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第94話「仮免試験――父親になる前に、まず道路へ出る資格を」


第94話です。


今回は、創の仮免試験をかなり濃く描きます。


みきわけから技能検定、学科試験まで進み、ついに仮運転免許を取得。


一方、黒瀬と琴葉は同年代の若手行員たちとリアル脱出ゲーム、カラオケ、居酒屋へ。


そして夜、創は入院中の璟瑶の病室へ向かい、双子にも仮免合格を報告します。


少しずつ父親になる準備も進んでいきます。



 土曜日。


 午前五時四十八分。


 東京都世田谷区、成城の新居。


『……』


 宮嶋創・二十一歳は、静かな寝室で目を覚ました。


 妻の欧陽璟瑶・四十五歳が入院してから、六日目。


 平日は銀行へ出勤し、夜はビデオ通話をする。面会できる日は病院へ行く。


 少しずつ慣れようとしていた。


 それでも、隣が空いた朝だけは慣れない。


 そして今日は、いつもの休日とも違った。


 成城中央自動車学校。


 第一段階のみきわめ。


 それを通過すれば、仮免許技能検定。


 さらに学科試験にも合格すれば、仮運転免許を取得できる。


 創はスマートフォンを取り、妻へメッセージを送った。


『おはよう』


『今日、行ってくる』


 午前五時四十九分。


 病院ではまだ早い。


 返事が来ないことを確認し、創はベッドを出た。


 ◇◇◇


 午前六時二十一分。


 キッチン。


 朝食は、トースト、スクランブルエッグ、サラダ、ヨーグルト。


 今日はコーヒーを少しだけ飲む。


 テーブルには教本と問題集を開いていた。


 一時停止。徐行。


 優先道路。横断歩道。


 駐停車。安全地帯。


 踏切。標識と標示。


『これは○』


 答えを確認する。


 正解。


『これは×』


 また正解。


『学科は大丈夫』


 少し考え、付け加える。


『……多分』


 そして、自分で首を振った。


『多分禁止』


 璟瑶に言われる前に、自分で言う。


 その時、スマートフォンが振動した。


「おはよう」


「起きてる」


 創はすぐに返す。


『体調は?』


「大丈夫」


「少し張りはあるけど、朝の確認は問題なし」


『今日も無理しないで』


「創も」


「確認しすぎて止まらないでね」


『まだ何も言ってない』


「分かる」


『今日、みきわめを通ったら、そのまま仮免試験』


「緊張してる?」


『かなり』


「それでいい」


『また崇岳さんと長瀬さんと同じこと言ってる』


「みんな、創の扱いを分かってる」


『酷い』


「受かったら、一番に教えて」


『うん』


 創は少し迷ってから続ける。


『今日の夜、病院へ行く』


「分かった」


『入院してから、ちゃんと病室へ行くの初めてだから』


「待ってる」


 創はスマートフォンを伏せた。


 今、考えることは一つ。


 まず、仮免試験へ進み… そして合格する。


 ◇◇◇


 午前七時四十八分。


 成城中央自動車学校。


 土曜日のロビーは、平日より混み合っていた。


 創が受付を済ませると、見慣れた顔が集まってくる。


 河合悠斗・二十二歳。一ノ瀬結菜・十九歳。


 佐原海斗・二十五歳。安西美咲・三十二歳。


 西野蓮・十八歳。


「宮嶋さん、今日みきわめ?」


 河合が尋ねる。


『うん』


「通ったら、そのまま仮免?」


『その予定』


 一ノ瀬が創の顔を見る。


「緊張してる?」


『かなり』


 西野も覗き込む。


「いつもより顔、固いです」


『そんなに?』


「銀行員って、試験には強そうですけどね」


 佐原の言葉に、創は首を振る。


『運転と銀行は関係ないです』


「運転は点数だけじゃないからね」


 安西が言う。


『それが怖いんです』


 その時、背後から声がした。


「怖いなら、きちんと確認する」


 長瀬孝弘・四十六歳。


 創の担当教官だった。


「ただし、確認したら止まらない」


『おはようございます』


「おはようございます」


 長瀬は創の教習原簿を見る。


「今日が第一段階最後のみきわめです」


『はい』


「試験を意識して、急に違う運転をしないでください」


『はい』


「いつも通り、確認して、判断して、動く」


『はい』


 何度も言われてきた言葉。


 だが今日ほど、その言葉が必要な日はなかった。


 ◇◇◇


 午前八時十二分。


