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第87話「二人とも、また大きくなった――中期二度目の健診と働く母の選択」


第87話です。


今回は、妊娠中期編で二度目となる健診。


前回よりも璟瑶のお腹はさらに大きくなり、創だけでなく、水城や劉川にもはっきり変化が分かるようになってきました。


双子は今回も二人とも心拍と成長を確認。


現時点では大きな問題はありませんが、高峰先生からは「仕事を続けられることと、今まで通りの仕事量を続けられることは別」と改めて伝えられます。


性別は今回もまだ確定せず、次回以降へ持ち越し。


一方で、黒瀬と琴葉の休日の続きも描きます。


仕事を離れた同期二人の時間と、少しずつ変わっていく四人家族の現在地をお楽しみください。



 日曜日。


 午前八時十二分。


 東京都江東区、有明。


 ホテルヴィラフォンテーヌ グランド 東京有明。


 レストラン。


「……朝から、これ食える?」


 須藤大輝・二十七歳が、目の前に並ぶ和洋朝食ビュッフェを見つめた。


 焼き魚、卵焼き、煮物、サラダ、パン、ソーセージ、スクランブルエッグ。料理はどれも魅力的なのに、昨夜の焼肉がまだ腹に残っている。


 黒瀬颯真・二十七歳も皿を持ったまま、しばらく動かなかった。


「昨日、あれだけ食ったからな」


 片桐翔太・二十七歳が自分の腹をさする。


「焼肉、結構いったよな。牛タン、カルビ、ハラミ、赤身、ホルモン、冷麺」


 三上蓮司・二十八歳が付け加える。


「ビールも飲んだ」


 長谷川拓真・二十七歳が満足そうに頷く。


「温泉とサウナの後だったから、余計にうまかった」


 小泉直哉・二十六歳は眠そうな顔で、大きなあくびをした。


「俺、昨日の途中から、一日が長すぎて時間の感覚なくなった」


 黒瀬が笑う。


「朝、お台場集合だっただろ」


 須藤が指を一本立てた。


「最初にスポッチャ」


 片桐が二本目。


「バスケ、卓球、バドミントン、アーチェリー、ローラースケート」


 三上が三本目。


「その後、ボウリング」


 長谷川が四本目。


「カラオケ行って、高校時代の曲を歌いまくった」


 小泉が五本目。


「秋葉原へ移動して、ゲームセンターとアニメショップ」


 黒瀬が六本目の指を立てる。


「午後四時半過ぎに有明へ戻って、泉天空の湯」


「風呂、サウナ、水風呂、外気浴」


「午後七時半から飛車角で焼肉」


「午後九時半、ホテル」


「そして今、翌朝の朝食」


 六人は顔を見合わせた。


「詰め込んだな」


「詰め込んだ」


 全員が同時に答え、笑いが起きた。


 昨日は朝から夜まで、一日を余すことなく使った。


 スポッチャでは二十代後半の体力を過信し、ローラースケートで小泉が転び、バスケットボールでは黒瀬がフリースローを三本続けて外した。


 ボウリングでは黒瀬が妙に強く、カラオケでは全員が高校時代へ戻ったように歌った。


 秋葉原では、黒瀬が甥のためにクレーンゲームへ挑戦し、四回目で景品を取った。片桐からは「銀行員なのに損切りができない」と笑われた。


 その後の温泉では、誰が一番長くサウナへ入れるかという、意味のない競争まで始まった。


 結局、長谷川が四セット目へ入り、全員から止められた。


「結局、一番よかったのどれ?」


 朝食の席へ着いた長谷川が尋ねる。


 須藤が即答した。


「温泉」


「俺は焼肉」


 片桐が答える。


「ボウリング」


 三上が言う。


「秋葉原」


 小泉が続く。


 最後に全員の視線が黒瀬へ集まった。


「俺は全部」


「それ反則」


 須藤が箸を向ける。


「でも、全部楽しかっただろ?」


 五人は少しだけ黙った。


 やがて片桐が笑う。


「まあな」


「またやろうぜ」


 黒瀬の言葉に、三上がスマートフォンを取り出す。


「次、いつにする?」


「仕事の予定を六人分合わせるの、大変だぞ」


「半年以内」


「範囲が広すぎる」


「じゃあ三か月以内」


「繁忙期がある」


「銀行員、日程調整して」


 須藤から突然振られ、黒瀬が眉を寄せる。


「何で俺?」


「銀行員だから」


「銀行員は友達の休日まで管理しない」


「普段、予定表とか見てるだろ?」


「それとこれとは別だ」


 長谷川が横から割り込む。


「次は温泉をもっと長くしよう」


