第95話「病室からの頭取会議――母になる時間と銀行を背負う時間」
第95話です。
今回は、入院中の璟瑶が病室から初めて頭取業務へ参加します。
ただし、水城・劉川・久世たちが徹底して勤務時間を制限。
頭取が不在でも銀行を止めないため、重役と15人の役員秘書たちがそれぞれの役割を担っていきます。
一方の創も、地下3階の福利厚生フロアや社員食堂で普段の銀行員生活を送りながら、育児について少しずつ勉強。
そしてついに、第二段階の路上教習も始まります。
月曜日。
午前六時十二分。
東京都内にある産婦人科病院の個室。
「……」
欧陽璟瑶・四十五歳は、白い天井を見つめながら目を覚ました。
自宅の寝室ではない。
薄いカーテン。
医療機器。
ベッド横の小さなテーブル。そして、隣に創はいない。
璟瑶は大きくなったお腹へ、両手をそっと重ねた。
「おはよう、二人とも」
性別は、まだ正式には分からない。
それでも、ここに二人いる。
その事実だけは、毎日少しずつ重みを増していた。
軽いノックのあと、二人の看護師が入ってくる。
「欧陽さん、おはようございます」
夜勤から引き継ぐ看護師、北原紗英・二十九歳。
日勤担当の看護師、朝比奈麻衣・三十二歳。
「おはようございます」
北原が記録を確認する。
「昨夜、お腹の張りはどうでしたか?」
「夜中に少しありました。でも、すぐ落ち着きました」
「痛みや出血は?」
「ありません」
「分かりました。朝の状態を確認しますね」
血圧と体温に脈拍。そして浮腫。
朝比奈が一つずつ確認する。
続いて、双子の心拍をモニターで確認する。
一つ。
もう一つ。
二人分の心拍が、規則正しく病室へ響いた。
「今日も二人とも、しっかりしています」
朝比奈の言葉に、璟瑶が小さく笑う。
「よかった」
北原と朝比奈は、璟瑶が青嶺中央銀行の頭取であることを知っている。
妊娠していることも、双子であることも、夫がいることも、医療上必要な範囲で把握している。
しかし、それはすべて患者の個人情報だった。
病院の外へ漏らすことはない。
まして、夫が同じ銀行の二十一歳の行員であることなど、知る必要すらなかった。
「今日は、短時間のお仕事があると伺っています」
朝比奈が尋ねる。
「オンライン会議が二件だけです」
「体調に変化があれば、途中でも中止してください」
「はい」
「約束ですよ」
「……はい」
答えながら、璟瑶は少しだけ視線をそらした。
今日。
入院してから初めて、限定的に頭取としての業務へ戻る。
それが、少し楽しみでもあり。
少し怖くもあった。
◇◇◇
午前七時十四分。
東京都世田谷区、成城の新居にて。
宮嶋創・二十一歳は、一人で朝食を取りながら妻へメッセージを送った。
『おはよう』
少しして返事が来る。
「おはよう」
『二人は?』
「元気」
『璟瑶は?』
「元気」
『張りは?』
「少し。でも昨日より落ち着いてる」
『本当に?』
「本当に」
創は少しだけ安心する。
『今日、会議だろ』
「午前と午後」
『何分?』
「まだ確認してない」
その直後、璟瑶のもとへ水城から予定が届いた。
「午前十一時から二十五分」
「午後二時から三十分」
「本日の頭取業務は以上です」
璟瑶は、そのまま創へ転送する。
『二件もやるの?』
「少ないでしょう?」
『多い』
「水城さんと同じこと言う」
『水城さんが正しい』
「劉川さんにも言われた」
『全員正しい』
「……」
『仕事しすぎるなよ』
「分かってる」
『絶対?』
「分かってる」
創は画面を見ながら、小さく呟く。
『本当に分かってるかな……』
◇◇◇
午前八時五分。
青嶺中央銀行本店の四十一階にある役員秘書共用スペース。
午前は、仕事の話だけだった。
十五人の秘書が、担当役員の予定表と資料を手に集まっている。
頭取第一秘書、劉川景仁・三十八歳。
頭取第二秘書、水城絢乃・三十一歳。
久世副頭取秘書、高城沙也香・三十六歳。
御子柴専務秘書、榊真由美・三十九歳。
榊原取締役秘書、三田村拓海・三十四歳。
長谷部人事担当役員秘書、藤宮美咲・三十三歳。