 第一段階、みきわめ。


 創は教習車の運転席へ座った。


 シートと背もたれ。


 ヘッドレストにミラー。


 シートベルトとブレーキを確実に踏める位置。


 一つずつ調整する。


「準備できたら始めましょう」


『はい』


 エンジンを始動する。


 セレクターをDへ。


 ミラー。合図。目視。


 周囲の安全を確認する。


『……』


「宮嶋さん」


『はい』


「もう確認できています」


『……はい』


「発進してください」


 創はブレーキを緩めた。


 教習車が、ゆっくり動き始める。


 最初の交差点は右折。


 対向車と歩行者なし。


 安全は確認できている。


 それでも創は、一瞬止まりすぎた。


「今、行けました」


『はい』


「確認はできています。その次は?」


『判断して、動く』


「はい」


 次の左折。


 左ミラー。


 目視。


 巻き込み確認。


 十分に減速し、左側へ寄せて曲がる。


「今のはいいです」


『ありがとうございます』


 一時停止では、停止線の直前で完全に止まる。


 左右を確認。


 見通しの悪い場所では少し前へ出て、徐行しながら再確認する。


 坂道発進。


 以前ほどの緊張はない。


 後退せず、滑らかに発進できた。


「問題ありません」


 続いてS字。


 最初に挑戦した時、後輪が縁石へ乗りそうになった場所だった。


 速度を十分に落とす。


 近い場所だけを見ず、少し先へ視線を置く。


 前輪と後輪が通る位置を意識しながら、ハンドルを切る。


 一つ目のカーブ… 二つ目のカーブ。


 縁石へ触れず、出口を抜けた。


「今日は、銀行で言えば差し戻しなしです」


『覚えてたんですか』


「宮嶋さんが言ったんでしょう」


『今日はS字に勝ちました』


「勝負ではありません」


 長瀬の声にも、わずかに笑いが混じっていた。


 次はクランク。


 一つ目の角は通過… 二つ目で、右後輪が内側へ近づく。


 創は無理に進まず、一度停止した。


 周囲を確認し、落ち着いて切り返す。


「それでいいです」


『一発で通れなかった』


「検定は、切り返しただけで不合格になるわけではありません。無理に進んで接触する方が問題です」


『はい』


 障害物回避。


 後方確認。合図。


 対向車を待つ。


 十分な間隔を取って通過し、左側へ戻る。


 最後は指示速度。


「この区間で、時速四十キロまで出してください」


『はい』


 三十。三十五。三十八… 四十。


 場内で出す四十キロは、今でも速く感じる。


 それでも前方へ視線を置き、速度を安定させる。


 指定区間を終え、早めにアクセルを戻す。


 滑らかに減速。


「今のはいいです」


『ありがとうございます』


 発着点へ戻る。


 左側へ寄せて停止。


 パーキングブレーキ。


 セレクターをPへ。


 エンジン停止。


『……終わりました?』


「終わりです」


 創は大きく息を吐いた。


「自分ではどうでした?」


『最初、何度か止まりすぎました』


「後半は直っていました」


『S字は?』


「問題ありません」


『クランクは?』


「切り返しはありましたが、安全に処理できています」


 長瀬は教習原簿へ記入する。


「みきわめ、良好です」


『……本当に?』


「本当です。技能検定を受けられます」


『よかった』


「まだ合格ではありません」


『そうだった』


「気を抜かないでください」


『はい』


 ◇◇◇


 午前九時二十七分。


 仮免許技能検定。


 待合室には、創を含めて数人の受検者がいた。


 説明が始まる。


 検定は減点方式。安全確認。


 法令に従った運転。正確な操作。


 重大な危険行為があれば、その場で中止になる。


 創の手に、少し汗がにじむ。


 今日の検定員は長瀬ではない。


 真田修一・五十三歳。


「宮嶋創さん」


『はい』


「準備してください」


『はい』


 創は教習車へ向かった。


 車外から周囲を確認。


 後方へ注意しながらドアを開け、乗車する。


 シート、ミラーにヘッドレスト。


 シートベルトとペダルへ届く足の位置。


 一つずつ整える。


「準備ができたら、発進してください」


『はい』


 エンジンを始動する。


 ミラー。合図。目視… 後方確認。


 一瞬、また止まりそうになる。


 その時、長瀬の言葉が頭に浮かんだ。


