第四話 さしずめ、偽証の算段
嘘をつくには、事前準備が必要だ。
できれば、五分より多く。
「例えば。出会ったのは半年前。あなたが西方の境を調査していた時です」
「半年前、俺は北にいた」
「では北で」
「北には異族が多い。お前の顔立ちでは、かえって目立つ」
「あなたの行動履歴と、この国の民族分布を先に共有してください」
「五分では難しいな」
「だから困っています」
第一皇子が門前にいるという状況で、私は夫婦になった経緯を捏造していた。
場所は客間。卓の上には、運ばれたばかりの夕食が二人分並んでいる。
湯気の立つ汁物から、出汁に似た香りがした。空腹を自覚したが、今は食べている場合ではない。
「三か月前、都から二日ほどの山里で出会ったことにしましょう。あなたは境の異変を調査していた。私は土地の薬師の娘。調査に協力して親しくなった」
「お前は薬師ではないだろう」
「生命工学を学んでいました。まったくの無関係よりは近いです」
「薬草のことを聞かれれば答えられない」
「では、親を病気で亡くした、一人で生きる娘」
「お前の両親は健在なのか」
「はい」
「なら、亡くなったことにはしない方がいい」
私は為澄を見た。
「架空の設定です」
「分かっている。だが、お前の両親だ」
非効率的なこだわりだった。
けれど、不快ではなかった。
「では、両親は遠方で暮らしている。私が都へ来たのは今夜。私たちは以前から文を交わしていて、今日、結婚を決めた」
「俺が誰にも知らせずにか」
「恋に浮かれていたことにしましょう」
「それは難しい」
「演技の話です」
「演技でも難しいだろう」
この男は自分を客観視できている。
そこは評価できるが、今は役に立たない。
「兄弟に黙っていた理由は、反対されると思ったから」
「焔基たちは反対しない」
「すでに反対されていましたが」
「あれは、婚姻にではなく――」
襖の外で声がした。
「為澄様。柳雅殿下がお着きです」
時間切れだった。
私は為澄から借りた羽織の襟を整えた。大きすぎる衣をどう直しても、良家の新妻には見えない。
「最後に一つ。殿下は、あなたのことをどの程度知っていますか」
「幼い頃からの付き合いだ」
「先に言ってください。詰んでいるじゃないですか」
「義亜乃の肩の力が抜けたなら、それでいい」
まさか、担がれた?
この男、どういうつもりなのか。
廊下から足音が近づいてくる。
為澄が私の隣へ座った。
「無理に話さなくていい。聞かれたことだけ、本当のことを言って構わない」
「あなたは嘘が得意なんですか」
「ああ、得意だ。今しがた見せたように」
「そうは見えません」
「今回はその必要もない。心配には及ばない、任せておけ」
為澄の声は落ち着いていた。
嘘が露見すれば職を失うかもしれないのは、私ではなく彼だ。
それでも私を安心させようとしている。
この人を信用するには、まだ情報が足りない。
足りないはずなのに、信用材料だけが順調に増えていく。
「第一皇子、柳雅殿下にございます」
襖が開いた。
最初に見えたのは、淡い柳色の衣だった。
入ってきた男は、為澄より少し年上に見えた。長い黒髪を高い位置で束ね、金の飾りを挿している。切れ長の目元には笑みがあり、皇族という肩書より先に、人をからかうことが好きそうだと思った。
もちろん、口には出さない。
「夜分にすまない、為澄。庭で大層な光が立ったと聞いて――」
柳雅の目が私に止まった。
「ほう」
その一音だけで、面倒なことになったと分かる。
「こちらの姫君は?」
為澄は私を見なかった。
「妻です」
「お前の?」
「ほかに誰がいるんです」
「俺の知らぬ間に、都では随分と婚姻が手軽になったらしい」
柳雅は向かいへ座り、私に笑いかけた。
「第一皇子の柳雅だ。堅苦しい挨拶は要らない。名を聞いても?」
「久世義亜乃と申します」
「義亜乃殿。為澄とは、いつ知り合った?」
開始まで十秒もなかった。
「今日です」
「今日?」
「殿下」
為澄が遮った。
「妻を取り調べに来られたのですか」
「まさか。親しい友人の婚姻を祝いたいだけだ」
「手ぶらで?」
「祝いを用意する時間もなかったのでな。なにしろ、つい先ほどまで未婚だと思っていた」
柳雅は笑みを崩さない。
けれど目は、私の顔、借り物の羽織、袖からわずかに見える現代の服を順番に観察していた。
「では、互いのどこに惹かれた?」
「殿下」
「婚姻を祝うための質問だ」
明らかに楽しんでいる。
為澄は少し考えた。
「この人は、分からないことを、分かったことにしない」
予想していなかった答えだった。
「ほう」
「知らないものを怖がって否定せず、まず確かめようとする。信用できる人だと思いました」
先ほど出会ったばかりである。
それでも、嘘ではなかった。
柳雅の視線が私へ移る。
「義亜乃殿は?」
ここで、顔がいいと答えるのは簡単だった。
実際、事実ではある。
「この人も、同じだからです」
私は答えた。
「私の話を無条件に信じるのではなく、嘘の可能性も残した上で調べようとしました。分からないことを分からないと言える人です」
為澄が私を見た。
目が合う。
夫婦を演じているというのに、私たちは同時に目をそらした。