「昨日、四セットやってただろ」


「バレてた?」


「全員見てた」


「じゃあ次は五セット」


「やめろ。俺たちの集まりで倒れるな」


 再び笑いが広がった。


 黒瀬は白米、味噌汁、焼き魚、卵焼きを少しずつ取ってきた。


「朝から普通に食うんだな」


 小泉が驚く。


「昨日の分は昨日の分。朝飯は朝飯」


「さすが銀行員。勘定を分ける」


「だから銀行員は関係ない」


 仕事。


 銀行。


 融資。


 顧客。


 数字。


 今日だけは、そのすべてが少し遠い。


 青嶺中央銀行の黒瀬颯真ではなく、高校時代から変わらない友人の一人。


 久しぶりに、そんな朝を過ごしていた。


 ――同じ頃。


 午前九時四十分。


 東京都渋谷区、原宿。


 ホテルのロビー。


「昨日、パンケーキ食べすぎた……」


 水無瀬琴葉・二十六歳がソファへ深く座る。


 周囲には、白鳥美月・二十六歳、高野千尋・二十七歳、桜井菜々美・二十六歳、藤原莉子・二十五歳。


 五人は昨日、原宿と表参道でパンケーキ店を三軒巡り、そのまま近くのホテルへ一泊した。


 美月が立ち上がる。


「じゃあ今日は、買い物にしない?」


「賛成」


 琴葉も立つ。


 千尋が笑う。


「昨日は食べる日」


 菜々美が続けた。


「今日は使う日?」


「何を?」


「お金」


「怖い言い方しないで」


 五人は笑いながらホテルを出た。


 最初に向かったのは、WITH HARAJUKU。


 服、雑貨、コスメを順番に見て回る。


 続いて東急プラザ原宿「ハラカド」。


 琴葉は店頭に並ぶシンプルなブラウスを手に取った。


 美月がすぐに気づく。


「仕事用?」


「うん。ジャケットにも合わせやすそう」


「休日なのに仕事服を見るの?」


「せっかく買うなら、使えるものがいいから」


 千尋が頷く。


「琴葉らしい」


「それ、褒めてる?」


「褒めてる」


 ラフォーレ原宿では、莉子がアクセサリーを見比べ、菜々美が二つのバッグを前に長時間悩んだ。


 さらに表参道ヒルズまで歩く。


 千尋が足を止めた。


「昨日より歩いてない?」


 琴葉が平然と答える。


「昨日のパンケーキを消費してる」


 美月が首を振る。


「昨日の分、今日一日じゃ無理だよ」


「それは言わない約束」


 午後になっても、買い物は続いた。


 服。


 靴。


 コスメ。


 雑貨。


 それぞれの店で立ち止まり、互いに似合うものを選び合う。


 そして、午後三時十一分。


 美月が、申し訳なさそうに見えない顔で言った。


「ねえ。最後にパンケーキ食べない?」


 四人の足が一斉に止まる。


 琴葉がゆっくり振り向いた。


「昨日、三軒行ったよね?」


「今日は一軒だけ」


「だから?」


「大丈夫」


「何が?」


「気持ち」


「身体とカロリーが置いていかれてる」


 結局、五人はまたカフェへ入った。


 ただし今日は、イチゴが乗った薄めのパンケーキを一皿だけ注文し、五人で分ける。


 琴葉が一口食べた。


「……おいしい」


 菜々美がすぐに指摘する。


「昨日、食べすぎたって言った人」


「一口なら別」


 莉子が笑う。


「その理論、昨日の美月と同じだよ」


 午後四時。


 原宿駅。


「またね」


「次は甘くないものにしよう」


「焼肉?」


「極端すぎる」


 最後まで笑いながら、五人はそれぞれの帰路についた。


 黒瀬も琴葉も、青嶺中央銀行へキャリア採用で入った同期だった。


 平日は同じ銀行で働き、創と三人で食事をすることもある。


 けれど休日には、それぞれの友人と、それぞれの時間を過ごす。


 銀行員になる前から続いている人間関係。


 現在の仕事とは直接つながらないように見えて、それもまた二人を形作っている時間だった。


 そして、そこから十二日が過ぎた。


 ――金曜日。


 午前七時二十二分。


 東京都世田谷区、成城。


 新居。


「創」


『ん?』


「見すぎ」


『何を?』


「分かってるでしょう?」


『……』


 創の箸が止まる。


 向かいには、ゆったりとした部屋着姿の欧陽璟瑶・四十五歳。


 その腹部は、十二日前よりもはっきりと丸みを増していた。


 毎日見ている創にも分かる。


『また大きくなった』