 確認したら。


 判断して。


 動く。


 創はブレーキを緩めた。


 教習車が発進する。


 最初の左折。


 巻き込みを確認し、十分に減速する。


 一時停止では、停止線の直前で完全に止まる。


 見通しの悪い交差点は徐行。


 少しずつ前へ出て、左右を確認してから進む。


 坂道発進。


 問題なく通過。


 S字へ入る。


『……』


 呼吸を止めない。


 速度を落とし、少し先を見る。


 ハンドルを切り、戻す。


 後輪の位置を意識する。


 縁石に乗らず、出口を抜けた。


 次はクランク。


 一つ目の角を通る。


 二つ目で、右後輪が内側へ近づいた。


 創は迷う。


 検定だから、一度で通りたい。


 けれど、無理に進めば接触するかもしれない。


 創は止まった。


 周囲を確認し、一度だけ切り返す。


 真田は何も言わない… 検定中に助言はない。


 自分で確認し、自分で判断し、自分で動くしかない。


 創はクランクを抜けた。


 障害物を避ける。


 対向車を待つ。


 必要な間隔を確保して通過する。


 指示速度の区間では、時速四十キロまで上げた。


 三十。三十五。三十九。四十。


 怖さはある。


 それでも急にアクセルを戻さず、指定区間を走り切る。


 終盤の右折。


 対向車を待つ。


 次の車までは距離がある。


 横断歩道にも歩行者はいない。


 もう一度確認したくなる。


 しかし、安全は確認できている。


 創は進んだ。


 発着点へ戻り、左側へ寄せて停止する。


 パーキングブレーキ。


 P。


 エンジン停止。


『……終わりました』


「はい。安全を確認して降車してください」


 後方を確認してからドアを開ける。


 検定は終わった。


 点数は分からない。


 合格か、不合格かも分からない。


 大きな失敗をした感覚はない。


 それでも結果が出るまで、不安は消えなかった。


 ◇◇◇


 午前十時四十八分。


 技能検定の結果が掲示される。


 創は、自分の受検番号を探した。


『……』


 あった。


『受かった』


 小さく呟く。


 近くにいた河合が振り向いた。


「本当?」


『技能、通った』


「おめでとう!」


 一ノ瀬も駆け寄る。


「次は学科?」


『うん』


「頑張って」


『ありがとう』


 創は笑った。


 だが、すぐに気持ちを切り替える。


 技能検定だけでは、仮免許を取得できない。


 次は学科試験だった。


 ◇◇◇


 午前十一時十二分。


 仮免許学科試験。


 問題が配られ、説明が終わる。


 試験開始。


 一問目は標識。


 二問目は一時停止。


 三問目は優先関係。


 四問目は横断歩道。


 五問目は安全地帯。


 短い文章でも、一つの言葉で答えが変わる。


 創は焦らず、一問ずつ読んだ。


『これは、“必ず”が違う』


 ×。


『これは歩行者優先』


 ○。


『駐車禁止でも、短時間の停車まで全部禁止ではない』


 ×。


 迷った問題には印をつけ、最後に戻る。


 残り時間は十分。


 全問を見直す。


 一問だけ、答えを変えたくなる。


 創は問題文をもう一度読んだ。


『……最初の判断で合ってる』


 答えは変えなかった。


 確認する。


 判断する。


 そして提出する。


 運転中だけでなく、学科試験でも同じだった。


 ◇◇◇


 午後零時四分。


 結果発表。


 創は掲示された番号を追う。


 一列目… 二列目… 三列目。


『……あった』


 技能検定、合格。学科試験、合格。


 必要な説明と手続きを終え、仮運転免許証を受け取る。


 創はしばらく、それを見つめた。


『これが、仮免……』


 まだ本免許ではない。


 一人で自由に運転できるわけでもない。


 次から始まるのは、第二段階。


 初めての路上教習…それでも、確実に一歩進んだ。


 創は真っ先に璟瑶へメッセージを送る。


『受かった』


『技能も学科も、両方』


 数秒で既読がついた。


「仮免?」


『うん』


「おめでとう」


「本当に、おめでとう」


 創の口元が緩む。


『夜、持っていく』


「見せて」


『うん』


 続いて、黒瀬颯真と水無瀬琴葉のグループチャットへ送る。


『仮免、取った』


 黒瀬から即座に返事が届く。


「おおおお!」


 琴葉も続く。