黒崎常務秘書、桜庭亮介・三十七歳。
早乙女常務秘書、如月絵里・三十五歳。
秋元取締役秘書、小野寺翔・三十二歳。
水谷常務秘書、羽鳥奈津美・三十八歳。
陳取締役秘書、林美華・三十四歳。
相馬取締役秘書、城戸悠介・三十三歳。
武藤取締役秘書、篠崎由梨・三十六歳。
神崎常務秘書、橘千佳・三十五歳。
西園寺取締役秘書、望月和也・三十七歳。
この中で、璟瑶の妊娠と双子を知る秘書は、劉川と水城だけ。
ほかの十三人には、健康管理上の理由で入院療養していることだけが共有されている。
結婚相手が宮嶋創であることも知らない。
妊娠を理由に特別な体制が組まれていることも、伏せられたままだった。
高城が全員へ予定を伝える。
「本日の役員会議は、午前十一時と午後二時です。頭取はオンラインで参加されます」
桜庭が確認する。
「午前が二十五分、午後が三十分ですね」
「はい」
三田村が少し驚く。
「今までなら、一時間を超えることも珍しくなかったですよね」
水城の表情は変わらない。
「今は、それをしません」
「体調は、かなり悪いんですか?」
榊が尋ねた瞬間、わずかに空気が静まる。
水城は言葉を選ぶ。
「詳細はお答えできません。ただ、医療上、休養が必要です」
「すみません。踏み込みました」
「いえ」
劉川が資料を掲げる。
「皆さんにもお願いします。頭取宛ての資料を、本人へ直接送らないでください」
「一度、頭取秘書室へ?」
羽鳥が尋ねる。
「はい。必要性、緊急性、決裁権限をこちらで整理します」
城戸がホワイトボードを見る。
「昨日からのA、B、C分類を継続するんですね」
「そうです」
水城が説明する。
「Aは、頭取本人の判断が必要な案件」
「Bは、久世副頭取または担当役員で処理可能な案件」
「Cは、部門長以下の権限で処理可能な案件です」
小野寺が手元の資料を見る。
「重大なシステム障害はAですか?」
「秋元取締役と久世副頭取で初動できる段階ならBです。頭取にしか決められない経営判断が生じた時だけ、Aへ上げます」
「了解しました」
望月も確認する。
「地域銀行側から、頭取との面談希望がかなり入っています。全部延期ですか?」
「西園寺取締役が代行できるものは、そのまま実施。頭取本人でなければ成立しないものだけ延期してください」
「承知しました」
林が劉川を見る。
「上海、香港、シンガポールから問い合わせが来ています。あとで一緒に整理できますか?」
「もちろんです。中国・東アジア案件は、早乙女常務と陳取締役で処理できるか先に確認します」
如月も予定表を開く。
「欧州と米州は、時差を考えると頭取の休養時間に重なります」
「原則、録画か文書報告へ変更してください」
「分かりました」
高城が全員を見渡す。
「頭取が不在だからといって、担当役員の仕事まで止めない。それが久世副頭取の方針です」
水城が頷く。
「そして、頭取へ仕事を戻しすぎない。それが私たちの役目です」
午前の秘書会議では、最後まで私的な話は出なかった。
今は、頭取を休ませながら銀行を動かす。
そのための調整が最優先だった。
◇◇◇
午前九時四十五分。
十八階の法人営業第一部にて
「宮嶋、少しいいか」
『はい』
創は桐生雅人・四十二歳とともに、小会議室へ入った。
扉が閉まる。
「奥さん、どうだ?」
創には分かった。
欧陽頭取ではなく、創の妻として、璟瑶の状態を聞いている。
『今朝も、二人の心拍は問題ありません』
「奥さん本人は?」
『少し張りがあるそうです。でも、昨日より落ち着いてるって』
「そうか」
『今日は短時間だけ、オンラインで仕事をするみたいです』
桐生が眉を寄せる。
「入院中なのに?」
『俺も言いました』
「止めたか?」
『水城さん、劉川さん、久世副頭取がかなり制限してます』
「なら、少しは安心だな」
創は一瞬迷ってから、桐生を見る。
『昨日話したこと、本当に誰にも言ってないですよね』
「言うわけないだろ」
『すみません』
「確認は大事だ」
創が少し笑う。
『確認は入口です』