 璟瑶も自分の腹部を見下ろす。


「私も、そう思う」


『普段着だと、もう完全に分かるな』


「仕事の時は、もう一段ゆったりしたジャケットを着てる」


『苦しくない?』


「大丈夫」


『締め付けてない?』


「してません」


『本当に?』


「先生にも注意されてるから」


『一応、確認』


「はいはい」


 今日は、妊娠中期に入って二度目の健診だった。


 前回から少し間が空き、その間にも璟瑶のお腹は確実に大きくなっている。


 二人は午前中のみ休みを取り、病院から直接銀行へ向かう予定だった。


 玄関で、二人は左手を見る。


 結婚指輪をつけたまま病院へ行くか。


 少しだけ迷い、璟瑶が言った。


「健診までは、つけていく?」


『うん。銀行へ入る前に外そう』


「それで」


 二人は結婚指輪をつけたまま、夫婦として家を出た。


 ――午前八時四十八分。


 その頃。


 青嶺中央銀行本店、四十二階。


 頭取秘書室。


 第二秘書の水城絢乃・三十一歳と、第一秘書の劉川景仁・三十八歳が、午後の予定を確認していた。


「午前は健診。午後一時半、頭取室へ戻られる予定です」


 水城が予定表を見ながら説明する。


「一時半直後には会議を入れていません」


 劉川が答える。


「午後二時から経営企画、三時半から海外部門。その後は移動を伴う予定なし」


「それなら大丈夫ですね」


 水城は頷いた後、少し考えてから口を開く。


「劉川さん」


「はい」


「最近、もう分かりますよね」


 劉川は「何が」と聞かなかった。


 わずかな間を置き、静かに答える。


「……はい」


「ですよね」


「ジャケットが変わりました」


「それだけではありません。立ち方も、座る時の動きも少し変わっています」


「頭取ご本人は、まだ隠せていると思われているかもしれませんが」


「私たちには、かなり分かります」


「毎日近くにいるからでしょう」


「それに、事情を知っていますから」


 二人は顔を見合わせた。


 秘密を知っているから気づくのか。


 それとも、事情を知らない人にも気づかれる時期が近づいているのか。


 腹部の丸みだけではない。


 疲れ方。


 立ち上がる時の慎重さ。


 無意識にお腹へ手を添える動き。


 日々そばにいる二人だからこそ、小さな変化を見逃さない。


「午後のご様子、いつも以上に見ましょう」


「はい」


 身体は、秘密とは関係なく変わっていく。


 それが水城には、少し不安だった。


 ――午前九時二十七分。


 産婦人科医院。


 待合室。


 創と璟瑶は、左手に結婚指輪をつけたまま並んで座っていた。


 創が雑誌棚へ目を向ける。


 今日も車関係の雑誌がある。


 璟瑶が気づく。


「見る?」


『今日は見ない』


「どうして?」


『健診の日だから。今日は二人を優先』


「教習所は明日?」


『明日は学科だけ。次の技能はシミュレーターか、S字とクランク』


「河合さんが無理だって言ってたもの?」


『覚えてた?』


「創が話したから」


 その時、受付から呼ばれる。


「欧陽さん」


「はい」


 二人は同時に立ち上がり、診察室へ入った。


 ――午前九時三十八分。


「こんにちは」


 高峰澪奈・四十九歳が、カルテを確認する。


「前回から、体調はいかがですか?」


「大きな変化はありません」


「出血は?」


「ありません」


「強い腹痛は?」


「ありません」


「お腹の張りは?」


「夕方、少し感じることがあります」


「頻度と強さは?」


「時々です。休むと落ち着く程度」


 澪奈は頷いた。


「頻度が増える、強くなる、休んでも改善しない、出血や痛みを伴う。その場合は、次の予約を待たずに連絡してください」


「はい」


 創が横から口を挟む。


『疲れやすさは?』


 澪奈が創を見る。


「宮嶋さん、私より先に聞きます?」


『すみません』


 璟瑶が小さく笑った。


「疲れは、前より感じやすいです」


「お仕事の量は?」


「水城さんと劉川さんが、かなり調整してくれています」


『本当にかなり』


「創」


『事実だろ』


 澪奈も笑う。


「それなら良いことです。ただ、仕事については後でもう少しお話しします」


『はい』


 創の表情が真剣になる。


「まずは欧陽さん自身の状態を確認しましょう」