「えっ、本当に?」


『本当に』


「おめでとう!」


「これで次から路上?」


『うん』


「怖そう」


『かなり』


「確認しすぎて、交差点で止まりそう」


『先生にも言われた』


 黒瀬から一枚の写真が届く。


「俺たちは今日、こっち」


 創は写真を開いた。


『……多い』


 黒瀬と琴葉を含め、十六人。


 謎解きイベントの会場前で、若手行員たちが並んでいる。


「同年代を集めた」


『誰がいるの?』


「今から紹介する」


 ◇◇◇


 午後零時四十二分。


 成城の新居。


 創は一人で焼きそばと味噌汁を作り、昼食を取りながら送られてきた写真を見る。


 男子は七人。


 法人営業第二部の盛り上げ役、朝倉航平・二十七歳。


 中小企業金融部で謎解きが得意な榊原悠斗・二十六歳。


 不動産金融部の落ち着いた兄貴分、杉本蓮司・二十八歳。


 ゲーム好きの水上拓海・二十五歳は、デジタル金融推進部。


 経営企画部の分析型、三枝直人・二十七歳。


 四十七都道府県事業推進室で旅行好きの高城陸人・二十六歳。


 海外法人営業部で英語が得意な藤堂海斗・二十五歳。


 女子も七人。


 営業企画部でイベント好きの桜庭美月・二十六歳。


 人事部の社交的な白石奈々・二十五歳。


 総務部のしっかり者、藤沢彩花・二十七歳。


 広報部で写真好きの小日向紗良・二十六歳。


 海外旅行好きで国際金融部の松岡美咲・二十八歳。


 琴葉と同じ個人営業企画部の成瀬結衣・二十五歳。


 地方創生金融部で食べ歩き好きの橘川玲奈・二十七歳。


 創は写真を拡大した。


『高城さんと白石さん、知ってる』


 黒瀬から返事が来る。


「どこで?」


『高城さんはエレベーターで何回か。白石さんは研修の書類を受け取った時』


 やがて、白石本人からもメッセージが来た。


「宮嶋君って、二十一歳のキャリア採用の人?」


『そうです』


「覚えてる! 若いキャリア採用の人!」


『覚え方、それなんですね』


「だって目立ってたから」


 創は少し笑った。


 ◇◇◇


 同じ頃。


 都内のリアル脱出ゲーム会場。


 十六人は二チームに分かれていた。


「絶対勝つぞ」


 黒瀬が言う。


「脱出ゲームに勝ち負けある?」


 琴葉が首をかしげる。


「タイムを競えるならある」


 榊原が答える。


「まず役割を決めよう」


 白石が全員を見て三枝がすぐに整理する。


「探索、記録、暗号、組み立て。この四つに分けた方が早い」


「経営企画、休日まで経営企画だな」


「合理的って言って」


 全員が笑う。


「宮嶋君、こういうの得意そう」


 琴葉が言う。


「確認しすぎて制限時間が終わるだろ」


 黒瀬の一言で、また笑いが起きる。


「宮嶋君って、そんな感じなの?」


 白石が尋ねる。


「すごく慎重」


「銀行でも教習所でも、確認、確認、確認」


 高城が少し考える。


「でも、それなら融資業務に向いてそうだな」


「実際、今は法人営業をやってる」


 開始の合図が鳴る。


 室内には、数字、鍵、暗号、地図、ライト、箱、壁のポスター。


 散らばる手掛かりを、十六人が探し始めた。


「四桁の鍵がある!」


「壁に色が四つ!」


「赤、青、黄、緑!」


「こっちは方角だ。North、East、South、West」


「方角?」


「地図!」


 全員が一斉に動く。


 銀行の仕事を離れ、同年代の仲間として休日を楽しんでいた。


 午後二時二十五分。


 両チームとも脱出成功。


 一方は残り三分四十二秒。


 もう一方は残り一分十一秒。


「危なかった!」


「でも、楽しかった!」


「次、カラオケでいい?」


「予約してあるよ」


「さすが営業企画」


「予約したのは人事の私」


 笑いながら、十六人は次の場所へ向かった。


 ◇◇◇


 午後三時十二分。


 カラオケの大部屋。


 黒瀬が最初にマイクを持つ。


「一曲目、誰が歌う?」


「言い出した黒瀬さん」


「俺?」


「責任取って」


「分かった。行くぞ」


 テンポの速い曲が流れ、全員が手拍子を始める。


 次は琴葉。


 白石がデュエットへ加わり、高城がタンバリンを鳴らす。


 水上が動画を撮ろうとすると、小日向が止めた。


「SNSへ載せるなら、全員に確認してね」


「広報、休日まで広報」


「大事だから」


 その頃、創は自宅で第二段階の教本を開いていた。