「それ、教習所でも言ってるのか?」
『似たようなことを、ずっと言われてます』
桐生もわずかに笑った。
しかし、すぐに真面目な表情へ戻る。
「宮嶋。お前も無理をするな」
『はい』
「妻が頭取だからじゃない。妻が入院している夫だから言っている」
『はい』
「何か変わったら、すぐに言え」
『分かりました』
◇◇◇
午前十一時。
病室。
璟瑶はベッドの背もたれを起こし、ノートパソコンを開いていた。
病院の許可を得た範囲で、短時間だけ使用する。
まず、水城が画面に映る。
「頭取、午前の会議を開始します」
「はい」
「十一時二十五分で終了です」
「分かってる」
「念のため、もう一度申し上げます。二十五分です」
「……はい」
画面が切り替わる。
青嶺中央銀行本店の役員会議室。
久世宗一郎。黒崎忠彦。早乙女慶一。
御子柴泰成。榊原征司。長谷部章一。
神崎美玲。西園寺香織。
水谷征吾。相馬玲二。武藤英明。
秋元康成。陳高明などの主要役員が揃っている。
この中で、妊娠と双子まで知るのは久世、黒崎、早乙女の三人だけ。
御子柴は結婚のみ知っている。
ほかの役員には、健康上の理由による療養としか伝えられていない。
「始めます」
久世が進行する。
「本日の議題は三点。ただし、頭取に判断を求めるのは一件だけです」
画面に議題が表示される。
一、国内法人金融の大型案件進捗。
二、中国・東アジア事業の提携方針。
三、青嶺FG中期資本配分の修正案。
「まず、国内法人金融。黒崎」
「はい」
黒崎が資料を開く。
「大型案件三件が進行中です。二件は私の権限内。一件は水谷常務と審査部で対応できます。現段階で頭取判断は不要です」
「分かりました。法人側は黒崎さんに任せます」
「承知しました」
「次、中国・東アジア。早乙女」
「上海、香港、シンガポールで三件あります。うち二件は定例報告。一件は提携条件の調整ですが、陳取締役と私で詰められます」
陳も続ける。
「中国側の先方CEOから面談希望がありますが、頭取の直接出席は必要ありません。私が一次対応します」
「重要な相手ですよね?」
「重要です」
早乙女が答える。
「だからこそ、先に私と陳取締役で条件を整理します」
久世も画面越しの璟瑶を見る。
「頭取、その案件は任せてください」
「……分かりました」
「最後に、中期資本配分です」
相馬が説明を始める。
「青嶺FG全体の投資配分修正案です。地域銀行支援、デジタル、海外投資、資本政策に関係するため、頭取兼FG副CEOの判断が必要です」
「これだけがAです」
久世が補足し、璟瑶は資料を確認した。
「地域銀行向けの基盤投資は削らないでください」
西園寺が頷く。
「私も同意見です。システム更新、人材交流、再編支援は、今削れば後の負担が増えます」
秋元も続ける。
「サイバーセキュリティ関連のデジタル投資も、維持すべきです」
「すべて維持するのは難しい」
早乙女が指摘する。
「海外の新規投資について、開始時期を見直す余地があります」
璟瑶は少し考えた。
「地域銀行の基盤投資は維持。デジタルとサイバーも維持。海外は既存の重要案件を継続し、新規案件の一部を後ろ倒しにしてください」
「再計算します」
相馬が答える。
「承知しました」
久世が資料を閉じる。
「以上です。頭取、今日はここまでです」
「まだ八分あります」
「ありません」
「時計ではある」
「残りの案件は、私が受けます」
黒崎も続ける。
「法人側はこちらで処理します」
「中国・東アジアも、私と陳取締役で進めます」
早乙女も言う。
璟瑶は少し不満そうに画面を見る。
「……私、必要?」
久世は一瞬だけ黙った。
「最終判断だけお願いします」
「それ以外は?」
「我々が行います」
御子柴が小さく笑う。
「頭取、それが組織です」
神崎も頷く。
「一人ですべてを行う必要はありません」
「……分かりました」
水城が時刻を確認する。
「十一時二十一分。四分早く終了しました」
「四分、余った」
「余ったのではありません」
「取られた」
「終了です」
水城が接続を切る。