 血圧。


 体重。


 むくみ。


 採血結果。


 一つずつ確認する。


「血圧は、今のところ問題ない範囲です。急なむくみもありません。貧血も現時点では大きく問題になる状態ではありません」


『よかった』


「ただし、これから身体への負担は増えます」


 澪奈はすぐに続けた。


「今日大丈夫だから、今後もずっと大丈夫とは限りません」


「はい」


 璟瑶も、創も、その意味をすでに理解していた。


 今日の確認は、未来の保証ではない。


 ――午前九時五十二分。


 超音波検査。


 璟瑶が横になり、創は画面を見つめる。


 何度目でも、この瞬間の緊張には慣れない。


「では、一人目から見ますね」


 画面に小さな身体が映し出される。


 前回よりも、輪郭が明らかに大きい。


『……大きい』


「そうですね」


 澪奈が慎重に確認する。


「心拍、あります。しっかり確認できます」


 璟瑶が小さく息を吐いた。


「よかった」


『うん』


「大きさを測りますね」


 画面上に計測線が入る。


「今のところ、週数相当です」


 続いてプローブの位置が変わる。


「次に、二人目です」


 創がわずかに身を乗り出す。


「こちらも心拍を確認できます」


『二人とも?』


「はい。二人ともです」


 二人目も、頭部や腹部など必要な部分を測る。


「二人目も、現時点で発育に大きな問題はありません。二人の間に、心配するほどの成長差も認めていません」


『前回より、本当に大きくなってる』


「お腹も大きくなるはずだね」


 璟瑶の言葉に、澪奈が頷く。


「そうですね。これからは成長をさらに実感しやすくなると思います」


『今、動いてます?』


「動いていますよ」


『これ、腕ですか?』


「そう見えますね。こちらが脚です」


『……』


 創は黙って画面を見つめた。


「どうしたの?」


『ちゃんと、人の形が分かる』


「今さら?」


『今さらじゃない。見るたびに思う』


 澪奈が微笑む。


「妊娠中期になると、ご家族も超音波画像から実感を持ちやすくなります」


 続いて、胎盤、羊水、子宮頸管などの確認が進む。


 澪奈の目が画面を慎重に追う。


 沈黙が少し長くなるだけで、創は不安になる。


『先生』


「はい」


『何かありますか?』


「今、確認しています」


『はい』


 数十秒。


 実際には短い時間なのに、創には長く感じられた。


 澪奈が最後に画面を止める。


「今日確認できる範囲では、二人とも心拍と成長に問題はありません。子宮頸管も、現時点で大きく心配する所見はありません」


『……よかった』


 璟瑶も一度目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。


 その後、澪奈が画面の角度を少し変える。


 創の目が、ある部分で止まった。


『先生』


「はい」


『今、もしかして……』


「何?」


 璟瑶が創を見る。


『性別、見えました?』


 澪奈が少し笑った。


「見えた気がしましたか?」


『少しだけ』


「本当に?」


 今度は璟瑶も画面へ目を向ける。


 澪奈は改めて確認した。


「一人は、角度によってはそう見えるところがあります」


『じゃあ――』


「でも、まだ確定とは言わないでおきましょう」


『またですか?』


「またです」


「創、焦らない」


『焦ってない。気になってるだけ』


「顔に出てる」


 澪奈が二人を見ながら説明する。


「体勢や角度がありますから、双子のお二人をきちんと確認できる時にお話ししましょう。次回以降の楽しみにしてください」


『はい』


 性別は、もう一度持ち越しになった。


 ――午前十時十二分。


 診察室。


 三人が椅子に座る。


 澪奈は、今度は璟瑶の仕事について話を始めた。


「欧陽さん。前回より、お腹が明らかに大きくなっていますね」


「自分でも分かります」


「今後は大きくなる速度も上がってきます。特に双胎妊娠ですから、単胎妊娠より早い段階で身体的負担が強く出ることがあります」


 璟瑶が真剣に聞く。


「疲れやすさ、息切れ、腰や脚への負担、むくみ、お腹の張り、睡眠。さまざまな変化が出る可能性があります。四十五歳という条件も含め、引き続き慎重に見ます」


「はい」