 グループチャットへ次々と届く写真を見る。


 タンバリンを持つ黒瀬。


 マイクを持つ琴葉。


 十六人で肩を寄せた集合写真。


『楽しそう』


「来ればよかったのに」


『今日は仮免だったから』


「次は誘う」


『本免取ったら行く』


「宮嶋君も来よう!」


 白石からも送られてくる。


 高城も続けた。


「俺、一回エレベーターで宮嶋君と話したよな?」


『はい。四十七都道府県事業推進室ですよね』


「覚えてた!」


『部署名が特徴的なので』


「そっちか」


 創は一人の部屋で笑った。


 ◇◇◇


 午後六時十二分。


 居酒屋の個室。


 枝豆。


 焼き鳥。


 刺身。


 唐揚げ。


 だし巻き卵。


 焼き魚。


 サラダ。


 鍋。


 料理と飲み物が並ぶ。


「「乾杯!」」


 十六人のグラスが合わさる。


「今日、久しぶりに仕事を忘れた」


 琴葉が言う。


「来週には思い出すよ」


「やめて」


「採用の繁忙期も近いし」


「地方出張も増える」


「国際部門も忙しい」


 黒瀬が周囲を見回す。


「今日は仕事の話、禁止」


「さっきから部署の話ばかりだろ」


 また笑いが起きる。


「そういえば、宮嶋君が仮免を取ったよ」


 琴葉が伝える。


「宮嶋君?」


「二十一歳のキャリア採用」


 白石が説明し、高城も思い出す。


「東央精密の案件をやってる人?」


「知ってるの?」


「法人系で少し聞いた。まだ審査中だよな」


「そう。本人、ものすごく慎重だから」


「彼女がいるんだっけ?」


「いるって言ってる」


「結婚しそう?」


「まだ二十一歳だぞ」


「でも、落ち着いてるよな」


 白石が楽しそうに言う。


「相手、年上だったりして」


「それはありそう」


「確かに」


 誰も知らない。


 彼女ではなく、妻で…その妻が四十五歳であること。


 青嶺中央銀行の頭取であること。


 そして今、双子を妊娠し、病院に入院していることも。


 ◇◇◇


 午後八時三十六分。


 病院。


 創は面会手続きを終え、病室の扉をノックした。


「どうぞ」


 扉を開ける。


『来た』


 ベッドの上で身体を起こしていた璟瑶が、創を見る。


「おかえり」


 創は一瞬、止まった。


 ここは新居ではない。


 それでも、この言葉を聞けば帰ってきたと思える。


『ただいま』


 椅子へ座り、バッグから仮運転免許証を取り出す。


『受かった』


「仮免?」


『うん』


「おめでとう」


 創が少し笑う。


『まだ半分だけど』


「それでも、私たちのために進んでる」


 璟瑶は仮運転免許証を受け取り、じっくり見る。


「本当に仮免許」


『疑ってた?』


「少し」


『酷い』


「冗談」


『技能は最初、確認しすぎそうになった』


「やっぱり」


『でも、長瀬さんの言葉を思い出した』


「確認したら?」


『判断して』


「動く」


『そう』


「S字は?」


『通った』


「クランクは?」


『一回切り返した』


「減点?」


『多少は』


「でも合格?」


『うん』


「学科も?」


『合格』


「じゃあ、完璧」


『完璧ではない』


「創らしい」


 創は笑い、それから妻のお腹を見る。


『触っていい?』


「どうぞ」


 服の上から、そっと手を置く。


 温かい。大きい。


 その内側に、二人がいる。


 創は少し身体を屈めた。


『父ちゃん、仮免取ったぞ』


「……」


『まだ二人を乗せられないけど、本免までちゃんと取るからな』


 璟瑶が吹き出す。


「父ちゃんって、急に父親らしくなるね」


『父親だから』


「まだ生まれてない」


『もう父親だと思ってる』


 璟瑶の表情が柔らかくなる。


「……そっか」


『うん』


 その瞬間。


 創の手の下で、小さな動きがあった。


『今、動いた』


「分かった?」


『うん。どっち?』


「分からない」


『二人とも?』


「仮免のお祝いかも」


『本当に?』


「多分」


『多分禁止』


「今日は使っていい」


 二人で笑う。


 ◇◇◇


 午後八時五十三分。


 創は、黒瀬たちから届いた写真を璟瑶へ見せた。


「多いね」


『十六人』


「黒瀬さんと琴葉さん以外は?」


『同年代の行員。男子七人、女子七人』


「何をしてたの?」


『リアル脱出ゲーム。そのあとカラオケと居酒屋』