柳雅が扇で口元を隠した。
「なるほど。互いの人柄に惹かれたというわけか」
「そういうことです」
「まるで一緒に働く相手を選んだようだな」
正しい指摘だった。
柳雅はしばらく私たちを眺めてから、ふっと笑みを消した。
部屋の空気が変わる。
先ほどまでの掴みどころのない男ではない。
一国の第一皇子が、そこにいた。
「為澄。庭で何が起きた」
「境が開きました」
「それだけではないだろう」
「濁りが一体、こちらへ渡っています。すでに祓いました」
「その女は、境と同時に現れたのか」
為澄は答えなかった。
沈黙は、肯定と変わらない。
柳雅が私へ目を向ける。
「義亜乃殿。どこから来た?」
私は為澄を見た。
彼は、わずかに頷いた。
「日本という国です」
「聞いたことがない」
「この世界には存在しないと思います」
私はスマートフォンを取り出し、卓の上へ置いた。
「私がいた世界で作られた道具です」
画面を点灯させても、柳雅は大きく驚かなかった。
ただ、初めて本物の好奇心を見せた。
「触れても?」
「どうぞ」
柳雅は慎重に端を持ち上げた。表示された時刻を見ても意味は分からないだろう。それでも、滑らかな表面や継ぎ目の少なさから、求御世国の品ではないと
「これは、陰陽技寮へ持ち込めば国中の技官が集まるな」
「ですから、持ち込むつもりはありません」
「率直だ」
「拘束も、解剖もされたくありませんので」
「解剖まではせぬと思うが」
「可能性はゼロではない?」
「ゼロとは言えない」
「なら、警戒します」
柳雅は声を立てて笑った。
「為澄。この女を気に入った理由は分かった」
「そういう話ではありません」
「そういう話にしておけ。その方が都は平和だ」
柳雅はスマートフォンを卓へ戻した。
「境の光は、宮城からも見えた。夜回りだけでなく、陰陽技寮の監察役も門の外にいる。身元不明の女が境から現れたと知られれば、為澄一人では守れない」
「だから妻として届けます」
「記録のない妻をか」
「殿下なら整えられる」
「なるほど。最初から俺を巻き込むつもりだったか」
為澄は否定しなかった。
柳雅は呆れたように息を吐き、それから私を見た。
「この男は、誰かを守ると決めると自分の立場を忘れる。迷惑をかけられるぞ」
「すでに職を失う可能性を提示されました」
「それでも妻になると?」
「ほかに安全な案が見つかっていません」
「色気のない返事だな」
「偽装ですから」
「気に入った」
柳雅は扇を閉じた。
「婚姻の記録は俺が預かろう。ただし、条件がある」
「何でしょう」
「境と濁りの調査を、常磐家だけで抱え込まないこと。義亜乃殿が知ったこと、為澄が調べたことを、すべて記録に残す」
「記録は誰が?」
「信用できる者を一人つける。陰陽技寮付きの記録官だ」
監視役とも言える。
けれど、国が関わる現象を為澄と私だけで秘匿するより健全だ。記録が残れば、為澄一人に責任を負わせずに済む可能性もある。
「条件を受けます」
「俺の意見も聞いてくれ」
為澄が言った。
「反対ですか」
「いや。受ける」
「では一致しました」
「もう夫婦らしいではないか」
柳雅が再び笑った。
その時、廊下の外から控えめな声がした。
「殿下。監察役がお返事を求めております」
「待たせたな」
柳雅は立ち上がった。
「さて。ここからは、嘘を事実にする時間だ」
私たちは監察役の待つ表の間へ移った。
為澄の羽織を借りたままの私は、彼の半歩後ろに座る。
監察役は庭の発光と術の気配について、いくつか質問した。為澄は、古い境の封が一時的に緩み、濁りが現れたが、すでに処理したと答えた。
「そちらの女人は?」
予想通り、質問が来る。
為澄の手が、畳の上に置いていた私の手へ重なった。
温かい。
演技だと分かっているのに、私は一瞬、言葉を忘れた。
「妻です」
為澄は静かに答えた。
「今夜、初めてこの邸へ迎えました。騒ぎに巻き込んでしまったので、休ませたいのですが」
監察役が柳雅を見る。
「俺が証人だ」
第一皇子は、何でもないことのように言った。
「婚姻の届けは明日、俺から通しておく。今宵の件についても、危険はないと確認した」
皇子の言葉に異を唱えられる者はいなかった。
監察役は頭を下げ、退出した。
足音が遠ざかる。
私は息を吐いた。
同時に、手の上から為澄の温もりが離れる。
「すまない」
「必要な接触でした。問題ありません」
そう答えた。
問題はない。
ないはずなのに、触れられていた場所を妙に意識してしまう。
「では、俺も戻る」
柳雅は立ち上がり、私たちを振り返った。
「明朝、記録官を寄越す。その後、二人そろって陰陽技寮へ来い」
「義亜乃もですか」
「夫婦なのだろう?」
柳雅は満足そうに笑い、部屋を出ていった。
こうして、出会って数時間の男との婚姻に、皇族の証人がついた。
記録は、必ずしも事実ではない。
だが、一度記録されれば、事実と同じように人を縛る。
一方、縛られるということは、別の面から見れば守られると言うことでもある。
私に残る、為澄の大きな手の感覚が、さながら婚姻届の印のようだ、などと。
私らしくない想いを巡らせてしまい、そして、振り払った。