「仕事をしてはいけない、という意味ではありません。ただ、ここは区別してください」


 澪奈の口調が、少し強くなる。


「仕事を続けられることと、今までと同じ仕事量を続けられることは別です」


 創がすぐに反応した。


『先生、その言葉を水城さんに聞かせたいです』


「絶対に喜ぶから、やめて」


 璟瑶が止める。


 澪奈が笑う。


「水城さんは秘書の方でしたね?」


『はい』


「私の予定を、ものすごく厳しく管理しています」


『正しく管理してます』


「創」


「私は、その秘書の方を支持します」


『ほら』


「先生まで……」


「出張、会議、長時間の立ち仕事、移動。全部、体調を見ながら調整してください。これからお腹はさらに大きくなります」


「はい」


「もう一つ。仕事用の服で隠すために、身体を締め付けることは絶対にしないでください」


「してません」


「それなら結構です。ただ、見た目を優先して身体に負担をかけないこと。お願いします」


『はい』


 璟瑶が隣を見る。


「どうして創が返事するの?」


『夫だから』


「患者は私」


『夫も聞く』


 澪奈が頷く。


「宮嶋さんには、聞く役をお願いします」


「また二対一」


『水城さんと劉川さんを入れたら四対一』


「それ、前も聞いた」


 今日の診察結果は良好だった。


 けれど同時に、働き方を変える時期が近づいていることも、以前よりはっきり示された。


 ――午前十時三十六分。


 医院を出た二人の左手には、まだ結婚指輪がついていた。


 創は璟瑶の歩調に合わせて歩く。


『二人とも、大きくなってたな』


「うん」


『性別、惜しかった』


「まだ気にしてる」


『気になるだろ』


「どちらでもいいんでしょう?」


『もちろん』


「なら、待って」


『はい』


 璟瑶が創の手を握る。


 午前の街を、二人は夫婦として歩く。


 数時間後、銀行へ戻れば、頭取と若手行員になる。


 だから今は、わずかな夫婦の時間を大切にした。


 ――午後零時五十三分。


 青嶺中央銀行本店。


 入館前。


 二人は人目の少ない場所で足を止めた。


 左手から、それぞれ結婚指輪を外す。


 専用の小さなケースへ入れ、蓋を閉じる。


 璟瑶が何もなくなった薬指を見る。


「やっぱり、少し寂しい」


『帰ったら、今日は俺がつける』


「本当?」


『うん』


「約束」


『約束』


 二人は時間と入口をずらし、別々に銀行へ入った。


 ――午後一時二十七分。


 四十二階。


 エレベーターを降りた璟瑶を、水城が迎える。


「お帰りなさい」


「ただいま」


 水城は一度頭を下げた。


 その後、立ったままの璟瑶を見て、わずかに視線を下げる。


「……」


「何?」


「頭取。もう私には、かなり分かります」


「言わないで」


「本当に、前回より大きくなりました」


「水城さん、今日、先生にも同じことを言われた」


 そこへ劉川が来る。


「お戻りでしたか」


「うん」


 劉川も一瞬だけ腹部へ視線を向け、すぐに璟瑶の顔へ戻した。


「私にも分かります」


「劉川さんまで?」


「申し訳ありません」


「謝ることではないでしょう?」


「はい」


 水城は、璟瑶のジャケットを見る。


「服も、そろそろ考えた方がいいかもしれません」


「さらに大きいジャケット?」


「単に大きいものではなく、自然に見えて、身体への負担が少ないものです」


 劉川も提案する。


「広報対応時の撮影角度、座席配置、立ち時間も調整できます」


「二人とも、完全に妊娠対応チームになったね」


「はい」


 水城が即答する。


「否定しないの?」


「しません」


 劉川も落ち着いて続ける。


「必要ですので」


「……」


 璟瑶はため息をついた。


「先生にも言われた。仕事を続けられることと、今までと同じ仕事量を続けられることは別だって」


 水城の表情が、目に見えて明るくなる。


「高峰先生、素晴らしいです」


「創と同じ反応」


「私も同意します」


 劉川も続く。


「三対一……」


「宮嶋さんを入れれば四対一です」


「もういい」


 三人の間に小さな笑いが生まれる。


 だが、水城はすぐに真剣な表情へ戻った。


「頭取。そろそろ、外部へいつ公表するかだけではなく、行内で必要な範囲をどこまで広げるか、考える時期が近づいているかもしれません」