病室に、再び静けさが戻った。
◇◇◇
正午。
本店地下三階の福利厚生・生活支援フロア。
創は昼休みに、行員向けの売店へ寄った。
牛乳と食パン。
レジを担当するのは、有村佳代・四十二歳。
本店売店に長く勤務し、行員の顔をよく覚えている。
「宮嶋さん、今日は牛乳?」
『はい。家で切れてたので』
「一人で、ちゃんと朝ご飯を食べてる?」
創が一瞬止まる。
『食べてます』
「最近、お弁当も持ってきてるでしょう」
『よく見てますね』
「若い行員の食生活は、心配になるの」
『母親みたい』
「四十二歳なら、二十一歳の息子がいてもおかしくないでしょう」
『確かに』
「食パンは明日の朝?」
『トーストにします』
「卵は?」
『家にあります』
「野菜は?」
『あります』
「よし」
『何の確認ですか』
「栄養」
創は笑い、会計を済ませる。
『ありがとうございます』
「仕事、頑張ってね」
『はい』
売店を出ると、宅配ロッカーの前に若い行員がいた。
「……宮嶋先輩?」
営業企画部の小野塚湊・十九歳。
高卒二年目で、以前、合同研修で一緒になった後輩だった。
『小野塚。荷物?』
「はい。イヤホンを買いました」
『また?』
「前の片方をなくして」
『それ、二回目じゃない?』
「よく覚えてますね」
『前に研修で言ってた』
「相変わらず、記憶が細かい」
二人はエレベーターへ向かいながら話す。
「先輩、仮免取ったんですよね」
『何で知ってる?』
「四十七都道府県事業推進室の高城さんが、同期の知り合いで」
『広がるな』
「社内の若手、意外とつながってますから」
『怖い』
「免許を取ったら、彼女を乗せるんですか?」
『いつか』
「結婚しないんですか?」
『……まだ分からない』
「今、間がありましたよ」
『気のせい』
「怪しい」
『昼、行くぞ』
「はい」
二十一階へ着く。
「じゃあ先輩、本免を取ったら教えてください」
『分かった』
◇◇◇
午後零時二十八分。
社員食堂。
創は一人で定食を食べながら、スマートフォンを開いた。
検索したのは、育児動画。
新生児。双子。授乳。
おむつ。抱っこ。沐浴に夜泣き。
二十分ほどの動画を選ぶ。
「新生児を抱く時は、首と頭をしっかり支え――」
『首を支える』
創はメモする。
「双子育児では、二人が同時に泣くこともあります」
『……怖い』
小さく呟き… それでも、最後まで見る。
続いて配信アプリを開くと、恋愛ドラマがおすすめに表示された。
一話四十五分。
『時間ないな』
二倍速に設定する。
大学生の男女のすれ違い。
告白… 誤解… 仲直り。
友人たちの前で、堂々と交際を認める主人公。
『普通に、付き合ってるって言えるの……すごいな』
自分たちとは違う。
妻は四十五歳で青嶺中央銀行頭取。
双子を妊娠し、今は入院中。
黒瀬も琴葉も、創に彼女がいるとしか知らない。
『いつか、俺も……』
そこで動画を止め、昼休みが終わる。
創は食器を返し、午後の仕事へ戻った。
◇◇◇
午後二時。
病室から参加する二回目の頭取会議。
予定時間は三十分で水城が冒頭で説明する。
「議題は二点です。一、地域銀行連携。二、人材・店舗運営」
久世が進行を引き取る。
「頭取は、基本的に報告を聞くだけで結構です」
「それ、会議にいる意味ある?」
「最後に必要な指示をお願いします」
「……分かりました」
まず、西園寺が報告する。
「四十七都道府県のうち、今月の重点地域は北陸、中国、九州、東北、東海です。人材交流、事業承継、地場企業支援は予定通り進行しています」
「地方側の案件を、本店の都合で遅らせないでください」
「承知しています」
次に神崎が、人事制度の改定案を説明する。
「育児、介護、復職、柔軟勤務について、制度の見直しを進めています」
「育児……」
「はい。特に双子などの多胎児育児は、家庭への負担が大きいという意見が現場から出ています」
久世、黒崎、早乙女の三人だけが、一瞬、画面の璟瑶へ目を向ける。
璟瑶は頭取としての表情を崩さない。
「必要な制度ですね」