「若い」


『璟瑶も若い』


「今、病院で双子を妊娠している四十五歳」


『若い』


「強いね」


 創は写真を拡大する。


『この人、高城陸人さん。四十七都道府県事業推進室』


「知ってるの?」


『何度かエレベーターで会った』


「この女性は?」


『白石奈々さん。人事部。研修の時に一度話した』


「覚えてるんだ」


『名前と部署は、なるべく覚えるようにしてる』


「銀行員」


『銀行員』


 璟瑶は写真に写る黒瀬と琴葉を見る。


「楽しそう」


『かなり』


「二人には、まだ言ってないんだよね」


 創の表情が少し真面目になる。


『うん』


「結婚も?」


『言ってない』


「双子も?」


『言ってない』


「何て言ってるの?」


『彼女がいるって』


「私、四十五歳の彼女?」


『今は四十五歳の妻』


「そう」


『黒瀬さんと琴葉さんを信用してないわけじゃない』


「分かってる」


『でも、一人に言ったら、そこからどこまで広がるか分からない』


「うん」


『銀行で知ってる人は増えたけど、全員、今必要な人だけだから』


「黒瀬さんと琴葉さんは、今は知らなくていい」


『俺もそう思う』


「いつか言えるかな」


 創は少し考える。


『言える日が来ると思う』


「本当に?」


『ずっと隠すのは無理だろ』


 璟瑶は自分の大きなお腹へ目を落とす。


「見た目は、もう完全に妊婦だからね」


『しかも双子』


「うん」


『でも今は、ここを優先』


「うん」


 創が見つめているのは秘密ではない。


 その秘密の中で育っている、二人の命だった。


 ◇◇◇


 午後九時十一分。


 看護師が病室へ入る。


「欧陽さん。そろそろ夜のモニターを準備しますね」


「はい」


 創は時計を確認し、立ち上がった。


『じゃあ、帰る』


「もう?」


『検査もあるし、休んだ方がいい』


「うん」


 妻の手を握る。


『次から路上』


「怖い?」


『かなり』


「でも今日、確認したあと動けたんでしょう?」


『うん』


「だったら路上でも同じ」


『簡単に言うなよ』


「銀行の頭取なので」


『運転は関係ない』


 二人で笑う。


 創が扉へ向かう。


「創」


『何?』


「仮免、本当におめでとう」


『ありがとう』


「次は本免」


『うん』


「私と二人を乗せるんでしょう?」


『乗せる』


「だったら急がなくていい」


『え?』


「ちゃんと上手になって、安全に取って」


 創は少し笑った。


『それ、長瀬さんと同じ』


「じゃあ正しい」


『はい』


 扉が閉まる。


 ◇◇◇


 午後九時三十八分。


 病室。


 モニターから、二人分の心拍が聞こえる。


 一つ…もう一つ。


 規則的に響いている。


 璟瑶はベッドへ横になり、先ほどの創の言葉を思い出した。


『父ちゃん、仮免取ったぞ』


「……ふふ」


 二十一歳。


 仮免許を取ったばかり。


 それでも創は、父親になるための準備を一つずつ進めている。


 一方、帰りの電車に乗った創も、仮運転免許証をしまったケースを何度も確認していた。


 まだ一人では運転できない。


 まだ公道を走ったこともない。


 本免許までは、これからだ。


 それでも今日、道路へ出る資格を手にした。


 銀行員。夫。そして父親。


 そして教習生。


 全部を同時に抱えながら、また一歩前へ進んだ。


 次はいよいよ、第二段階。


 本当の道路での教習が始まる。


 そして病院では、次の診察が近づいていた。


 これまで角度が合わず、確定できなかったこと。


 二人の性別が、ついに分かろうとしていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、創がついに仮運転免許を取得しました。


まだ本免許までは半分ですが、「確認したら、判断して、動く」を意識しながら一歩前進。


黒瀬と琴葉にも合格を報告し、二人の休日の様子も描きました。


そして夜は、入院後初めて璟瑶の病室へ。


『父ちゃん、仮免取ったぞ』


そんな創の報告に、双子もお腹の中から応えてくれたようです。


次回、第95話。


病室から始まる頭取業務。


璟瑶を働かせすぎないため、水城・劉川・久世たちがさらに本格的に動き始めます。


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