 璟瑶は黙った。


 銀行内で、妊娠と双子まで知っているのは水城と劉川だけ。


 桐生と御子柴は結婚と配偶者を知っているが、妊娠は知らない。


 久世、長谷部、榊原を含む他の役員や行員は、結婚すら知らない。


 今はまだ、ゆったりしたジャケットで目立ちにくくできる。


 しかし、それがいつまでも続かないことは、今日の診察でも分かっている。


「もう少し、考えさせて」


「はい」


 水城が答える。


「必要な時に、共有範囲と伝え方を整理しましょう」


 劉川も静かに続けた。


 働くことをやめるか、続けるか。


 単純な二択ではない。


 仕事量を減らす。


 会議の組み方を変える。


 移動を減らす。


 立つ時間を短くする。


 行内の限られた人へ事情を共有する。


 頭取であり続けながら、母になる身体を守る。


 璟瑶が考えなければならないのは、そのための具体的な選択だった。


 ――午後一時四十五分。


 十八階。


 法人営業第一部。


 創が自席へ戻る。


 桐生雅人・四十二歳が声をかけた。


「宮嶋」


『はい』


「私用、終わった?」


『はい』


「じゃあ、東央精密。審査部から追加質問が来てる」


『確認します』


「一つ、これまでの前提をひっくり返す質問がある」


『何ですか?』


「設備導入が三か月遅れた場合、返済開始をどう考えるか」


『……分かりました』


「先に答えを作るなよ」


『まず導入遅延で何が変わるか整理します』


「そうして」


『はい』


 創はPCの画面を開く。


 銀行へ戻れば、仕事が待っている。


 創は夫の顔を胸の奥へしまい、法人担当者へ戻る。


 四十二階では璟瑶も、妻と妊婦の顔を一度しまい、頭取として午後の会議へ向かう。


 同じ建物。


 違う階。


 二人はそれぞれの仕事を続けた。


 ――午後六時四十九分。


 成城。


 新居。


『ただいま』


「おかえり」


 先に帰宅していた璟瑶が玄関へ来る。


 創は二つの指輪ケースを手に取った。


 いつもなら璟瑶が創の指輪を先につける。


 けれど今日は、創が璟瑶のケースを受け取った。


『今日は俺が先』


「覚えてた?」


『約束した』


 璟瑶が左手を差し出す。


 創はリングを取り出し、妻の薬指へゆっくりとはめた。


『おかえり』


「ただいま」


 次に璟瑶が創の指輪を戻す。


「おかえり」


『ただいま』


 二人の薬指に、再び同じリングが並んだ。


 ――午後七時三十一分。


 夕食後。


 リビングのソファ。


 創は今日受け取った超音波画像を見比べていた。


『こっちが一人目?』


「うん」


『こっちが二人目』


「うん」


『前より本当に大きい』


「今日、何回目?」


『何が?』


「大きいって言うの」


『分からない』


「朝から何回も言ってる」


 創の視線が、画像から璟瑶の腹部へ移る。


 今夜は、ゆったりしたワンピース。


 それでも、丸みは以前よりはっきり分かる。


『一週間、二週間で、こんなに変わるんだな』


 璟瑶は自分のお腹をそっと撫でた。


「二人いるからね」


 創が笑う。


『またそれ』


「恒例」


『でも、本当にそうなんだよな』


 創は画像をテーブルへ置いた。


『触っていい?』


「いいよ」


 服の上から、そっと手を置く。


『……』


「どう?」


『前より、はっきり丸い』


「うん」


『重くなってきた?』


「少し。立ちっぱなしだと、前より疲れる」


『先生の言うとおりだ』


「銀行へ戻ったら、水城さんにもすぐ言われた」


『何て?』


「私にはかなり分かりますって」


『劉川さんも?』


「私にも分かりますって」


『二人とも、気づいてるんだな』


「秘密を知ってるから、余計に見えるんだと思う」


『でも、そのうち知らない人にも分かる』


「うん」


 璟瑶の返事が少しだけ小さくなる。


『怖い?』


「少し」


『何が一番?』


「妊娠を発表すること自体より、その後」


『その後?』


「結婚相手は誰なんだ、という話になること」


 創は黙った。


 欧陽璟瑶頭取が結婚していた。


 妊娠している。


 しかも双子。


 そして配偶者は、同じ銀行に勤める二十一歳の若手行員。