「はい。人事、総務、子育て支援部門で連携して検討しています」
御子柴も続ける。
「人事側から、来月までに具体案を出します」
「お願いします」
残り八分。
武藤が資料を開く。
「リテール部門から、支店運営について一件――」
「武藤、それは私があとで聞く」
久世が止める。
「しかし、頭取にも――」
「今、上げる必要はない」
「分かりました」
黒崎も資料を閉じた。
「法人側からの追加はありません」
「国際部門もありません」
早乙女も続く。
璟瑶は三人を見る。
「今日、私に仕事をさせる気がない?」
「あります」
黒崎が答える。
「最終判断だけです」
「それ以外はこちらで行います」
早乙女も言う。
久世は、穏やかだが強い声で告げた。
「頭取。今は、銀行を一人で背負う時間ではありません」
妊娠を知らない役員たちは、その言葉を健康上の配慮だと理解する。
誰も、それ以上は尋ねない。
「……分かりました」
「以上です」
水城が時刻を見る。
「二十八分。予定より二分早く終了しました」
「二分あれば、仕事を一つ追加できる」
「できません」
劉川も画面に入る。
「私も水城さんに賛成です」
「二対一」
「私もです」
久世が加わる。
「三対一です」
「私も」
黒崎。
「四対一」
早乙女。
「五対一です」
「……もういい」
役員会議室に、わずかな笑いが起こる。
画面が閉じる。頭取としての時間は終わった。
璟瑶は再び、病院で双子を守る母親の時間へ戻った。
◇◇◇
午後三時十五分。
四十一階の役員秘書共用スペース。
午後の会議を終え、十五人の秘書が再び顔を合わせる。
必要な業務調整は、すでに午前中に済ませていた。
ここからの短い休憩では、仕事を離れた話になった。
三田村が紙コップのコーヒーを持ちながら尋ねる。
「皆さん、学生時代は何をしてたんですか?」
桜庭が笑う。
「急ですね」
「午前中、仕事の話しかしてなかったので」
小野寺が先に答える。
「僕は中学、高校とサッカー部。大学はフットサルサークルです。今も月二回やってます」
「そのままですね」
藤宮が笑う。
「高城さんは?」
「中学は吹奏楽部、高校は弓道部。大学は旅行研究会です」
望月が驚く。
「変わりすぎじゃないですか?」
「高校では静かな部活をやりたくなって」
「それで大学は旅行?」
「はい」
「だから出張日程を組むのが得意なんですね」
「関係あります?」
「絶対あります」
榊も続く。
「私は中学、高校がバドミントン。大学はテニスサークルです」
「球技が好きなんですね」
「見るより、やる方です」
三田村が自分を指す。
「私は中学が卓球、高校が陸上、大学は会計研究会」
桜庭が笑う。
「最後だけ急に今の仕事へ近づいた」
「数字が好きだったので」
藤宮は指を折りながら話す。
「私は中学が合唱部、高校が演劇部、大学が放送研究会です」
林が頷く。
「話すのが上手なのは、それですね」
「面接調整に向いてるって、よく言われます」
「私は中学が卓球、高校が中国語弁論部、大学は国際交流です」
林が答える。
「今の趣味は中華料理店の新規開拓」
劉川が反応する。
「それは仕事の延長では?」
「違います。食事です」
笑いが起こる。
桜庭は胸を張る。
「私は中学、高校、大学まで野球です。大学は準硬式」
「今も草野球?」
「月一回。黒崎常務の予定が入らなければ」
「秘書の悲哀ですね」
如月は言う。
「私は中学、高校が英語部。大学は国際交流サークルです。趣味は旅行」
「林さんと一緒ですね」
「目的が違います。林さんは食事、私は建築と美術館」
「全然違う」
城戸は苦笑する。
「私は中学、高校がバスケットボール。大学は投資研究会です」
「大学で急に経営企画寄り」
「膝を痛めたので、運動をやめました」
「なるほど」
篠崎も続く。
「私は中学がソフトテニス、高校が茶道、大学が映画サークル。今も週一本くらい映画を見ます」
橘は答える。
「中学、高校はバレーボール。大学はボランティアサークル。今はランニングです」
「神崎常務も朝が早いですよね」
