。
公爵邸からリゼットの姿が消えたことで、ベアトリスの日々は以前にも増して退屈になった。茶会の準備をやり直させる相手も、細かな失敗を指摘して叱る相手もいない。使用人に同じことをすれば、不当な扱いとして問題になる可能性があったが、将来の嫁であるリゼットなら、教育という名目でいくらでも厳しく接することができた。
ベアトリスは、リゼットが公爵家に嫁いでいれば、こんなことにはならなかったと考えるようになった。
しかし、リゼットはもう戻ることはなかった。
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