 知られれば、大きな話になる。


 年齢差。


 立場。


 採用経緯。


 人事評価。


 利益相反。


 事実を知らない人から、さまざまな憶測が生まれる可能性もある。


 創は腹部へ置いた手を動かさずに言った。


『でも、今一番大事なのは、この二人だろ』


「うん」


『仕事も秘密も大事。でも、身体を優先する』


「先生も、水城さんも、劉川さんも、創も、みんな同じことを言う」


『みんな正しい』


「……」


『俺も含めて』


「そこ、自分で言う?」


『言う』


 璟瑶が笑った。


 創もつられて笑う。


『性別、今日、本当に見えそうだった』


「まだ言うの?」


『だって先生、一人はそう見えるって言った』


「確定じゃない」


『分かってる』


「次まで待つ」


『はい』


「男の子でも、女の子でも、どちらでもいい?」


『何回聞くんだよ』


「確認」


『入口』


「その先は?」


『元気に生まれてきてくれたら、それでいい』


 璟瑶の表情が柔らかくなる。


「私も」


 ――午後九時十四分。


 寝室。


 創はベッドの上で教本を少しだけ開いていた。


 璟瑶は隣で、超音波写真を見ている。


「創」


『ん?』


「明日は学科?」


『うん』


「運転しないの?」


『技能は次。S字、クランク、シミュレーターの予定』


「脱輪しない?」


『それ言うなよ』


「河合さん、脱輪しそうになったんでしょう?」


『河合さんの話、覚えすぎ』


「創が話すから」


 創は教本を閉じた。


『免許を取る頃には、もっと大きくなってるんだろうな』


「多分」


『その頃まで、銀行で隠せてるかな』


 璟瑶の答えが止まった。


「……分からない」


『隠せなくなったら、その時は必要な人にきちんと話そう』


「うん」


『無理に隠すために身体へ負担をかける。それだけは駄目だから』


「分かってる」


『本当に?』


「確認しすぎ」


『職業病』


「教習所でも注意されてるでしょう?」


『そこ出す?』


 二人は笑った。


 妊娠中期、二度目の健診。


 二人の心拍は、今日も確認できた。


 二人とも成長し、現時点で大きな問題はない。


 けれど、それは出産までの安全が保証されたという意味ではない。


 だから、また確認する。


 次の健診で、もう一度見る。


 そして、双子の成長と同時に、璟瑶の身体も確実に変わっている。


 仕事を続けることはできる。


 だが、今までと同じ仕事量を続けられるとは限らない。


 会議を減らし… 移動を減らし… 休憩を増やす。


 必要な人へ事情を伝える。


 頭取として働き続けながら、母になる身体を守る。


 何かを完全に捨てるのではなく、二つを守るために働き方を選び直す。


 その時期が、少しずつ近づいていた。


 そして、結婚と妊娠を隠していられる時間も、身体の変化とともに短くなり始めている。


 創は超音波写真を見つめ、隣にいる璟瑶の腹部へ手を置いた。


『二人とも、また大きくなったな』


「うん」


『次も、ちゃんと確認しよう』


「うん。四人でね」


 頭取と若手行員。


 夫と妻。そして、父と母。


 四人家族の現在地は、今日も少しだけ先へ進んでいた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、双子の中期二度目の健診を中心に描きました。


二人とも心拍・成長を確認し、現時点では大きな問題なし。


ただし、45歳での双胎妊娠であることに変わりはなく、これからは身体への負担もさらに大きくなっていきます。


お腹も前回よりはっきり大きくなり、水城と劉川にも完全に分かるほどになりました。


その一方で、妊娠を知らない行員たちにいつ気づかれるのか、秘密をどこまで維持できるのかという新しい問題も少しずつ近づいています。


性別は今回も確定せず、もう少し先のお楽しみ。


そして黒瀬は有明で高校時代の友人たちと朝食を取りながら前日の思い出話。


琴葉も原宿・表参道で友人たちとの買い物と、最後のパンケーキを楽しみました。


次回、第88話。


創は教習4回目。


今度は危険予測シミュレーターに加え、S字・クランクという新しい難関へ挑みます。


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