「担当してから、私まで早起きになりました」
望月は少し得意そうに言う。
「私は中学が陸上、高校が山岳部、大学が旅行サークルです」
高城が見る。
「だから地方出張に強いんですね」
「四十七都道府県のうち、三十九まで行きました」
水城が数える。
「あと八県」
「全部、仕事で埋まりそうです」
羽鳥は姿勢を正した。
「私は中学、高校が剣道。大学は法学研究会です。今も時々、道場へ行きます」
桜庭が頷く。
「似合います」
「どういう意味ですか?」
「姿勢がいいから」
全員が笑う。水城と劉川にも視線が集まる。
「水城さんは?」
「中学は陸上部、高校は茶道部、大学は経営学研究会です」
「今の趣味は?」
「読書とカフェ巡り」
「意外と普通」
「どういう意味ですか?」
「頭取を二十五分で止める人なので、もっと強い趣味かと」
「仕事と趣味は別です」
再び笑いが起こる。
「劉川さんは?」
「中学と高校はバスケットボール部。大学は中国語研究会です」
林が驚く。
「中国語研究会だったんですか?」
「はい。今も勉強は続けています」
「趣味は?」
「料理です」
水城が少し笑う。
「それ、頭取に知られたら病院食への追加を頼まれそうですね」
「持ち込みは病院へ確認してからです」
「もう考えてる」
午後の短い休憩。
午前中は知らなかった、互いの学生時代や趣味を知る。
担当役員は違うし、また経歴も違う。
それでも今、十五人で同じ銀行を支えている。
話が一段落したところで、高城が水城と劉川を見る。
「お二人とも、無理はしないでくださいね」
「え?」
「頭取を休ませるために、お二人が倒れたら意味がありません」
劉川が少し笑う。
「ありがとうございます」
「海外案件は、こちらへ振ってください」
如月と林が言う。
「国内法人は私が受けます」
桜庭も続く。
「審査関連はこちらで」
羽鳥。
「地方銀行側は任せてください」
望月。
「人事と人材関連はこちらへ」
藤宮と橘。秘書同士が、自然に役割を分け始める。
水城は一瞬黙り、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
頭取を支えるのは、一人の秘書ではない。
秘書室もまた、一つの組織だった。
◇◇◇
午後五時三十八分。
成城中央自動車学校。
仮運転免許を取得した創は、第二段階の初日を迎えていた。
いよいよ初めての路上教習。
助手席には、長瀬孝弘。
「宮嶋さん。場内と路上で、一番違うことは何だと思います?」
『ほかの車』
「それもあります」
『歩行者』
「はい」
『自転車、バイク、バス』
「工事、路上駐車、突然の進路変更もあります」
『……予想外』
「そうです。全部が教習所の用意したものではありません」
『怖いです』
「正常です」
『正常?』
「最初から怖くない人の方が怖いです」
『最近、みんなそれ言います』
「ただし、怖さで固まってはいけません」
『確認したら』
「判断して」
『動く』
「はい」
教習車が公道へ出る。
創の心拍が少し速くなる。
本物の信号。本物の歩行者。
本物の自転車。本物の対向車。
場内とは、空気そのものが違う。
「制限速度を確認」
『三十キロです』
「速度を合わせて」
『はい』
「前を見ながら、ミラーも」
『はい』
「ただし、ミラーばかり見ない」
『はい』
「前方、横断歩道」
『歩行者がいます』
「どうします?」
『止まります』
創は速度を落とし、横断歩道の手前で停止した。
歩行者が渡り終え、軽く頭を下げる。
創も一瞬驚きながら、前へ視線を戻す。
「安全を確認して進みましょう」
『はい』
短い時間でも、次々と状況が変わる。
駐車車両… 脇道から出ようとする自転車。
前方で停車するバス。
信号の変化を創は一つずつ確認し、判断しながら進んだ。
初めての路上教習を終え、教習所へ戻る。
『……場内へ戻りたい』
長瀬が笑う。
「駄目です」
『ですよね』
「ただ、初回として大きな問題はありません」
『本当に?』
「確認は、まだ少し多いです」
『やっぱり』
「でも以前より、確認したあとの判断は早くなっています」
『少しだけ』
「それも進歩です」
創は小さく笑った… 本免許までは、まだ遠い。
それでも今日、初めて本当の道路を走った。
◇◇◇
午後八時四十七分。
成城の新居。
『ただいま』
返事のない家。
しかし今日は、すぐにスマートフォンが鳴った。
ビデオ通話にし、画面に璟瑶が映る。
「おかえり」
『ただいま』
「路上、どうだった?」
『怖かった』
「それだけ?」
『場内へ戻りたい』
璟瑶が笑う。
「駄目」
『長瀬さんと同じこと言う』
「じゃあ正しい」
創はソファへ座る。
『会議はどうだった?』
「午前と午後、二件だけ」
『多い』
「創まで?」
『入院患者が二件もやれば十分』
「でも、銀行はちゃんと動いてた」
『よかった』
「久世さん、黒崎さん、早乙女さんが、ほとんど持っていった」
『それでいい』
「私、本当に最終判断しかしてない」
『頭取は、最終判断をする人なんじゃないの?』
「……」
『全部、自分でやる人じゃないだろ』
璟瑶が少し笑う。
「二十一歳に言われた」
『夫に言われた』
「そうだった」
『今日、昼休みに育児動画を見た』
「本当に?」
『二十分』
「何を覚えた?」
『赤ちゃんを抱く時は、首と頭を支える』
「ほかは?」
『おむつ交換』
「ほかは?」
『双子が同時に泣く』
「それ、知識?」
『恐怖』
二人で笑う。
「そのあとは?」
『恋愛ドラマを見た』
「どうして?」
『配信アプリのおすすめに出たから』
「普通に見たの?」
『二倍速』
「恋愛ドラマを倍速で?」
『昼休み、時間ないから』
「一番、恋愛ドラマに向いてない見方」
『でも、普通に友達へ付き合ってるって言えるの、いいなと思った』
璟瑶の表情が少し変わる。
「創」
『うん』
「いつか言えるよ」
『うん』
「でも、今は」
『今は守る』
「うん」
画面の向こうで、璟瑶がお腹を撫でる。
『二人は元気?』
「元気」
『今日も?』
「今日も」
璟瑶が少し笑う。
「次の診察で、先生がもう少し詳しく見てくれるって」
『何を?』
「性別」
創の動きが止まる。
『……本当に?』
「まだ確定じゃないよ」
『男の子? 女の子? どっち?』
「だから、まだ」
『二人とも同じ?』
「それも、まだ」
『気になる』
「知ってる」
『分かったら、すぐ教えて』
「もちろん」
『絶対』
「はい」
◇◇◇
夜。
青嶺中央銀行本店の四十二階。
頭取室は、今日も暗い… それでも銀行は動いた。
久世が銀行全体を支え… 黒崎が法人金融を支えた。
早乙女と陳が国際・東アジア部門を支えた。
西園寺が地域銀行を神崎と御子柴が人事と職場を支えた。
十五人の役員秘書も、それぞれの担当役員を支えながら、頭取を休ませる仕組みを守った。
組織は、一人の強い人だけで動くものではない。
その人が動けない時、周囲が代わりに動く。
それができるから、組織なのである。
病室の欧陽璟瑶は、初めて少しずつ銀行を手放すことを覚え始めていた。
頭取として銀行を背負う時間。
母親として、二人の命を守る時間。
今は、その境界を周囲が守ってくれている。
一方、宮嶋創は初めて公道を走った。
夫として… 父親として。
また一歩、家族を乗せる未来へ近づいた。
そして次の診察では、これまで何度見ても確定できなかった双子の性別が、ついに明らかになろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「一人で背負わないこと」が大きなテーマでした。
璟瑶は病室から会議へ参加しましたが、久世・黒崎・早乙女を中心に、できる仕事は周囲が引き受ける形へ。
さらに15人の役員秘書たちも、担当役員の垣根を越えて支え合い始めました。
創は創で、仕事、育児の勉強、そして初めての路上教習へ。
夫婦それぞれが別の場所で、少しずつ「四人家族になる準備」を進めています。
次回、第96話。
創はいよいよ本格的な路上教習へ。
そして病院では、これまで分からなかった双子の性別がついに明らかになります。




